29.空手vsスライム(後)
――ズズズ……
不定形な身体を循環させるようにして動かし、床を這う。まるで獣が距離を取りつつ、獲物の様子を伺うかのような仕草。
「この手の魔獣は、ほとんど本能だけで動いている……そして、身体の中に獲物を取り込み、消化するんだ」
エンディが剣を構えながら言う。
「炎が有効らしい。ちなみに私は炎系魔法は使えない」
「……そうか」
おれは構えをとりあぐねていた。どのような攻撃が来るのか、そしてどのような攻撃が有効なのか――まるで想像がつかなかったのだ。まずは身体を自然体にし、どのような動きにも対処が出来るように――
――と、そのとき魔獣が動いた――!
それはまるで、身を縮めて力を溜めた猛獣が一気に跳びかかるかのような動き!
それは想像以上のスピードと、そして攻撃範囲――!
「くっ……!」
おれは咄嗟に、身体を地面に転がす! 膝抜き――膝の力を抜いて身体を重力に任せ、「溜め」を作らず瞬間的な動き出しを可能にする日本武道の動き――意外な動きに対しては、こうした技術の蓄積が役に立つものだ。
床を転がり、攻撃を避けて起き上がると、エンディもまた逆方向に避けているのが見えた。
「大丈夫か、エンディさん!」
「……すまん、剣を……!」
その言葉に
――ジュバッッ!
粘液状のその身体がひしゃげたように凹み――それはあたかも、口を開けたかのように見え――一瞬後、それが元に戻るかと見えながら、緑色の粘液を飛ばす! ぶちまけられた強酸の液体が、迫る――!
「……むぅん!」
おれは廻し受けでそれを捌いた! 炎でさえもかき消すこの受け技なら、酸のシャワーもおれの身体には届かない!
攻撃を受け切ったおれは、受けた拳を腰だめに、踏み込む。まずはやってみることだ――!
「……ちぇえェェッ!!」
繰り出した正拳突きが、
――シュバッ!
衝撃によって凹み、薄くなった
――次の瞬間――2つに分かれた
片方はその身体を広げながらおれに襲いかかり、もう片方は、エンディの方へ――!
「……くそ……ッ!」
間一髪、おれは身をかがめてそれを避け、跳び退った。身体を弾こうが裂こうが、やはりまったくダメージを与えていない。むしろ、叩いた拳の方が酸で表面を焼かれている始末――!
「ああああっ……!」
突如上がった悲鳴におれは振り向く。見れば、そこには
エンディは身体の半身をほとんど
「エンディさん……!」
彼女を助け出さなくては――しかし、2つに分かれたもう一方の
「……ぐっ……!?」
目の前の相手に身構えた瞬間――突如、おれは背中に衝撃を感じた。道着の背中に、粘液が跳びかかって来たのだ。
「まさか……さっきの……!?」
先ほど、
「くそっ……!」
おれは道着を脱ぎ捨て、距離をとった。動き自体は対処できないほどではないが、あまりにも常識を超えたその生態――!
「……くっ……こんな、もので……ッ!」
エンディはその全身を粘液に侵され、身をよじらせていた。早く助けなければ――!
「……さぁどうする? 逃げるのかい?」
扉の方に下がっていたゲベル少年が、おれの方に向かい声を張り上げた。
「あの騎士さんを助けるんなら、手を貸してやるよ?
