バッサーニオを聞きながら
犬公方段々
バッサーニオを聞きながら
もしかしたら今日、憧れの人に出会っちゃうかも。
と思いながら、家を出た。
書を捨て、街を歩き、
そして劇場へ行く。
当日券が無いことは知っている。
◇
「あの、この劇場って、24歳以下の割引システムがあるって聞いたんですけど・・・」
と、受付の人に言うと、
「ちょっと待ってくださいね」
うん、それが聞きたかったの。
奥に引っ込んだ受付の人の背中を見ながら、ありがとう、できればとっても手こずって、と少し念じた。
もう上演が始まった演目は、なんでか知らないけど、マイクを通してロビーに音が響き渡っている。
なんでなんだろうな。劇場ってみんなこんな感じなのかな。あ、もしかして今、受付の人たちは休憩時間なのかな。お客さんが入って、開演のブザーが鳴って、暗転して、俳優が舞台に立つ。そう、そこまでがスタッフのお仕事で。そこから1時間ちょっと休憩。コーヒーでも飲みつつ歓談してたら、「あ、いま、舞台の上で「バッサーニオ!」って言ったよね、死んだよね。」「あーそろそろか」「はーい、あと10分で休憩入るんで、みなさん位置についてください」とか言われんのかな。
ロビーでしばし佇む。興味のないチラシを指でめくる。誰に見せるわけでないイヤリングで耳が痛む。
と、声が聞こえた。
確かに、膜が震えた。
スピーカーをみた。響き渡ってる。ロビー全体に鳴り響いてる。大きな声で、ちょっと怒ってる、ううん、ちょっと泣いてる?
ねえ、好きな人の声だ。
「好きな人」と、マスクのなかで口をパクパク動かしたら、はじまってもいない恋がリズムをつけて跳ね始めた。
好きな人は、舞台の上にいます。
◇
あの、あのね、ちょっとだけダサいことを言うと、まだ「好きかも」なんですよ。
演劇って見たことなくて。しかも高いじゃないですか。むつかしそうだし。わたし年収高くないし。出せないですよ、そんな簡単に。だから今日確かめに来たんです。あの人が本当か確かめに来たんです。あの人が、画面の中のあの人が本当に俳優なのか。
こんな風に思うのは、こないだあの人が週刊誌に撮られてたからです。どういう内容かはネットで読んでね。わたし、その記事見たとき、「あー、週刊誌に撮られるぐらいには頑張ってるんだー」って思ったんです。頑張ってるんですよ、あの人。だってどうでもいい人なんて、みんな、どうでもいいでしょ?駅前で絡み合ってキスしてるどうでもいいカップル、撮らないでしょ、誰も。だからね、全国のどこにでも置いてあるあの雑誌の、ザラザラの紙に載れるだけで、すごいんです。選ばれた人なんです。本当に頑張ってるんです、あの人は。
そんなことを思いながらわたし、スワイプして、つぶやきました。
「週刊誌見たけど。普通撮られるかね。ああいうの本当にダメだと思うの。だってさ、真面目にやってたら、そんな不手際わかるわけないじゃん。あのさ、わかるのがダメなの。わからせないようにすること含めてプロでしょ」
100個ぐらい、「いいね」がつきました。
普段と違うケータイの震え方に一喜しながら、ふと、気がつきました。「いいね」欄に並ぶ、みんなのアイコンに。みんな、あの人の顔でした。あの映画の時のあの人。あの雑誌の時のあの人。共演者がインスタにあげてくれた時のあの人。あの人、あの人、あの人!…あの人の顔ばかりでした。
あー、なるほどね。この人たちみんな、あの人のことが好きなんだ。アイコンにしちゃったりね。あの人の苗字と自分の名前組み合わせちゃったりしちゃったりね。うん、わかる!あーわかる。超超わかるし、ほんとマジで
馬鹿か?
馬鹿なのか?お前ら全員。いやていうか馬鹿でしょ。え?なんでそういうことできるの?お前、自分の顔、鏡で見たことある?お前、そんな田舎に住んでるの恥ずかしくないの?お前、ネットに転がってる動画見ただけだろ?どうしてあの人の写真使えるの?どうしてあの人の苗字名乗れるの?どうしてあの人のこと「好き」とか言えるの?痛くてキモくてブスなお前らが、どうしてあの人に近づけると思うの?何を?何を考えて?何を?どうして、ねえ!
お前らみんな死んでしまえ!!!!!
気がついたら全員のことブロックしてました。
◇
「あ、割引なんですけど、5階のチケットセンターでできるので、そっちの方に行っていただけますか?」
受付の人にそう言われて、軽く会釈をした。
できるだけゆっくりと踵を返す。
ロビーにはまだ、あの人の声が鳴っている。
今度は笑ってるね。でも少し泣いてるの?
わたしね、心配なの。赤ちゃんみたいな君が。子供みたいに素直な君が。パパとママに愛されて、すくすく育った君が。どうしたらずっとその笑顔でいてくれるのか。
週刊誌、怖かったよね。ネットでいっぱいひどいこと言われて、傷ついたよね。守ってあげられなくてごめんね。君のこと、本当に大切なのに…。わたし、
わたしね、隠してくれたら許してあげられるの。ううん本当はもうね、許してるの。全然なんともないよ。わたし、何があっても、ずっとずっと、君の味方だよ。だから今日確かめにきたの。本当に君がちゃんとしてるのか。本当に一生懸命なのか。本当に俳優なのか。本当に、本当に、本当に…!
ほんとうに君が存在するのか。
◇
「バッサーニオ!」
と、ひときわ大きな声が響いた。
受付の奥がにわかに騒がしくなる。
「あ、「バッサーニオ!」きたね」「今日もいい死にっぷりだね。」「あーそろそろか」「はーい、休憩入るんで、みなさん位置についてください」
慌ただしく動き出したロビーと、スピーカーから鳴り響く拍手。
君が受けている拍手。あの劇場の奥の扉に、君はいま、存在している。
いま君は舞台の上で、どんな顔をしてるのかな。
◇
帰り道で、朝捨てた週刊誌を拾いなおした。
書は捨てるならゴミ箱へ。
そう思いながら、なぜか、わたしは、きちんとそれをカバンにしまった。
もしかしたら今日、好きな人に出会っちゃったかも。
私の好きな人は、俳優。「バッサーニオ!」って言って死ぬ、俳優です。
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初めて小説を書きました。ガチ恋の女の子、初めて世田谷パブリックシアターへ行く、の巻でした。
バッサーニオを聞きながら 犬公方段々 @girlsmetropolis
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