空手バカ異世界 ~物理で異世界ケンカ旅~

輝井永澄

第1章 異世界激闘編

1.空手vs炎の魔神イフリート

 この世界には太陽が二つあるらしい。そのため、暑い地方の、それも乾季の昼間ともなると、二つの太陽が容赦なく照り付けて想像を絶する暑さとなる。


 おれがその闘いに挑んだのは、ちょうどそんな日だった。裸足の足の裏に、地面の暑さが伝わってくる。


 円形の闘技場、その周囲を埋め尽くす猪鬼オークダークエルフといった観衆たちの、憎悪を伴った熱気が空気の温度をさらに上げているようだった。



『異世界転移者を殺せ、殺せ、殺せ』――



 同胞や身内を異世界転移者に殺された魔物たちは多い。貧弱な人間が、裏技チートスキルで魔族の同胞を蹴散らす――そんな話に倦んだ魔物たちの、おれのような異世界転移者への反感は最悪のひと言だった。


 彼らが求めているのは、憎き異世界転移者が八つ裂きにされる殺人ショーだ。


 おれは目の前に立つ相手――ダークエルフの男と、この決闘デュエルの主宰者である大猪鬼オークロードとを見比べた。大猪鬼の傍らには、手を縛られた金髪の女騎士が捕えられている。



「くっ……いっそ殺せ……」



 女騎士は屈辱に耐えて唇を噛んでいた。おれがここで負ければ、おれが死ぬだけではない、女騎士も猪鬼オークどものなぐさみものになってしまう。もっとも――


 おれは殺気立つ観衆ギャラリーを見まわした。勝ったところで無事に帰してくれるとも思えない。


 おれは正面へ向き直った。観衆の殺気に応えるように、決闘の相手であるダークエルフが笑う。黒エルフは手を掲げ、なにごとか呪文を唱えた。


 宙空に光の線が浮かび、複雑な図形を形どる。形成された魔法陣が回転し、まばゆい輝きを放ち――数瞬後、そこには燃え盛る炎に全身を包まれた魔神が召喚されていた。



「あれは……炎の魔神イフリート!?」



 女騎士が叫ぶ声が聞こえた。召喚獣の登場に、観衆はさらに盛り上がる。



「おい! この闘いは素手同士の勝負という条件だったはずだ! 召喚術を使うなんて……!」



 金髪の女騎士の抗議に、大猪鬼オークロードが太い声で答える。



「なぁにかおかしいかぃね~? 彼はではないか」


「くっ……」



 おれは目の前の魔神を見た。黒い革で覆われた皮膚、山羊のような角の生えた頭、その全身に燃え盛る炎。10m近く離れたこの場所でさえ、皮膚がちりちりと焼けるようだ。


 おれは女騎士の方へ向かい、言葉を投げる。



「心配するな。空手を信じろ」


「なにがカラテだ! なんだか知らんが、炎の魔神イフリートに素手で勝てるわけが……」



 そう訴える女騎士の声をかき消すようにゴングが鳴った。


 炎の魔神は、ゆっくりと横に移動する。これがただのラノベなら、迫力溢れる描写で魔神がすぐ突進してくるだろうが、実際の魔物モンスターはいきなりそんな行動には出ない。こちらの動きを見定めるように、猛火の奥から冷たい眼を光らせ、機を伺う。


 おれは両の掌を正面に向けた構え――前羽まえばの構えを取り、その場で待った。信じろとは言ったものの、うかつには手を出せない。なにしろ、相手は燃えているのだ。素手で下手に触れれば、文字通りの大火傷だ。


 炎の魔神がふと、足を止めた――と、見るや、一瞬のタイミングでその長い腕を振り、こちらへ一気に飛びかかる。


 熱波が頬をかすめた。体を捌いて直撃は避けたものの、これをまともに喰らったら――そう思うと背筋が凍った。3メートル近いその巨体からの一撃。かすめるだけでも皮膚が焼け、受ければ一撃で頭蓋が砕けかねない!


 2発、3発と振るわれるその攻撃。しかし、その軌道は単調だ。避けるのはたやすい。おれはその燃える腕をくぐり抜け、すばやく距離を取り――


 と、その時、跳び退ったおれに向かって突然、炎の魔神がその口を大きく開く。



 ――ゴォッ!



 そしてその口から吐き出される炎の塊!


 滝のように巨大な炎の流れ。不意に浴びせられたそれは、瞬時におれの全身を包む。空手着の下の肉体までも消し炭にしようとするその炎、その瞬間、観客たちがどす黒く残忍な喜びに酔い、女騎士が悲痛な叫びを上げるのが聞こえた――



「……ぬぅぅん!」



 その一瞬、俺は両の掌を大きく、身体の前で旋回する!


