8.空手vs国王

「大臣が迷惑をかけた。不在のこととは言え、責任を感じる」



 黒い外套マントを脱いだ国王が言った。


 城の中にいくつかあるという、国王と家族の部屋。そのひとつにおれは通されていた。先ほどの大広間とは対照的に、質素で地味な作りの部屋――


 テーブルを挟んだ向かいの椅子に、国王は腰掛けた。



「迷惑どころの騒ぎじゃない。こちらは殺されかけたんだ」



 おれは椅子に座らず、立ったまま答える。身体は依然として、周囲に気を張っていた。



「……今だって、殺されかけている途中かもしれない」



 おれが殺気を隠さずに言った言葉に、国王は表情ひとつ変えず答える。



「警戒するのも当然だ。ただ、個人的な意見を言えば……もしこの部屋に罠が仕掛けられていても、君を殺せるとは思えないよ」



 国王がニヤッと笑う。



「実は途中から見ていたんだ。君のその、カラテ、か? 素晴らしい技だな」



 おれはその言葉にまたカチンと来た。途中から見ていた、だと?


 慇懃に振る舞っているが、結局こいつも、あのホランドとかいう大臣と同類ということか。そう思うと、身体がまた熱くなってくる。だいたいなんだこの男は。さっきまで暴れてた男と、こんな近い距離で、その気になれば一撃で殺せる間合いで。おれの空手を舐めているのか――



「君がその気になれば、この場で俺を殺すこともできるのだろうな」



 突然、おれの頭の中を見透かしたかのように、国王が言った。不意を突かれて、おれは一瞬動揺する。国王は再び、ニヤッと笑ってみせた。おれは平静を装い、言う。



「……だったらどうする」


「どうもしないさ。それならそれでも構わない」


「な……」


「……君が一人でこの国の騎士団と渡り合える以上、君という存在は一国の軍隊と変わらない。だからこそこうして、二人で話をさせてもらっている。これは和平交渉だよ。この距離がその証だ」



 国王は微笑を浮かべていたが、その目は真剣そのものだった。


 ああ――この目は。


 おれは組手に臨む道場仲間たちのことを思い浮かべた。


 どちらが強い、弱いではない。ただただ真剣に、目の前の相手と向かいあい、自分のすべてをぶつける――そういう目だ。


 ここは依然として、戦いの場なのだ。


 それに比べて、先ほどまでの自分の心の、なんと貧しく、醜いことか。おれは心底自分が情けなくなった。元より聖人君子であるつもりはないが、これでは空手の精神を語れるようなものではない。


 俺は椅子に座り、頭を下げた。



「……頭に血が昇っていたようです。失礼をお詫びします……国王陛下」


「ウィルヘルムだ」


「……え?」


「ウィルヘルム・ダス・ウィルム・ヴァンフリー。俺の名前だ。ウィルヘルムと呼んでくれて構わない」



 国王は真剣な面持ちから、一転して破顔した。その顔が、なんとも言えず人懐っこい笑顔だった。



「言っただろう? これは和平交渉だ。つまり、君は一国の王と同等。だったら、君と俺は対等だ」



 ――おれは参ってしまった。かつて、こんな風に接してきた者がいただろうか?


 おれが今までに出会った「権力者」たちは、目の前の相手を自分の下に置くことにばかりかまけていた。それが、この男は王という立場、威厳を崩すことなく、相手を下にも置かない。ごく自然に「王」として振る舞う、これが生まれつきの王、本当の権威というものか――


 俺は改めて、国王を――ウィルヘルムを見た。この男を今ここでのは容易たやすいだろう。しかし――それではたぶん、この男には――



「……和平などとんでもない。おれの負けだ……ウィルヘルム」



 それは、異世界で初めての敗北――おれの敗北宣言を聞いたウィルヘルムは、また人懐っこく笑った。


 * * *


「そもそもは、10数年ほど前の『魔導大戦』……魔王との戦いにおいて、お前のような異世界転移者が活躍したことにある」



 ウィルヘルムが陶器のゴブレットを傾けながら言う。おれもウィルヘルムと同じ、エールの入ったゴブレットを手に話を聞いていた。


 人間の軍勢が太刀打ちできない魔王の軍勢を、押し返したのが「裏技チートスキル」を持つ異世界転移者だった、とウィルヘルムは語る。



「そこまではよかった。問題はその後だ」


「……と言うと?」


「この国では、戦いは貴族や騎士の仕事だ。敵と戦うことで、支配層はその権威を確立している。だが、その『本職』たちが勝てなかった相手を、余所者が……騎士でもなんでもない余所者が倒し、世界を救った……そうすると、どうなるか?」



 つまり――転移者によって貴族たちが面目を失ったというわけか。おれは、「邪道」である自分の空手が世に出たときの、周囲の反応を思い起こしていた。新しく、強く、鮮烈なものへのほとんど反射的な拒絶。


 ウィルヘルムは続ける。



「民衆は彼らを英雄視する。そうすれば王国の支配の基盤が揺るぐかもしれない。魔王を倒すほどの力を持った者がこの世界にいて、いつこの社会を脅かすのかという恐怖を感じる者もいる」



 ウィルヘルムはゴブレットをテーブルに置き、真剣な顔でつけ足した。



「貴族たちが自分の立場を失うことを恐れている、という単純な話ではない。お前たち転移者は、この世界の成り立ちそのものを否定しかねないんだ」


「……おれにそんなつもりはない」


「お前はそうだろう。だが、もし、世界を覆し得る力を手にしたとして……人間は正気を保っていられるのかな」



 ウィルヘルムはそう言って、再びゴブレットの中のエールを煽った。



(力、か……)



 ゴブレットを持つ自分の手の拳ダコが目に入った。


 おれはエールを飲んでみた。苦味ばかりが舌に残ったのは、この世界の飲み物に慣れていないせいだっただろうか。


 ウィルヘルムは顔を少し崩した。



「……いや、すまん。少々愚痴っぽくなった。それで……お前はこの世界で、なにをするんだろうな?」


「……空手さ」



 おれはそう言って、ゴブレットの中身を飲み干した。


 異世界転移――おれは「女神」を思い出した。東宮のグレンとかいうあの女神は、なにかの目的を持っておれをここに導いたのだろうか? 


 いや――下手な考えはよそう。いくらケンカが強かったとしても、それで世界に影響を及ぼそうなどというのはおこがましい考えだ――そのことはおれ自身、現実世界での経験でいやというほど痛感していた。


 だからこその空手、だからこその武道――世界がどのようであっても、どんな境遇にあろうとも、自分自身がそこにることを肯定し、貫くための道。それは例え、ファンタジー異世界にあろうとも変わることはないのだ――



 だが、おれはこの後、自身のそうした信念を揺るがす相手と巡り合う。


 そしてそれは、この異世界で最大の宿敵との出会いでもあった。

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