第2章 風雲・異類格闘編
12.空手vs古流エルフ魔法柔術(前)
太陽が2つある世界だとはいっても、それが沈んだあとの夜は、暗い。
月明かりに波がゆれ、木造りの桟橋を濡らしていた。静かな夜だ。桟橋から
星の光に薄く照らされた緑色の肌が、数体。そしてそれに向かい合うようにあらわれた、背の高い男たち。
緑色の肌をした小柄な男が、抱えていた木箱を男たちに示し、それを開けた。中には、闇夜の中でもそれとわかる、蒼緑に輝く小手――
身を隠していた船のへりから、おれは跳んだ。
そして、集まっていた男たちの輪の中央へと――
――ザンッ!
突然空から降ってきたおれに、男たちの動きが止まる。すかさず、おれは両の手を左右に打ち込む!
「ごっ……!」
怒鳴ろうとした声を呻きに変えて、男たちはその場にうずくまった。
「なんだ、テメェ……!」
背の高い男の一人が、腰に差していた
「ガハッ…」
喉を叩き潰され、声にならない声をあげて吹き飛ぶ男を尻目に、蹴り足を踏み換えながら反転――背後から斬りかかろうとしていた
ガラ空きになった
「くそっ……」
残りの男たちが逃げようとする。賢明な判断だろう。しかし――
――ザシュ!
逃げようとした
「殺さぬようにな、エンディさん」
「わかっている!」
おれの潜んでいた船とは逆方向から駆け込んできたその女騎士が、金髪をなびかせ
――ギィン!
剣戟の音。女騎士の剣を、
「……てぇぃっ!」
ゴッ!
次の瞬間、
「くそっ……! ギルドの連中か……」
木箱を抱えた
「……人様のものを売りさばくってのは感心しないな」
月明かりがおれの顔を照らした。それを見た
「その白い装束……その技……まさか、
ありありと恐怖の表情を浮かべたその相手に向かい、おれは足を開き――構えた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「人間たちの方はどうやら、近海に根城を持つ海賊の一員だな。騎士団も手を焼いている連中だ」
「冒険者の店」の使い込まれた木のジョッキを手に、金髪の女騎士――エンディ・コーカシスが言った。おれは自分のジョッキ――中身は炭酸水だが、酒よりも値段が高い――を口に含みながら、それを聞いていた。
エンディがジョッキをテーブルに置き、話を続ける。
「問題は
「……やはり
おれがそう問うと、エンディは頷いた。
先の魔導大戦の後、混乱に乗じてその勢力を伸ばした
冒険者ギルドの依頼にも、この
「……すっかり敵対してしまったな」
「まぁ、白衣の転移者……『ザ・ハンド』と言えば、今や同胞団のブラックリストに名を連ねる存在だろうからな」
エンディがそう言うのに、おれは肩をすくめた。
ヴァンフリーの王都を出てから、おれは各地の「冒険者ギルド」で仕事を受け、この世界での路銀を稼ぎながら旅をしていた。荒事の多いギルドの仕事は実戦を重ねるのに都合がよかったし、なによりもこの世界の情報がたくさん集まったからだ。
「それと、取引されていたあの小手だが」
エンディがジョッキに口をつけてから、話を続ける。
「
「そうか……」
旅の目的は、「アズミファルの小手」のもう片方を探すことにもある。そのためには本来なら、
とはいえ――「アズミファル」はまぁ、空手のついでだ。旅の途中でもし見つかればで構わないだろう。そんなことより――
「そういえばエンディさん、あの時の前蹴りな……」
「む、なにか違ったか?」
「いや、あれはあれで構わない。しかし、ああいう場合例えばこういう手も……」
「ふむふむ……」
酒場になっている冒険者の店の片隅で空手術のレクチャー。エンディはおれに助け出された時以来、自前の剣術に加えて空手の技を積極的に学ぼうとしていた。ウィルマ姫がむくれるかもしれないな、とは思いつつも、おれは剣の闘いに応用できそうな技術を教えていた。
そんなことをしていると、不意に酒場が騒がしくなった。
「なんかクセェと思ったら、こんなとこに耳の長ぇのがいるなぁ!」
柄の悪い声が響く。わかりやすく、ケンカを売る時の口上――だが、今回はおれに対してではないようだ。
振り向くと、冒険者らしき男が数人、カウンターに座る別の男を取り囲んでいるところだった。
「……僕はこのギルドに正規に登録している冒険者だ。なにか問題でもあるか?」
取り囲まれている男――幾分か小柄なその体躯に陶器のように滑らかな肌、金髪、切れ長の目、そしてその尖った耳――エルフと呼ばれる
高い知性を持ち、人間に対しても友好的な存在ではあるが、しかし――
「ここは人間様の店だ! てめぇみてぇな人間もどきの来るところじゃねぇんだよ」
「森くせぇ田舎モンには、街の作法はわからねぇだろうけどな。あーくせぇくせぇ!」
そう言ってチンピラ冒険者たちはどっと笑う。
「下衆どもが……」
そう言ってエンディが立ち上がろうとした。
「……ちょっと待て」
おれはエンディを制した。なぜなら、そのエルフが立ち上がったから――そして、その身体の動きがまるで絹のように滑らかだったからだ――
立った姿は冒険者たちより小柄ではあったが、おれの眼にはそれが見えた。異世界ファンタジー的に言えば、レベルがまるで違う――!
