怪異を拾う

@ezobafununi

第1話 ブランコを揺らす手

【1】

「それでさ、教室に踏み込んできたテロリストがマシンガン構えようとしたから、

俺は椅子を投げつけたわけ」

「うん」

「そしたら、そいつすごい勢いでスッ転んでさ、後は簡単よ」

「へえ、相変わらず高橋は夢の中では最強だね」

「俺、夢の中では誰にも負けた事無いんだよなぁ」


放課後の教室。西の山並みに傾く太陽が、

窓際でだべる男子中学生二人を赤く染めている。


「何で俺、夢の中ではあんなに強いんだろうな」

「高橋無双だね」

「もしコーエーからオファーが来て俺が有名になっても、

修一は気軽に話しかけてくれていいからな」


眠そうな目をした近藤修一は、友人の高橋省吾相手に、

貴重な青春の一刻を緩慢と浪費している最中だった。

高橋の話は一見毒にも薬にもならないようで、本当に毒にも薬にもならない。


「それでその後さ、ビビって銃を落とした男に俺は猛然と飛びか」

「近藤君」

「ん?」


なおも続く武勇伝を、いつの間にか隣に立っていたクラスメイトの山田が遮った。

山田は普段白い肌をより青白くさせて、

自分のスカートの端を所在無さ気にいじっている。

修一が、机に伏せていた体を起こした。

水を差された高橋は、いささか不満げに彼女を見上げた。


「なに? 今、いいところなんだけど」


この後、テロリストから奪ったマシンガンを乱射して、

征圧された他のクラスを次々と開放していく熱い展開が待っている。

男のロマンを理解できない女子供に、邪魔をされる筋合いなど無い。


「俺の冒険活劇をストップさせる価値のある用件なんだろうな」

「あんたのクソしょうもない話はどうだっていいのよ」


山田からかなり強めに睨まれて、

高橋は無言のまま床のほこりに視線を逸らした。


「近藤君のこと呼んで来いって言われたのよ。ほら、校門のところ・・・・・・」

「・・・・・・ああ」


窓の外。校門の真ん中から、グラウンドに向けて長い影が伸びている。

距離がある上、逆光で少しわかり難いが、隣町の高校の夏服を身に纏い、

両腕を組んで仁王立ちするその影法師の持ち主に、修一は心当たりがあった。

下校する生徒達が極力そちらを見ないようにして、

『彼女』を大回りに避けていく。

アリの行列にレモン汁を垂らすと丁度似たような現象が見られるので、

みんなやってみよう。


「北高の女の人だったけど。

大きくて怖い感じの・・・・・・近藤君何やらかしたの?」

「あ、いや、そうじゃないんだ。あの人は」

「なんだ、かすみさんじゃん」


額にノートでひさしを作って目を細める高橋は、あっけらかんとして言った。

彼女のことを知っているようだった。


「かすみ、さん?」

「こいつの幼馴染だよ」


修一を親指で指す。


「ああなんだ、知り合いだったの。私てっきり、ヤバい人かと思って」

「ほら、この前、どっかから逃げた虎をぶん殴って気絶させた

女子高生のニュースあっただろ。あれ、あの人がやったの」

「……ヤバい人じゃない」


口元を覆って老婆のような声を出す山田に軽く首を振って、

修一は席を立つとカバンを持った。


「そんなことないよ。

でも、あんまり待たせると僕も虎みたいにされちゃうから、もう行くね」

「だな。人間があのフック食らったら、脳しょう出ちゃうもんな」

「間合いに気をつけてね」

「うん、また明日」


修一は教室の入口で振り向くと、二つの日常に手を振って、

それから背を向けた。




「かすみさん、そんな門の真ん中に立ってたらみんなの邪魔だよ」

「ご挨拶だなあ、修一」


かすみは意に介さず、寧ろたしなめられたことを楽しむようにして、

にやにやと獰猛に笑っている。

腕組みはそのままで、切れ長の目を細めて傲然と修一を見下ろした。


「わざとやってんだよ。お前がすぐ見つけられるようにって、

アタシなりに気を使ったんじゃないか」


乱雑に伸ばされた赤い髪に褐色の肌。

180cmを越える長身で肩幅もある彼女が八重歯を剥き出しにすると、

