五話 欠缺

「……あんなに大きな文字で書かれた看板が目に止まらない者が、アレの他にもいるとはな。参考までに聞くが、どうやって入った?」

「や、これで?」


 ガチャリ、と昼食を手に屋上のドアを開けて和は目を丸くした。そこには、焼きそばパンを片手に呆然と立ち尽くす翔の姿。呆れ顔で問う和に観念したように翔が示した答えは、ズボンのポケットから取り出されたなんの変哲も無い一本の針金だった。


「そんなもので開いてしまうのなら、管理する側にも責任があるな」


 確認の為になるべく静かにドアを閉めて、鍵を差し込む。 すると、鍵以外のもので強引に開けた割には特に引っかかりなどなく、ドアはスムーズに施錠された。和は、眉を顰めて翔を見やる。


「んな怖い顔せんといてぇや。生徒会長さんとて生徒である以上、同罪やん」

「そうだな。まぁ、元より咎める為に来たわけではない」


 対して翔は、手段はどうあれ看板無視っとることに変わりあらへんやん、と焼きそばパンを放り込みながらひょうきんな顔で笑った。和は確かに、と溜息をつきつつ同意を示す。


「眉間にシワ寄せとったら、説得力あらへんて。けど、会長さんの胸に秘めといて貰えるんなら構わんわ」

「言われずとも。そうしなくては、私も困ったことになる……にしても、器用なものだな」


 ジワジワと隣に並ぶくらい近くまで歩いてきて、和は唐突に翔に向けて手を伸ばした。しかし、寸前のところで空を切る。借り物やから堪忍、と苦笑して告げた翔は完全に見切っていた。身体ごと半歩引いて手にしたままだった針金をさっと元のところに仕舞う。


「別に……必要やっただけや。会長さんの言う、アレと同じで」

「隠れる場として、か?」

「やっぱ、知っとるんやな」


 バチッと目が合って、冗談まじりの軽口を吐いていた時とあからさまに声のトーンが変わった。すっと、翔の目が鋭く細まる。


「アレとは貴様より長い付き合いだからな。この間も、生徒会室に忍び込んでいた」

「ふぅん?割とどこでも開けてまうんは一緒やけど、なんかちゃうわ、やっぱり」

「貴様も、知っている様だな」

「言うとくけど、仕向けてきたんはアイツの方からやで」


 それでも、和は臆することなどなかった。漆黒の瞳に苛立ちが募る。暫く相対して翔は、徐にサマーカーディガンを脱ぎ捨てた。まだ、生ぬるい風が晒された素肌を撫であげる。


「見ての通り、半袖やと面倒事が起きんねん」

「確かに、ソレを見られれば騒がれるだろうな。だから、隠れ場所なのだろう?」

「せや、保健室以外で誰にも邪魔されへん場所……立ち入り禁止場所なんかはうってつけでな、よう一緒にサボっとってん、半袖着られへんもん同士で。やのに……」


 翔はシャツの胸ポケットから、例の写真を取り出し叩きつけるように差し出した。勿論そこには変わることなく、幼い顔をした隣席の姿が映し出されている。赤と白のコントラスト。けれど、和に、動揺などは見られなかった。ただ、ふと視線が外れる。


「衣替えから半袖を着ているな、アレは」

「……ほんま、驚いたわ。あん時はあんなに必死に隠しとったんに。ちゅーか、痕って消えるもんなんやな」

「日常的に繰り返された虐待を受けた痕、だろう?もう貴様が虐待を受けなくなっていると仮定してその残り様では、普通に考えて消えているはずはない。そういうことだな」


 ズルズルと座り込みながら力なく笑みを浮かべる翔に、正論が降り注がれた。パッと顔が上がる。再度かち合った和の瞳には、相変わらず迷いなどない。和の方からも、すっと一枚の写真が翔へと差し出された。よく似た笑みを浮かべた、在りし日の二人が写っている。


「……これでも一応始業式の日に気ぃついたで、双子やって」

「では、どちらがどちらか分からない、と?」

「片割れには会うたことないさかい……ちゅーんは言い訳に過ぎんな。現に今、隣席のアイツがどっちなんか分からんねやし」


 グシャグシャと乱暴に頭を掻きながら、今ひとつ決め手に欠けるんやと翔は続ける。その様子を見て和は、腕を組んで転落防止柵に背を預けた。


「ならば、聞いてみれば良いではないか」

「やけど……あれからこっち、来てへんねん。知っとると思うけど」

「その言葉、そのまま返そう。アレの行くところなど、一つしかないだろう?言葉にしなければ、伝わらないぞ」

「!!」


 宙に浮いた悪魔の如き甘言は、慌ただしい駆け音に上書きされる。欣快きんかいに堪えない相貌は、ただ遠くで鳴っていた雷を聞き入っていた。

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