9.空手vs裏技《チートスキル》(前)
「おはようございます、先生!」
戸口から差し込む日差しと、やたらと元気のいいその声でおれは起こされた。
おれは当面、ヴァンフリーの王城に客分として滞在していた。ただし、貴族たちが面倒なので、城の中でなく裏の離れのような屋敷に、である。一応、体裁としては「軟禁」ということにしているらしいが、出入りは自由だ。
実際のところ、ウィルヘルムに仕える
「……おはよう、ウィルマ姫」
おれがここに滞在を始めてから、ウィルマ姫は毎日のようにここへやってきていた。それも、おれが日課の朝稽古を始める時間に。
「いい加減、先生はやめてもらえないか」
「じゃぁ、師匠! お師さん、とか?」
「そういう言葉、どこで憶えるんだ」
そう、ウィルマ姫はおれに、「空手を教えろ」と迫ってきているのだ。
「大丈夫です! お邪魔にならないように稽古を見ていますから!」
どうも、最初に会ったときのイメージとは違い、やたらとアクティブな性格のようだった。
そもそも、第8王女という微妙な身分であり、しかもエルフの血の混じっているこの姫は、中央の王政からは排除された存在らしい。それで、辺境の城に半ば隔離される形で住まっていたのだという。
王位継承権のない姫の身分とはいえ、そうした境遇に対する鬱憤があった――そこへ来て、おれの空手を見てすっかり興奮してしまったらしい。
「魔物の爪も、貴族の権威も及ばない自由の拳! カラテとはなんとファンタスティックなのでしょう!」
いつものようにおれが基本の稽古をしているのを見て、ウィルマ姫は目を輝かせていた。
「わたしもいつか、この手でミノタウロスを倒したいです!」
「……ちょっ! 待って待って!」
おれは思わず稽古を止めた。
「……いいですか、ウィルマ姫。空手とは、魔物と戦うためのものではないのだ」
「ではなぜ、先生は魔物と戦うのです?」
「それは……」
それは――
「……まぁ、いろいろとあるのだ」
「カラテとは、いろいろあるものなのですね」
「間違ってはいないがちょっと待て」
おれは早朝の稽古を切り上げた。どうも調子が狂う。ウィルマ姫がカップに汲んだ水を差しだしてくれた。
「そういえば、父上が昼食を一緒にとろう、と言っていました」
「そうか……」
おれは水を飲み干し、カップを桶の中に放り込む。客分として滞在している以上、ウィルヘルムの誘いを断るわけにはいかなかった。
* * *
「ウィルマには悪いことをしていると思っている。あれでも、可愛いと思っているんだ」
庭園に設えられたテーブルで、硬いパンを齧りながらウィルヘルムは言った。おれはその横で、塩漬け肉を噛み切ろうとしていた。この世界で筋肉に必要な栄養素が満遍なく補給できるか、一抹の不安がある。
「あれの母親を側室に迎えたのは、
ウィルヘルムが言うと、その横に座っていた白髪の痩せた男が後を継いだ。
「貴族たちの中には、人間至上主義的な思想の者も多いのです。それに加え、『魔導大戦』では
白髪の男は城付きの賢者・クライフと言った。テーブルの周りには、親衛隊の証らしい
「それで、エルフの血を引いている姫さまは、辺境の城へと半ば隔離をされたわけです」
「辺境とは言うが、あれは由緒のある城だ。格式のない城に王族を住まわせるわけにはいかない」
「ですが……それが裏目に出てしまった形です」
ウィルヘルムは黙ってしまった。クライフがウィルヘルムとおれとを交互に見る。
「この方にはお話をしておくべきでしょう。『アズミファルの小手』のことを」
「……」
無言のウィルヘルムに構わず、クライフはこちらを見て話し出した。
「あの城には、強力な魔力を宿す
「それはもしかして……」
おれはミノタウロスと戦ったあのときに会った黒衣の男を思い出した。やつが手にしていた禍々しい意匠の小手がその『アズミファルの小手』――?
「……すでに力の失われた
ウィルヘルムが苦々しげに言った。
「ですが、どのような力が秘められているか、定かでなく……」
「争いの種になるくらいならくれてやるさ」
ウィルヘルムがこちらに向き直った。
「この際だ。お前、ウィルマを嫁にとらないか?」
「……ちょ……! え、いや……」
「父親の俺としても安心だし、転移者を王族に迎えるとなれば政治的にも都合がいい」
「いや……さすがにそれは……」
「なんだ、一国の姫を勝手に弟子にしておいて、今更逃げるのか?」
「あれはウィルマ姫が勝手に!」
ニヤニヤしながら畳みかけるウィルヘルムから、おれは目を逸らす。
「……おれは修行中の身だ。嫁をとるわけにはいかん」
「わかったよ、冗談だ」
ウィルヘルムは笑いながらエールを飲んだ。クライフはため息をついていた。
――その時だった。
城門の方が、にわかに騒がしくなった。
「なんだ……?」
おれは不穏な気配に振り返った。その瞬間――
ドォン!!
