33.決着の行方

 ――どれくらい、こうしているだろう。


 台風の目に晴れ間が広がるかのように、打撃の嵐の真ん中には、静かな時間が流れていた。



『小さき者よ……そのような小さな拳で、なにを掴む?』



 クァルーズィオがその爪を振るいながら、問いかけてくる。



「……強さだ!」



 おれもまた、その拳を振るいそれに答える。



『どれほど強くあろうとも、所詮貴様は常命の運命さだめ



 クァルーズィオはなおも問う。



『その命はいずれ尽きる……ならばその強き拳に、どれほどの意味がある』


「約束したんだ、あの人と」



 おれは答える。



「あの人は誰よりも強かったのに、志半ばで命を散らした。おれに後を託して、逝った……だから」


『愚かな……所詮は自己満足。誰よりも強い力など、虚しいだけだ』



 そう語るクァルーズィオの拳が、なぜかとても哀しく感じた。



「……違う!」



 おれはその哀しい拳に、自分の拳をぶつける。


 拳頭がぶつかり合うその一瞬――時が、ぜた。



「約束したのは、おれが強くなることじゃない……伝えること」


『伝える……?』


「人は死ぬ……お前たちと違い、その命は短い。病気や事故でだって、簡単に死ぬ。だからこそ……必死に生きて、伝えていく」



 ぶつかりあった拳に力が伝わる。衝撃が、拳頭の間の原子を押しつぶすように圧縮される。



「空手は人の叡智、限界にあらがう勇気。練り上げた技、築き上げた心、残した生き様は、次の世代へと受け継がれる……人の死を、運命を乗り越え、先人たちが繋いだ大いなる意思! 強さそのもの!」



 圧縮された衝撃が、広がろうとしていた。作用に対する反作用、力に対する力、ぶつかりあった拳が、弾けるそれは刹那。



「おれの闘いは人間の闘い! 過去を未来へつなぐ闘い! おれが闘う限り、世界はおれの先にある!!! 例えどんなに強大なドラゴンが相手だろうと、ちっぽけな生身の人間であろうと……」



 力が吼え、心が叫ぶ。魂が、唸りを上げる――!



「空手なら、勝てる!」



 拳の中で圧縮された時間が、弾けた――!


 * * *


 ――ドガァァッ!!



 衝撃におれは吹き飛ばされ、後ろ向きに転がった。



「ぐっ……かはぁ……ッ!」



 おれは立ち上がろうとして手をついたが、力が入らない。どこかの骨が逝ったか――顔を上げれば、クァルーズィオはその四肢で地面に立っていた。その身体にも、あちこちに、打痕、裂傷、流れる血――しかし――



 ――グオオォ!!



 クァルーズィオが立ち上がった。おれもそれに応え、身体を振りしぼって二本の脚で立つ!



「勝負だ、ドラゴン!」



 咆哮とともに、クァルーズィオが踏み込んでくる――!


 その爪による直突きストレート、逆の腕と牙での連撃――



「……の連撃の方が速かった!」



 蜥蜴鬼人蹴脚術リザードマン・サバットの四本の手足による連撃に比べれば――おれは足捌きフットワークを使い、それをかわす!


 クァルーズィオがその翼をはばたかせ、身体を引いた。至近距離で巻き起る疾風! それと同時に、クァルーズィオがその身体を後ろに逸らす――!!



 ――後方宙返り尻尾撃ちサマーソルト・テイル!!


 疾風で相手をロックしつつ、最大威力の打撃を繰り出す複合攻撃コンビネーション、しかし――



「風だったら、もっと強い奴を知ってる!」



 ――古流ハイエルフ魔法柔術――ソークの操った風に比べれば、こんなもの――!


 おれはその風を受け流し、身体を捌く! ドラゴンの丸太のような尻尾が、髪の毛ひとつ分の隙間を残して額の前を過ぎる!


 空中で一回転したクァルーズィオが、その頭を再び、こちらに向けた。その目に紅い光が宿り、たてがみに陽炎が揺らぐ――!


 次の瞬間、その口から、灼熱の息吹ブレスが放たれる! 後方宙返り尻尾撃ちサマーソルト・テイルからの息吹ブレス――なんという恐ろしい複合攻撃コンビネーション! しかし――尻尾の一撃を皮一枚で身切った今、



 ――ザンッ!!



 息吹ブレスが放たれるその刹那、おれはその中へと一気に踏み込むッッ!!!


 空気を焼き尽くす音を立てながら、息吹ブレスが頭上を通り過ぎ、背後の地面に炸裂するその時――おれが立っていた場所、そこはドラゴンあぎとの直下!!


 そうだ――息吹ブレスを吐きだすこの一瞬。ここだけが勝機だった。両手の使えないこの一瞬だけ、クァルーズィオの懐の内側が無防備になる。ここからなら――届く!



「ちぇやぁぁぁーッ!!!」



 息吹ブレスを吐きながら、上から降りてくるクァルーズィオの、喉笛――全身をくまなく、分厚い革と硬い鱗で覆われたドラゴンの身体の内、もっとも革の薄い場所! それでも、相当な硬さではあるが――!!


