31.空手vs古代ドラゴン(中)

 古代竜エルダー・ドラゴン――その鱗は生半可な鎧よりも固く、その牙、その爪は鋼鉄をも引き裂く。その羽ばたきは嵐を起こし、その息吹ブレスは全てを焼き尽くすという。


 おれがこの世界で戦った相手で最も大きかったのは、最初に戦った牛頭魔人ミノタウロスだっただろうか。実体のない相手なら魔精霊スペクターの方が大きかったかもしれない。しかし、このドラゴンはそれ以上――後ろ脚で立ち上がれば牛頭魔人ミノタウロスよりも確実にデカい。


 空手でどうにかなる相手なのだろうか――


 おれは頭を振り、その考えを振り払おうとした。相手に呑まれては、戦う前から負けたも同然――組手に集中しろ!



 おれの目の前のドラゴン――クァルーズィオがその頭をもたげる。耳まで裂けたその口が、開き――



 ――コォォォッ!!!



 その口から放たれる息吹ブレス――!



「……白い……ッ!?」



 意外、それは炎ではなく――横に跳んでそれをかわした後の地面をその白い息吹ブレスが嘗めるや、そこは氷柱で覆われる! つまりそれは、氷の息吹フロストブレス――!



「……しま……ッ!?」



 地を転がったおれは、その違和感に気が付いた。足の感覚が奪われている――おれの左足の先は霜で覆われていた。かわしきれなかったのだ――!


 と、迫る影におれは気がついた。敵が大地を蹴り、踊りかかって来るのが、見えた――!


 眼前へと迫る前脚の鋭い爪――1本ずつが小剣ショート・ソードほどの大きさもあろうというそれを、どう受ければいい――?


 一瞬の迷い、そして身体を逸らす――!



 ――ザグァッッ!!



 爪がおれの肩口を切り裂き、鮮血が散る!


 痛み、というよりも焼かれたような熱さ、それは傷の熱さか血の熱か。衝撃に踏鞴たたらを踏み、おれは後ろに退がる。しかし、ドラゴンの巨体からそうそう、逃げられるはずもない――!



 ――グアァァッ!!



 距離を取ろうと下がったおれに半歩で追いつくドラゴン! 大きく開いた口に並ぶ鋭い牙が、迫る――


 おれの脳裏に、イメージがよぎった。


 牙で身体を貫かれ、噛み砕かれた身体をさらに息吹ブレスで粉々にされ――



 ――死。



 目前に迫る牙。大きく口を平いたドラゴンの、頭。破壊の化身のごときそれが、向かうのは、おれの、身体――






「なにやってんだ! よく見ろ!」



 ――その時、脳裏に飛び込んできた少年の声! その声が、おれの脳内のイメージを弾き飛ばした!



「……うおおおおおお!!!」



 瞬間、おれは身体を捻る――90度に曲げた肘が、回転する体軸の運動を威力へと変え、ドラゴンの鼻先へと、拳が横から突き刺さる!!


 「かぎ突き」――! それは空手の技の中で最も近く、最も重い一撃。ボクシングのフックに似た動きだが、技の性質は少々異なる。踏み込みによって拳に体重を乗せるのではなく、身体を回転させることで、至近距離の相手に対して横から全威力を叩きつける!


 頭だけでも巨大なドラゴンだが――全体重が乗った鉤突きの威力は、同等の重さの鎖鉄球モーニングスターを叩きつけるのに等しい。重さ80㎏の鎖鉄球モーニングスターなど、この世に存在しようか――否!



 ――バゴォォッ!



 鼻先に強烈な衝撃! 頭を弾かれたドラゴンが、その身体を起こす。



 ――グォォォッ!!


 怒りの唸り、その頭の下から、繰り出される前脚の鋭い爪――!



 ――よく見ろ!



 ――その時おれはなぜか、空手を始めたばかりのころのことを思い出していた。


 * * *


「……怖いのは仕方ない。だからこそ、よく見るんだ」



 目の前に立つ角刈りの男――大きな身体に空手着を纏った男が、構えを取りながら言う。



「空手は『選択肢』だ。怖がっていたら、逃げることしかできない。相手がどんなに強くても、怖くても、よく見れば必ず活路がある。それを探すんだ」



 おれは頷き、その男に向かって構えた。黒帯を締めた大きな身体――しなやかなで頑丈な筋肉、岩のように大きな拳。どう考えても勝ち目のない相手。向き合うだけでその雰囲気に呑まれ、腰が引けてしまう――恐怖に支配されそうになる心を、なんとか落ち着けようとする。


 空手着の男は間合いを詰めながら言った。



「恐怖を否定するな。恐怖はお前の味方だ。恐怖があればこそ……!」



 そう言って男はその拳を、繰り出した――


 * * *


 迫るドラゴンの前脚――その先端に並ぶ5本の鋭い爪! その指の1本ずつが、おれの腕と同等の太さ――!



「……ちぇりゃぁぁっ!!!」



 おれは正拳突きを繰り出し――その指の内の1本に、拳を叩きつける!!


 その巨大な前脚を受ける術はなくとも――その指ならば、空手で砕くことが出来る!!


 ドラゴンは短く唸るような声をあげ、前脚を引く。おれは足を踏み直し、その場に不動立ちで立った。氷の息吹フロストブレスにやられた足の感覚を確かめる――よし、いける!



