第3話

木と汗の香りが染み付いた道場で、大の大人たちが30人以上も一斉に木刀を振るっている。

隣では父さんが静かに佇み、木刀を振る彼ら弟子たちの一挙一足投を決して見逃さんとしている。これが僕のいつもの朝。


父さんと彼らは“従魔士”と呼ばれる職業で、現世と魔界が重なるときにやってくる悪魔を倒す仕事をしている。幼稚園のみんなが日曜の朝に観ているようなヒーローと似ているかもしれない。

みんながテレビのヒーローを褒めると、まるで父さんや僕を褒められている気がしてムズムズする。でも、すごく嬉しくて、将来の夢を聞かれたらいつも「ヒーローになります」って答えた。

父さんは、いつも「お前もいずれ彼らを導き、護る立場になるんだ」と言っていた。

僕は、それを聞いてその「いずれ」が来るときを楽しみにしていた。


「ほむら、お前もいずれ彼らを導き、護る立場になるんだ」

「もちろんだよ父さん。僕はきっと父さんよりも強くなるんだ。きっと、悪の親玉の魔神王だって倒せるようになるよ!」


僕がえへん、と胸を張って答えると、父さんと父さんの弟子たちが笑った。


「はっはっは! それは楽しみだ! 若ならきっと倒せますよ! ねえ、龍炎さん!」


弟子の1人がそう言いながら僕の背中を叩いた。

すると、父さんも笑いながら「あぁ、きっとなれる」と言ってくれた。


「なんせ、お前は俺と母さんの自慢の息子だからな」

「父親がオーディン、母親がアテナ。どちらも皇帝級の従魔士ですからね! 若は従魔士の血に愛されていますよ!」

「うん!」




「ねーねー! ほむら君にチョコあげるよ!」

「え? なんで?」

「知らないのー? きょーはバレンタインデーって言って、女の子が好きな子にチョコをあげる日なんだよ!」

「そーなの? じゃあもらうよ」


幼稚園に行くと、隣の席の女の子にいきなりチョコをもらった。

僕がもらった途端にみんながざわめきだして、「ぼくもほしい!」と言い出す人がいたり、「私もあげるー」と言い出す人がいてひっちゃかめっちゃかになった。

先生が「はーいみんな! 早く席についてー! チョコあげたりもらったりは、帰ってからにしましょうねー」と言って、みんなはブーブー言いながら席に座った。


昼休みになると女の子たちが僕の席にやって来て、「ねーねー! ゆうかちゃんとほむら君はちゅーするの?」と聞いてきた。

ちゅーが好きな人同士でするものだって僕は知ってたから、「うん」って答えた。

僕はゆうかちゃんが好きだったし、ゆうかちゃんも僕が好きって言ってたから。

すると、女の子たちはキャーキャー言いながらどこかへ行ってしまった。


帰りの時間、僕が母さんを待っていると、ゆうかちゃんが泣きながら僕のところへ来た。


「どうしたの?」

「うっ……えぐっ……。みんなが……、ひっく……、ゆうかちゃんはほむら君と一緒に遊べば? って言って……、私の本……取っちゃったんだ……」


ゆうかちゃんの手を見ると、いつも読んでいた本が半分だけ残っていた。

破れた跡があるから、きっと引っ張りあってちぎれちゃったんだ……。


「僕言ってくる!」


教室に戻ると、女の子たちは半分になった本を取り囲んで「どうしよー……、破れちゃった」とか「私わるくないよ! ゆうかちゃんはほむら君と一緒にいた方がいいとおもったもん!」とか言っていた。


「ねぇ」


僕が声をかけると、女の子たちはビクッと肩を震わせた。

そしてこっちを見ると、涙目になりながら口々に「私わるくないよ! だって……」と言い訳し始めた。

僕は怒り出したい気持ちを抑えて、いつも父さんが言っていることを思い出した。


「僕はみんなを導いて護る立場になるんだ。僕はみんなを導いて護る立場になるんだ」


小さな声でそう呟くと、何となく落ち着いて来た。

僕は怒りに来たんじゃないんだ。父さんは、きっとそんなこと望まないもの。


「みんな聞いて? 破けちゃったのはもう仕方ないよ。でも、みんながごめんねを言わないと仲直りできないよ? ゆうかちゃんが大好きな本も友達もいなくなっちゃったら、すっごく悲しいよ。だから、その本を持ってごめんねって仲直りしよ?」



