4.空手vs重装騎士(前)

 ミノタウロスの次に戦った相手は、意外にも人間だった。



 黒衣の男に襲われていた栗色の髪の女は、ウィルマ・デル・ウィルム・ヴァンフリー。この国の第8王女だという。なるほど、お約束の中世ヨーロッパ風ファンタジー世界というわけだ。


 おれがこの世界に降り立った場所は、ヴァンフリー王国領内にある城のひとつ。その城に押し入った賊から王女を救ったということで、おれは王都へと招かれることになった。



「父上……国王様は今、不在にしているそうですが、いずれ戻られるそうです。ぜひお会いいただきたく」



 王都へと向かう馬車の中で、大きな目を微笑ませてウィルマ姫は言った。「馬車」と言っているが、車を曳いているのはトカゲのような二足歩行の生物だ。まぁ、この世界の馬ってことなんだろう。そういえば、さっきから普通に言葉も通じているが、その辺りはあまり気にしないことにする。原作でもフランスとかで普通に会話してたし。



「大臣のホランド公が、歓迎の宴を用意してくださっているということですが……」



 洗濯してもらった空手着は、肌触りが多少気にかかる。そういえば、空手着ってこちらの世界で手に入るのだろうか。現代だとポリエステル製とかが多いが、こっちだと綿になるのか。サラシ木綿なんてあるのかな――そんなことを考えていたおれは、姫が少し表情を曇らせたことに、その時は気が付かなかった。


 * * *


 街道を半日ほど馬車に揺られると、王都が見えてきた。見るからに壮麗な城壁に囲まれ、その奥の高台に尖塔を備えた城が見える。城壁の外側にまで町は広がっており、粗末な平屋の集まった集落を横目に見て、馬車は進む。


 集落の中に、緑色の肌をした猪のような顔をした人間や、耳の尖った背の低い人間などが歩き回っているのが見えた。


 いわゆる亜人間デミ・ヒューマン――人間と同等に文明を持っているが、人間ではない生物たち。体格が違えば生活様式も違う。ああいう者たちに空手を教えるには、なにか特別な稽古のメニューが必要かもしれない。



 その内に馬車は跳ね上げ式の城門をくぐり、城壁の中に入る。そこには立体的な街並みが広がっていた。


 石造りの高い家の間を、レンガ造りの路地が網の目のように広がり、そこを人間たちが――見慣れた普通の人間が行き来する。二足歩行のトカゲのような馬や、猪かアルマジロのような姿の動物に荷車を曳かせているものもいる。城門の外で見かけたような亜人間デミ・ヒューマンは、ここでは見かけない。


 活気にあふれる街の中を抜け、馬車は目抜き通りの坂道を城へと登って行った。


 * * *


「ヴァンフリーの王都へようこそ、異世界転移者どの!」



 でっぷりと太った大臣のホランドはそう言って、おれを迎えた。


 大きなシャンデリアの吊るされた大広間、城へついてすぐにそこへと通されると、きらびやかな衣装を身に纏った貴族たちと、テーブルに並んだ料理が待ち受けていた。ホランドは一段高いところで椅子に座り、周囲に騎士を従えている。



「異世界転移者……?」



 そう呼びかけられたことに俺は首を傾げた。そういえば、あの黒衣の魔術師もそんなことを言っていた。



「使いの者からそのように聞いている。その白い装束、今までの転移者たちとは少し毛色が違うが、確かにこの世界のものではないようだ」



 ホランドが値踏みをするように俺の空手着を見回し、言った。


 つまり、異世界から来るおれのような人間は、この世界でも存在を認知されているわけだ。それであの男は「空手」という言葉を口にしたのか。おれのように、モンスター相手に空手を追求しようという男が、過去にいたとしてもおかしくない。



