第2章 風雲・異類格闘編

12.空手vs古流エルフ魔法柔術(前)

 太陽が2つある世界だとはいっても、それが沈んだあとの夜は、暗い。


 月明かりに波がゆれ、木造りの桟橋を濡らしていた。静かな夜だ。桟橋からもやわれた小型の帆船が、寝息を立てるように揺れていた。


 星の光に薄く照らされた緑色の肌が、数体。そしてそれに向かい合うようにあらわれた、背の高い男たち。


 緑色の肌をした小柄な男が、抱えていた木箱を男たちに示し、それを開けた。中には、闇夜の中でもそれとわかる、蒼緑に輝く小手――



 身を隠していた船のへりから、おれは跳んだ。


 そして、集まっていた男たちの輪の中央へと――



 ――ザンッ!



 突然空から降ってきたおれに、男たちの動きが止まる。すかさず、おれは両の手を左右に打ち込む!



「ごっ……!」



 弧拳こけん――内側に曲げた手首の外側、硬い部分で左の猪鬼オークの、右の人間の鳩尾みぞおちを打つ。


 怒鳴ろうとした声を呻きに変えて、男たちはその場にうずくまった。



「なんだ、テメェ……!」



 背の高い男の一人が、腰に差していた湾刀カトラスを抜きながら叫んだところへ、身体を起こしざまの足刀!



「ガハッ…」



 喉を叩き潰され、声にならない声をあげて吹き飛ぶ男を尻目に、蹴り足を踏み換えながら反転――背後から斬りかかろうとしていた猪鬼オーク山刀マチェットを、後ろ廻し蹴りで弾き飛ばす。


 ガラ空きになった猪鬼オークの懐へ一歩踏み込み――その顎を垂直に蹴上げると、緑色の巨体が宙に舞った。



「くそっ……」



 残りの男たちが逃げようとする。賢明な判断だろう。しかし――



 ――ザシュ!



 逃げようとした猪鬼オークの肩口を、白銀に光る太刀筋が斬り裂いた。おれはその太刀筋の主に声をかける。



「殺さぬようにな、エンディさん」


「わかっている!」



 おれの潜んでいた船とは逆方向から駆け込んできたその女騎士が、金髪をなびかせ長剣ロングソードを振るった。


 ――ギィン!


 剣戟の音。女騎士の剣を、猪鬼オークのひとりが山刀マチェットで受けたのだ。



「……てぇぃっ!」



 ゴッ!



 次の瞬間、猪鬼オークはその場に崩れ落ちてうずくまる。女騎士の前蹴りが、股間に入ったのだった。おれが教えたとおりの動き。なかなか筋がいい。



「くそっ……! ギルドの連中か……」



 木箱を抱えた猪鬼オークが言うのに、おれは向き直る。



「……人様のものを売りさばくってのは感心しないな」



 月明かりがおれの顔を照らした。それを見た猪鬼オークの顔色が変わる。



「その白い装束……その技……まさか、神の手ディバイン・ハンド!?」



 ありありと恐怖の表情を浮かべたその相手に向かい、おれは足を開き――構えた。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


「人間たちの方はどうやら、近海に根城を持つ海賊の一員だな。騎士団も手を焼いている連中だ」



 「冒険者の店」の使い込まれた木のジョッキを手に、金髪の女騎士――エンディ・コーカシスが言った。おれは自分のジョッキ――中身は炭酸水だが、酒よりも値段が高い――を口に含みながら、それを聞いていた。


 エンディがジョッキをテーブルに置き、話を続ける。



「問題は猪鬼オークの方だな」


「……やはり同胞団マフィアか?」



 おれがそう問うと、エンディは頷いた。


 猪鬼同胞団オーク・マフィア――そもそもこのエンディも、トラブルに巻き込まれて同胞団に捕らえられていたところを、冒険者ギルドの依頼でおれが救い出したのだった。


 先の魔導大戦の後、混乱に乗じてその勢力を伸ばした猪鬼同胞団オーク・マフィアは、人間中心の王国に不満を抱くダークエルフやホビットといった亜人デミ・ヒューマンたちをも取り込み、王国の統治が及ばない辺境や城壁の外の亜人街を暴力で支配しているのだという。


 冒険者ギルドの依頼にも、この同胞団マフィア絡みのものは多かった。



「……すっかり敵対してしまったな」


「まぁ、白衣の転移者……『ザ・ハンド』と言えば、今や同胞団のブラックリストに名を連ねる存在だろうからな」



 エンディがそう言うのに、おれは肩をすくめた。


 ヴァンフリーの王都を出てから、おれは各地の「冒険者ギルド」で仕事を受け、この世界での路銀を稼ぎながら旅をしていた。荒事の多いギルドの仕事は実戦を重ねるのに都合がよかったし、なによりもこの世界の情報がたくさん集まったからだ。


 同胞団マフィア絡みの仕事は他の冒険者も受けたがらないらしく、事情をよく知らないおれのところに回って来ることが多かった。おかげでこんなことになってしまったというわけだが――



「それと、取引されていたあの小手だが」



 エンディがジョッキに口をつけてから、話を続ける。



神器アーティファクトではなかった。ミスリル製の高価なものだが、ただそれだけだ。海賊どもは騙されるところだったわけだな」


「そうか……」



 旅の目的は、「アズミファルの小手」のもう片方を探すことにもある。そのためには本来なら、同胞団マフィアのようなところとは敵対せず、繋がりを持った方がいいのだろうとは思う。