「ほむら君、さっきはありがと」

「ん? なんで?」

「だって、みんなと仲直りできたのはほむら君のおかげだもん。本はお母さんに買ってもらえるけど、みんなと仲直りはお母さんに頼めないもん。ほむら君は、わたしのヒーローだね」

「うん、えへへ」


ヒーローって言われると、やっぱり嬉しい。

僕がにこにこしていると、突然ほっぺに柔らかい感触が当たった。


「えへへ。やっぱりほむら君大好き。わたし、大きくなったらほむら君のお嫁さんになってあげるよ」


ゆうかちゃんがにっこり笑う。

僕もつられてにっこり笑った。

その日は、母さんが迎えに来るまでゆうかちゃんと一緒にいた。



「それでね? 僕、ゆうかちゃんをお嫁さんにすることにしたんだ! きっと、母さんみたいな良いお嫁さんになるよ!」

「まぁ、気が早いのねぇ。でも、そうなると良いわね」


母さんは笑ってた。

僕も笑った。

僕はいつか父さんみたいな従魔士になって、ゆうかちゃんをお嫁さんにもらって、それで幸せに暮らすんだ。そのためには、もっともっと強くならないと……。




その日は、少しだけ早く寝た。

父さんと約束してる素振りも早く終わったし、僕は明日が来るのが待ち遠しかったから。


ガタン、と乱暴に戸が開けられる音がして、僕は目が覚めた。

父さんが厳しくて、夜は静かにするよう言われてるはずなのに……。

僕が耳を澄ますと、どこかから父さんの声が聞こえた。


「おい、しっかりしろ! 早く治療魔術士を呼べ! 早く!」


いつも物静かな父さんが、今日は声を張り上げている。

何かおかしいな……、と思った僕は、部屋を出て外を見た。


最初は夢かな? と思った。でも、だんだんと夢じゃないってわかった。

少し高い所にある僕の家からは、町の様子がよく見える。

いつもなら暗闇にポツポツと灯りがあるだけなのに、今はオレンジ色だ。

遠くで悲鳴が聞こえる。

誰かが「助けて」って言っている。

弟子たちが武器を手に飛び出して行く。

バタバタと慌ただしくて、みんなが必死な顔をしているから、僕は怖くて尻もちをついた。


「若! 逃げますよ! 悪魔です! 悪魔たちが現れました! 神級の悪魔もいます! 龍炎さんも戦わなきゃならない。琴音さんも……、強い従魔士はみんな行きます! 若は俺と一緒に!」


何が何だかわからないまま、弟子に連れ出される。

何も持たないまま外に出ると、ふとゆうかちゃんのことが頭に浮かんだ。

護るって約束したんだ……、行かないと!


「僕行かなきゃ!」


弟子の手を振り払い、ゆうかちゃんの家に向かって駆け出す。

追って来るかと思ったけど、何故かこっちには来なかった。



ゆうかちゃんの家があったはずの場所に着く。

でも、そこには家だったはずの瓦礫があるばっかりで、とても人が住める状態ではなかった。


『あぁあ、こんなところに、餓鬼が1匹いるじゃないか』


後ろから、影が僕を見下ろした。

その声に振り向くのが怖くて、僕はなぜか震えることしか出来なかった。

これが、きっと悪魔だ。僕にはわかる。人間とは違う、背筋が凍りつくような感じがする。


「待て、悪魔シヴァ。私の息子から離れろ。お前の相手は私だ」


父さんの声だ!

