24.空手vs海獣クラーケン(後)

 大海蛸魔クラーケンの触手がへりにかかり、船が大きく傾き揺れる。



「だめだぁぁ! もう終わりだぁぁ!」


魔獣モンスターのエサになんかなりたくねぇよぉーっ!」



 船員たちが叫ぶ声が響く、その間にも新たな触手が海面から持ちあがり、船の縁にかかっていた。



「ちくしょう! やっぱりお前たちなんか乗せるんじゃなかったぜ!」


「言ってる場合か!」



 船長がマストに掴まり、怒鳴る横でエンディが剣を抜くが、こちらも激しく揺れる船の上ではうまく動けない。おれはそちらに向かい、叫んだ。



「船長! 触手をはがしたら、なんとか逃げられないか!?」


「はがすって、どうやってだ!?」


「……決まってる!」



 おれはその場で、肩幅に開いた足と両脇を内側に絞るようにして立った。


 三戦サンチン立ち――空手の源流、琉球唐手より伝わる立ち方のひとつ。古くは揺れる船の上での戦闘の際に、足元を安定させるための立ち方だったと言われる。



「空手で、だ!」



 両の足で地を掴むようにして立つこの構えであれば、この状況でも戦える――!


 おれはその体勢から、大きく踏み込み――甲板へと入り込んだ触手の一本へと手刀を振り降ろす! しかし――



「硬い……ッ!」



 それはまるで、タイヤに手刀を振り降ろしたかのような感触! 丸太ほどもある大海蛸魔クラーケンの触手は、意外なほど硬く、そして弾性に富んでいた。


 蛸は軟体動物と言われるが、その身体は筋肉の塊だ。柔軟かつ強靭。ただ硬いだけのものよりも、よほど頑丈である。硬いものは砕けても、こうしたものを砕くことは至難の技だ。おれの手刀を受けた触手が、大蛇のごとくのたうち、襲い来る!



「……ならば!」



 迫りくる大海蛸魔クラーケンの脚! おれはそれに向かい、広げた掌の指をさらにまっすぐ伸ばし――その指先で、触手を貫く!


 貫手ぬきて――手の指を真っすぐに伸ばし、指先で文字通り相手を貫く空手の突き技のひとつ。鋭く鍛え上げられた指先は、薄い鉄板ならば貫くほどの威力を持つ。


 タイヤの如き硬さでこちらの攻撃を弾くのなら――最初からタイヤを破壊するつもりでやればいい!


 人間の胴体よりも太いその触手に、貫手が深々と突き刺さった。その太さのあまりに貫通は出来ず、収縮する筋肉がおれの腕を捕えようとする。


 触手は暴れ、おれの身体は振りまわされた。



「ふんッ……!」



 おれは触手を蹴り、反動で貫手を引き抜いた。触手はのたうちながら、海の中へと戻っていく。ある程度のダメージを感じれば、本能的に触手を引っ込めるのだろう。



「エンディさん! 斬り落とさなくてもいいから、ダメージを!」


「おう!」



 エンディが傾く甲板の上を滑り降りながら、剣を振って触手を斬りつける!



 ――ドッ……!


「くそ、通らない!」



 エンディの剣は触手の表面を傷つけるだけに終わった。船のへりに着地するような体勢となったエンディを、その触手が巻く――!



「うああ……ん……ッ!」



 吸盤まみれの触手に巻きつかれ、エンディは身体の自由を奪われる! 胴鎧キュイラスに覆われたその引き締まった身体に、腰に、その吸盤が吸い付くように締め上げ――



「……舐めるな……よ……ッ!」



 エンディは巻きつく触手を、その掌で掴むようにして――



「……電撃掌ショック・グラスプ!」



 裂帛の詠唱と共に、エンディの掌から放たれる聖光魔法の電撃! それを受けた触手はビクリと脈打つようにして震え、慌てるようにエンディを解放しながら海面へと落ちていった。



「なんだかんだ、騎士様だな……!」



 おれは感嘆しながら、同時に安心し、船の舳先へと走った。そこは、触手がしっかりと巻きついて船の動きを封じ込めている。


 おれはその触手へ向かい、腕を振り上げ――



「……はぁぁぁーっ!」



 人差し指と中指の二本の指の先で切り裂くように、貫手を振るう!



 ――ザシュッ!!



 大きく振るった二本貫手が、幅広く触手の表面を斬り裂いた! そこへ――



「エンディさん!」


「おうっ!」



 駆けつけたエンディが、その裂け目へと長剣ロングソードを突き立てる!


 触手を深々と、半ばほどまで斬り下げられ、大海蛸魔クラーケンはついに、船の舳先を解放した――!



