第2話 晴れときどき人

【1】

「明日の進路相談でちょっと言ってみようかと思うんだけどさ。

俺、どっちかっていうと、

サラリーマンなんかより指導者向きだと思うんだよな」

「うん。高橋はリーダーシップあるからね」

「将来、万が一、俺が国を建てたとしたら、

修一の家には優先的に良い牛肉を配給してやるからな」

「え、指導者って王様の話なの?」


閑散とした放課後の教室、窓際の席。

ぼんやりとした目の近藤修一は、高橋省吾と今日もまた、

貴重な青春の一ページを破いてドブに捨てていた。


「でもさ、さぞ難しいんだろうな。国を治めるっていうのは」

「そう思うよ」


高橋はいずれ登りつめるかもしれない頂へと、深刻な表情で思いを馳せる。


「まず、税金ってどんくらい取ればいいんだ。一人ごひゃくえ」

「近藤君、ちょっといい?」

「ん?」


いつの間にか山田が隣に立っていた。

自分の話をぶつ切られた高橋は、不快感もあらわに山田をねめつけたが、

逆に怖い顔をされて、つい小声で「あ、すみません」と言ってしまった。

尖らせた目を元の形に戻した山田は、モジモジと体を揺らして、何か言い淀んでいる。

修一は、既視感を覚えながら机に伏せていた体を起こした。


「どうしたの、山田さん」

「うん、あのね。なんかね」


山田の細く白い指が、ためらいがちに窓の外を指し示した。

修一と高橋が揃ってその先を追うと、

暮れなずむグラウンドの向こうに毎日見慣れた校門が立っていて

その真ん中から長さの違う二本の影が、こちらに伸びているのが見えた。

影の根元には、北高の制服を着て、

足を肩幅より大きく開いた女子が二人、ふんぞり反って立っている。

下校する生徒達が、レモン汁を嫌がるアリのように大きく迂回していく。

高橋がプリントで西日を防ぎながら、目を細めた。


「増えてんじゃん」

「さて、と」


修一は粛々と鞄に教科書を詰めると、椅子を鳴らして立ち上がった。

物言わぬ高橋と山田の瞳が、逐一その所作を追っている。

視線に応じず、教室の入り口まで歩くと、

修一は「じゃあ、また明日」と日常に手を振った。





帰り道に通る商店街は、地方にしてはまだまだ活気がある。

身長に統制の取れていない三人は、

一番小さい修一を捕まったグレイのように挟んでその街路を歩いていた。

もう数分のんびりと足を進めれば、

左手側に最近ひいきにしている喫茶店が見えてくる。

今日の買い食いの支払いは、戯れが過ぎた年長者達の負担で既に決まっていた。


「なんであんなことするのさ。二人して不良漫画の表紙みたいになってたよ」

「え。私、格好よかった?」

「よくないよ」


見当違いな姉を一言で切り伏せた修一を、

かすみは微塵も悪びれずににやけて見下ろしている。


「いや、この前一回やっちまったから、二回も三回も同じかと思ってさ」


修一は、モデルが何なのか分からない抽象画を見るような目で、

かすみの顔を仰いだ。

やたら楽しそうな小百合が、片手を顔の前に上げてお詫びのポーズをとった。


「あはは、ごめんね。かすみが、ああしてると修ちゃんにハクがつくからって」

「ハクを押し付けないでよ。

 姉さんなんか『今度は幹部も来たぞ』とか、こそこそ言われたよ」


もう外しているが、先ほど小百合は、

健康体であるにも関わらず大きなマスクをつけていた。

修一には、悪ふざけを具現化したマスクにしか思えなかった。


「幹部と総長のお迎え付きって、僕そろそろ北高軍団期待の新人扱いされちゃうよ」

「私、幹部じゃないよ」

「アタシも総長じゃないぞ」

「僕だって期待の新人じゃないんだよ。だいたい姉さんのあのマス……」


不毛なお説教が続く中、修一が不自然なタイミングで言葉を止めた。


「? どしたの修ちゃん」


小百合が覗き込むと、修一は逆に「え、何が?」と不思議そうな顔をして問い返した。


「今、何か言いかけなかった?」

「あ、うん。いいんだ、店ついちゃったから」