僕が振り向くと、そこには憧れ続けたヒーローのボロボロになった姿があった。


『おいおい……、お前はさっき俺様に負けだろうがそうだろ? それとも何か? 人間共を殺されて怒ってんのかそうなのか?』

「黙れ悪魔。お前の言など聞く耳持たん。お前はここで私に滅される。それで終わりだ」

『ハッハッハッハッハ!!! 俺様は破壊神シヴァだぞ!? 人間如きの器に収まるような腑抜けた悪魔などとつるんだところで、俺様に敵うわけねぇだろうがそうだろ!』


父さんがグングニルを振るうと、シヴァは三又の槍で軽々とそれを止める。

そして、力任せに振るわれるシヴァの槍が、父さんを防御ごと吹き飛ばした。


『人間如きが俺様に楯突いたのが間違いだったなぁ! 後悔しながら冥府へ堕ちろ!!!』


父さんの体が吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。

そして、追い討ちをかけるように、シヴァが豪快に槍を一閃した。


スパァァン、と鞭が弾けるような音がした。

大地が裂けた。遠くの山も割れた。

父さんが持っていたグングニルはちょうど真ん中辺りで折れて、それを盾にしていた父さんの体には袈裟掛けの線が走っていた。


「父さんっ!!!」


倒れた父さんに駆け寄る。

傷からも口からも真っ赤に血が溢れて、止まらなくなっていた。


「……に……、げろ、ほむら……」

「と、父さんも一緒に! 母さんだって!」

「母さんは…………、気にするな…………、俺が助ける……から……。お前は……逃げろ」

「で、でもっ!」

「早く……するんだ!」


父さんに突き飛ばされた瞬間、シヴァの槍が僕のいた場所を貫いた。

逃げるしかないんだ……。もう、僕がいたって足手まといだから、何も出来ないから……。

倒れる父さんに背を向ける。

一瞬、父さんは笑っていた気がした。


『おいおい、餓鬼と感動ごっこやってんじゃねぇ。ここは戦場だぞそうだろ? 力の無いヤツは淘汰される。それが定めってやつだろ、なぁ?』

「黙れ悪魔風情が……、お前は何としても討ち取る。私の誇りにかけて!」

『…………傷が塞がりやがった。気にくわねぇ。オーディンの加護か。悪魔は悪魔らしく、破壊と混沌を齎すのが道理だろうがぁ!!!』




走って……、走って……、走って走って走り続けた。

崩れ去った町の中で走り続けた。

怖くて仕方がなかった。

父さんはアイツに勝ったかな? 母さんはどこにいるんだろう?

ゆうかちゃんは? みんなは?