派手な音と共に、衝撃が奔る。テーブルの上の食器が吹き飛ばされ、弾かれた空気に侍従が転倒した。おれは思わず、腕で顔をかばう。
「なにごとだ!」
ウィルヘルムは立ち上がり、声を張り上げる。衝撃に耐えた親衛隊の騎士が爆心の方へ向かって身構えた。
舞う土煙の中に、影が揺らいだ。その影がゆっくりと、片手を上げ――
ドォン!
再び、今度は庭園内のごく近い距離で衝撃が炸裂した。騎士たちが吹き飛ばされる。
土煙が薄れ、影がその姿を見せた。
「……お久しぶりです、国王陛下」
「……ジャヴィド!! お前……!」
ジャヴィド、と呼ばれた男がこちらに顔を向けた。その顔は、おれが初めてこの世界に来た時に出会ったもの――ミノタウロスをおれにけしかけた、その男だった。
「旧交を温めたいところだが……今日、用があるのはそこの空手家さんでしてね……」
おれがそこでもう一度驚いたのは、ジャヴィドと呼ばれたその男の出で立ちだった。前のときのような黒衣に銀の胸当てという装束ではない。その男が着ていたのは、灰色のスーツ――現代社会でビジネスマンが身につける、スーツにネクタイという姿だったのだ。
「同郷の人間に会うために、わざわざ着てきたんだ。こちらで痩せたみたいで、ベルトが少しゆるいんだがね……」
そう言いながらジャヴィドは、片手をかざしてこちらに向けた。
――これはヤバい!
そう思った瞬間、目の前に何かが割り込む。
「
クライフが唱えた声に応えるように、目の前が薄く光る。その前で、ジャヴィドの手から放たれた火球が弾ける!
光の壁が砕け、弾けた衝撃でおれは、クライフと共に吹き飛ばされた。
ジャヴィドは、襲いかかろうとする騎士に向かって手をかざし、火球をもう一発放つ!
ドォン!!
炸裂する熱波と衝撃。騎士たちが人形のように吹き飛ぶ。
「こんな強度の
クライフが上体を起こしながら、歯を食いしばり、言った。
ジャヴィドの身体が一瞬輝き、宙へと浮き上がる。
「そこの白衣の
左右に開いたジャヴィドの両手が、ほのかに光り出す。
「あの光……まさか
クライフの焦る声が聞こえる。
どうやら、かなりヤバい魔法が来るらしい――おれは周りを見た。騎士たちは空を見上げるが、何もできずにいる。ようやく弓を取り出したものがいるくらいだ。ウィルヘルムは――いた。なんと、巻き添えになった侍従や女性たちを助け逃がしている。
――まったく、なんて男だ!
おれはジャヴィドの正面へ走り出た。
「よせ! 用があるのはこのおれだろう!」
ジャヴィドはおれの姿を見、笑った。両の手の光が強まる。おれは両の手を広げて言葉を継ぐ。
「ここには女もいる。ウィルマ姫もいる。巻き添えにするな! おれなら逃げない。場所を変えて立ち合おう」
ウィルマ姫がいる、というのを聞いたとき、ジャヴィドの眉間が少し、動いたようだった。両の手の光が弱まり――消える。
「……面白い。私に
ジャヴィドは高度を下げ、地に降り立った。
「いいだろう。今日の夕暮れ、西の平原だ。私の無限の力を……見せてやる」
ジャヴィドはそう言って、左腕につけた小手を掲げ――放たれた光と共に、その姿はかき消えた。
おれは虚空をしばらく、見つめていた。
ジャヴィドの放った魔法の威力を思い返す。
あの時、クライフが魔法で守ってくれなかったら――
おれは歯嚙みをした。そしてあいつは、最後の魔法で「城ごと吹き飛ばす」と言った――
「決闘、か……」
おれは身震いをした。それは多分、武者震いではなかったと思う。
あとでウィルヘルムに聞いた。異世界転移者・ジャヴィド。その
数秒で広範囲を焦土と化す敵との立ち合い――開始まで、あと数時間。
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