どこか野生動物じみた迫力がある。


だらしなく着崩したカッターシャツからは逞しい肩に繋がる鎖骨と、

反して柔らかそうな深めの胸の谷間が露骨に見えるが、

周囲から彼女に送られる視線は桃色というより、

もっと限りなく色素の薄い寒色に近かった。

大人しそうな少年と野獣のようなヤンキーが親しげに話すのを、

無関心を装って盗み見てはさっと目を逸らし、生徒たちは通り過ぎていく。

修一は自分が今、どのように客観視されているのか想像して、

いたたまれない気持ちになった。


「とにかく、ここを離れよう。

かすみさんと話してたら、スジもの扱いされちゃうよ」

「なあ、修一。お前、最近アタシの扱い酷くないか」

「うちの学校には来ないって約束破る方が悪いんだよ。ほら、行こう」


強引に手を引く修一に大人しく連行されるかすみを、

ギャラリーは狐にでもつままれたような顔で見送った。




夕暮れの河原を二人で歩く。

水面はおだやかで、時折小魚が跳ねると際立ってキラキラ輝くが、

修一の顔色は優れなかった。


「はぁ、きっと明日から『近藤は不良の舎弟だ』とか噂されるんだ」

「アタシは不良じゃないよ」

「そんなの、僕は、知ってるよ」


だが、かすみの見た目が筋肉質で長身で怖いギャルな上、

態度が三国志の武将みたいなので、知らない人間から誤解されても仕方がない。

当の本人はニヤついて「ハクがついてよかったな」などとうそぶいている。

修一は隣を歩きながら、うらめしそうにそれを見上げて、

何かを諦めてため息を吐いた。


「それで?」

「ん?」

「どうせ姉さんがまた妙な事に首突っ込んだんだよね?」

「お前のそういうところ特に好きだわ。話が早くて楽で」

「分かるよ。だって、かすみさんは理由もなしに約束を破ったりしないから」

「かわいいこと言うなあ、感動しちゃうだろ。おっぱい触ってもいいぞ」


すれ違った三人組のサラリーマンが、ぎょっとして一斉に振り返る。

修一はじわりと上気する顔を、俯けないようにするので必死だった。


「かすみさんがそういう事言うたびに、僕の肩身が狭くなっていくんだけど」

「だから、行くとこ無くなったらうちに来いって。養ってやるから」

「それ、マッチポンプって言うんだよ」


他愛の無い話を続けながら、二人の足は速度を緩めない。

かすみは特に修一を誘導していないが、その歩みに迷いはなかった。


「やっぱり、岩上公園なんだよね?」

「流石に分かるか」

「うん、姉さんあからさまに気にしてたから」


岩上公園は住宅街から少し外れた小高い丘の上にある。

ブランコ、滑り台、ジャングルジムと砂場、

そしてベンチが三台設置されていて、程よく緑もあり見晴らしがいいので、

天気のいい日の午後には子供連れの母親達が集まって、

井戸端会議に花を咲かせていた。


そんな近隣住民の安息地であった場所で一昨日、事件は起きた。

ブランコを漕いでいた小さな男の子が、頭から地面に落ちて首の骨を折った。

即死だった。




その日、ベンチで他の主婦達とくつろいでいた母親は、

絶叫に近い我が子の泣き声を耳にすると慌てて立ち上がり、

そして常識を超えた光景を目にして足がすくんだ。


息子がブランコに乗っている


ただ、その高さが異常だった。

鎖はもはや地面と水平を越え、空に食い込む角度で反り上がり、

揺り戻すためにゆっくりと減速している。

天高く持ち上げられ、涙や鼻水にまみれた男の子の顔は、

恐怖と混乱で赤黒く染まり、怒る猿のようにクシャクシャに崩れていた。

もはや人のものと思えぬわめき声が高い位置から丘中に響き渡り、

ブランコを遠巻きに囲む他の子供達からも、わあわあと泣き声が上がっていた。


呆気にとられたのは数秒で、

我に返った母親は半狂乱になって止めようと駆け出したが、

それでももう間に合わなかった。

大きな振り子は一度手前に高く揺れ、

強烈な風音を鳴らして再び青い空へ戻ろうとする。

その勢いは誰が見てもデタラメで作為的で、

今度こそ子供の力で耐えられるとは到底思えなかった。

