32.空手vs古代ドラゴン(後)

 古代竜エルダー・ドラゴン――一説によれば、彼らは神話の時代からこの世界に存在していたという。この世界に神々が生き物を産み落とすよりも以前からこの世界に存在するもの、すなわち、この世界のあらゆる生物とはその起源をまったく異にするもの――


 以前、エンディが確か、蜥蜴鬼人リザードマンはこのドラゴンの血を引くと言われている、というようなことを言っていた。もし、それが真実なのだとすれば――猪鬼同胞団オーク・マフィアの用心棒・ギオの使った蜥蜴鬼人蹴脚術リザードマン・サバットの源流がこの、ドラゴンの技――いわば武術!



「まさかそんなものにまでお目にかかれるとはな…!」



 おれは猫足立ちに構え、クァルーズィオと対峙した。相手の構えは前傾――人間とは体型が違うその姿から、どのような技が飛び出すのか――



 ――フシュゥゥ――



 クァルーズィオが息を吐き、足をわずかに動かして間合いを測る。


 ――と、その太い足が動いた――!



 ――ズァッ!



 足を踏み降ろすのではない、それは摺り足――重心を変えず、滑るようにその巨体が迫る! その動きから繰り出される――



 ――グァン!!



 前に構えた腕から、真っ直ぐの掌打――否、鋭い鉤爪の一撃!


 おれは横に跳んでそれをかわす! そこへすかさず、逆の腕からまた爪撃!


 そうだ、その構えからなら、当然そう来るだろう――おれは二撃目をかわした間隙に、踏み込んで反撃に――



「……な……ッ!?」



 次の瞬間、おれは踏み込もうとした身体を捻った!



 ――ガキャアァッ!!



 そこへ飛んできたのは――牙による攻撃!!


 その長い首を、両の腕と同じ要領で使ってのコンビネーション攻撃――それは、牙と爪による三連撃ワン・ツー・スリー!!


 そしてかろうじてそれをかわしたおれに、襲いかかる猛攻はそれに終わらなかった――!



 ――ブァアッ!



 三連撃で前に傾いた上体を、クァルーズィオは引き戻す――と、同時に翼での羽ばたき! 巻き起こる疾風の衝撃がおれを襲う!



「ぐっ……!」



 直接的な打撃力こそないが、体勢を崩していたおれの動きを止めるのに、それは充分な威力――そして――



 ――カッ!!!



 大きく開いたクァルーズィオの口から、迸る炎の波――!



「……ぬおおおおっ!!」



 かわせない――!


 まともに喰らえば消し炭になってしまうであろう、灼熱の息吹ブレス。おれは咄嗟に足の力を抜き、地に身体を倒し転がる!


 力で動くのではなく、脱力によって瞬時に身体を動かす動き――まさに間一髪、道着を焦がしながらも、おれは炎を避ける!


 これこそが、古竜武術の連続技コンビネーション――手足による打撃だけではない、羽ばたきや息吹ブレスといった能力を、重心移動と効率的に組み合わせる戦法。


 おれはまさしく戦慄した。これまでに戦った魔獣モンスターたちは、その体格や特異な能力に優れてはいても、「技」を持ってはいなかった。だからこそ、空手でその隙を突くこともできたのだが――力に優れ、人智を超える能力を持ち、さらに技さえも持つ魔獣モンスター、それはまさに究極の敵――!!



 ――グオオオッ!!



 クァルーズィオが吼えた。威嚇のための咆哮ではない。それは身体の動きを連動させるための気合――それと共に、再びクァルーズィオがその足を踏み込む!


 大上段から覆いかぶさるようにその腕を振りかぶり、その爪が弧を描く――低い体勢から繰り出される、爪の斬撃――!



 ――その時、おれは違和感を感じた。


 低くまっすぐに踏み込んでのスイング・フック。相手の逃げ道を塞ぎつつ、上からの攻撃。格闘技術として正しい動きだが――


 これほどの技を使う相手――先ほどは最短距離を突いてきたではないか? しかも、二本の爪だけではなく、牙も、尻尾もあるのだ。離れた相手に、わざわざ気合まで入れながら大振りで踏み込むような真似をする、その意味は、つまり――



「……騙し技フェイント……ッ!!」



 本命は――下段!!!



 おれは身体を開いて半身になる!


 ――瞬間、ドラゴンがその翼を羽ばたかせた。その身体が浮き上がり――首を逸らせて背中の方へ、その巨体が一回転!!



 ――ズオオォォッッッ!!!!



 半身になったおれの身体の目の前を、跳ね上げられたその太い尻尾が、下から上へとかすめた――!!


 これはいわば、後方宙返り尻尾撃ちサマーソルト・テイル――!