 正拳が、クァルーズィオの喉を叩く――そう、これは「裏当て」!!!



 ――ドッ……!!!



 鱗と革とをとおし、その衝撃が身体の内部へ伝わったのが、拳から伝わる!!


 息吹ブレスを吐きだすその時、ドラゴンは喉の筋肉に力を込め、硬直させる。その瞬間に叩きこまれた喉の中への衝撃――クァルーズィオの息吹ブレスが途切れ、その口から血が吐き出された!



「……おおおおおお!!!」



 おれはそのまま、喉に向かい正拳の連撃を叩きこむ!!!! 左、右、左、右、一点に向かい、左右の正拳を、何度も、何度も、何度も!!


 クァルーズィオの身体から、その力が失われていき――おれは連撃をやめ、下敷きになるのを避けて跳び退さる――!



 ――ズズウゥゥゥン!!



 赤銅色の巨体が、地に堕ちた。


 おれの足元に、その頭――おれは拳を腰だめに引き、その頭に向かって残心をとった。そのまま、数瞬。


 クァルーズィオは動かなかったが、その眼から意識は失われていなかった。その眼が、おれの眼と交錯する――



「……押忍」



 おれは残心を解いた。クァルーズィオが負けを認めたのだ――



 ――ブゥゥン……



 と、その瞬間、おれは周囲の景色の変化に気がついた。次元の狭間の広大な、奇妙な風景が、いつの間にか失われている。そこは大きくはあるが、元のままの城の一室。頭上には緑色粘液獣魔グリーン・ウーズのいた部屋の床から空いた穴が見え、そして――


 クァルーズィオの背後に、があった。



「……アズミファルの小手……」



 石の台座の上、複雑な色彩の輝きを放つ金属の小手、神器アーティファクトの片割れ――それはまるで、先ほどからずっとその場に存在していたかのように、薄暗い部屋の中に光を放っていた。



「……持って行け、というのか?」


 ――グルルル……



 唸りを上げるクァルーズィオ。おれはその声に頷き返し、その台座へと歩み寄った――その時だった。



 ――ゴゥン!!!



 おれと台座との間の空間に、奔る衝撃――!



「……ぐわッ……!?」



 おれはそれに弾き飛ばされ、後ろ向きに倒れ込む!



 ――なんだ――?



 先ほどの闘いのダメージに軋む身体を起こし、おれは眼を凝らす――そこに立っていたのは、銀の胸当てに黒い外套マントを纏った男――



「……ジャヴィド!」



 かつてこの世界を魔王の手から救った英雄、次元遊者ブレーンウォーカー・ジャヴィド――かつて立ち合い、そしていずれ決着をつけるべき男。その男が、アズミファルの小手を取り上げ――振り向いた。



「……手間が省けた。礼を言わねばな」


「くっ……!」



 おれは立ち上がり、ジャヴィドに踊りかかろうとする。しかしジャヴィドはその身体を舞いあがらせ、天井の穴へと浮遊魔法フライトで浮かび上がる。



「こちらもまだ、準備が出来ていないのでな!」



 ジャヴィドは両の手に小手を嵌め、言った。



 ――グオオオオォッ!!



 ――クァルーズィオが立ち上がり、吼えた。そしてその翼を広げて舞い上がり、怒りの咆哮と共にジャヴィドへと――



「……負け犬が、盛るなぁぁッ!!!」



 ジャヴィドが片手をかざし――その掌から、紫色の衝撃波が迸る! クァルーズィオの巨体がそれに弾き飛ばされ、床に落ちる!!



 ――ズズウゥゥン!



 地響きを立て、床に叩きつけられるクァルーズィオの身体。舞い上がる土煙のその上から、ジャヴィドはおれたちを悠然と見降ろしていた。



「決着をつけよう、白衣の次元遊者ブレーンウォーカーよ」



 宙に浮かんだまま、おれに向かってジャヴィドが口を開く。



「この世界の二つの太陽が重なる時……それこそが決着の時だ。その日までに、傷を癒しておくんだな」



 その言葉と共に、ジャヴィドの身体は光に呑まれ――そして、掻き消えた。


 後に残されたのは、床に倒れ込んだクァルーズィオと、おれ。そして背後から駆け寄るエンディとゲベル。


 ――おれはクァルーズィオの正面に立ち、言った。



「……すまない。あなたが託してくれたのに」



 クァルーズィオは身体を起こし、鼻を鳴らした。そして、鋭い爪が生えたその大きな手を握り――拳のようにして、おれの方へと差しだした。


 おれは差し出されたその拳に、自分の拳を、当てた――



「……わかった。必ず」



 おれがそう答えると、クァルーズィオは笑ったようだった。



「片がついたら、酒でも持ってまた会いに来る。あなたの技についても、教えてくれ」



 クァルーズィオは軽く鳴き声をあげた。そして、四つの脚を折ってその身体を地につけ、丸まって目を閉じた。

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