母と子がもはや訳のわからない命乞いめいた叫び声を上げた。

無機質な遊具は、その哀願を特に聞き入れることなく、

小さな体をあっけなく放って捨てた。



「あの公園、最近ちょっと噂になってたんだよね。

夕方になると、誰も乗ってないブランコが揺れてるとか、

真っ黒な女の子の影が立ってるとか」

「そんなどっかで聞いたような怪談話、誰も真に受けやしないよな。

しかも、ボウズがぶん投げられたのって平日昼間だったんだろ?」

「平日はどうでもいいけど、一昨日の昼だよ。

あのニュースを見た姉さんが目の色変えてたから、嫌な予感はしてたんだけど」

「まあ、小百合はこういうの放っておけないだろうな」

「本当にもう、病気なんだきっと」


ぶつぶつと文句を言いながら、薄闇の中、

等間隔に灯り始めた街灯に沿って、二人は坂を上る。

今や明るいうちですらひと気のない岩上公園は、

息をひそめるようにしてその頂にあった。




【2】

「鈴木先生! 日誌出来ました!」

「おつかれさん、声でかいぞ」

「あはは、ごめんなさい。では、失礼します!」

「気をつけて帰りなさい。あと、まだ声でかいぞ」


近藤小百合は職員室の入口で勢い良く頭を下げると、

廊下に出て引き戸をスパンと景気よく閉めた。

担任の鈴木はそれを見送ってから、

提出を受けた日直日誌をパラパラとめくる。

隣の席の山梨が、覗き込むようにして椅子ごと身を寄せてきた。


「いやあ、近藤は相変わらず底抜けに明るいですね。今時、貴重なくらいだ」

「ええ。でもあれで、案外しっかりしてますから」

「確かに。抜き打ちテスト食らわせても、

あの子だけはニコニコしてますからね」


鈴木と山梨は年齢が近く、同期の気安さもあって、

仕事が終われば頻繁に芋焼酎で乾杯する仲だった。

二人で肩を並べて、小百合の書いた一つの日誌を窮屈そうに閲覧している。

別の用事で居合わせた文学少女が、何か天啓を得たような顔をした。


「まあ、そうでなければ親御さんも、

遠方で姉弟二人暮らしなんて許しはしないんでしょうけど」

「弟の方は来年でしたか」

「いえ、確か三個下なので、もしうちに来るなら再来ね……あれ?」


会話をしながら文字を追い続けていた鈴木の目が、

本日の病欠者の欄でびたりと止まった。

眼鏡の奥の瞳が、意外そうにしばたいている。


「どうかしました?」

「いえね、今日浦川が休んだんですけどね」

「浩二ですか?」

「いえ、そっちじゃなくて正之の方です」


ほらここ、と指をさす。


「・・・・・・あれ、でも病欠者のところ、浦川浩二になってますね」


二人同じタイミングで、同じ方向に首を傾げた。

小百合らしからぬ、小百合以外でもそうそう有り得ない、

ダイナミックなミスだった。


「慌ててたのかな」

「確かに少し急いでるように見えましたね。

いや、でも、いつもあんな感じか」


小百合は常時ハイテンションなので、その辺の判別が難しい。

鈴木は腕を組んで少し思案すると、

シャツの胸ポケットから抜いたボールペンで

『浩二』の上に二本線を引いて、『正之』に訂正した。


「まあ、勘違いくらいありますよ」

「そうですね」


笑いながら山梨が鈴木の肩を叩くと、つられたように鈴木も微笑んだ。

無表情の文学少女がメモ帳を片手に、ねっとりと観察していた。



「小百合、帰ろうぜ」

「あっれ、待っててくれたの?」


小百合が教室に戻ると、

帰り支度を済ませたかすみが彼女の机の上で豪快にあぐらをかいていた。

剥き出しの長い脚を見て、小百合の眉が八の字に曲がる。


「もー、またそんな恰好して。パンツ見えちゃうよ」

「大丈夫だよ。アタシその辺上手いから。なあ、見えてなかっただろ?」

「うん、見えなかった」


スマホをいじるふりをしながら、

ワンチャンスを狙って盗み見ていた同級生の男子が、思わず正直に頷いた。

かすみが流れるように自然な動作で彼の後頭部をスパンとはたくと、

「なっ?」と歯を見せる。

小百合もしょうがないなあと笑った。


「あ、でもごめん。今日、ちょっと行くところあるんだ」