 そして炎はおれの手前で、渦を巻いてかき消えた。無傷でその場に立っているおれに、一転して客席が静まり返る。


 「廻し受け」――身体の前で両腕を交差させながら、内側に大きく円を描き、敵の攻撃をさばく。円の動きによりあらゆる衝撃を受け流すこの技は、完成させれば炎のような不定形のものさえ、その流れを変えて受け流すことが可能となる――それは空手の受け技の、基本にして奥義!


 必殺の炎がかき消され、魔神が動揺したわずかな隙。それをおれは逃さなかった。



「はぁぁっ!」



 後ろ足を瞬時に引き付け、敵に向かって前足を大きく踏み込み――瞬時に敵の懐へ。そして魔神の燃え盛る身体へと、腰だめから拳を繰り出す!



「だめ! 防護魔法もなく炎の魔神に触れたりしたら、一瞬で腕が灰に……!」



 女騎士が叫ぶ、しかし、もう遅い。おれの拳は炎の魔神へと奔り――!



 ――パァァン!



 次の瞬間、乾いた音と共におれは突きを打ち終わり、そして――魔神がその全身に纏う炎は、煙を残してかき消えていた。



 数メートル離れたロウソクの火を、正拳突きで消す――空手家が行うそうしたデモンストレーションを見聞きしたことがあるだろうか。


 よく誤解されるのだが、あれは拳の起こす風圧で火を吹き消しているわけではない。正拳を突き、伸びた腕を素早く引き戻す――音速にも迫るその一瞬の突きによって、弾かれた空気が真空状態になる、その衝撃ソニックブームが酸欠状態を起こし、炎を消すのだ。炎の魔神イフリートが身に纏う炎とて――その例外ではない!



「ちぇやぁぁぁぁーっ!」



 一発目のにて消えた炎、そこに間髪いれず正拳五段突き! 一瞬にして叩きこまれた必殺の一撃×5発。その衝撃に、魔神の身体は大きくぐらついて頭が落ちる、そこへ――



 ドガァッ!



 とどめとばかりカウンターの飛び膝蹴りが、魔神の顎を砕いた。


 いかに魔神であろうとも、人の形をしている以上、急所は同じである。しこたまに脳を揺らされ、顎を砕かれ、魔神はついに――地響きを立て、倒れた。


 着地、そして残心。


 あれほど騒がしかった観客席がしん、と静まり返っている。


 観客席が暴動になった場合、あの大猪鬼オークロードを人質にして切り抜けるか――おれはその時、そんなことを考えていた。だが、結果から言えば、それは必要なかったのである。



「すげぇ……!」



 客席にいた猪鬼オークの一人がそう呟いた声が、乾いた空気の中に響いた。


 それを皮切りに、客席のそこかしこからざわめきが起こり、そしてそのざわめきはいつしか、歓声へと変わっていった。



「これは……」



 女騎士は不思議そうな顔をしていた。先ほどまで、「異世界転移者を殺せ」と言っていた魔物たちである。それが今は、目の前の出来事に驚嘆し、歓声を挙げている。


 自分たちよりも貧弱な人間が、武器も魔法も裏技チートスキルも使わず、肉体だけで強力な魔神を倒してみせた――そのことに、空手の技への純粋な感動が、そこにはあった。


 元来、魔物たちは素朴な性格なのだ。力のないものを軽蔑しもするが、反面、力あるものには惜しみない賞賛を与える。それが彼らの性分なのだと、この頃にはおれも理解していた。


 いつしか、歓声はひとつの言葉を成していた。



 ――神の手ディバイン・ハンド! 神の手ディバイン・ハンド



 その後、私の二つ名として広く知られた「神の手ディバイン・ハンド」、または「その手の者ザ・ハンド」という称号は、まさにこの時生まれたと言っていい。


 おれはこの時、この遠い異世界の地で、種族さえ超えて空手の心が伝わったことに感動していた。


 大猪鬼オークロードは苦々しい顔をしていたが、女騎士を解放した。この状況下で約束を反故にすれば、観客の敵意が自分に向くと考えたのだろう。



「すごい……」



 女騎士はおれの元へやってきて、観客たちを見まわした。



「そして、貴公の技……素手で魔神を倒すなんて……」



 女騎士は信じられないといった様子で私の手――拳ダコに覆われた拳を見、ぽつりと言った。



「カラテとは……なんだ?」



 「空手とはなにか」――異世界の強敵たちとの戦いの中で、おれ自身、この言葉に向き合っていくことになる。


 実戦で使える空手の技を追求し、相手を求めて異世界のモンスターたちと戦いまくった――この話は事実であり、これはひとりの空手バカの、真実の物語だ。

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