喫茶店の外観は西洋の民家風で、商店街の並びの中では少し浮いていた。

道の反対でらっしゃいらっしゃい言っている

顔なじみの八百屋に軽く頭を下げてから、

修一はシルバニアなお家に体を向けた。


「兎に角、二人とももうやめてよね、ああいうの」

「うん。かすみはやると思うけど、私はもうしないからね! 多分ね!」


喫茶店の扉を豪快に開きながら小百合が、「たのもう!」と威勢のいいことを言って

和やかなカウベルの音を台無しにした。


修一が右の耳たぶを触りながらそれに続く。

最後尾のかすみは黙ってそれを見ていた。

昔から修一が、何か考え事をするときにたまに見せる癖だった。



【2】

あまり広くはないが木目調で統一された瀟洒な店内に、

穏やかなクラシックが上品なムードを添えている。

三人は丸い天板をしたいつものテーブルに、

いつものように等間隔の三角形で座っていた。


「修一ちゃんったら、今日も美人のお姉ちゃん二人もはべらせて。

 ジゴロねえ」


ほっそりとした腰回りに黒いエプロンを結ぶ店長が、

修一を茶化しながら目の前に緑色のスムージーを置いた。


「ジゴロって、モテる男の人のことですよね」

「そうよ。女を誘蛾灯みたいに引き寄せる罪な男の事よ」


修一はストローを口に含むと、左斜め前に視線を送る。

目が合った小百合はミルクティーの入ったカップを

音もなくソーサーに置き直して、ウフフと高貴に笑った。

喫茶店の空気に酔ってすっかり貴婦人気取りだが、

さっき入り口で「たのもう!」とか言っちゃったので、

それはもう無理だよと修一は胸を痛めていた。


「今からこんななら、修一ちゃんはきっと女泣かせになるわねえ」

「でもあの貴婦人の方は、実の姉ですよ」

「あら、今時そんなのナンセンスよ」

「そうよ、修ちゃん。ウフフ」

「愛ってね、いろんな形があるの。

 大人になると分かったり、分からなくなっちゃったりするのよ」

「ウーフフフ」

「小百合お前、感極まってドラえもんみたいになってるぞ。もぐもぐ」


夕食前だというのに、

かすみはチーズのたっぷり入ったホットサンドをがっついている。

小百合はかすみのことを、

もはや貴様とは住むステージが違うのだとでも言うように黙殺して、

優雅に店長へ微笑みかけた。


「店長さんは素敵なことを仰るのね。

 ミルクティマシマシで追加注文してさしあげてもよくってよ」

「あら、ありがとう小百合ちゃん。

 でも、残念だわあ。私ももうちょっと若かったら、

 修一ちゃんみたいな可愛い子、放っておかないのに」


修一はかすみから一口分提供されたホットサンドを味わっていたが、

驚いて無理やり飲み込んだ。


「そんなこと言ったって、店長さん男じゃないですか」


ダンディなカイゼル髭を器用に動かして、

店長はバチンとウィンクする。


「だ・か・ら。愛にはいろんな形があるのよ」

「あるのよ、修ちゃん。ウフフ」


たまたまカウンターに居合わせた文学少女が、

手元の単行本からすっと顔を上げた。

何かを噛みしめるようにしばし目をつぶり、その後本を鞄にしまうと、

玉将の一マス前に金を打つように、

ぱちんと五百円玉を空のカップの横に置いた。

店長が少し慌てて、その音に振り向いた。


「ごちそうさまでした」

「あら、ごめんなさい。騒がしくしちゃって」

「いえ、いいお店でした。また来ます。必ず」

「そう? ありがとうございます。お待ちしてますからね」

「はい、必ず」


何か天から使命を与えられたような引き締まった顔をして、

カウベルの音も高らかに、颯爽と外の世界へ旅立つ文学少女。

店長は頬に掌を当てて見送ったが、はっとして両手を合わせた。


「ミルクティーおかわりだったわね、

 小百合ちゃん。ちょっと待ってて」

「ええ、ナミナミスレスレまで注いでよくってよ」


いそいそとカウンターの中に戻る店長に、

貴婦人はかなりあつかましい注文をした。


