36.空手vs大賢者(後)

 目の前に立つ老人は、今でこそここ、ミノバの地に隠棲しているが、かつては大陸全土に名を馳せた大魔導師であったという。その実力は今でも随一であると、大陸中の魔導師が口を揃える。


 ウィルヘルムの側近である王宮魔術師のクライフも、かつてこの大賢者に師事したことがあるのだと、前に聞いたことがあった。その時、既にかなりの老齢であったというが――



「……ぬうううん!」



 ディン老人が大きく踏み込み、その拳を振るう!



 ――バガァッッ!!



 その拳をかわしたおれの背後の岩壁を、その拳が貫く!!


 鋼のように鍛え上げられたその肉体――! 岩壁をも砕くその破壊力は、空手家でもそうそうお目にかかれるものではない!



「どうした? 老人だと思って遠慮していると……」



 ディン老人が振り返る――



「……骨まですり潰すぞォッ!」


 ――ドゴォッ!!



 そして振り返りざまの蹴り――棍棒のように太い脚が、おれの腹を突く!



「ぐっ……!」



 おれはかなりの距離を吹き飛ばされつつも、なんとか踏みとどまった。パワーだけでなくこのキレ、このスピード――生半可な鍛え方ではない!



「ぼやぼやするなヨ!」



 顔を上げれば、ディン老人がその手の中に光の球を抱えるようにして、両の掌を腰だめに構えていた――まさか、瞬時にあれほどの魔法を――!?



「……魔導マジックゥゥ……ミサイルッッッ!!!」



 老人が両の掌を前に向け、突き出す! 巨大な光の弾丸が、尾を引くようにして軌跡を描き――!



「くっ……!」



 おれは横っ跳びに飛んだ――と、背後で轟音が響く! 地を転がり、身体を起こして振り向けば、そこには巨大なクレーター!! 


 魔導弾マジックミサイル――いつぞや猪鬼同胞団オーク・マフィアの館で戦った魔獣使いが放ったものと同じ魔術だが、その威力は比ぶるべくもない。多段の弾丸を放つのでなく、巨大なひとつの弾丸――いや「砲弾」を撃ち込む――それが可能な魔力が、あの肉体には秘められているということか。


 さすがは大賢者――肉体だけでなく、その魔法も一味違う。ならば――



「……遠慮など、するはずもない!」



 おれは地を蹴り、跳んだ――! 



 ――ガッ!!



 離れた距離を一気に詰め、右の追い突きをその顎に叩きこむ――!!



「……!? 撃ち抜けない……ッ!?」



 相手の顎に、突き刺さったはずの正拳――しかし、その顎は硬く固定されたかのように、拳の威力を受け止めている!


 大賢者がニヤリ、と笑い――掌をおれへとかざした。その掌の中に、光が集まり――



「……火球ファイアボール!」


「……うおおおッ!!」



 おれは拳を引きながら、身を捻る!



 ――バゴォォッ!!!



 炎が爆裂し、閃光が走る! おれは身体を捻りながら跳び退るが――至近距離で炸裂する爆風を、かわしきることはできない!



「……ぐは……ッ!」



 地面にたたきつけられた衝撃と、火炎の熱波に息を詰まらせながら顔を上げる――と、おれと同じ距離で爆風を受けたはずのディン老人が、燃える炎を背に立ちはだかっていた。


 ――圧倒的な、力――!


 接近戦に弱いという魔術師の常識、それを覆す、単純シンプルな力――



「……わしを殺す気で来なければ、そなたが死ぬぞ」


「……!」



 おれは立ち上がり、ディン老人を見た。その目――それは本気の目だ。



「ジャヴィドは成り振り構わず、世界の運命を塗り替えようとしてくる。それこそ神器アーティファクトまで持ちだしてな。中途半端な気持ちでそれを止められるのか? 運命に挑むとは……そういうことではないのか!?」


「……それは……ッ!」



 ディン老人の両手に、雷が奔る――!



「……雷撃ライトニングゥゥゥ……嵐舞ストーム!」



 掌から発する稲妻が、おれを撃つ!!!



「ぐわあああぁぁっ!!!」



 電撃と熱、そして五体を裂く衝撃――広範囲に及ぶ稲妻の雨。かわしようもなくその直撃を受け――おれは膝をついた。


 魔法を放った両腕を降ろし、ディン老人は静かに言う。



「……絶対に逃れられない運命。それを目の当たりにしたとき……お前の空手は、鍛えた技は、なにを語る? その拳で、世界中の人々を救えるつもりか?」


「……!」


ドラゴンを倒すことは出来ても、数百万の軍勢に勝つことはできない……大地震や台風、災害を倒すことも、病気を倒すことも出来ない。それが人の身体の限界……ジャヴィドはそれを覆そうとしている。『無限の真球』でな」



 ディン老人はその肉体を揺すり、こちらに歩み寄り――



 ――ガシッ!



 その鋼のような腕でおれの喉元を掴み――宙に吊り上げる――!



「ぐっ……!!」


「さぁ、覚悟を見せヨ、空手家君。そなたは、如何に立ち向かうのか……そして」



 おれの喉を掴む太い指に、力がこめられる――!



「そなたの空手とは……なんだ!?」


「ぐ……ッ……ぬ、おおぉぉ!!」



 おれは宙に浮いたまま、足を振った!



 ――ドッ……!



 前蹴りが、大賢者の股間へと突き刺さる!


