34.空手vs異世界

 島の岩場に、迎えの小船が来た。



「生きてたか」


「ああ、がっかりさせたな」



 船長が鼻で笑い、小舟を岸へつける。


 おれはゲベル少年の方を振り返った。



「世話になった。ありがとう」


「……なにもしてねぇよ」



 目を逸らしながら返すその返事に、おれは笑って言う。



「君のその勇気があれば、きっと大丈夫だ」


「……」



 おれとエンディは小舟へ乗り込む。



「……なぁ!」



 船が岸から離れようとしたとき、ゲベルが声を張り上げた。



「おいらもあんたみたいに、強くなれるか!?」



 おれはゲベル少年の方を見た。船は動き出していた。おれは少年に向かい、叫ぶ。



「……空手を信じろ!」



 ゲベル少年は笑った。この島に来て初めて見る、朗らかな笑顔だった。


 * * *


 少し沖に錨を降ろしていた船が、帆をあげて風をはらみ、動き出した。島を回り込むようにして、港町へと向かう。


 暗黒の島――おれは目の前を流れる景色を見ながら、考えていた。この島に近づくものは呪われると言われ、強力な魔獣が息づく地。その地に暮らすゲベル少年、そして――


 島の岸壁に、ボロ布を身に纏った人々が見えた。彼らこそが「呪い」の担い手。それは、この地に生まれ暮らすという業なのかもしれない。



「……アズミファルの小手、残念だったね」



 かけられた声に振り返る。と、そこには長い銀髪の美しい女――



「……女神さんか」



 東宮のグレン――おれをこの異世界へと導いた女神が、そこに立っていた。女神は潮風にその髪を預けながら、言う。



「あなたはドラゴンと戦えて満足かもしれないけど」


「……そうでもない」


「え?」



 おれは遠ざかる島影を見ながら言った。



「……この世界の人々はみな、運命を諦めてしまっているかのようだ」



 島の人々だけではない。ガルディオフたち猪鬼同胞団オーク・マフィア亜人デミ・ヒューマンたち、自分の地位を守るために必死な貴族たち。魔獣モンスターにおびえながらも、街に暮らす他の種族と諍いを繰り返す人々。ギルドで出会った冒険者たちも、その日暮らしの報酬を得ては酒に溶かすような暮らしをする者たちばかりだった。



「……戦乱が続いたあとだからね。出口が見えないのよ、みんな」


「……」



 おれは自分の故郷の国を思い出していた。この世界よりも、はるかに安全で平和な世界ではあったが――しかし、出口の見えない運命に囚われた人々の目は、どこでも同じ色だ。



「おれがこの世界に来た理由、わかったような気がする」


「……そう」


「だからこそ、裏技チートスキルの力を借りるわけにはいかない」



 女神は笑った。



「そうね。そうだと思う」



 おれは船の行く先を見た。水平線の先に、陸地の陰が朧げに揺れていた。



「……ジャヴィドのことは止めてみせる。アズミファルを両方手に入れた奴の暴挙は……止めなくてはならない」



 女神は頷いた。



「神の意志は気まぐれ。でも、あなたがここに来た意味……この世界の命運、あなたに預けます」



 おれは船のへりに手をかけ、その行く先を見つめていた。



「おおーい」



 船室へ降りるハッチから、エンディが顔を出した。



「……ん? 今誰かと話をしていなかったか?」



 ふと見ると、女神は既に姿を消していた。



「……いや」


「そうか……?」



 エンディは訝し気な顔をしながら、甲板へと上がりこちらへ歩いてくる。おれは彼女の方へと向き直り、言う。



「……エンディさん、陸に着いたらあんたは王都へ向かってくれ。例の件、ウィルヘルムに伝えて欲しい」


「なに? 貴公はどうするんだ?」


「『大賢者』に会いに行く」


「大賢者……まさか、あの」



 おれはエンディに向かい、頷いた。



「クァルーズィオが……あのドラゴンが教えてくれた。二つの太陽が重なるとき……ジャヴィドの計画は恐ろしいものだ。止めなければならない。そして、この世界に……」



 おれは再び、水平線の先を見た。



「……勝たなければな」



 水平線の上に浮かぶ二つの太陽――それが複雑なグラデーションを雲の合間に描き出していた。





<第四章へ続く>

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