14.空手vs「球」

 奥義『スファイラ』――まるで正座をするようにその場に座り込み、ソークは鋭い視線でこちらを見据えていた。


 ただでさえ恐ろしいこの遣い手が、繰り出す古流ハイエルフ魔法柔術の奥義とは――おれは立ちあがり、ソークを見た。背筋を伸ばして地に座り、折れていない方の手を、掌を上に向け軽く横へ広げ――相当なダメージがあるだろうはずが、その呼吸には一分の乱れも感じさせない。なんという強靭な精神力!


 ソークの緑の眼には炎が燃えているかのようだ。おれはその目に、自分の動きのすべてが見透かされているような気さえした。



「……なんだ……?」



 ――と、おれは不穏な気配に気がつく。


 わずか3mほど先に座りこむソークの口元が動いていた。なにかの呪文を唱えているのだ――と、その周囲の空気がざわめいているのにおれは気がついた。そのざわめきは、球状にソークの周囲を包み、そしてそのざわめきの球は徐々に広がって――


 ――グオォッ!


 そのざわめきが足元へと到達した瞬間、おれの身体は宙に巻き上げられ――そしてそのまま、地面へと叩きつけられる!



「ぐ……ッ!?」



 なにが起こったのかわからなかった。すぐにおれは立ち上がろうとしたが――



 ――ヴン!



「……がっ!」



 両の脚で地面を踏みしめた瞬間、再びおれは投げ飛ばされた。地面に強く叩きつけられ、息が詰まる。まるでタイミングがわからず、受け身さえも取れない。



「これは……風の魔法?」



 エンディが驚く声が聞こえる。


 そうか――これはつまり、離れた距離で仕掛ける、風の投げ技――!


 おれはソークを見た。その目は見開かれ、おれを含む空間全てを見据えていた。ソークを中心に、半径3mに渡って広がる風の球――これはソークの手足であると同時に、わずかな動きさえも感じとる感覚の結界!


 おれがわずかでも身体を動かせば、その動きに呼応して風が俺の体勢を崩し、投げ飛ばす。


 風の魔法の遣い手は空気の揺れを介し、離れた場所の音や動きを感じ取ることも出来るのだという。奥義『スファイラ』とは、感覚魔法としての風の魔法と、古流ハイエルフ古流柔術の技、そして遣い手の極度に研ぎ澄まされた集中力――それらの粋を究めた、まさに必殺の驚嘆すべき奥義!


 おれは再び立とうとした。しかし、風がおれの手足を掬い、身体を空転させて地に叩きつけられる。



 ――どうすればいい?


 おれは地に伏したまま考えた。


 ソークがあそこで技をかけている以上、手刀で止めを刺されることこそないが――このまま投げられ続ければ、いくらおれの身体でももたないだろう。投げられた瞬間に反撃をしかけようにも、相手はこちらの攻撃の届かないところにいる。


 ならば、ソークの精神力が切れるまで、こうして寝ているか――?



「……無粋だな」



 死力を尽くし、奥義を仕掛けてくる相手にそれは非礼というものだろう。それに――おれはこの強敵に、どうしても勝ちたくなっていた。


 おれは倒れた体勢から、上体を起こし――そして足を畳んだ。ちょうど、正座の体勢でソークと向かい合う。そして――



「……勝負だ……!」



 おれはその体勢から、静かに立ちあがる。道場での稽古を始めるときのように、まず左脚、そして右足。背筋を伸ばしたまま、まっすぐと、立ち上がり――両の脚を地に踏みしめる。



「立ちあがっ……た……?」



 エンディの声が聞こえた。おれは全神経を使い、「自然体」に立っていた。


 おれは空手の修行の傍ら、柔道も五段を持っているが、本当に強い柔道家はまずその立ち姿が崩れない――重心が動いたところを崩すのが柔道や合気道の投げ技だが、重心が動かなければ、投げることはできない――!


 おれはそのまま、足を前に踏み出し、歩き出した。


 「球の型どり」――自らを球と捉え、重心をその球の中心におけば、絶対に倒れない。かつての達人が編み出した、単純にして最も困難な柔道の最高到達点。おれは柔道は門外漢だが――この強敵を破るには、重心を崩さずに動くしか手はない!