 金的――言うまでもなく、男性にとって最大の急所。どんなに全身を鍛えても、鍛えようのない箇所であり、軽く打っただけでも数分は動けなくなる。故に、武術ではここへの攻撃は「卑怯」であるとされ、禁じ手となっていることも多いが――古流の技では、相手の急所を狙うのは当然のこと!



「んぐ……ッ!」



 大賢者は悶絶し、その腕から力が抜ける!



「うぉりゃぁぁぁ!」



 おれはその一瞬、さらに蹴りを繰り出す!



 ――ドドドォッ!!!



 自らの足で跳んではいないものの、それは空中三段蹴り――! 正真正銘、本気の蹴りだ!!


 一撃必倒の蹴りを三連続でその身体に受け、ディン老人は吹き飛ぶ――!



「……おおおおおおぉぉ!!!」



 おれは着地と同時に再び地面を蹴る! 倒れたディン老人の元へと踏み込み、繰り出す技は「三本貫手」――人差し指、中指、薬指の三本で相手の顔面を突く、すなわち相手の眼球を指で突いて潰す、金的攻撃と並ぶ禁じ手技――!



 ――ビシッ!



 ――大賢者の見開いた眼に指先が突き刺さる――そのまさに寸前で、おれはその指を止めた。


 数瞬、お互いに動きを止める。そして――おれは拳を、降ろした――



「……なぜ止めた?」


「……あなたを殺す理由がない」



 沈黙。そしてまた、ディン老人が口を開く。



「……わしを倒さねば、わしがそなたを殺すかもしれんのだぞ」


「そりゃ嘘だ。あんたはおれを殺さないよ」


「なに……!?」



 おれはひとつ、息をついた。



「力比べ、技比べは別としても……本当に戦わないといけない相手、倒すべき相手はちゃんと見極めるさ。数百万の軍勢を、おれ一人が倒す必要はない。災害が来るなら、あんたみたいな魔術師や科学者や……専門家の力を借りたり、みんなで対応すればいい」


「……ならば」



 ディン老人は立ち上がり、おれを見た。



「……人々の苦しみは……そなたはこの世界の心を、どう救う?」


「信じる」



 即答したおれに、ディン老人は眼を丸くした。おれは続ける。



「人間はそんなに馬鹿じゃない。少しでも世界をよくしようとしているやつらが、この世界にもいる。彼らを信じ、おれはその力になる」



 この国の王であるウィルヘルムや、空手を学び出した猪鬼同胞団オーク・マフィア、暗黒の島の少年……それぞれ、自分の環境をどうにかしようとして、必死に考え、行動をしているのだ。


 運命を諦めてしまっている人たちは多い。それは、どこでも変わらない。だが――



「……諦めず、種をまき続け、ひとりの人間が少しの未来を少しずつ、変えていけば……その先に必ず、未来がある。世界はひとりずつの人間の集まりなのだから」


「……」


「人が生き、成したことは必ず次の世代へと受け継がれ、少しずつ、少しずつ世界を前に進めていく。誰かが技を究め、限界を超えれば、その分だけ世界は広がり、人はその後についてくる」



 おれは握り拳を作り、言った。



「……だから裏技チートスキルではだめなんだ。人の力でなければ……生身の人の、可能性でなければ」



 そう、空手とは――



「……戦うのはおれだけじゃない。共に立ち向かう人々の可能性を、勇気を……おれは信じる」



 ディン老人はおれの作った拳を黙って見ていた――そして、ふっと笑った。



「……バカだな。まったく、お前さんは空手バカだ」



 その顔は、元の好々爺の顔に戻っていた。身体まで小さくなったように見えるのは気のせいだろうか。



「だが……こういうバカこそが、世界を変えるのかもしれんネ」



 ディン老人は振り返った。



「……ジャヴィドのことはそなたに託す。我々ではやつの陰謀に対処できない理由があるのだ。次元遊者ブレーンウォーカーであるそなたでなければならない理由が」


「……それは?」


「小屋の方で話すとしよう。猫や……すまんが茶の用意をやり直しておくれ」



 どこに隠れていたのか、猫が現れて鳴き声をあげ――小屋の方へと駆けていった。



「……ひとつ、聞かせてもらいたい。大賢者よ」



 猫のあとを追って小屋へと向かおうとしたディン老人に、おれは声をかける。



「……あなたは、諦めてしまったのか?」



 老人は足を止めた。そして、その片手を軽く上へ向け――



 ――ブゥゥン



 ――宙空に現れた紫色の光の中から、なにかが現れて老人の手の中に収まった。それは――紙の、束?



「……もう何年も、ここに籠ってこれを書いてるんだがネ。なにしろ膨大な量でナ……」



 ディン老人は顔をこちらに向ける――その顔はなんとも楽しげだった。



「『魔導大全』……わしという『魔術バカ』の集大成サ。この本を世界中に売りさばいて、ひと儲けしようと思っていてネ」


「それは……!」



 自らの身につけた技を、叡智を形にして残す――限られた人間にのみ有用な知識ではなく、より多くの人々へとその可能性を伝え、世代を超え受け継いで発展させていく――



「究めた限界は、体系化して世に伝えるんだ。そうすることで、世界はもっと進歩する……そなたの『空手』もそうだろう?」


「……押忍!」



 おれは小屋へ向かって歩き去る大賢者の後ろ姿に向かい、深く礼をした。

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