「まぁ、そなたは転移者ゆえ、そのような恰好であるのも仕方はないが……この広間の中で、ひときわ白が際立っておるな」



 にやにやとしながらホランドがそう言うと、派手な衣装を身につけた周囲の貴族たちがどっと笑った。



「ホランド公! 転移者どのに向かって無礼であろう! ましてや、このわたしの命の恩人であるぞ!」



 ドレスに着替えて広間に姿を現したウィルマ姫が声をあげた。



「これは姫様、失礼を。そうでしたな、第8王女であり、ハーフエルフの女の娘であるあなたを、助けていただいたのでした」


「……!」


「まったく、われわれのような高貴な人間には出来ぬ、勇敢な行為に恐れ入る。その行為のお陰でこのような場にも顔を出せるのだ。さ、高貴なる酒も料理もある。ゆるりと楽しむがいい。ああ、そのみすぼらしい衣装のままで構わぬぞ」



 再び、笑いが起きた。ウィルマ姫は眉間に皺を寄せ、口を真一文字に結んでいた。


 ――なるほど、と俺は思った。


 異世界だろうとどこだろうと、こういう輩はいるものだ。招くだけ招いておいて、相手にマウンティングすることしか考えていない下衆、自分の地位を誇示することに汲々とする小心者たち。


 おれはその貴族たちの顔に、おれの空手を邪道だと批判し、さんざん侮辱した連中のことを思い出した。


 ため息が出た。所詮、異世界でも人間は人間だ。


 バカにされるのは慣れているし、そのままやり過ごしてもよかった。相手にするだけバカバカしい連中だ。しかし――ふと横を見ると、眉間に皺を寄せるウィルマ姫があった。その顔を見たおれは――つい、口を開いていた。



「……この白い空手着は、神の前に立ち厳粛な儀式に臨む際の、神聖なる装束にその起源を発するもの。清廉さと無私の心を象徴する装束です」



 おれは静かに、かつしっかりと通る声で、言った。



「武に臨み、大いなる力に対し、謙虚なる自己を以て真実に向きあう……同時に、俗世にとらわれず闘いへと身を捧げる、いわば死に装束でもあります。空手家にとって、この姿は最大限の礼を尽くす姿でもあり、死地に赴く正装であると、心得られたい」



 そう言っておれは、両の脚に均等に体重をかけた自然体から、片足ずつ脚を折ってその場に正座した。そして、両の拳を前につき――地面と水平に、身体を倒す。


 「座礼」――空手の稽古の前に、神棚や上座、そして師や同僚、お互いに対して最大限の礼を尽くし、全力で向き合うことを誓い、行う作法である。


 礼に始まり、礼に終わる――その実は人を壊す技術である空手だとしても、いや、人を壊す技術だからこそ、真剣に向き合い訓練しなくてはならない。それは決してきれいごとの精神論ではなく、心得なのだ。


 ウィルマ姫を、そして空手を見下し侮辱したこの傲慢なデブに、礼を尽くしたわけではない。へりくだるつもりはないが、同じ土俵で勝負する気もない。そしていつでも、この場でお前たちと戦って死ぬ覚悟がある――それはそうした意思の表明だった。


 殺気を隠さずに放ったその座礼に、貴族たちは圧倒されていた。感嘆の声を漏らすものもいた。ホランドは鼻白んだ様子で立ち上がった。



「その……カラテとやら。素手でミノタウロスを屠ったらしいではないか。それがお前の『裏技チートスキル』か?」



 おれは顔をあげ、言う。



裏技チートスキルは持っておりません。自らの肉体の限界を究め、戦う……それが空手。その技を究めることが、おれの道」


「ほう……」



 ホランドは顔をしかめ、醜悪な笑みを見せた。



「……バーガンドを呼べ!」



 ホランドが大声でそう言うと、広間の入り口に大きな人影が現れた。



「そのカラテとやらを、ぜひ見せていただきたい。このバーガンドは、ミノタウロス程度なら一撃で殺すぞ?」



 全身に板金装甲鎧プレートメイルを身に纏い、肩口から一体化して頭上までを覆うアーメット、手には肉厚の刺突小剣ショート・ソード長盾タワー・シールド――ミノタウロスほどではないにしろ、2mを超える巨体。


 一分いちぶの隙間もない鋼鉄の装甲に身を包んだ、ヴァンフリー王国の重装騎士・バーガンド。どうやら、おれの次の相手は、この男のようだ。

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