13.空手vs古流エルフ魔法柔術(後)

 これは、おれが後から聞いた話だ。


 粗末な小屋の並ぶ亜人街の真ん中に、その館はそびえていた。粗末ではあるが、重厚な造りの館――その周囲は鉄の柵で囲まれ、その周りには棍棒を担いだ猪鬼オークがうろつきまわっている。


 門の前に、エルフの男が現れた。門の間に立っていた猪鬼オークのひとりが、そのエルフをじろりと睨み、無表情に門の中へ通した。



「おぅ、来たけぇ」



 館の奥の部屋に、大猪鬼オークロードが待ち構えていた。無駄に華美な装飾を施した大きな椅子にその巨体を沈め、ダークエルフの女がその傍らに侍る。大猪鬼オークロードは金の指輪で彩られたその太い指を上げ、エルフに向かい言った。



「おめぇの腕を見込んで頼むんだ……殺して欲しいやつがいてなぁ」


「……僕は殺し屋じゃない」


「なに言ってんだ。元々は冒険者だろうが」


「……だが、僕の技は……」



 大猪鬼オークロードは身を乗り出した。



「ソークよぉ。これはちゃんとした取引だ。報酬は出すぜェ……なんなら、お前を幹部にしてやってもいい」


「……興味はない」


「……おめぇんとこの里、子どもが生まれたんだってな。何百年振りだぁ?」


「……! なぜそれを……!」



 大猪鬼オークロードはニタリと笑い、言った。



山岳ハイランドエルフの赤ん坊……珍しいよなぁ。欲しがる貴族なんか、いっぱいいるだろうなぁ……」


「……僕を脅すつもりか」


「勘違いすんじゃねぇよ」



 太い指でダークエルフを愛撫しながら、大猪鬼オークロードは鋭い目をエルフに向け続けていた。



「お前の里は、オレら同胞団の傘下にある。クソみたいな人間の貴族たちから、オレたちが護ってやってる、っていう話だ……お前がオレに従う限りは、な」


「……くっ……」



 歯ぎしりをするエルフに、大猪鬼オークロードは脂肪に覆われた身体をゆすり、笑った。


 * * *


 館を外へと案内されながら、エルフの男――ソークは自らの無力さを呪ったという。ソークの修めた古流ハイエルフ魔法柔術――それは、エルフたちが一族を守り、戦うために編み出した技だ。


 確かに元々は、近接戦闘の中で敵を討つための技法ではあるが――断じて、暗殺に使うための技ではない。理不尽な暴力に立ち向かうための技。なのに、それを――



「……なあ、エルフの兄貴。本当にあの男を殺すんで?」



 案内をする小鬼ゴブリンの男が、びくびくと周りを気にしながら言った。ソークはむっつりと押し黙り、答えなかった。



「あの男の強さは尋常じゃねぇ……それに……」



 小鬼ゴブリンはため息をついた。



「……悪いことをするのに邪魔だから、誰かを殺すなんて……おらだって人間は嫌いだけんども……」


「……ガフ……?」



 ガフと呼ばれた小鬼ゴブリンは足を止め、振り返った。



「おらたち小鬼ゴブリンの一族だって、親分ボスは同胞団に入れてくれた。仲間だって言って、仕事をくれて、他の組織や人間から守るって。だけんども、今の親分ボスはまるで……」


「……逆らうわけにはいかないさ。僕だけが抵抗しても、里のみんなは……」


「……」



 ガフはつぐみ、また歩きだした。口の中で、ガフが小さく呟くのをソークは聞いた。



「あの男は強いだけではなかった。なにかが違っただよ」


 * * *


 エンディと共に指定された場所へと赴いたおれを、ソークは仁王立ちで出迎えた。



「……あなただったのですね、かの高名な『神の手ディバイン・ハンド』というのは」



 森の中の広場になったような場所に、風が吹き抜ける。低い草の生えた大地を踏みしめ、おれはソークに声をかける。



「……決闘は受ける。だが……理由を教えてもらえるか」



 立ち合いではなく、決闘――それは、勝者が敗者の生殺与奪を握るということだ。おれが望んだのは、このような形ではなかったのだが――



「あなたに恨みはない……しかし、僕はあなたを殺さねばならない。ならばせめて、正面からの勝負が望みです」



 まっすぐにこちらを見据えて言うその目に迷いはない。ソークは言葉を継いだ。



「僕の技は古流ハイエルフ魔法柔術……魔法と弓だけでは対応できない近接戦闘において、相手を制し倒すための技。異世界から来たあなたの技……カラテに劣るものではないと自負しています」



 ソークは両手を左右に垂らし、立っていた。自然体――一見無防備だが、力むことなくどのような攻撃にも対応可能な構え。現実の世界でも柔術家と立ち合ったことはあるが――これほど完全な自然体で構える相手と対峙した記憶は、ほとんどない。


 つまり――闘いはもう、始まっているのだ。


 おれは両手を提げたまま、相手の様子を伺った。先日、酒場で見たあの技――相手の力を逆用し、魔法の力を加えて弾き飛ばす。詠唱に時間がかかる強力な魔法でなくとも、力のかけ方とタイミング次第で強大な威力を発揮する――だとすれば、うかつに仕掛けられたものではない。



「……当然ですが、先日のケンカですべてを見せたわけではないですよ」



 突然、ソークが言った。そして、その身をわずかに屈め――



「……流走クレーレ……!」



 ――風が奔った。そして次の瞬間、ソークの身体がおれの懐に肉薄する!