「岩上公園か?」

「あれ、なんでわかっちゃったの?」

「なんでわからないと思ったんだよ」


非の打ちどころが数少ない小百合だが、

ひとつ致命的に困った性質を持っていた。

彼女は、噂話に怪異の香りを嗅ぎ付ければ駆けつけずにいられない、

イノシシのようなガールだった。

このハンターが今、巷で一番ホットな怪現象を見逃すはずが無い。


「ま、そういうわけだから! ごめんねー!」


せかせかと鞄に道具を詰めて、

勢いよく教室を飛び出す小百合にかすみも大股で続く。

下足室で靴を履き替えながら、

かすみは何が楽しいのかにこにこ笑う小百合の横顔を見下ろした。


「やめとけって、あれは多分危ないぜ」


校門に向かって並んで歩きながら、かすみは苦言を呈した。


「やっぱりそう思う? でも、気になるんだよねえ。それに、」

「それに?」

「あ、ごめん、ちょっと待って」


運動場の端で、陸上部が小石をアルミバケツに集めている。

小百合は自分の足元に一つ転がるごくごく小さな石を拾うと、

「こっちにもありましたー!」と集団に駆けていった。

二、三、言葉を交わして、会釈する部員に笑顔で手を振りながら戻ってくるのを、

かすみは大人しく待っている。


「お待たせ。えっと、何の話だっけ」

「修一誘ってモンハンやろうぜって話だよ」

「え、本当? そういえばハチミツ切らしてたんだよね。

また、修ちゃんから接収しないと」

「もうやめてやれよ。修一はお前のクリストファーロビンじゃないんだぞ」


鼻歌を歌いながらかすみの数歩先を歩く小百合が、

軽やかにステップを踏んでくるっと振り返った。


「でも、やっぱり、今日はだーめ」

「おいおい」


高低差のある笑顔と呆れ顔が、しばし無言で見つめ合う。

先に根を上げたかすみが、赤い髪をわしわしと掻き毟った。


「アタシもついていこうか」

「ううん、一人でいいの。いや、一人だからこそいいの」

「なんだそれ。修一にいいつけるぞ」

「えー、それは駄目だよ。怒られちゃうもん」


小百合が唇をとがらせる。

そんな拗ねた表情も、どうせバレてんだろ、

とかすみが溢すと、ですよねー、とすぐ笑顔に戻った。





綺麗な夕焼けに照らされる町を見下ろしながら、

岩上公園に続く坂道を小百合は軽やかな足取りで上っていた。

人っ子一人通らない、奇妙なほど静かな道程に、

彼女の明るい鼻歌だけがかすかに滲んで消える。

やがて公園にたどり着いた小百合は、

入り口に張られたロープに下がる『立ち入り禁止』のプレートに向かって

ごめんなさいと頭を下げると、それを少し持ち上げてくぐった。


問題のブランコは、一番奥にあった。

簡単に使えないように、

鎖は腰かけるボードもろとも上の支柱に巻き付けられてしまっている。

小百合はそれを見上げて、「あー」と意味のない声を上げた。

しばらく鉄柱を摩ってみたり小突いて音を確かめたり、

あらゆるアングルからスマホで撮影したりすると、

一仕事終えた職人の顔で額の汗をぬぐった。


そのままハンカチで顔をパタパタと仰ぎながら、

陽気な声で誰もいないブランコに向けて呼びかけた。


「ねえ、そろそろ出ておいでよ。お話しませんか」


街灯がともり始める薄暗い公園で、無人の遊具を話し相手にする女子高生。

もはや自分の存在がホラーであることを顧みず、

小百合は殊更優しい声を出した。


「こわいことしないよ。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから」


小百合は粘り強く、何度も何度も人のいない空間に向けて語り続けた。

笑ったり、おどけたり、茶化したり、

子供をあやすように表情をころころと変化させる。

それは無益な時間のように思えたが、十分、二十分と過ぎて、

ついに彼女の努力は実を結んだ。


ブランコを支える斜めのパイプは、

せいぜい大人の両掌で囲えるほどの太さだった。

その陰から突然ぬっと女の子が顔を半分覗かせた。

人が隠れられる筈のないスペースから、物言わず小百合を見上げている。