頭の中がぐちゃぐちゃになって、今一体何を考えているのかも、わからなくなっていった。


『おい餓鬼……、随分逃げたじゃねぇか』

「ぅ、わあああ!!!」


僕の目の前に、あの悪魔が現れた。

父さんは? なんでコイツがここに……、


『くそが……、随分時間がかかっちまったじゃねぇか』

「と、父さんは……? なんで? お前は……、なんでここに?」

『あぁ? そりゃあ、殺したからに決まってんだろわかんだろうが』


そう言って、シヴァは僕の方へ“なにか”を投げた。

重くて、ベタベタと濡れた“なにか”を見た。

目が合った。


「ぅ、う……うあああああああああああああ!!!!!」

『ハッハッハァ!!! どうせなら家族一緒に死にたいだろそうだろ? 破壊神シヴァ様からの優しい配慮ってやつだ』


僕の手の中にある父さんの顔は、もう冷たくなっていた。



「そこまでだ。神級悪魔、破壊神シヴァ。お前を滅殺する」



凛とした声が響く。

背の高い女の人が、悪魔の前に立ちはだかっていた。


『あぁ? またかよ“従魔士”。一体どんだけいるんだ、なぁおい』

「なるほど口が悪いようだな。聞くに耐えん。もう黙っていいぞ」

『ハッ! 人間如きの……、それも女に何が出来る!?』

「私は、黙っていいと言ったはずだがな? 悪魔如きの頭ではわからなかったようだ。なら言い換えよう。もう黙っていろ、愚図が」


従魔士の女の人が、携えた剣を振るう。

悪魔はそれを受け止めるが、彼女は強引に剣を振り抜いた。

悪魔の体から鮮血が舞う。


「どうした破壊神? よほど“人間如き”が手強いとみえる」

『くそが……、神級悪魔か!』

「スサノオ、どうやらヤツは手負いのようだ。畳み掛けるぞ」


従魔士が剣を構える。

あのひとも、すごく強い。

それこそ父さんみたいに……。


『あぁ!!! くそがぁ!!! どいつもコイツも人間如きがぁ!!! 悪魔を舐め過ぎだ』


一瞬、悪魔が笑った気がした。

追い込まれているのは自分なのになんで……、


「なんだと?」

「っ……、お姉さんっ!!!」


ドスッ、と音がして、従魔士の体を剣が貫いた。

悪魔がもう一体隠れていたんだ……。

従魔士がその場で膝をつく。

彼女の体からは、ドクドクと血が流れ続けていた。


「くそっ、悪魔め……、卑怯だとは思わないのか!?」

『あぁ? 悪魔に卑怯もクソもあるわけねぇだろうが。あるのは、お前らを殺して魂を喰らうという本能だ。悪いな“従魔士”、お前もその餓鬼も、俺らにとっちゃ食事でしかねぇよ』

「く……、まだだ! スサノオ!」

『あぁ? まだやる気か? 悪魔の刃は魂を砕く。一撃で破壊されなかったのは褒めてやるが、もう戦える状態じゃねーだろ諦めろ』

「嵐を呼べ!」


従魔士が叫ぶと、剣から凄まじい風が溢れ出した。

空も一瞬で黒く染まり、辺りには雷が鳴り響いた。


『鬱陶しい! あの女はどこだぁ!!!』


視界さえままならない豪風豪雨の中、悪魔の声が聞こえる。


「さぁ……、逃げるぞ」


彼女が、僕の体を担ぎ上げる。

血はまだ止まっていない。


「でもっ、血が! それに、みんなが!」

「…………っ、血など、生きていれば止まる! “みんな”を助けるために、君まで死んでしまってはどうにもならない!」

「でも……っ、でも…………っ!」


僕は、彼女に抱えられたまま町を出た。

悪魔は、追っては来なかった。




「あの子が、火柱家の生き残りか……」

「町ごと悪魔に滅ぼされたらしい」

「可哀想に……」


葬式の途中、誰かがそんなことを話しているのが聞こえた。

僕には、まだ夢の中にいるように思えた。

幼い僕には見せられる状態じゃない。そう誰かが言い出して、次に「これが家族だ」と見せられた時は、父さんも母さんも小さな壺に入れられていた。

友達や町の人、弟子たち、ゆうかちゃんも、どんな姿だったのか見ることは叶わなかった。

みんなが隣町にある墓地で眠っていると聞いた。

僕の家があったはずの高台には、大きな“いれいひ”が建ったらしい。



少し経ったころ、僕を助けてくれた“従魔士”の宇都宮 一華というお姉さんが、僕を町へ連れて行ってくれた。

そこでお姉さんは、「間に合わなくてすまなかった……」と僕に頭を下げた。

僕は、「わるいのは悪魔だから、お姉さんは関係ない」と答えた。


どうすれば良いか考えた。

悲しくて……、苦しくてつらかった……。

そして、悪魔を許すわけにはいかないんだと思った。

もし悪魔さえ世界にいなければ、みんなは死ななくて済んだんだから。

だけど、僕には何もなかった。

力もなくて、教えてくれる人もいない。

生まれて初めて、自分は何も無い人間なんだと知った。

今まで僕の周りに“ある”と思っていたものは、みんな悪魔に奪われた。

悪魔を倒せる自分になろうと思った。

そうじゃなきゃ、またきっと奪われる。


「ねぇ、お姉さん。僕に戦い方を教えてよ」


僕が言うと、お姉さんはつらそうな顔をした。

ごめんね……。

僕は、お姉さんが僕を従魔士にしたくないのは知ってるんだ。

そして、同時に僕のこの願いを断れないのを知っている。

お姉さんは僕に“罪悪感”があるから、断れないのは知ってるんだ。

だから、僕が従魔士になりたいと言うのを恐れてる。


ごめんね? こんなことをして。

でも、僕は……悪魔たちを倒したい。

いや、違うな……。

“俺”は…………、悪魔どもを殺せなきゃ気が済まない。


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