28.空手vsスライム(前)

 ――ドゴォン!



 地響きと共に振り下ろされた石の拳を、おれはかわす。


 天井の高い広間ホールの下、その相手は関節をきしませながら、逆の腕で二撃目を振るう。



「遅い!」



 目の前の魔獣――岩石が組み合わさり、人の形となった石造魔ストーン・ゴーレムの反応は鈍い。柔軟性は武術の基礎的な能力だ。柔らかければいいというものでもないが、身体が硬すぎるのはやはり良いことではない。


 石の拳を難なくかわし、おれは距離を取った。


 同じく距離をとったエンディが、おれの近くに来て、言う。



造魔ゴーレムは身体のどこかに『emeth』という言葉が刻まれているはずだ。『e』を削ればその言葉は『死』の意味になり、造魔ゴーレムは活動を……」


「……いや、普通に倒せばよくないか?」


「……え? だって石だぞ……?」



 そんな相談をしているところへ、石造魔ストーン・ゴーレムが突っ込んでくる! おれとエンディはその場から跳び退き、その突進をかわす!


 石の身体を持った巨人――魔法か何かで動いているんだろうが、当たり前のことながら、非生物であるその身体に急所は存在しない。牛頭魔人ミノタウロス多腕魔神ヘカトンケイルの時のようにはいかないわけだ。


 空手はスピードとタイミングだ。その技のほとんどは、人体の急所を如何に突くか、ということに焦点が当てられている。


 つまり、石造魔ストーン・ゴーレムのような相手に対し、空手で対抗するには――



 ――ブゥン!!



 続く石造魔ストーン・ゴーレムの攻撃! おれはそれをかわしながら、相手の足元に潜り込み、手刀を構えた――!



「チェストォーッ!」



 石造魔ストーン・ゴーレムの膝――丸い岩石がその役割を果たしているその部分に、手刀を叩き込む!


 自然石割り――鍛えた拳で瓦やコンクリート・ブロックなどを割る、空手のデモンストレーション「試割り」の中でも、もっとも困難なのがこれだ。人工的に形を整えられた作られたブロックなどと違い、自然の中で削られ、磨かれた石を砕くのは容易な技では至らない。


 かつて、山籠もりの修行の末に会得したこの技――石の「目」を見切り、手刀で砕く。生物的な急所の存在しない、石造りの魔獣モンスター――それを倒すには、石を砕けばよい!



 ――ドッゴォォン!



 その身体を支える膝を文字通りに割られ、石造魔ストーン・ゴーレムは地に崩れ落ちた。



「硬すぎる身体は関節に負担をかけ、怪我のもとになる……柔軟運動からやり直すんだな」



 石造魔ストーン・ゴーレムは動こうともがいているようだったが、片足を失ってまだ動くというのは、それこそ柔軟な体感覚が必要なことだ。こうなっては、もう身動きはとれまい。勝負あり――だ。



「……まったく、貴公のカラテにはもはや呆れてしまうな」



 エンディが剣を収め、言った。その後ろから、離れて戦いを見ていたゲベル少年が顔を出す。



「なんなんだよ……あんたら一体、なんなんだ。なんだよカラテって」



 困惑顔で言うゲベルに、おれは自分の拳を見せた。



「修行次第で、きっと君にもできるようになる」


「そ……そんなバカなことが……」


「自分の拳で運命を切りひらく……それが空手の心だ。どうだ?」


「うるせぇ! なにが運命だ!」



 少年は怒ったように顔を逸らし、おれたちの先に立って歩き出した。


 その背中を見送りながら――おれはこの少年の運命を思う。冒険者を罠にはめて魔獣モンスターに殺させ、その装備をはぐという行為に、村ぐるみで手を染めるこの島、そこに生まれ生きる少年。