「……僕にケンカを売るつもりならば構わないが……ひとつだけ言っておく」
そう言ってエルフはカウンターの側へ身体を向けた。カウンターの上にはビールの瓶。エルフは手を振り上げた。その
「この僕は、こういうことも……できる男だ! となっ」
エルフが振り上げた手を横に振るう! 一文字に奔る光、空気を切り裂く音――そしてビール瓶の首が、切り飛ばされてカウンターに落ちた。
「……ま、魔法だ……ッ!」
「しかもスゲェ腕……!」
チンピラたち、そして酒場にいた
エルフ特有の精霊魔法――恐らくは風の魔法の一種。真空を発生させ、切断する魔術の存在はおれも耳にしたことがあった。だが、このおれでさえ習得に苦労した「ビール瓶切り」を、ああも鮮やかにやってのけるとは! なんという研ぎ澄まされた技の冴え。おれは息を飲んで成り行きを見守った。
「……けっ、魔法が怖くて冒険者がやってられるかよ! こちとら、人斬りとも呼ばれた男だぜ!」
チンピラのうちの一人が、腰に刺した剣を抜き放つ。ケンカは珍しいことではないのだろうが、突然の刃傷沙汰に酒場が色めき立った。
「うらぁああ!」
周りが止めに入る間もなく、チンピラがエルフにその剣を突き出す!
「がっ……!?」
次の瞬間、剣を突き出した腕が外側へと捻じられていた。エルフが体を捌くと同時に、その腕を取って逆に関節を極めたのだ。
「……
エルフが短く言葉を発すると同時に、身体を返した。
掌が光り、風が鳴った。そして、チンピラの身体が、竜巻に巻かれたかのように吹き上げられ――
ドゴッ!
天井に叩きつけられたチンピラの身体が、さらに床に落ちてもんどりうった。
「あの技は……!?」
おれは瞠目した。魔法の力を加えてこそいるが、体捌きで相手を制するあの体術――強力な魔法の詠唱をすることなく、相手の力を逆用してそれに魔法の力を加え、投げ飛ばす。現実世界でいえばまるで、古流柔術のような技。この世界にあのような技術が存在したとは――!
「……迷惑をかけた」
エルフは酒代をカウンターに置き、店を出ていった。
戸口でふと、振り返ったそのエルフの青年と、おれの目が合う。
――強い。
技のキレだけではない。武術を修め、道を求めるものの高潔な精神を、おれはその緑の瞳の中に見た。
エルフはそのまま、出ていった。その後ろ姿を見送りながら、おれは呟く。
「……この世界にも、あのような男がいるのか」
おれは嬉しくなった。この世界にも、学ぶべきこと、挑むべき相手はまだたくさんあるのだ。
「いずれ、あの男とも手合わせをしてみたいものだ。次に会えたら声をかけてみよう」
おれはエンディに向かい、そう言った。うきうきとした気分が抑えられなかった。
だが――おれのその願いは後日、最悪の形で果たされることになる。
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