26.空手vs多腕魔神ヘカトンケイル(後)

 多腕の魔神――その体躯はいつぞやの牛頭魔人ミノタウロスと同じか、少し小柄なくらいであろうか。しかし――肉と皮とで大きく膨れ上がった牛頭魔人ミノタウロスの巨体に比べ、その肉体は精悍に引き締まっている。


 同じ体重の相撲取りとボクサーなら、どちらが恐ろしいか――その上、あの八本の腕――



「さすが暗黒の島……不穏だな!」



 おれは組手立ちに構えて多腕魔神ヘカトンケイルと向き合った。



「あのヤバそうなのは任せるが……こちらも楽ではないな」



 背中合わせに構えたエンディがボヤく声が聞こえる。周りを取り囲む骸骨戦士スケルトンウォリアーは10体ほど。おれは肩越しにエンディへと言う。



「空手には10人組手っていうのがあってな……ちょうどいいじゃないか。あれを全部倒したら初段ってところだ。黒帯だな」


「……それはどうも……」



 エンディはそう言って剣を振り、骸骨戦士へと突っ込んでいった。



「……さて、と…‥‥」



 多腕魔神ヘカトンケイルは八本の腕をバラバラに動かし、ゆらゆらと構えていた。柔軟な動きだ――容易い相手ではないだろう。


 おれはちらりと、自分たちが落ちてきた断崖の上を見た。ゲベル少年がこちらの様子を見守っているのが見える。



「……まぁいい。とりあえず……やるかね!」



 おれは息を吸い――後ろの脚で地面を蹴る!


 如何に巨大であろうと、腕が何本あろうと――人の形をしている以上、急所は同じだ。牛頭魔人ミノタウロスの時と同様、狙うべきは正中線!


 しかし――足元へと踏み込んできたおれを、多腕魔神ヘカトンケイルの迎撃が襲う! それは、文字通りの拳の雨――!



「くっ……!」


 ――ドドドドッ!!



 振り下ろされる四発の鉄拳! それをおれは横跳びにかわす。


 四本の右腕が一斉に襲い掛かって来る、その攻撃範囲は想像以上に広い。しかし――



「……てぁっ!」



 おれは跳び、攻撃を放ってがら空きになった多腕魔神ヘカトンケイルの顔面に蹴りを放つ――!



「ウガァァァッ!」



 多腕魔神ヘカトンケイルが左の四本腕を振るう。広範囲を薙ぎ払うその平手×4発が、おれの身体を弾く!



「……くっ……!」



 蹴りを放とうとした身体の側面に打撃を受け、おれは空中を舞った。身体をひねり、体勢を立て直し、なんとか地面に着地する。



「グオォォォッ!!」



 そこへ咆哮と共に、多腕魔神ヘカトンケイルの右腕が襲い掛かる! 迫りくる四つの巨大な拳――!


 ――この時、おれは既に確信していた。


 この魔獣モンスターの持つ、八本の腕――それは、ということを――!



「……ちぇぇぃっ!!」



 おれは足を踏み込みながら、左の腕で外側から内側へ、その拳のひとつを捌く!


 「外受け」――相手の突きを、外側から腕で受けてその力を逸らしつつ、相手の背中側へと回るように身体を開く。さらに、突きの力を後ろへ流しつつ、受けた腕で相手の体勢を崩すように力を加える。


 多腕魔神ヘカトンケイルの腕――それが何本あろうとも、振るう身体はひとつ。拳を振るためには身体を捻らなければならない以上、動きとしては右からか左からか、どちらかでしかない。八本の腕がバラバラに動けるわけではないのだ。


力の方向がひとつなら、腕が何本飛んで来ようとも――それをさばく力もまた、ひとつだ!


 パンチの威力を利用される形で、多腕魔神ヘカトンケイルは前のめりにその体勢を、崩した――!



 「せぃやぁーッ!」


 ――ガゴォッッ!!



 その腕に沿うようにして、おれの跳び廻し蹴りが多腕魔神ヘカトンケイルの顔面を捉える!


 前のめりに崩れたところへの交差法カウンターとなったその一撃を受け、敵はその足元をふらつかせた――



「……ガアアァァッ!!」



 ――と、多腕魔神ヘカトンケイルが吼えた。


 おれは着地した脚に、痺れを感じていた。先ほど蹴りを入れたあの感触――この魔神、皮膚そのものが恐ろしく硬い!



「なるほど、レベルが違うってわけだ……!」



 さすがは暗黒の島の魔獣モンスター、一撃で倒れてくれるほど甘くはない。敵は八本の腕を動かしながら、先ほどよりも幾分警戒した様子で身構える。それに対し、おれもまた、今度は猫足立ちの構えをとる。



「……?」



 ――違和感。


 多腕魔神ヘカトンケイルのあの動き――あの重心。先ほどまでは前脚にかかっていた体重が、今はまっすぐ下になっている。腰が引けている、という感じでもない。闘う気は満々でありながら、攻撃を仕掛ける構えではない、ということは――


 その時おれは、多腕魔神ヘカトンケイルの口元がなにやら、動いているのに気がついた。あれは、詠唱――



「……魔法か!」



 おれは横っ跳びにその場を跳び退さる! 瞬間、光が弾けた――!



 ――ゴヮッシャァァ!!!



 多腕魔神ヘカトンケイルの一番上の両手から、奔る雷撃! 蒼白い電光が空を裂き、大地を焼く!


 いくら空手でも、雷撃を防ぐ手立てはない。気がつくのが一瞬遅ければ、丸焦げになっているところだ――! おれは地面を転がって立ち上がる。



「手強いじゃないか、魔神さん!」



 おれは大地を蹴り、跳び蹴りを仕掛ける! しかしその蹴りは、片側四本の腕に阻まれて直撃には至らない!



「まだまだ!」



 空中での連撃、地に降り立って、また連撃。蹴り、突き、突き、蹴り。魔法を使う相手に対しては、その隙を与えないのが常套手段セオリーだ。しかし――



「……くっそ……!」



 八本もの腕――それがカバーする面積は大きい。そして、三つの眼による広範囲の視界――多腕魔神ヘカトンケイルの恐ろしさは、八本の腕による猛攻ではない。その八本の腕と三つの眼による鉄壁の防御ガード――それこそがこの魔獣モンスターの、真の恐ろしさだったのだ!!


 多腕魔神ヘカトンケイルはおれの攻撃をその腕で防ぎながら、また口元を動かしていた。



「……くっ!」



 おれは多腕魔神ヘカトンケイルの腕を蹴り、跳ぶ――電光が奔り、大地を穿つ!


 ――強敵!


 背筋に冷たいものが伝うのを、おれは感じた。今さら、腕が多いだけの魔獣モンスターなど恐れるに足りない――そんな思いをわずかでも持っていた自分を恥じる。攻撃、防御、そして魔法――全局面への極めて高い能力、しかも、その多腕で防御をしながら、同時に魔法の詠唱が可能――まさに、魔神の名に恥じない凶悪さ!



「……そう来なくっちゃなぁ、異世界!」



 おれは立ち上がり、構えた。どんな技でこの強敵を攻略してくれようか――血が湧くとはまさにこのことだ。


 多腕魔神ヘカトンケイルが、その八本の腕を大きく広げた。


 それはまるで、この組手に全力で応じようという意思を示したかのように、おれには見えた。

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