 重心をわずかに浮かせ前に移すと同時に、精霊魔法による追い風を受けての突進タックル――足で地面を蹴らず、力ののないその動きに反応するのはほとんど不可能に近い。交差法カウンターのひざ蹴りさえも間にあわず、まるで瞬間移動のように、ソークはおれの懐へと入り込んだ。


 ソークが掌を繰り出し、おれの肩口に手をかけた。反射的に、おれは目前の敵に拳を繰り出し――



「……逆流ヴァーサ!」



 ソークが短く唱え、体をかわす。逆流した風に弾かれ、おれの身体はその空間へと引き込まれる!



「ぐっ……!」



 前方へと崩された身体が、地面へと叩きつけられた。受け身を取りはしたものの、かなりの勢いに息が詰まる。



グラディオ!」



 背中からソークの声が鋭く響き、おれはとにかく地面を転がった。



 ――バシァァッ!!



 直後、ソークの繰り出した手刀が、地面を抉ったのが見えた。ビール瓶を切ってみせたあの技――!



「……てぁっ!」



 おれはすばやく身体を起こしながら、水面蹴りでソークの脚を払った。



「……うぐっ!」



 ソークの身体が仰向けに倒れ込む。おれは立ち上がりざま、すかさずそこへ下段の正拳突きを繰り出す!



「……浮泳ナターレ!」



 ソークの身体が、滑るように動いた。倒れた姿勢のままおれの拳をかわし、そのままおれの拳をとり、首に足をかけ、地面に引き倒す!



「ぬぐ……ッ!?」



 おれの身体は再び地へと倒され、しかも腕がソークの両脚に絡め取られていた。


 脚でおれを抑え込んだまま、ソークが上体を起こし、手刀を振り上げる。その掌に、魔法の光が輝き――



「くっ!」



 おれはすかさず、左手の一本拳――人差し指の第二関節を突き出し、突く技――でソークの脚を突く!



「……ぐっ……!」



 腕を絡めとっていた脚が一瞬、ゆるんだ隙に、おれは身体を返し、両の脚でソークの身体を蹴って寝技を抜け出した。そのまま地面を転がり、立ちあがると、ソークもまた、立ちあがってこちらに向き直っていた。



「すごい……! これがエルフの闘いなの……!?」



 エンディが驚いて声をあげる。無理もない――この小柄で美しい優男やさおとこが、これほど恐ろしい技の遣い手だと、誰が想像するだろうか?


 細身なエルフは、人間と比べても概して非力な種族であるという。


 筋力がものをいう近接戦闘には圧倒的に不利なそのエルフたちが、長い歴史の中で編み出した戦闘術。風の魔法を発し、投げつけるのではなく、まるで自らの身に纏わせるかのように自在に扱い、相手を制圧する。精霊魔法を得意とし、自然の中に生きる彼らならではの発想。


 理論上、どのような相手でも投げ飛ばし、倒れたところを切り刻むことのできる、この恐るべき武術が――まさかエルフのように温和な種族の間に伝わっていようとは!



「さすが、世に名高き『神の手ディバイン・ハンド』……一筋縄ではいかないようだ」



 そう言ってソークは構えをとった。左の手を前に突き出し、右の手を腹の前へと置く。おれは前羽の構えで応えながら、考えを巡らせた。こちらの技が全て逸らされ、投げ飛ばされてしまうのだとすれば――



「……行きます!」



 ソークが仕掛けてきた。踏み込みと共に、繰り出される手刀! おれはそれを捌き、カウンターの前蹴りを水月へと繰り出す――



流転フルーオ!」



 繰り出した手刀と、逆の手で大きく円を描きながら、ソークが叫んだ。瞬間、つむじを巻いて噴き上がる風! おれは繰り出した蹴りごとその風に巻き上げられ、宙へと舞う!


 ――ここだ!


 おれは空中で身体を反転させた。下方では、ソークが手刀を光らせ、構えているのが見えた。空中で無防備になったおれを、「グラディオ」で串刺しにしようという――だが、



「てりゃぁぁぁッ!」



 錐揉み状に巻きあげられた身体、その勢いをおれは利用し、下方のソークに向かい、蹴りを繰り出す!



 ガキィッ!



 次の瞬間、おれの繰り出した蹴りは弧を描き――手刀をくぐりぬけて、ソークの肩口へとめり込んでいた。手ごたえあり!!



「が……は……ッ!」

 


 捨て身の蹴り技を叩き込んだおれが地面に落ちるのと同時に、ソークは地面へと倒れ込んだ。



「……胴廻し月面回転蹴り……エルフ柔術、破れたり!」



 なぜ、最初の突進タックルのときにあの手刀でおれを突き刺さなかったのか――それはつまり、風の魔法を使った技は、同時にひとつしか繰り出せないからだ。それは魔法である以上の限界――だから投げ技や抑え技で相手を制してから、手刀で切り刻むことになる。その動作の間にこそ、最大の隙があった。


 おれは立ち上がった。膝が笑っていた――正直、ソークの投げ技はかなり効いた。しかし、ソークのダメージはそれ以上のはずだ、が――



「……まだだ……ッ!」



 ソークが身体を起こす。その目からは闘志がまだ失われていない――!



「もうやめろ! 勝負はあった!」



 エンディが叫んだ。おれは目の前のソークに向かい、言う。



「鎖骨が折れているはずだ……これ以上の闘いは無意味」


「まだだ……! まだ……あなたにはまだ、古流ハイエルフ魔法柔術の全てを見せていない!」



 動かない右腕をかばいながら、ソークは上体を起こした。そして――



「いくぞ……古流ハイエルフ魔法柔術・奥義『スファイラ』!!」



 ソークは足を畳んでその場に座り、その手を広げた。

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