 とはいえ――「アズミファル」はまぁ、空手のついでだ。旅の途中でもし見つかればで構わないだろう。そんなことより――



「そういえばエンディさん、あの時の前蹴りな……」


「む、なにか違ったか?」


「いや、あれはあれで構わない。しかし、ああいう場合例えばこういう手も……」


「ふむふむ……」



 酒場になっている冒険者の店の片隅で空手術のレクチャー。エンディはおれに助け出された時以来、自前の剣術に加えて空手の技を積極的に学ぼうとしていた。ウィルマ姫がむくれるかもしれないな、とは思いつつも、おれは剣の闘いに応用できそうな技術を教えていた。


 そんなことをしていると、不意に酒場が騒がしくなった。



「なんかクセェと思ったら、こんなとこに耳の長ぇのがいるなぁ!」



 柄の悪い声が響く。わかりやすく、ケンカを売る時の口上――だが、今回はおれに対してではないようだ。


 振り向くと、冒険者らしき男が数人、カウンターに座る別の男を取り囲んでいるところだった。



「……僕はこのギルドに正規に登録している冒険者だ。なにか問題でもあるか?」



 取り囲まれている男――幾分か小柄なその体躯に陶器のように滑らかな肌、金髪、切れ長の目、そしてその尖った耳――エルフと呼ばれる人型ヒューマノイドの種族。魔法と弓矢の術に長ける種族として知られている存在。


 高い知性を持ち、人間に対しても友好的な存在ではあるが、しかし――



「ここは人間様の店だ! てめぇみてぇなの来るところじゃねぇんだよ」


「森くせぇ田舎モンには、街の作法はわからねぇだろうけどな。あーくせぇくせぇ!」



 そう言ってチンピラ冒険者たちはどっと笑う。



「下衆どもが……」



 そう言ってエンディが立ち上がろうとした。



「……ちょっと待て」



 おれはエンディを制した。なぜなら、そのエルフが立ち上がったから――そして、その身体の動きがまるで絹のように滑らかだったからだ――


 立った姿は冒険者たちより小柄ではあったが、おれの眼にはが見えた。異世界ファンタジー的に言えば、レベルがまるで違う――!



「……僕にケンカを売るつもりならば構わないが……ひとつだけ言っておく」



 そう言ってエルフはカウンターの側へ身体を向けた。カウンターの上にはビールの瓶。エルフは手を振り上げた。そのてのひらに一瞬、光が宿り――



「この僕は、こういうことも……できる男だ! となっ」



 エルフが振り上げた手を横に振るう! 一文字に奔る光、空気を切り裂く音――そしてビール瓶の首が、切り飛ばされてカウンターに落ちた。



「……ま、魔法だ……ッ!」


「しかもスゲェ腕……!」



 チンピラたち、そして酒場にいた傍観者ギャラリーたちがざわめいた。


 エルフ特有の精霊魔法――恐らくは風の魔法の一種。真空を発生させ、切断する魔術の存在はおれも耳にしたことがあった。だが、このおれでさえ習得に苦労した「ビール瓶切り」を、ああも鮮やかにやってのけるとは! なんという研ぎ澄まされた技の冴え。おれは息を飲んで成り行きを見守った。



「……けっ、魔法が怖くて冒険者がやってられるかよ! こちとら、人斬りとも呼ばれた男だぜ!」



 チンピラのうちの一人が、腰に刺した剣を抜き放つ。ケンカは珍しいことではないのだろうが、突然の刃傷沙汰に酒場が色めき立った。



「うらぁああ!」



 周りが止めに入る間もなく、チンピラがエルフにその剣を突き出す! いたずらに大きく振りまわさない辺りはこちらもそれなりの遣い手だと見えたが、しかし――



「がっ……!?」



 次の瞬間、剣を突き出した腕が外側へと捻じられていた。エルフが体を捌くと同時に、その腕を取って逆に関節を極めたのだ。



「……流転フルーオ……!」



 エルフが短く言葉を発すると同時に、身体を返した。


 掌が光り、風が鳴った。そして、チンピラの身体が、竜巻に巻かれたかのように吹き上げられ――



 ドゴッ!



 天井に叩きつけられたチンピラの身体が、さらに床に落ちてもんどりうった。



「あの技は……!?」



 おれは瞠目した。魔法の力を加えてこそいるが、体捌きで相手を制するあの体術――強力な魔法の詠唱をすることなく、相手の力を逆用してそれに魔法の力を加え、投げ飛ばす。現実世界でいえばまるで、古流柔術のような技。この世界にあのような技術が存在したとは――!



「……迷惑をかけた」



 エルフは酒代をカウンターに置き、店を出ていった。


 戸口でふと、振り返ったそのエルフの青年と、おれの目が合う。


 ――強い。


 技のキレだけではない。武術を修め、道を求めるものの高潔な精神を、おれはその緑の瞳の中に見た。


 エルフはそのまま、出ていった。その後ろ姿を見送りながら、おれは呟く。



「……この世界にも、あのような男がいるのか」



 おれは嬉しくなった。この世界にも、学ぶべきこと、挑むべき相手はまだたくさんあるのだ。



「いずれ、あの男とも手合わせをしてみたいものだ。次に会えたら声をかけてみよう」



 おれはエンディに向かい、そう言った。うきうきとした気分が抑えられなかった。


 だが――おれのその願いは後日、最悪の形で果たされることになる。

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