「あ、やっと、出てきてくれた! えー、かーわーいーいー!」


半分しか見えないが、長い髪を垂らす少女は綺麗な目鼻立ちをしていた。

小百合は鉄柱からはみ出した顔に視線を合わせようと腰をかがめると、

微笑みかけた。


「はじめまして、お姉ちゃんは近藤小百合っていいます。

あなたは、お名前なんていうの?」






【3】

公園の入り口で、修一は急に足を止めた。

日も完全に落ちた闇の中、

頼りなく立つ外灯の下でそのまま動こうとしないので、

かすみはいぶかしげに振り返った。


「どうした、修一」

「いや、ほら、立ち入り禁止って書いてあるから」


あまりそちらを見ずに、プレートの文字を指さす。


「お前、変なところで律儀だな」

「うん、でも姉さんは無視して入っちゃってるね」

「お、本当だ」


奥の方の、もはやブランコできないブランコの前で、

しゃがみ込んでいる白い影が見える。

公園のライトに照らされて、それが小百合の後ろ姿であることが分かった。


「おーーい! 小百合ーー!」


かすみが手を振りながら声を張り上げると、

小百合は振り返って立ち上がり、

遠目にもわかりやすく驚いたポーズをとって見せた。


「あはは、お前に気づいたみたいだな」

「うん、後でお説教しないと」


二人に向けて、ひとしきりごめんごめんと手を合わせて

謝るジェスチャーを繰り返すと、今度はこっちに来い来いと手招きしている。


「しょうがねえなあ」


応じてロープをまたぎ越えようとしたかすみの腕を、修一が掴んだ。

振り向くかすみに首を振って、修一は姉に聞こえるように大声を出した。


「姉さん! ここは立ち入り禁止だよ! 姉さんの方がこっちに来なさい!」

『はいっ!』

「なんか犬のしつけみたいだな」

「僕だってこんな言い方したくないよ。まったく」


雷に打たれたように直立した小百合が、慌てて鞄を拾うと、

ブランコに向けて二度ほど手を振ってから、ボールを咥えた犬のように走ってくる。


「……おい、今あいつ何に手を振ったんだ。もしかして、もうなんか居るのか」

「うん、居る。女の子と男の子みたいだ」


少女の隣の男の子は首が完全に90度右に折れていたが、

修一はそこまで説明をしなかった。

かすみが腕を組んで、見えないものを見ようと目を凝らしている中、

えへへとばつが悪そうに笑いながら小百合が駆けつけた。


「いやあ、どうもどうも、修ちゃん、ご機嫌あんまり麗しくない感じで。

もー、かすみってば何チクってるのよ、かすみのバカ。バカ筋肉」

「アタシは警告したぞ。修一にいいつけるぞって」

「かすみって本当に融通が利かないアホマッスル」

「やめなよ姉さん。そもそも姉さんが悪いんだから。

バカマッスルだなんて筋違いだよ」

「おい、混ざってんぞ」


よっこいしょと姉がロープをくぐるところまで見届けてから、

修一は再びブランコの方に目を向けた。

男の子と女の子が手をつないで、こちらを向いている。

かすみは目をこすったり、首を前後にゆらしたりして頑張っているが、

やはり無機物以外何も見えない。


「それで姉さん、あの子と何話したの?」

「え? あ、うん、あのね、あの女の子の方がジュンコちゃんで、

男の子の方がケンイチくんって言うんだけど」

「うん」

「ジュンコちゃんは、いつもこの公園にひとりぼっちで居たらしいのね」

「うん」

「でもなんか、最近よく遊びに来るケンイチくんのこと気に入っちゃったみたいで、

思いっきりブランコを揺らしてあげたんだって」

「うん」

「そしたら、思ったより揺れちゃって、ケンイチくん落っこちちゃったって」

「うん」

「でも、今は二人ともおばけだから、仲良くできてうれしいって」

「うん」

「おいおい、勝手な話だなあ。ボウズもボウズの母ちゃんも可哀想だろ」


やるせないようにぼやくかすみに、小百合も苦笑いで頷いた。


「うん、でも悪いことしたって分かったみたいだから、もう絶対にしないって」

「そっか。……あのさ、姉さん」

「なに、修ちゃん? って、あら」


