第3章 暗黒魔城・死闘激震編

23.空手vs海獣クラーケン(前)

「旦那、本当に行くんで……?」



 ガルディオフがその強面こわもてに似合わない、心配そうな声を出す。



「もちろんだ。留守中、稽古を怠らないようにな」


「そりゃぁもちろんだがよぅ……万が一旦那が戻らなかったら、オレらぁ一体どうしたら……」


「なにを言ってるんだ。この話を持って来たのはお前だろう?」


「い、いや、それはそうだが……」



 猪鬼オークたちに空手を教え始めてから2カ月ほどが過ぎていた。その間、おれは亜人街に滞在していたが、空手指導の傍ら、ガルディオフにあることを頼んでいた――「アズミファルの小手」に関する情報だ。



「あの島はヤベェぜ旦那……オレたち同胞団も、あの島に関するヤマには手を出さねぇ。魔獣が山ほどいるっていうだけでねぇ、近づいた者は呪われ、必ず取り殺されると……」



 猪鬼オークたちはこの手の迷信や言い伝えを非常に大事にする。素朴な人たちなのだ。



「だからこそ行くんだ。空手の次の相手を求めるためにな」



 実際のところ、人里の近くでは強力な魔獣にそうそう出会えないのだ。そういう強大な連中と立ち合うためには、やはり迷宮ダンジョンへ赴くのが一番だった。


 それに――「アズミファルの小手」もそうだが、それがあると言われる場所には、もうひとつの噂があった。



「しかし、いくら旦那のカラテでも……ドラゴンと闘うなんて……!」



 そうだ――今回の目的地「暗黒の島」には、ドラゴンが――それも古代竜エルダードラゴンがいるという噂があった。


 異世界に来た以上、ドラゴンと戦わずに帰るわけにはいかない。今回の話はまさに渡りに船だったのだ。この話を聞いた途端、おれにとってはアズミファルの小手の方が割とどうでもよくなっていた。



「旦那にはまだ、教わりてぇことがあらぁ……死なれちゃ困るんで」



 少し前までおれを殺そうとしていた大猪鬼オーク・ロードが懸命に言うのに、おれは苦笑した。



「大丈夫だ、必ず戻ってくる。戻ってきたら組手をやろう」


「い、いやぁ、旦那のゲンコツはもう勘弁で……!」



 おれは笑い、荷物を詰めたサックを担いで部屋を出た。


 * * *


「なかなか船を出してくれるところがなくてな……目的地を聞いた途端、断られてしまうんだ」



 おれの前に立って埠頭を歩きながら、エンディが言った。



「まぁ無理もない……正直、私だって国王陛下の王命でなければ遠慮したいくらいだ」


「例の迷信か? 近づいた者は呪い殺されるという……」


「それもあるが……そもそもあの海域は事故が多いんだ。辿りつく前に船が沈んだら元も子もない。こればかりはカラテでもどうにもなるまい?」



 エンディは埠頭にもやわれた船の内の一隻に近づいた。



「船長! 準備は出来ているか?」


「もう少しだよ、いいから乗ってな」



 船の前でパイプを吸っていた男が答える。船長と呼ばれたその男は、おれの方をじろりと見て言った。



「あんたかい、噂の『神の手ディバイン・ハンド』ってのは」


「……どうもそういう風に言われているようだな」


「大層な腕っ節らしいが、海の上では役にたたねぇぞ。俺たちの指示には従ってもらう」


「もちろんだ。あなたたちは専門家だからな」



 挑発的な物言いを仕掛けてきた船長は、おれがそれに乗らなかったせいか、一瞬意外そうな顔をした。咥えていたパイプを外し、船長はこちらに向き直る。



「……それと、万が一事故が遭った場合、おれたちは自分の身の安全を優先させてもらう。あんたたちのことは助けないからそのつもりで」


「おい! なんて言い草だ!」



 横から抗議するエンディに、船長は強い口調で答える。



「危険な海域に敢えて行こうって言うんだ。あんたたちは好きで行くのかもしれんが、こちらがそれに付き合う義理はない。当然の権利だ」


「……この……!」



 身を乗り出すエンディ、それを手で制し、おれは言う。



「……それでいい。よろしく頼む」



 船長は黙って振り返り、船の方へと上がっていった。


 * * *


 船は中型、1本マストの帆船。普段は近海で輸送などをしているが、冒険者を乗せることもあるのだという。



「ま、あの『暗黒の島』へ送ってやった冒険者の帰りを運んだことはなかったがね」



 船員のひとりがにやにやと笑いながら言うのを、エンディは睨み返した。


 「暗黒の島」――ガルディオフが仕入れた情報によれば、アズミファルの小手の片割れはそこにある可能性が高いという。なんでも、その島にある「傲魔の城」という古代の遺跡――それと対になっている遺跡で、アズミファルの小手は発見されたのだとか。


 とはいえ、なにしろ危険な魔獣のひしめく島のこと――ほとんど調査が進んでおらず、何人かの冒険者が向かったものの、戻って来たものはいない。そのせいか、エンディはいつにも増して神経質になっていた。



「……だいたい、なんで貴公のために国王陛下がわざわざ命令を出すんだ」



 エンディがぼやいた。



「……まぁ、ジャヴィドの件は国にとっても懸念だろうからな。城をいきなり襲ってくるような奴だ。ウィルヘルムも放ってはおけないだろうさ」


「国王陛下を呼び捨てにするな!」



 エンディには王城でのいきさつを話していなかったので、この件でウィルヘルムに話を繋いだ際にはひどく驚かれた。領地を持たず、王国に仕えているわけではないとはいえ、エンディもまた騎士身分ではあるのだ。


 おれは空を見上げた――今回はしかし、ウィルヘルムを利用させてもらった形になる。


 もちろん、アズミファルの小手の捜索は行うが、それよりもドラゴンだ。いや、竜だけではない。それほど皆が警戒し、恐れる「暗黒の島」――そこに待ちうける強敵、迷宮ダンジョン、数々の試練。それらに空手がどこまで通じるのか、そして、空手をどう成長させてくれるのか――おれの胸は高鳴るばかりだった。雲行きの怪しささえ、これから待ち受ける闘いの予兆だと思える。



「……おかしいな」



 ふと、近くでパイプを吸っていた船長が言った。



「……なにがだ?」



 エンディが船長に向かって尋ねると、船長は空を見上げ、風を確かめて言った。



「風が凪いだ……こんな時間帯に。普通ならもっと海が荒れないといけねぇ……これはまさか……」



 それを耳にした船員のひとりが声をあげる。



「せ、船長!? それ、まさか……」


「……ヤバいかもしれねぇ! 舵をとれ! 引き返すんだ!」


「おいちょっと待て! なぜ引き返すんだ!?」


「うるせぇ! 船のことはこっちに任せろって言っただろう!」



 喰ってかかったエンディに、船長は怒鳴りかえす。



「……船乗りの間では有名な話だ。こんな天候の時にと言われてるんだよ、やつが……!」



 ――その時、にわかに船が揺れ出した。それまでの波による規則的な揺れではない、による大きな揺れ――



「お、おい!? あれは……あの影は……!」



 マストに登っていた船員のひとりが叫んだ。


 その指差す海面、そこに泡が立っていた。その下には、巨大な影――



 ――ザッバアアァァ!



 不意に、海面が盛り上がったかと思った刹那、巨大な柱が海面からそそり立つ! それらの柱は蠢き、ねじくれながら船のへりを掴むように巻きついた――!



「……大海蛸魔クラーケンだぁーっ!」



 船員が喚く声と共に、人の胴体よりも太い巨大な触手が、船の舳先に巻きつき、縁から甲板へとのしかかるように蠢いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る