「小百合、いい加減その気持ち悪いキャラやめろって」


修一がそろそろ言おうかどうしようか迷っていたことを、

かすみがズバリ口にした。

小百合はおもちゃを取り上げられた瞬間の赤子のように、

少し目を丸くした。


「気持ち悪い?」

「ほら、みてみろよ。

 お前が気色悪い真似するから鳥肌立ってるだろ」

「きしょくわるいトリハダ?」


かすみは自分の筋肉質な腕を突き出して、指さして見せる。

はじめぽかんとしてそれを眺めていた小百合の顔色が、

意味を理解して次第に赤みを帯び始めた。


「ぐっ、ぐぬぬぬぬ」

「なんかアホな成金みたいだったぞ」


かすみは思ったことを正直に言い過ぎた。

デリカシーの無い追い打ちを受けて、

俯く小百合の中で心の物差しが大きく反り返り、

ぷるぷると位置エネルギーを溜めている。

修一はここでタオルを投げ込もうとしたが、

かすみの右ストレートの方が速かった。


「小百合にゃ、

 茶碗でどぶろく啜ってる方がしっくりくるって」


修一があっと口を開きかけた時、

物差しはビィンと音を立てて解き放たれた。


「勘弁ならん!」


勢いよく立ち上がり、

小百合は鉄槌を下すべくかすみに飛び掛かって、

赤子の手を捻るように床へと取り押さえられた。


「あふん」

「そうそう、こういうのの方が小百合らしいわ」

「二人とも駄目だよ、お店の中なのに。

店長さん、ごめんなさい。すぐやめさせますから」

「いいのよ修一ちゃん。

 他にお客様もいないし、

 若いうちは滾る情熱をドンドンぶつけ合わないと」


オネエ特有の寛容さを見せながら、

表面張力で水面が浮いているミルクティーを店長が運んでくる。

一滴もこぼさずにそれをテーブルに乗せると、

夕方のニュースを垂れ流すテレビを見て、顔をしかめた。


「あら、また飛び降りたの?」

「そうみたいですね」

「おら、どうだ、参ったか小百合。参ったか」

「ノー! ノー!」


滾る情熱をぶつけ合う若者達の声がうるさいので、

店長はリモコンでテレビの音声ボリュームを上げた。


ーーしかし、この町で一体何が起こっているというのでしょうか。

  ここ数日の間に九人もの方々が、

  まったく同じ方法を用いて、

  自ら命を絶ってしまっているわけです。


アナウンサーが沈痛な面持ちで、一連の事件の異常性を報じている。

映像が切り替わると、九人目に亡くなった男性の職場の同僚が、

目を離した一瞬の間に窓の外に消えていましたとか、

今日は飲みに行く約束をしてたのにとか、インタビューに答えている。

画面はスタジオに戻った。


「うちの町も、こんな話題で全国区になってもねえ」

「……はい」


修一は店長のぼやきに、呆けたような声で応じた。

その目は、アナウンサーとゲストのやり取りに釘付けになっている。


ーー亡くなった方々の間には、

  今のところ関係性が認められないということですが、

  つまり示し合わせて行われた、

  いわゆる集団自殺のようなものとは違う、という事でしょうか。

ーーええ、ただね、今はこれだけのネット社会ですから。

  なんらかの方法、例えば普通の検索サイトではひっかからないような

  闇掲示板みたいなものを使ってですね、

  計画することは可能だと思いますよ。

ーー闇掲示板ですか。強そうですね。

ーー強くはありません。


「いつも思うんだけど、このアナウンサー。よく降ろされないわよね」

「……はい」


ーーそして、もうひとつ大きな共通点ですが、

  皆建物の四階から飛び降りていますよね。

ーーはい、私はね、そこに何か、

  彼らの統制された意志みたいなものを感じるんですよ。


「これ、不思議よねえ。

 四階から飛び降り教みたいな教団でもあるのかしら」

「……はい」


ーーそもそも四階っていうのはね、

  自殺者がこぞって選ぶには少し足りてないんですよ。

ーーと、言いますと?