修一は姉の話に相槌をうちながら、ブランコの方から一度も目を逸らさなかった。

厳密にいうとブランコの方からゆらゆらと不自然に蛇行しながら、

こちらに歩いてくる女の子から目を離さなかった。

小百合もジュンコちゃんが近づいてくるのに気が付いた。


「どうしたのかな、何か言い忘れたことでもあるのかな」

「姉さん」

「え、あ、ごめんね修ちゃん。それで、何?」

「姉さんには女の子と、男の子が見えてるんだよね」

「うん。可愛いジュンコちゃんと、ちょっと首が曲がっちゃってるケンイチくん」


ケンイチ君の惨状を聞いて、かすみが傷んだ牛乳を口に含んだような顔をした。

修一は念を押した。


「可愛いジュンコちゃんと、首が曲がったケンイチくん。だけだよね」

「え?」

「あのね、姉さん。さっき姉さんがジュンコちゃんから聞いた話なんだけど」


修一がそこで少し躊躇った。


「おい、修一。まさか……」

「うん。全部嘘みたいだ」


十人や二十人ではなかった。

立ち入り禁止のロープの向こうに、

首が折れたり、めり込んだり、頭のどこかがへこんでいたり、割れていたり、

生きている筈が無い外傷を負った子供たちが、ぎっしりとひしめいている。

修一だけに見える景色のなかで、

女の子はその間を縫うようにして少しずつこちらに近づいてくる。


「彼女、ケンイチくんだけじゃないし、きっとこの公園だけじゃない。

何十人も、もしかしたら何百人もいろんなところで子供を殺してる」


小百合は『ジュンコちゃん』を可愛い女の子と称したが、

修一の視界の中ではそれはおぞましい化け物だった。

確かに整った顔立ちをして、華奢な体をしているが、その右腕はドラム缶より大きく肥大化していて、

シオマネキのようにアンバランスだ。

あれでブランコを揺らすんだなと、修一は眉をひそめた。


「ねえ、あの子、修ちゃんの方見つめてない?」

「うん、きっとばれたんだ。僕が姉さんより見えるって」

「ここで見逃したら危ないよね」

「きっと、やめないと思う。もっともっと、人を殺すよ」

「じゃあ仕方ないよね」


姉弟の間で何かが決まって、小百合の笑顔が少し曖昧になった。


「じゃあ、悪いけどかすみ。修ちゃん持って行っちゃって」

「やれやれ、やっぱこうなるのかよ」


蚊帳の外にいたかすみは、

何の断りもなく修一を米俵のように担ぎ上げると一目散に坂を駆け下り始めた。

強靭な脚力を活かした止まる時のことを考えない猛ダッシュに、修一はたまらず悲鳴を上げた。


「ぎゃーーーっ! 姉さん、右腕に気を付けてよーーーっ!」


それでも姉にエールを送ることを忘れない修一に、

姉弟愛っていいもんだなあとかすみは鼻を一啜りすると、再び疾風と化した。





残された小百合は、ジュンコちゃんとロープ越しに見つめ合っていた。

ジュンコちゃんは不思議そうな顔で、小百合を見上げている。

どうして黙ってるの、お姉ちゃん。と、頭の中に言葉の意味だけが伝わってきた。


「駄目だよ、もう。そんなかわいい顔したって、分かっちゃってるんだから」


微笑む小百合の声は、どこまでも穏やかだった。


「ねえ、なんで嘘ついたのかな。最初から言ってくれたらさ」


小百合の言葉を遮るように、突然ジュンコちゃんが右手を振るった。

小百合の目には、ただ空気に手刀を入れたような、

おまじないめいた動作にしか映らなかったが、

ジュンコちゃんは巨大な右手を打ち下ろしたに違いなかった。

パアンと破裂音がして、はじけた。


「最初からそうやって、隠し事しなかったらさ」


はじけたのはジュンコちゃんの右腕の方だった。

よろめいて後ずさる少女の方から目を離して、小百合は無防備にロープをくぐる。


「そしたら、もっと早くこうしてたのに。

修ちゃんにも嫌な物見せなくてすんだのに」


ジュンコちゃんはブランコの方に踵を返したが、小百合の方がずっと速かった。

うっすらと光る右手で、ジュンコちゃんの長い髪の毛を掴み引き戻すと、

聞き分けの悪い子にするように振り向かせて、

最初出会った時と同じ、腰をかがめる動作で目線を合わせた。

小百合は笑顔だった。


「でも、ありがとう。お姉ちゃんね、これからはちゃんと気を付けるようにする。

だって、あなたたちみたいなのって、

放っておいたらみんな修ちゃんのこと狙うんだもの。

一つも逃がせないよ」


両肩を拘束していた小百合の光る両手が、

ジュンコちゃんのほっそりとした首に回った。

接触したところからジクジクと音を立てて、うすく煙が上がる。

小百合はなんとなく、今日の放課後、

陸上部を少しだけ手伝ったことを思い出していた。

小石を拾いながら、陸上部の人たちが言っていた。


踏むと危ないからね。こういうのはちゃんと取り除かないと。


ぐっぐっと指が食い込んで両手の輪っかが段々小さくなる。

圧縮されつくした柔らかい肉の奥にあるごつごつしたものが

左右にスライドするようにゴキンと折れた。

手を離すとジュンコちゃんは力なく崩れ落ちて、それから薄れて消えていく。


「でも、やっぱりこれは、修ちゃんに見られたくないかなあ」


もう何も残らない地面を見下ろす。

小百合の顔に浮かぶのは、

グラウンドに転がる小さな石を拾った時と同じ笑顔だった。









近藤家の夕食の席。

ライスが隠れるカレーと綺麗に盛り付けられた瑞々しいサラダを前にして、

小百合が絶望に身を震わせた。


「なんで甘口しかないのよー!」


エプロンを外しながらキッチンから出てきたかすみが、どさっと来客用の席に着いた。


「修一がそうしろってさ」

「おしおきだよ、姉さん」

「ひどい、あんまりだわ。かすみの激辛カレー、ずっと楽しみにしてたのに」


小百合は椅子から泣き崩れると、

そのままスムースに気を付けの姿勢で床にうつぶせになって、動かなくなった。

修一とかすみは座ったまま無言で見下ろしている。


「これ、徹底抗議の構えだから。無敵だから」

「あのね、姉さん」


小百合渾身の拒絶のボディランゲージを、無情にも無視して修一は説教を始めた。


「オカルト好きなのは分かるけど、本当にほどほどにしないと」

「おとうとが わたしのしゅみに けちつける」

「なんで五七五で言うのさ」


二十三点だな、とかすみが余計なことを言った。


「姉さん」

「・・・・・・・」

「ねえ、姉さんってば」

「・・・・・・」


とうとう受け答えすらしなくなったので、

修一はしぶしぶトラの敷物のようになった姉の横に正座した。


「本当に心配なんだよ、姉さんがいつか怪我するんじゃないかって」

「だよなあ、小百合はバケモンだから多分怪我しないけど、

危ないのには近づかない方がいいわ」

「なによ、かすみったら、いっつも修ちゃんの味方して! 点数稼いでいやらしい女!」

「あはは、小さいこと言うなよ、お姉ちゃん」

「お姉ちゃんって言うな! いやらしい女!」

「はいはい」


確実に話がこじれはじめたので、修一は両手を一つパンと打ち合わせて仕切り直した。

かすみがサラダのキュウリを指でつまんで、一枚口に放り込む。


「でも、冗談抜きで、一人で行くのはもうやめたほうがいいんじゃねえの。

今回だって騙されそうになったんだろ?」

「うん、だから次からは修ちゃんつれていく。勿論かすみ、貴様もだ」


ギラリと小百合の眼が鋭い光を放ったが、うつぶせなのでよくわからない。


「せいぜい、その発達しきった筋肉で修ちゃんの盾となるがいい」

「言われなくても、アタシはそのために鍛えてるんだって」

「ほらー! やっぱりまた点数稼ぎしてるー! このエロ! エロマッスル!」

「あはは、女々しい女々しい」

「私女なんですけど! かすみよりずっと女の子なんですけど!」


結局、小百合は怪異ウォッチングをやめる気など毛頭ないらしい。

ただ、少なくとももう、一人で危ない場所に近寄ることはしないという。

修一は、犬のように唸り声をあげる無様な姿の姉の後頭部を見ながら、

少しだけ安堵していた。



ブランコを揺らす手 終

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