二話 手紙

 全速力で帰路を駆け、自室へと飛び込んだ翔は床に座り込んだ。ガクガクと、どうしようもなく震える身体を、守るかのように掻き抱く。


「櫂が、生きとる……?」


 無意識的に音にされた言葉は、すぐに宙に溶けた。真っ青なままの顔から、ダラダラと冷や汗が落ちていく。翔は身体の震えを抑えられないままもぞもぞと動いて、机の引き出しを開けた。奥の奥から引っ張り出したのは、差出人のない封筒。


『ねぇ、君、なんて名前?』

『僕は、土河 櫂。君は?』

『津崎 翔だよ。櫂はとてもキレイな目をしてるね』


 まだ標準語を話していた時の、朧げな記憶を手繰り寄せる。一度見たら忘れないだろうインパクトのある蒼眼と、茶色がかったサラサラな金糸。そして、いつも遠くを見ていた、どこか寂しげな笑顔。今日見た顔より少し幼いが、躊躇なくすっと重なる。


『ねぇ、翔は、兄弟いるの?』

『いや、一人っ子。櫂は?』

『僕は、自慢の兄が一人。遠くに、住んでるんだけど』

「……せや、確か兄がおるて言うとった」


 何時ぞやの思い出の一つが、翔に幾分か冷静さをもたらした。封筒の中にはメモ書きのような一枚の紙切れと、

写真。滑らせるように、少しずつ封筒から出していくもすぐに止める。


「兄貴って、一卵性双生児ちゅーことかいな」


 たとえ閉じられた瞼に瞳は隠れ、茶色がかった金糸と雪に、半分以上が埋もれていても、その顔は何度か見たことのある寝顔そのもので。けれど、雪に埋もれて眠るなど物好きしかしないだろう。震える指でもう少し出していけば、中央が鮮明な赤に染まった。まるで一面に広がる白の一部を、切り取るが如く。


「せやけどなんで……」


 こんなもん届けに来たんやろ、という尤もな疑問は肺腑に消えた。五年前の、翔が引っ越したちょうど一ヶ月後の日付の写真と、切手もない封筒。悪戯にしてはたちが悪いし、何より手が込みすぎている。

 更にいえば、翔は櫂の兄とは全く面識がなかった。にもかかわらず、死体にしか見えないものが写った写真を、わざわざポスティングするなんてーー憎悪にも似た執念を感じて翔は三度、身を震わせる。写真と一緒に滑り出てきた紙切れには一言、ドイツ語でアレスリーベ、"愛を込めて"へと書かれてあった。

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