ーー確実に死ぬには高さが不十分なんです。

  死亡率も、一説では五割程度だと言われていますね。

ーー意外と助かるものなんですね。


「へえ、人間って丈夫ねえ」

「……はい」


ーー今回、九人飛んで九人即死でしょう。

  四人とは言わないが、

  一人くらい命があっても不思議じゃないんですよ。

ーーむしろ、そちらの方が自然に思えますね。

ーーだからね、公式に発表はされていませんが、

  おそらくほとんど、

  もしかしたら全員が頭から落ちていると思いますよ。

  ただね、かなりの覚悟がいりますよ、頭から落ちるっていうのは。

  本能が最も守ろうとする部分ですから。

ーーやはり先生もご経験が。

ーーあるわけないでしょう。


「今のはちょっと面白かったわね」

「……はい」


ーー私が、彼らが別々の意志を持って自殺を図ったわけではない

  と考える大きな理由はそこなんです。

  全員息を合わせて、わざわざ確実には命を絶てない場所から、

  確実に命を絶つために行動している。

  実にアンバランスな話です。

ーーなるほど。ありがとうございました。


「ああ辛気臭い、やだやだ。ねえ、修一ちゃん」


店長は風呂上りに北風を浴びたような動作で二の腕を摩り、

修一の方へと振り向いたが、彼はもうテレビを見ていなかった。

テーブルの真ん中を注視したまま、黙ってスムージーを吸っている。


「修一ちゃん?」

「あ、いえ、なんか気持ち悪い話で怖くなっちゃって」

「あら、ごめんなさい。

 そうよねえ、修一ちゃんまだ中学生だものねえ」


ようやく降参して解放された小百合が、

乱れきった髪を抑えながら戻ってきた。

よたよたと椅子に腰かけて、

目の前に置かれているミルクティーの驚異的な水量を見ると、

自分で頼んだくせに悲鳴を上げた。




【3】

「幹部と総長のお迎え付きって、

僕そろそろ北高軍団期待の新人扱いされちゃうよ」


その時、古き良き商店街を三人並んで歩きながら、

修一は姉と幼馴染の悪行に対して、非難の声を上げ続けていた。

この心臓に毛の生えた二頭の馬に対して念仏だとしても

平和な中学校生活を願えば、唱えずにはいられなかった。


「私、幹部じゃないよ」

「アタシも総長じゃないぞ」

「僕だって期待の新人じゃないんだよ」


目的の喫茶店が迫ってきた。

向かいで客の呼び込みをしている八百屋の声につられて視線を向けて

そこで修一は、違和感のある光景に思わず絶句した。


「だいたい姉さんのあのマス……」


二階建ての八百屋の屋根の向こうを女の人が歩いていた。

屋根の上をではない。屋根の向こうを歩いていた。

つばの広くて丸い、白い帽子に青い花飾りをつけて、

それを片手で押さえながらスタスタと歩み去っていく。

黒くて長い髪が生糸のように流れ、建物に邪魔されて下半身は見えないが

おそらく白いワンピースを着ていて、それがよく似合っていた。


「? どしたの修ちゃん」


視界に小百合の顔が、ずいっと大きくフレームインしてきた。

空飛ぶ帽子女の事を教えると、また姉がハゼのように食いつくと思って

修一は咄嗟に隠した。


「え、何が?」

「今、何か言いかけなかった?」

「あ、うん。いいんだ、店ついちゃったから」


その時、顔なじみの八百屋がこちらに気づいて、ひときわ大きな声を出した。

修一が、まずいと思った時、すでに小百合はそちらを見ていた。

屋根の向こう、女の背中はまだ、視界の中にいる。

だが、姉は何事もなかったように八百屋の親父に手を振って、

また修一の方を向いた。


(気づいてない?)


修一はできるだけ自然な動作を心がけて、

八百屋に頭を下げて喫茶店に体を向けた。


「兎に角、二人とももうやめてよね、ああいうの」

「うん。かすみはやると思うけど、私はもうしないからね! 多分ね!」


(姉さんが気づかなかった……いや、見えなかった?)