少年は腰の袋から、ソフトボールくらいの丸い球を取り出して見せた。いつぞやの女ホビットが使った道具のようなものだろう。
「その代わり、勝負はおいらの勝ちだぜ。なにがカラテだ、運命を切り拓くだ……どうしようもないじゃねぇか!」
少年はほとんど激昂して言った。それは、あまりにも悲しい、やり場のない怒り――本人でさえ、何に対して怒りを感じているかわからないのだろう。
おれは――少年の方に顔を向けた。
「な、なんだよ……」
この少年の、この卑屈な態度――この島の、ここに住む人々の暮らしとその思いを、おれがどうこうしようというのはおこがましいかもしれない。しかし、おれはどうしても、このゲベル少年のことが放っておけなくなっていた。
「……そこで見ていろ、少年」
おれは再び
肩幅に軽く広げた足、掌を開き、前へと掲げた手。そして、脱力――肩の力を抜き、息吹を整えて全身に気を巡らせる。
粘液の魔獣、いわゆるスライム――その正体とは一体なんだろうか。2つに裂かれようが、細かく飛び散ろうが、それぞれが生き続けるというその性質。一体、彼らの命とはどこにあるのか。
おれはこの時、ひとつの仮説を立てていた。現実の世界にも、似たような生物がいる。ひとつの大きな個体のように見えるが、その実は微細な個体が無数に集まってその形を成している姿の生物――すなわち「群体」。
細胞レベルの小さな生物が一定数集まり、ひとつの生物のように行動しているのだとすれば――
おれは踏み込み――その手を掌打として、放つ――
「フュッ……!」
――スパァン!
おれの掌打が
――ボゴッ!!
と、掌打で打った箇所が急激に膨れ上がる! それはまるで、熱を加えた液体が沸騰するかのように――
「……シャ……ッ!」
おれはさらに掌打を放つ! それに打たれた
「人体は水の入った革袋である」――中国拳法の一派では、そのような考えの元に技術体系が構築されているのだという。その技は、相手の身体を砕くのではなく、その「水」に波を起こし、震動波を体内に伝えてその衝撃で相手を倒すもの。
近代の格闘技では、グローブをはめて脳を揺らすボクシングのパンチがそれに近いが――空手にもその技法は存在する。そして、究めたものが打ちこむその強力な震動波は――身体の内部に爆発的な衝撃をもたらす!
「……フン!」
三発目の掌打――この技で打った箇所は崩れ、ただ粘液を垂れ流している。内部に伝わった震動波が、細胞レベルで蠢く
人間がこの技で打たれると、撃たれた箇所がその中から焼けるように熱くなる。炎に弱い相手なら――それは同等かそれ以上の効果!
数発の掌打で、
「……ヒュッ!」
おれは踏み込み、エンディに纏わりついた粘液を打った。
――バン!
音を立てて粘液が弾け、エンディが解放される。そのまま、連撃。
――10数秒後、
「……ふぅ」
おれは息をついた。エンディが回復魔法で、酸に焼かれたおれの拳を治療してくれた。その白いうなじにも、痛々しい焼け跡が残っている。
「……す、スライムまで……素手で……?」
ゲベル少年がおののく声が聞こえ、おれは顔を上げる。
「なんでだよ……? なんでそんなに戦えるんだよ……逃げればいいじゃないか。おいらの助けを借りたっていいじゃないか! なんでなんだよ……」
「……言っただろ? 勝負だって」
「だって! あんたにはなんのメリットも……」
おれはエンディの手を離し、少年の元へ歩き寄り――彼の目の高さに、しゃがんだ。
「どんなに絶望的な状況下でも、必ずそれを切り抜ける選択肢がある……それが空手であり、武術の技」
「ブジュツ……?」
「相手から目を逸らしては、それに気づけない。構えをとり、相手を見ることからすべては始まるんだ。逃げたって、ズルをしたっていいが……相手から目を逸らしてはいかん」
「……」
少年は目を伏せていた。おれは、少し説教臭くなった自分を反省しなら、立ちあがった。
――と、その時。
――メキッ――
嫌な音が、部屋の中に鳴った。
「なんだ……?」
音と共に感じたのは、床が沈むように動いたこと――
――ガゴゴゴゴ!
次の瞬間、派手な音と共に、床が――崩壊した。
「どわああぁぁぁ!?」
おれたちは――崩れた床の下に空いた空間へと、落下した。
そして、落ちた先には――おれにとって最大の闘いが、待ちうけていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます