21.空手vs魔精霊スペクター(後)

 魔精霊スペクターが、吼えた。


 その姿は巨大な魔神のそれ――しかし、その実態は視覚としてはっきりと捉えられない。


 いや、姿だけではない――。さすがにこればかりは、おれの空手人生の中でも初めての体験だ。


 だが、退くわけにいかない闘い――それ自体は初めてというわけではない。やることは――同じだ。



「エンディさん、猪鬼オークたちを助けてやってくれ。おれはあいつの相手をする」


「どうするつもりだ……? いくらカラテでも、触れない相手に……」


「注意を引き付けることくらいはできるさ」


「……まぁ、今さら心配する気もないが……気をつけろよ」



 エンディはガルディオフを立たせ、他の猪鬼オークを助けに走った。


 おれは構えたまま、魔精霊スペクターに向かい、叫ぶ。



「さぁ来い! お前の相手はこのおれだ!」



 どうやら、実体はなくとも声を聞き分けることはできるようだ――魔精霊はこちらに意識を移す。その顔らしき箇所の、眼らしきもの――それが開き、おれの眼を覗き込んで、光った――!



「……!」



 おれはそのを受け流した。


 半眼はんがん――立ち合いの際には目を半分ほどに開き、相手のどこか一カ所に注視するのでなく、遠くの山をみるような気持ちで全体を見る。


 相手に呑まれず、動きに惑わされず、自分のペースを保つことは立ち合いの重要な心構えのひとつだ。、相手に呑まれる。眼から眼へと「恐怖」を叩きこんで相手を恐慌状態にするこいつの技――見るとはなしに全体を見る、武道の心構えの前に精神攻撃は通用しない。



「……てぁぁぁーっ!!」



 おれは地を蹴り、跳んだ――跳び蹴りで魔精霊スペクターへと蹴りかかる! しかし――



 ――ブン!



 おれの蹴りは魔精霊スペクターの身体を突き抜け、反対側の地へと落ちた。わかってはいたが、やはり打撃は通り抜けるのだ。そして――



「……くっ……!?」



 おれは着地の瞬間、思わず片膝をついた。通り抜けた瞬間に感じた、おそろしい寒気――力が奪われるかのような感覚。全身に鳥肌が立っていることに、おれは気が付いた。



 ――オルルォォォォン!



 断末魔の嘆きのごとき魔精霊スペクターの叫びと共に、白い気が吐き出される。触れれば一瞬で身体が腐り落ちる瘴気の弾――! 白い気は縦横に飛び回りながら、おれに襲い掛かる――!



「……遅い!」



 おれは身体を捌き、その弾をかわす!


 触れるだけで身体が枯れ落ちるこの攻撃――受け技で防げばその腕が腐るこの気弾。それは確かに厄介だ。しかし――0.1秒で到達するボクサーのパンチなどに比べれば、大きな軌道を描いて襲い掛かるこんな大振りの攻撃テレフォンパンチは止まっているも同然――避けるのは容易い!


 十数もの気弾をかわしながら、おれは相手を見る――先ほど飛び蹴りで通り抜けたときの感覚。力を奪われるあの感じ――それはこの相手が、


 ならば――!


 最後の気弾をかわし、おれは距離を取る。そして、肩幅に足を構え、重心をまっすぐにし――「不動立ち」の構えで立つ。そして両の腕を額の前で交差させ、息を吸い――



「……はぁぁぁぁぁッ!」



 交差させた腕を降ろしながら、へその下――「丹田」へと溜めた呼吸を、一気に吐き出す――!


 「息吹いぶき」――稽古の際に必ず行う、空手基本の呼吸法。体内に溜まった古い息をすべて吐き出し、清浄な呼吸を身体に巡らせる。身体の中心である丹田に気を溜め、全身に巡らせて身体を整える――


 おれは目の前の相手を見た。


 そこに存在する、意思を持ったエネルギーの塊――魔精霊スペクターとして蠢くその気の流れ。その中枢が今、見えた――!


 おれは地を蹴り、跳ぶ――。


 不定形なエネルギー体であろうとも、必ずそこには重心が存在する。そこへと向かって跳んだおれは、全身のバネをその右の手に――正拳突きの直進する動きへと変え、放つ――!



 ――パァァン!!



 拳が空を裂き、大気が弾ける!


 ――空手の「息吹」は神道にその起源を発するという。身体に溜まった悪いものをすべて出し切り、新鮮な気を体内に取り入れ清めるという技法――それにより清められた気。音速に迫る速度で叩きつけられたその衝撃が――魔精霊スペクターの身体を引き裂き散らす!


 先ほどエンディの使った聖光魔法は、そもそも不浄なる気を清め、整えてあるべき姿とすることにその理がある。だから回復魔法などに得手があるわけだが――身体の外と中という違いはあれど、空手の「息吹」であれば同じことが可能!



「……いや、まだだ!」



 エンディの叫ぶ声が聞こえた。


 飛び散った不浄のエネルギーが、渦を巻いていた。その中心に、魔精霊スペクターの身体から露出したディディオレカスの水晶髑髏が浮いている。やはり、あの神器アーティファクト魔精霊スペクターの中核――!


 おれはその髑髏へと向き直った。禍々しい輝きを放つ、晶石の頭蓋骨――こいつにとどめを刺すには――!


 おれは腕を振り上げた。その指を拡げ、五指を曲げる。そしてそのまま、五本の指を頭蓋に突き立てるように――



「かぁぁーっ!」



 五本の指先が、ディディオレカスの水晶髑髏の頭頂前部を叩く!


 泉門殺せんもんさつ――またの名を六波返ろっぱがえし。相手を確実に死に至らしめる、古流の殺法のひとつ。


 いくつかの骨が組み合わさって形成される頭蓋骨の継ぎ目を、五本の指先で突く――外からの打撃で頭蓋の継ぎ目を外し、骨を分解、人体を内側から破壊する、恐るべき殺人技――!



 ――カッ!!



 ディディオレカスの水晶髑髏は割れ、その中から光が噴出す――と同時に、髑髏はその力を失い――音を立てて地に、落ちた。



「……ふぅぅ……」



 おれは残心を取りながら、息を吐き出した。大変な闘いだった――なにしろ、これまでの組手の常識が一切通用しない相手である。こうした相手との闘い方については、この世界でまだまだ学ぶことがありそうだ――



「……これが、カラテ……」



 ――振り向くと、ガルディオフと他の猪鬼オークたちが、こちらを見守っていた。その傍らにはエンディもいる。


 おれは残心を解き、彼らへと向かって歩み寄った。ガルディオフが口を開く。



「……命を助けられちまった以上、あんたと敵対はできねぇ。あんたからは手を引かせてもらう……それに、エルフの村もだ」


「……申し出を受け入れよう」



 おれはそう言って、エンディに向かって頷いた。エンディは肩をすくめる。


 と、ガルディオフが言いにくそうに言葉を継ぐ。



「……なぜおれを助けた……? オレぁあんたを殺そうとしたのに、そんな相手のために、なぜ命を張れるんだ……? お前はなんなんだ?」



 ガルディオフは頭を振った。



「カラテとは……いったい何なんだ……?」



 おれはガルディオフを見た。


 暴力でこの世界を生きてきた男――生きるために、仲間を守るために、奪われないために、奪うために――その力を求めたその男に、おれは言う。



「……言っただろう。そうすべきだと思ったからだ」


「そうするべき……?」



 おれは戸惑った顔の猪鬼オークたちを見回し、言葉を継ぐ。



「誰かを屈服させ、自分の意を通すための力……そのために、誰にも負けない力を手に入れる。だが、もし自分より強い誰かが現れれば、今度は自分が奪われる番だ。そうしてより強い力を求め続ければ……その先には破滅しかない」



 そうやって、ついには滅びかけた世界もある――おれは拳を見ながら続けた。



「空手は……武道というのはそうじゃない。誰かを押さえつけるのではなく、、それが武道だ。弱い者から強い者が奪う……そんな世界のことわりから自由になり、奪わなくても奪われない……そのための技、そのための知恵を身につけることだ」


「奪わなくても、奪われない……?」


「ガルディオフさん」



 おれは正面からガルディオフを見た。



「空手、やってみないか?」


「オレが、カラテを……?」



 おれは頷いた。



「あんたたち同胞団が、生きるためにその力を使い、亜人間デミ・ヒューマンたちの共同体となってきたことを否定するつもりはない。それは必要なことだったんだろう。だけど、もっといいやり方が世の中にはきっとある。誰かを押さえつけ、恨みを買うのでないやり方……暴力の比べ合いから抜け出すやり方が」



 ざわめき、顏を見合わせる猪鬼オークたち。おれは彼らにも聞こえるように、話をした。



「相手が自分よりどれだけ強くても、自分も負けないんだ。それが武道だ」


「ブドー……」



 ガルディオフは俯き、なにかを思い巡らせていた。


 ――と、その時、猪鬼オークの中の一人が呟くように言うのが聞こえた。



「オレ、やってみたい」



 それを皮切りに、あちこちからオレも、オレも、という声が上がり始める。猪鬼オークたちは顏を見合わせ、頷きあっていた。


 ガルディオフが顔を上げ、言う。



「……あんたにここまでコテンパンにされちまったらよぅ、オレの稼業はどの道、これまでだ。もう俺は『力』で支配を続けらんねぇ」



 ガルディオフはおれの目を見て、言った。



「もし、そんな噛みつきあいみたいな渡世から抜け出す方法があるってんならよぅ……カラテ、教えてくれよ、『神の手ディバイン・ハンド』の旦那」



 猪鬼オークたちがざわざわと騒ぎ始めた。館が潰れ、魔精霊スペクターにやられた者もいる、まさに力で完全に負けた状況――だがその目は、希望を見出しているようだった。



「……まったく、人がいいというかなんというか」



 エンディがおれの隣に来て言った。眉間に皺を寄せてはいるが、その眼は笑っていた。

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