「たのもう!」


道場破りの作法で喫茶店に乗り込む姉の背中を見ながら、

修一は我知らず、右の耳たぶを揉み解していた。





「と、いうことがあったんだ」

「ひどい! 大変な裏切りだわ!」


その夜、修一の部屋で弟の告白を受け、小百合は大いに憤っていた。

許可もなくベッドの上にうつぶせで徹底抗議の構えをとり、

枕に顔を埋めてふごふご文句を垂れている。


「修ちゃん。近藤家においてほうれんそうは絶対義務なのよ」

「ほうれんそう?」

「そう、報告・連絡・掃除のことよ」

「確かに、掃除は大事だわ」


クッションにあぐらをかいたかすみが、

耳の穴を小指でほじりながら適当に同意した。


「でも修一。なんで今になって小百合に話したんだよ。

こいつがこうなるのは分かってただろ」

「そうよ、私はかなり面倒くさいからね」

「うん。ほら、姉さん飛び降り自殺の事気にしてたじゃない」


がばっと小百合が顔を上げた。


「そう! 超気になる! あれ絶対、非科学的事件だわ!」

「ええ? 店長も言ってたけどヤバイ宗教的なアレじゃねえの?」

「いや、実は僕も姉さんの意見に賛成なんだ」


ちょっと待っててねと言いながら、修一は学習机の上にノートを取り出すと

まだ白いページを探してぱらぱらとめくり始めた。


「今回、自殺したって言われてる人たちってさ、

みんな四階から落ちてるでしょう」

「だな」

「でも、専門家の人も言ってたけど、

やっぱり皆が皆、四階を選ぶ意味って無いみたいなんだよね。

むしろ損っていうか、そういう人たちが話をあわせて階数を選ぶにしても

もうちょっと高い所にすると思うんだ」

「うんうん」


すっかり機嫌を直した小百合が、

ベッドに腰かけて散歩を待つ犬のように体を揺らしている。

修一はブリキのペン立てからシャーペンを抜いた。


「そこで、ちょっと話が戻るんだけど、あの帽子女って、丁度頭の高さが」

「四階くらいだったのか?」

「うん。比べてないからはっきりとは言えないけど。

だから、僕もあのニュースを見てて、彼女の事思い出したんだ」

「帽子女がやったのかもしれないって?」


カチカチとシャーペンを鳴らして、修一は見開いたノートの真中を

手のひらの手首に近い場所で丁寧に抑える。


「でもね、あの帽子女って空を歩いてるように見えたから、

やっぱり関係ないかって思ったんだ。

だって飛べるなら、四階だけ狙う必要なんてないんだよね」

「そういえばそうだな」

「ただ、もう一つ気になることがあって、

姉さんがあの時、帽子女に気づかなかったでしょう」

「うん、気づかなかったっていうか見えなかった」

「姉さんってさ」


ノートをひとまずそのままに、ペンをくるくる回しながら修一が振り向くと

小百合は少し首を傾げた。


「詳しいことは分からないけど、

多分霊の『本質』みたいなのが見えてないんじゃないかなって。

だから僕からすれば変な形してても、普通の人間に見えちゃうし

隠そうとしてない綺麗な部分しか見えてないんだ」

「うん、そうかも」

「姉さんも、飛んでる人は何回か見たことあるじゃない。

僕には、風船みたいに膨らんだ頭で浮いてるように見えたりするんだけど」

「うん、私には普通の男の人が浮いてるように見えるよね」

「お前、中途半端だなあ」