「……もっと強い魔獣モンスターがここにはいるのか?」



 前を歩く少年に、おれは声をかけた。



「……おいらだって、この中を全て知ってるわけじゃない」



 少年はこの「傲魔の城」の中をある程度探索しており、強力な魔獣モンスターの出る場所を把握しているということだった。



「大抵のやつはあの多腕魔神ヘカトンケイルの前で死ぬか、逃げ帰る。そこを切り抜けたやつも、後から入ればこの辺で死んでる。そしたら持ち物を剥いで持って帰る」


「……なぜそのようなことを」


「生きるために決まってんだろ!」



 振り向いていったゲベル少年の、悲しいほどに暗いその目――おれはそれに少なからずショックを受けていた。人を死に追い込み、その死を穢すことことについて、一切の罪悪感を感じていない。この少年をそうまでさせてしまうその境遇。


 現代とは文明の成り立ちがそもそも違うこの世界――魔獣モンスターが跳梁跋扈し、10数年前には魔王の軍勢による大規模な侵略にさらされたというこの世界、その暮らしは想像以上に厳しいものだ。ウィルヘルム王も努力してはいるが、辺境にまでは到底手が回っていない。暗く苦しい運命の中でただ絶望し、無気力にその日暮らしを続ける人たち――おれはこの旅で、そんな人々に数多く出逢った。



「……そこの先」



 ゲベル少年が立ち止まり、ぶっきらぼうに言う。その指さす先は、細い通路になっている。



「……ふむ?」



 エンディがその通路に近づき、覗き込もうとする――



「……ちょっと待て!」



 ゲベル少年は強い口調でエンディを制止した。何事かと思ってみれば、少年は通路の反対側の壁に近づき、そこを何事か探った。



 ――カチッ



 なにかの作動音、そして――



 ――ゴッ!!



 通路の中に噴き出す炎!!



「あぶなっ……!?」



 通路の近くにいたエンディが慌てて身を引いた。



「……そのまま通路の中にいったら、この罠が作動して丸焦げになる。先にこのスイッチで作動させとけば大丈夫だ」



 少年が壁側から戻ってきて言い、先に立って通路の中に踏み込む。罠は作動しない。



「……なぜ教えてくれたんだ? お前は私たちを殺そうとしていたのでは……」



 エンディの問いに、ゲベル少年は振り返りもせず答える。



「……これ、勝負なんだろ? その人のその、カラテとかいうやつが魔獣モンスターに勝てるかどうかっていう」



 おれとエンディは顔を見合わせた。おれは少し嬉しくなり、言った。



「……そうだ。おれと君との、勝負だ」


「……」



 少年は黙ったまま、速足で歩いていった。おれたちもその後に続く。


 ――と、少年が立ち止まった。



「……ここの扉の先だ」



 少年の前には、大きな鉄の扉。



「……この中に、なにがあるんだ?」


「……おいらが知ってる中で、一番やっかいなやつがいる」



 そう言ってゲベル少年は、鉄の扉に手をかけ、開いた――


 そこは、ちょっとした道場くらいはあろうかという大きな部屋。壁や床のところどころが崩れ、金属製の骨組みが露出しているその部屋の真ん中――そこに、がいた。



「拳で運命を切りひらくのがカラテだって言うんなら……見せてくれよ、素手でこいつに勝てるかどうか……ッ!」



 それは、緑色の大きな――ぶよぶよとした粘液の塊。小型のトラックほどもあろうかという大きさの、地上を歩くクラゲとでもいうべきか。それが、その身体を震わせながら、こちらに対して反応を見せた。



緑色粘液魔獣グリーン・ウーズか……ッ!?」



 エンディが剣を抜きながら言った。



「これはまた……さっきとは打って変わって、身体の柔らかいやつが来たな」



 意思を持った粘液状の生物、俗にいう「スライム」――その一種、緑色粘液魔獣グリーン・ウーズ


 柔らかい身体であるほど、打撃は通りにくく、また組み技でもその身体を捕えにくい。だから武術では柔軟性が大事なのだが――その究極とでもいうべき姿が、そこにあった。

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