 ゆっくりと、ゆっくりとおれは歩みを進めた。すり足――大地から足を離さず、滑らせるように前へと進む。まっすぐに立った自然体のまま、重心を崩さず、まっすぐに、ただ歩く。体の中心から少しでも重心がぶれれば、即座に投げられてしまう――


 ソークはその目を見開き、おれの一挙手一投足を眺めていた。その瞳からは一切の雑念が感じられず、ただ純粋に技に集中しているのが見て取れる。


 全身で感じる、風の結界――それらがおれに、技を仕掛けようとしているのがわかる。腕を、足を、腰を――風が引っ張り、押し、身体を崩そうとする。おれは絶対に倒れまいとしながら歩く。半径3mの風の球の中で繰り広げられる、おれとソークの静かな――そして激しい攻防! おれはその中をかき分けるように、一歩、一歩、静かに進んだ。2m――1.5m――1m――


 目の前に、座りこむソークの身体があった。おれは静かに、右腕を伸ばした。あくまでも重心を崩さず、腕だけを、静かに――そして、おれの指先がソークの鎖骨に、かかった――



「……破ぁぁぁッッッッ!!!!!!」



 ――瞬間、おれの指先が掴んだソークの鎖骨をひねり――その鎖骨が、音を立て砕ける!


 空手のもっとも恐ろしい武器とはなにか――それは突きでも、蹴りでもない。石を砕く正拳、木を貫く貫手ぬきて――それらを可能にする、鍛え抜かれた「指先」――それこそが、生身の身体を凶器と化す空手の真髄!



「……が……あ……ッ」



 ソークが白目を剥き、倒れ込んだ。両の鎖骨を砕かれては、もはや闘いを続けることはできまい――周囲に広がっていた風の球が、ふっと消えたのがわかった。



「……勝った……!」



 おれはその場に座り込んでしまった。強かった――なんという恐ろしい技の冴え、なんという恐ろしい精神力。エルフは長寿だというが――その人生を武術の研鑚につぎ込めば、これほどの遣い手が生まれるということか。



「……大丈夫か?」



 エンディが駆け寄ってきた。



「おれよりもその男を」



 おれがそういうと、エンディは頷いてソークを助け起こした。



「……治癒魔法ヒール



 エンディの手から魔法の光が漏れ、エルフの細い両肩にあてられる。ソークの目が、開いた。



「まだ動かさない方がいい。治療魔法を使っても、折れた鎖骨が完全に元に戻るのにはしばらくかかるだろう」



 エンディが声をかけたのを、ソークはうつろな目で聞いていた。おれは上体を起こし、ソークの前に胡坐をかいて座る格好になった。



「……なぜだ?」



 おれが問いかけたのを、エンディが不思議そうな目で見た。しかし、当のソークには意味がわかっているようだった。


 それはつまり――なぜ遠距離からの攻撃魔法を使わなかったのか。



「ソークさん……あんたほどの遣い手なら、普通の魔法だってできるんだろう。魔法柔術は本来、武器や魔法と組み合わせることで真価を発揮するのではないのか?」


「……それは……」



 ――その時、姿を現したものがあった。



「……おいらのせいだ」


「……ガフ……」



 森の中から、ひとりの小鬼ゴブリンが姿を現した。その手には長い筒状の――あれは恐らく、吹き矢。

 


親分ボスが、あいつは多分正面から戦うだろうって……だから、戦ってる最中に、背後から毒矢を打ち込めって。だからソークの兄貴は接近戦を仕掛けて、それが出来ないように……」



 おれはソークを見た。



「まさか、あんた……」


「そんなんじゃない。勝ち方にこだわりたかっただけさ。それに……どうせ僕もまとめて殺すように言われたんじゃないか、ガフ?」


「……兄貴……もうやめよう。組織を抜けよう。おいらもう……」



 ガフと呼ばれた小鬼ゴブリンは、吹き矢を投げ捨ててソークにすがった。



猪鬼同胞団オーク・マフィア……だな?」



 エンディの言葉に、ガフが唇をかみしめ、絞り出すように言った。



「ソークの兄貴は……兄貴の里は組織の勢力下で、里のエルフたちを人質に取られて、兄貴は組織の仕事を……」


「やめろ、ガフ……」



 ソークはこちらに向き直った。



「確かに僕は、同胞団マフィアの刺客としてあなたの命を狙いに来ました。ですが……あなたとの闘いに、嘘はなかった。僕の完敗です」


「……あんたが本気なら、わからなかった」



 ソークは首を振った。



「本気でしたとも。本気でやって負けた。それで充分じゃないですか?」


「……怪我が治ったら、また手合わせをお願いしたいな」


「次もきっとあなたが勝ちますよ。だけど……」



 ソークは笑った。朗らかな笑顔だった。



「……再戦はぜひ。あなたとの勝負……とても、楽しかったから」



 ガフがソークを助け起こした。



「だけどよう、兄貴……親分ボスは兄貴を……」


「……」



 ソークは黙っていた。おれのことを始末するという命令に、失敗した刺客。それはつまり――


 おれは顔を上げ、言った。



「エンディさん……どうやら行くところが出来たようだな」


「……そう言うと思ったよ」



 エンディは眉を寄せて頭を掻いたが、その口元は笑っていた。

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