かすみが制服のままかいたあぐらの足を組み直したので、

修一は出来るだけ違和感のない動作で机に体を戻した。


「『帽子女の顔の位置が四階くらいの高さだった』

そして『帽子女を姉さんが見ることができなかった』

それってつまり」

「つまり?」

「帽子女は本当は飛んでなかったんじゃないかなって」


首をかしげるかすみの方を見ずに、さらさらとノートにペンを走らせる。


「それで、たまたま手の届く高さが四階だったとしたらさ。

手ごろな高さの手ごろな窓際に居る人の頭を掴んで、

ずるって引っ張り出すとするじゃない。

そしたらテレビの人が言ってたように、頭から落ちると思うんだよね」

「なるほどー、なるほどー」


この部屋で楽しそうなのは、もう小百合だけだった。

かすみの表情から、感情の色が薄れていく。


「おい、それじゃあ、帽子女が本当は飛んでなかったってのは」

「うん」


修一がシャーペンの芯をひっこめると、振り向いてノートを二人に差し出した。


「帽子女って、こんな形してたんじゃないかな」


そこには、花飾りをつけた帽子をかぶる女性が、記号的に描かれていたが、

頭や四肢に比べると、胴だけが異常に長かった。


「でもこれって、あくまでコレが犯人だとしたらの話なんだ。

ただ、そうすれば、色々と説明がつくと思うんだよね」


かすみが横目でベッドの上に視線を送る。

小百合は、普段より明るく、深く、顔を綻ばせていた。


連続飛び降り記録は、ぴたりと十人でストップすることになった。






あの夜から二日後、かすみは小百合と共に、

修一が通う中学校を目指して歩いていた。


「修一怒ってただろ」

「うん。『帽子と青い花のこと教えるんじゃなかった』って。

ぶすっとしてて、超かわいかった」

「そりゃ、連れていくって約束してたもんなあ」

「だって、学校サボらせるわけにはいかないじゃない」

「アタシたちはいいのかよ」


派手な事件が起こった場合、必ずSNSに実況者が現れる。

ご丁寧に写真付きでさらされた住所に、かすみのバイクで急行すれば

帽子女は集まる野次馬の中心、血だまりの上で、

喝采を浴びる舞台女優のごとく、嬉しそうに両手を広げて立っていた。

修一の予想通り、小百合にはスタイルのいい普通の女性に見えた。


「でも、かすみ。今回は随分積極的に協力してくれたよね」

「ああん?」


かすみは小百合を面倒くさそうに見下ろして、再び視線を前に戻した。

数十メートル先の中学校の校門が、

お勤めから解放され、明るい顔をした生徒たちを吐き出している。


「だってほら、かすみって結構私のこと止めるじゃない」

「お前はいつも、火の中の栗まで、無駄に拾いすぎなんだよ」

「そんなこと言ったって、私って、結構心配性なんだもん」


校門の一歩前にたどり着くと

小百合がおもむろに大きなマスクをつけて、今度はサングラスまでかけ始めた。

かすみが流石にそれはヤバイだろと呟いて、修一が居る校舎の窓を見上げた。


「ちゃんと選んで拾えよ。必要なやつだけ選んで」


しばらくそうしていると、修一が四階の窓から、こちらに気づくのが見えた。



晴れときどき人 終

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