「跳び技までも遣うか、ドラゴン!」



 クァルーズィオは翼を使って空中でその体勢を戻し、何事もなかったかのように足から着地、再び構えを取る。 


 冗談ではない――あんなものを喰らったら、全身が砕けるだけではすまない。空中に高々と跳ね上げられればそのあとは、成す術もなく息吹ブレスの餌食になるだけだ。



「つくづく、とんでもねぇな……」



 背中を冷たいものがつたうのがわかった。しかし――おれは自分の心がどこか、浮き立っているのがわかった。先ほど受けたダメージもある、連戦で消耗してもいる。しかし――身体の中からなにか、熱いものがこみ上げるのをおれは、抑えきれずにいた。


 クァルーズィオと、目があった。どうやらこの男も同じらしい。



「わかるぞクァルーズィオさん……あんたのその技、全力を振るう相手が……今までいなかったんだろう?」



 おれは一度構えを解き、その場で軽くジャンプした。



「いいぜ……技の比べ合いだ!」



 そして俺は、戦闘態勢をとった。


 右手の拳を顎につけ、左手は軽く前へ。やや半身になった身体、いつもより狭くとった足幅スタンス――そしてその身体をゆするように、小刻みに上下させる。


 構えではない、戦闘態勢ファイティング・ポーズ――!



 ――グォォォォォッ!



 クァルーズィオが、踏み込みと共に突きを繰り出す! おれはステップでそれをかわす。続いて逆の爪で、斬撃――ステップバックで空を切る!


 クァルーズィオの巨体が水平に回転した。後ろ廻し尻尾打ちバックスピン・テイルウィップ! だがそれも――



「……んッ!」



 垂直にジャンプ――というより身体を浮かせ、それにも空を切らせる。そして再びすぐ、戦闘態勢ファイティング・ポーズへ。


 続くドラゴンの猛攻――! しかし、おれはそれを悉く、身体を捌いて空を切らせていった。



「なんだ、あの動き……ドラゴンの攻撃を、あんなに近くでよけ続けている……!?」



 エンディが言う声が聞こえた。


 そう、これは足さばきフットワーク――古流の武術と近代の「格闘技」との最大の違いはここにある。


 武器を持った相手に対抗することを前提とした古流の技。そのためにはある程度、距離を大きく取る必要がある。しかし――素手同士の公平な条件で技を比べ合うスポーツとしての「格闘技」には、独自の技術が発展した。


 至近距離での攻防において、最低限の動きで相手の攻撃をかわしつつ、自分の有利な位置ポジションへと移動する技術、そして上体逸らしスウェーイングなどの防御ディフェンステクニック。それはいわば、「武術殺し」の技だともいえるかもしれない。


 ボクシングやムエタイなどを取り入れ、発展を続けてきた近代の空手道。相手が武術の動きでくるのなら、魔獣モンスター相手ではなく、対等の武術家同士の技の比べ合いに臨むまでだ!!



 ――グァァァッッ!!!



 襲い掛かるクァルーズィオの牙を、おれはかわす。目の前には、攻撃を外したドラゴンの頭。絶好の位置ポジション――



「ちぇやぁぁッ!!!」



 肩口から繰り出す正拳突きストレートが、クァルーズィオの鼻先へと突き刺さる! おれはそれを引きながら、続いて左の足での蹴り上げ!



 ――ゴッ!!



 前蹴りがクァルーズィオの顎を下から叩き上げる! カウンターとなった連撃に、クァルーズィオの体勢がわずかに崩れる――その一瞬! おれは蹴り足を降ろしつつ、さらに一歩、踏み込み――



「しぇあぁっ!!」



 5本の指先を1つにまとめるようにして作る、鳥嘴拳ちょうしけん――またの名を鶏口突き。鳥のくちばしを模したような形のその技で、ドラゴンの眼を――突く!!



 ズギャァァッ!!



 打撃とは違う感触、音。


 どんなに硬い身体を持つ相手だろうと、その「眼」は絶対の急所!! それを晒したのが運の尽き――古竜の武術は、その想定する相手が大きすぎたのだ。ドラゴン同士の戦いでは、眼を突かれることなどあり得ないだろうが――空手の相手をするつもりなら、そうはいかない!!



 ――グオォォォッ!!



 近代格闘技のテクニックと、急所を的確に狙う古流の必殺の技――その複合攻撃にクァルーズィオは悲鳴をあげ、その身体をよじらせた。振り回すその腕を避け、おれは距離を取る。


 クァルーズィオはその眼に紅い光を燃え上がらせ、怒りの咆哮をあげる!!!



 ――グァァァァーッ!!!


 「うおおおおおおお!!!!」



 おれはそれに応え、吼えた――次元の狭間が、震える!!


 おれとクァルーズィオは、同時に前へと踏み込んだ。


 戦闘の衝動に酔いしれ、その身体を躍らせるクァルーズィオ――古竜武術の技巧アートを全身で表現するかのごとく、激しく、美しくその技が荒れ狂う。踏み込み、爪撃! おれはそれをかわし、その腕に正拳を一撃! 続く攻撃、かわす、反撃! そこへさらに、反撃! かわし切れず、受ける! 吹き飛ぶ! 追撃! さける! 反撃! 反撃!! 反撃!!! 反撃!!!! 反撃!!!!! 反撃!!!!!!! 反撃!!!!!!!!!!



 それはさながら、荒れ狂う拳と爪、牙と蹴りと尻尾、戦闘技巧マーシャル・アーツの竜巻――クァルーズィオの攻撃をかわしつつも、おれとて無傷でいられようはずもない。斬撃に肉が避け、打撃に骨が軋む。それでも――退けない。退くわけにいかない。避け、殴る。殴り、受ける。受けて、蹴る。巨大なドラゴンと、ちっぽけな空手家の――二人の男の、意地を賭けた接近戦。


 いつ果てるともなく続く衝撃の中で、いつしかおれたちの間には無音の時間が流れていた。

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