「……今だ! 漕げ!」



 船長が船員に伝える。船室で船員が一斉に漕ぎ始め、船が動き出した。おれとエンディは、なおも船のへりにかかる触手を退け、拳と剣を振るった。


 ――と、海面が、膨らむように動いた。



 ――ザボォォァ!!



 そこへ現れたのは、巨大な蛸の頭――!



「……今だ……ッ!」



 エンディが大海蛸魔クラーケンの頭に向かい、手を大きく掲げた――!



聖なる光ホーリー・フラッシュ!」



 その手から放たれる、聖光魔法の光!


 水の中に生きる生物の目は暗い場所に適応しているため、眩しい光には慣れていない。大海蛸魔クラーケンは閃光にひるみ、いやいやをするように触手を振ってその頭を海に沈めていった。



「……よし! これで逃げられ……」



 ――と、その時。



 メキャッ!



 暴れた触手の一本が、舳先近くの甲板をしたたかに叩いた――!



「……なっ……!?」



 おれの足元で甲板が砕け、崩壊する!


 いくら三戦サンチン立ちでも、足元がないものを支えることはできない――激しく揺れる船に弄ばれるようにして、おれはそのまま海面へと落下した――!


 * * *


 ――数瞬、空間認識が混乱する。上が下で、右が左?


 そしてその次の瞬間、自分の周りが水であることに気がつく。そして――



 ――いた!



 海の中に沈んだおれの、よりによって目の前に、大海蛸魔クラーケンの巨大な頭。おれはそれと真っ向から、睨みあっていた――!


 おれの周囲には、水中を自在に蠢く触手たち。その動きは船の上よりもむしろスムーズだ。しかも、前後左右上下を自由に使い、おれを追い込むことができる体勢。


 つまり、完全に囲まれた状況。どうやら、これは――



「……お前を倒さないと、帰れないってわけだな!」



 大海蛸魔クラーケンの目が光る。組手の開始だ!


 おれは水中で、構えをとった。


 ――空手の構えは、その「足の位置」に大きな意味がある。どの方向に重心をかけているかで、次にどんな技が出るか、相手の行動にどう反応するか、変わるからだ。足から全身に動きを連動させるため、全身にその気を巡らせて備える――それが空手の「構え」である。


 ならば――水中でとるべき構えとはなにか?


 おれは水中の中でしゃがむようにして、両の脚を引きつけ、腰の下に畳む。



 水中での戦闘――武の道を志す以上、あり得ないことではない。そして――それを想定した技術というものも、当然存在する。



 ――大海蛸魔クラーケンが、吼えた――かのように見えた。左右からその触手が襲い来る! しかし、この程度のスピードならば――



「……ふんっ……!」



 瞬間、おれは脚を前後に大きく開き――足を伸ばしながらそれを閉じて大きく水を掻く!


 「煽足あおりあし」――かつて、武士たちが甲冑を着たまま泳ぎ、水の中にあっても武器を持って戦うために考案された「古式泳法」、その技のひとつ。古式泳法の極意は、単に直線を速く泳ぐのでなく、水の中で自在に行動すること!


 おれは煽足と共に縮めた身体を伸ばし、いわゆる横泳ぎの姿勢で――左の腕を前に伸ばし、触手を掻い潜って大海蛸魔クラーケンの頭へと、真っすぐに――!



 ――猟師が獲物を釣り上げた後、速やかに絶命させることで鮮度を保つ「活き締め」という技術を知っているだろうか。


 急所を確実に突き、魚の動きを瞬時に絶つ――その思想は、「一撃必殺」を理想とする空手のそれに近い。おれはかねてより、その技術を研究していた。


 釣り上げた蛸を活き締めする場合、狙う場所は――!



 ――ザグォッ!



 右の貫手ぬきてが、大海蛸魔クラーケンの目と目の間に深々と突き刺さる!


 急所を貫かれた大海蛸魔クラーケンは、雄たけびを上げるかのように一瞬激しく暴れる――! しかし、すぐにその動きを止め、その脚の色を白く変えながら、海の底へと沈んでいった――



「……っはぁッ……!!」



 海面から顔を出し、おれは新鮮な空気を肺に吸い込んだ。



「おおい! 大丈夫か!」



 エンディが船の上から叫んだ。船員が浮き具を投げ入れてくれる。おれはそれに掴まり、船上に助け上げられた。



大海蛸魔クラーケンは?」


「活き締めにしてやった」


「……イキシメ?」



 あの大海蛸魔クラーケンも、刺身にしてわさびでもえてやれば可愛げがあったかもしれない。まぁ、大きい生物は大概マズいとも聞くが――


 難を切り抜けた船は、「暗黒の島」へと向かい、その波をかき分け進んでいった。

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