10.空手vs裏技《チートスキル》(後)
――白い部屋の窓から、差し込む柔らかい光に煽られるようにしてカーテンが踊っていた。
部屋に置かれたベッドに、見る影もなくやせ細った身体が横たえられていた。土気色の顔にとりつけられた呼吸器の奥で、その口元が動いたような気がした。
おれは、彼に話しかけた。彼がおれを見た。
彼が骨の浮いた腕を持ち上げ、おれに拳を見せた。拳ダコに覆われたその拳を、おれは両手で包むと、彼は少し笑い、そしてその目を閉じた。手の中の拳から力が失われ、シーツの上に落ちた。
* * *
――おれは目を開いた。
王城の離れの部屋に、正座をしている自分がいた。闘いの前に黙想をしていたはずが、ふと昔の記憶がよみがえって来たのだった。少々心が乱れていたのかもしれない。
おれは立ち上がり、窓の外を見た。二つ目の太陽がもうすぐ沈む。そろそろ覚悟を決めなくてはならない。
闘いの相手――「
おれは拳ダコに覆われた拳を見た。
おれに、空手に――奴を倒すことができるのだろうか?
「……今からでも、
突然聞こえた声に、おれは振り返った。戸口に女が立っていた。
「女神さんか……」
おれをこの異世界に導いた女神・東宮のグレン。銀髪を揺らして首を振り、女神は言う。
「『魔導大戦』で魔王を退けたジャヴィドの力は本物よ。彼の
「……」
「素手で立ち向かうなんて、自分から命を捨てにいくようなもの。だから……」
「……武に身を捧げた以上、とうに捨てた命。ここで尽きるならそれまでということ」
おれはそう言って、女神の横を通り過ぎ部屋を出た。この時、
* * *
それが、この世界で初めて見る夕陽だったはずだ。紫に暮れなずむ雄大なグラデーションを不吉に感じたのは、その時のおれの心のせいだっただろうか。
ジャヴィドは既に、そこに立ち待っていた。おれは馬車から降り、決闘の場へと歩む。背の低い草に覆われた広い平原に、風が波を作っていた。
「この
おれと同じく馬車から降りたウィルヘルムが良く通る声で宣言する。傍らには数人の騎士団とクライフがいた。ジャヴィドはその宣言を冷笑で受け止めた。
「……おれを狙う理由を聞かせてもらえるか」
足を止め、おれは言った。ジャヴィドとの距離は15mといったところか。
「異世界転移者が邪魔なだけさ。どうせ殺すなら、あの愚かな国王たちの前でやるのがいい」
「……魔王を倒した英雄のお前が、なぜそのようなことを……?」
「……この世界に来たばかりのお前にはわからないかもな」
ジャヴィドは相変わらず冷笑を浮かべていたが、その目には捉えようのない色を浮かべていた。
「この世界も結局、矛盾だらけだ……魔王を倒したところで、平和も幸せも訪れなかった。貴族どもは肥え太り、民衆は相変わらず日々の暮らしとモンスターの脅威に怯える。力あるものが、力無きものから奪い取る世界だ。俺たちの故郷と同じだよ」
「……」
「……共に戦った仲間たちが何人も死んだ……あいつらの血で勝ちとった世界がこれか? 私は気がついたのだ。世界そのものを変える力が必要だと!」
おれは黙っていた。答える言葉を持たなかった。しかし、ジャヴィドの瞳に深い絶望と狂気の色が浮かんでいることは感じられた。
「私が欲するのは無限の力だ! 運命さえも変え、世界を創りかえる力! 絶対的な力を持った者が必要なのだ……力を持った者が多ければ、また混乱を招く。だから、
ジャヴィドの身体に殺気が漲り出した。両の手を左右に広げ、そこに魔力の光が浮かんだ。
(……運命を変える力……)
たとえどんなに腕っ節が強くなっても――空手で熊に勝とうがモンスターに勝とうが、個人の力では絶対に抗えない運命。
それを、変える力――
おれはジャヴィドを見た。この男とおれは似ているのかもしれない。
だが――
おれはその場で足を広げ、ゆっくりと呼吸をした。「
そしておれは、肩の幅に広げた足を、大きく後ろへと引き、前の手を目前に掲げ、後ろの手を腰へと構えながら体重を落とす。
構え、そして対峙――
「……合図を」
ウィルヘルムが言い、騎士団のひとりが大きな
同時に、ジャヴィドがその両手を振りかぶる。その手には青白く輝く魔力の光――城をも破壊する大魔法・
――ここしか、なかった。
瞬間、おれは後ろ足を引きつけ、前脚を大きく前へ。
そしてその次の瞬間――おれの拳が、ジャヴィドの顔面にめり込んでいた。
メキィ!
鈍い音と共に、ジャヴィドの顔が弾けた。その身体が後方へと吹き飛び――数m離れた草の上へと、転がった。
追い突き――空手の技の中で最も速く、最も遠い打撃。
右手を後ろに構え、左脚を大きく踏み込んだ後、右の脚を入れ替えてさらに前へと飛ばしながら、右の突き。
移動してから攻撃するのではない、移動そのものが突きの威力と化すこの技――立ち合いの間合い、ジャヴィドが浮遊魔法を使わなかったこと、そして発動に一瞬の隙がある
「が……はぁ……ッ!」
残心をとるおれの構えの先で、鼻の骨を砕かれたジャヴィドが悶えていた。
「勝負ありだ」
ウィルヘルムの声がした。振り返ると、騎士団を連れすぐ近くまで来ている。
「おのれ……おのれおのれ……ッ!」
ふらふらと起き上がろうとするジャヴィドを、騎士団が取り囲もうと動いた。
「よせ……!」
おれは手で騎士団を制した。立ち上がるジャヴィドの袖口から、「アズミファルの小手」が見えた。
「貴様……いずれ必ず、八つ裂きにしてやる……!」
憎々しげにそう言い残し、ジャヴィドの姿が魔力の光に包まれ――そしてそのまま、かき消えた。
おれは残心を解き、ひとつ息をついた。
「……なぜ逃がした?」
ウィルヘルムがおれに尋ねた。おれは黙っていた。
――あれで、本当に良かったのだろうか?
開始直後の不意討ち。相手の技を出させず、ねじ伏せる勝ち方。
それしか――勝つ方法がなかった。だが、本当にこれで勝ったと言えるのだろうか?
力を求め、力でねじ伏せようとしたジャヴィドに対して、こんな勝ち方で、本当に――
「……いずれまた、決着をつけるときが来るだろう」
おれはそう言って踵を返し、
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