2.空手vsミノタウロス(前)

 おれが異世界に行って、最初に戦った相手の話をしようと思う。



 腕試しに挑んだ4tトラックとの立ち会いの中、気を失ったおれは、その意識の狭間で何者かと話をしていた。



「私は女神、東宮とうぐうのグレン。世界の運命を司る導くものプロモーター。神の意思に従い、あなたをこれから中の郷の第三次元ミドル・サードへと導きます」



 それは、柔らかく滑らかな響きの声だった。女神を名乗る声は言葉を続ける。



「そこはあなたの世界とはなにもかも違う『異世界』です。そこは科学ではなく魔法が支配する世界であり……」



 その声を何気なく聞きながら、おれは考えていた。トラックが突っ込んできたあの一瞬、あの一撃をかわし、エンジンに打撃を加えることができれば、勝機はあったのではないか。いや、まずはタイヤを破壊するべきか――



「……あのね、ここは精神の世界なので、あなたの心の中、だだ漏れてますからね。ちゃんと話聞いて欲しいなー」



 言われておれはようやく、目の前にいる女の姿に気がついた。おれは愕然とした。この間合いに入るまで気がつかないとは、武道家としてなんたる不覚か!



「まぁ精神体なのでそんなもんですよ。説明続けてもいい?」

 


 長い銀髪に豊満な胸。にも関わらず、しっかりとくびれたその腰のラインは、体幹がしっかりと鍛えられていることを想像させる。



「そうそう、これでもジムには通ってるからね、最近はビートボクシングってやつにハマってて……ってちがーう! だから話を聞けっての!」



 そしておれはふと、先ほどこの女神が言ったことを思い出した。この女は今、『異世界』とか言ったか?



「あ、一応聞いててくれたのね。そうそう、あんたは異世界に行くの」


 それはあれか、『エ○カフローネ』みたいな――


「例えが微妙に古い」


 最近なら『リ○ロ』の方が近いかもしれない。


「空手バカのくせにラノベ詳しいな!」


 いわゆるファンタジー異世界。ということは、モンスターとかもいる?


「そりゃもう。よりどりみどりですよ」



 それを聞き、おれは決意した。


 人智を超えた魔獣との戦い――これこそ、空手を究める道ではないだろうか。平和な現代、スポーツとしての空手が隆盛を誇る中、「邪道」と言われる実戦空手を追求してきたおれである。相手を求めて世界中を旅したり、牛や熊と戦う無茶もしてきた。そのおれにとって、異世界こそ――まさに神から与えられた、試練の舞台だ!



「神ならあんたの目の前にいるんだけどね……あと、あなたみたいな転移者には、ステータスとか、裏技チートスキルとかそーいうのがあるんだけど……」



 裏技チートスキル? それはどんな武術だろうか。



「あ、やっと聞く体制になった。えっと、異世界転移者はいわゆる熱力学の第一法則を無視して、別の次元からエネルギーを引き出せるの。それが裏技チートスキル。だから超パワーの必殺技とか魔法とか、物理法則無視のヤバい技が使えるってわけ! どう? テンション上がるでしょ?」



 ――要らん。



「え?」



 おれの望みは、飽くまで空手の可能性。超人追求は自分の力でやらねば意味がない。



「えっと、でもモンスターとかヤバいよ? 火とか吹くよ? 裏技チートスキルあっても死ぬ奴いるし、他の転移者とかも……」



 たとえここで死んでも……超人の夢と四つに組んでくだけるのなら本望! ここで倒れるなら、おれの空手はそこまでだったということだ。



「いや、こっちにも都合があるから、勝手に倒れられても困るわけで……誰だよこんなやつ寄越したのは」



 おれは来たる強敵との戦いに、武者震いがした。待ちうけるのはまさに――戦いの旋風巻き起こる血染めの戦場!



「……あー、もういいや。まぁとりあえず行って来て。あたしも一応後から行くから」



 女神がそういうと、おれの意識は、その場から再び遠ざかっていった。


 * * *


 ふと目が覚め、おれは自分が固い地面に倒れ、石造りの天井を見上げていることに気がついた。



「知らない天井だ……」



 トラックにねられ、アスファルトに倒れているわけではないらしい。素肌に触れる冷たい床の感触、薄暗い周囲、そして――周りに散らばる、人間の残骸。



「なんだ、これは……!?」



 おれは驚いてその場に跳び起きる。確か、トラックとの勝負の途中のはずで――いや、その後になにか、夢を見ていたような気もするが――



「ほう……まだ生き残りがいたか」



 突然、男の声がした。


 顔を上げ、声の方を見る。そこには、女が地に伏していた。薄水色の服に栗色の髪の、その女の前には――立ちはだかる、巨大なバケモノ!


 おれに向かって喋ったのはそのバケモノかと思ったが、どうやら違った。バケモノの後ろには、男がひとり――銀色の胸当てに黒い外套マントを翻し、立っていた。


 頭がはっきりしてきて、おれは状況を理解する。夢かと思っていた、女神と名乗る何者かとの会話――



「つまり、ここがまさに『異世界』……」



 おれは思わず感嘆して、そのバケモノを見上げた。人間の3倍近くはあろうかという巨体は体毛に覆われ、はるか上に見はるかすその頭には巨大な角、大きな鼻と口。その顔は牛のようであり、またとびきりに野蛮な人間のようでもある。片手には、人間大ほどの巨大な棍棒――というよりほとんど丸太――を手にしている。おれの生まれた世界ではお目にかかれない、非常識なスケールの、これがつまり「モンスター」――



 ――ズゥン!



 地響きがした。


 そのバケモノ――牛のような角をした巨人が、足を踏み出してこちらに向き直ったのだ。



「やれ、牛頭魔人ミノタウロス



 男がバケモノの後ろから声をかけた。それに応えるように、バケモノが吠える。



「……そこの人、逃げて……!」



 倒れていた女が上体を起こし、こちらに向かって叫んだ。



「逃げる……?」



 おれは込み上げるなにかを抑えきれず、思わず口に出して呟いた。


 とんでもない。これこそまさに、求めていた状況だ。おれはその女に向かい、言う。



「……大丈夫、



 その時、俺の顔はきっと笑っていたのだろう。


 ゆっくりと息を吸い、腹に溜めて、吐く。


 両足を肩幅よりも足ひとつ分、大きく開いて踏みしめ、膝をわずかに内側へ、力を溜めるように、重心を作る。


 身体中に呼吸を循環させながら、両腕を上げ――左足を一歩、踏み出しながら、手を眼前へ。



「どんな相手だろうと……ケンカなら喜んで買うぜ」



 前羽まえばの構え――両の掌を前方へ向けて構え、おれはバケモノを迎え撃った。

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