「……少年! よくぞ言った!」



 背後の岩陰で、ゲベル少年が反応するのがわかった。おれはドラゴンから眼を離さず、声を張り上げる。



「恐怖から眼を逸らさず、相手をよく見て活路を探す。それが空手、それが武道だ! どんな状況でも、あきらめずに選択肢を見つけること! そうだ……!」



 ドラゴンが大きく息を吸うのがわかった。その眼が紅く光り、そのたてがみが紅いエネルギーを散らす――!


 おれは両の掌を身体の前に構えた――!



「空手とは……『勇気』だッ!!!」



 ――ゴォッ!!


 ドラゴンが口を開き、吐き出される業火の息吹ブレス!!


 迫る紅の炎に、おれは両の掌を大きく回転させる! 廻し受け――2つの掌が作り出す無限の軌道に、炎は渦を巻いて虚空に散る!!


 おれとドラゴンの間を隔てるように、舞う炎の過流――それを隠れ蓑にし、おれは跳んだ――!



「……ちぇすとぉぉぉーッ!!!」



 ドラゴンからみて直角方向へのジャンプ――その先には、このドラゴンが鎮座していた岩の台座! その断崖を蹴り、おれは空中で方向を変え――同時に身体を水平に捻る!



蜥蜴鬼人リザードマン式・柱砕き三角とび蹴り!!!!」



 空手の秘技・三角とび蹴りによる死角からの急襲、それに蜥蜴鬼人蹴脚術リザードマン・サバットの蹴りの威力――! ドラゴンの耳の下へ、その衝撃が突き刺さる!!!



 ――ズズウゥゥン!



 頭を大きく弾かれたドラゴンが、ついにその身体を大地に倒した――当たり前だ、いくら究極の魔獣モンスターだろうと――これを喰らってダメージを受けないわけがない!


 着地したおれはすかさず、ドラゴンの元へ走り――その身体の上に登る!



 ――ガァァァッ!!



 ドラゴンが叫び、その翼を広げた。身体を起こしつつ、その翼で羽ばたき身体を空中へと浮かせる。振り落とそうというのだろうが――そうはいかない! おれは翼の肩口へと組み付いた。



「腕ひしぎ……翼竜ワイバーン落としッ!」



 ――あの翼竜ワイバーンよりもはるかに大きく、頑丈な翼。完全にその動きを封じることはできないが――その動きを制限するには充分だ!


 ドラゴンは空中でそのバランスを崩してふらふらと飛び――断崖へとその身体を激突させる! おれはその瞬間、ドラゴンの背を蹴って断崖の上へと飛び移った。


 咆哮の波動、闘いの衝撃、そして今の激突――度重なる衝撃によって、台座状になったその小高い断崖はもはや、崩れる寸前。そのへりに立ち、おれは眼下にドラゴンを見下ろす――そして腰だめに構えた拳を、下へと向け――



「セィヤァァッ!」



 へりへと叩き込んだ突きが、断崖を崩す!


 下段燭台圧殺撃――燭台ではなく崩れた岩の塊と共におれは落下、敵の頭上へとそれを叩きつける!



 ――ガゴォォン!!!



 ガラガラと崩れる断崖から逃れ、おれは岩の上から地に跳んで降りた。振り返り、残心――ドラゴンは岩と共に、その身体を地につけていた。



「す、すげぇ……!」



 ゲベル少年が感嘆する声が聞こえた。しかし――



「……いや、まだだ!」



 エンディが短く叫ぶ声が聞こえる。そう、まだだ――ドラゴンはその眼を光らせ――



 ――グォォォォォッ!!!



 再び、咆哮。


 そして岩を払いのけるように、ドラゴンが立ち上がる。


 そうだ、決定的な打撃は与えていない――身体が大きければ、その体力もまた甚大。急所を突かない限り、生半なまなかな攻撃では倒せはすまい。


 ドラゴンは上体を起こし、後ろ脚で立ち上がった――



『面白い……』



 その時、おれの脳裏に例の声が響いた。ドラゴン――クァルーズィオが脳内に直接語り掛ける言葉。


 クァルーズィオはその眼を光らせ、笑った。そして――



 ――ズゥン!



 後ろ脚を一歩、前に踏み出す。先ほどよりも少し広い足幅スタンス――そして腰を落とすようにして、前傾気味の姿勢になり、前脚を――いや、目の前に掲げ――



「そんな……まさか……!」



 古代竜エルダー・ドラゴン・クァルーズィオがとった「構え」――その意味するところは、つまり――



 ――ヴオォッ!



 クァルーズィオが足を一歩踏み込む! そして、構えた腕を突き出す――!


 今までのような、力任せに前脚を振り回す攻撃ではない。最短距離を奔る「技」――おれは横に跳び、それをかわす! 


 ――と、次の瞬間、クァルーズィオの身体が反転――!



 ――ブゥォオッッ!!



 脚を軸にして回転するその巨体! そこから繰り出されたのは――水平に飛んでくる、丸太のごとき尻尾の一撃!!



 ――ドゴッ!!



 かわす間もなく、おれはその尻尾をまともに喰らい、吹き飛んだ――!



「……が……ッ……はァ……ッ!!」



 2、3回バウンドするほどの勢いで地面に転がされ、狂う平衡感覚の中でおれは確信した――これは紛れもなく「武術」――!


 高い知能と悠久の歴史を持つ古代竜エルダー・ドラゴン――なんということだ。彼らの生きた歴史の中には――武術が、存在したのだ!!



 ――ヴォォッ!



 後ろ廻し尻尾打ちバックスピン・テイルウィップで一回転したクァルーズィオが再び構えを取りながら、短く繰り出す咆哮――それは獣の叫び声ではなく、武術家が丹田に気を溜めて放つ「気合」そのものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る