第2話

目が覚めると、ガバッ、とさくらちゃんが抱きついて来た。

いつの間にか、さくらちゃんの部屋のベッドで寝ていたらしい。

さくらちゃんは、「心配したんだよみことぉ〜」と言いながら頬擦りまでしてくる。

この声、温かさ、本物のさくらちゃんだ。間違えるはずもない。

信じて良かった。

私が1人安堵していると、さくらちゃんが何があったかを説明してくれた。

さくらちゃん曰く、黒いロングコートを着た男が、気を失った私を抱えて訪ねてきたらしい。

道で倒れていたと説明を受け、「なんで私の家に」とか疑問が浮かぶ前に、その男は消えてしまったらしい。


「私らと同じくらいの歳に見えたんだけど、妙に落ち着いてるっていうか……。あとコートにあんな装飾ついてるの見たことないし……。変なことされてない?」

「うん……大丈夫だよ」


結局なんだったんだろう。

あんな怪物を一振りでバッサリ斬っちゃうし、私にジュウマシ? になれっていうし……。

優しく色々と教えてくれたかと思えば、逃げ道を無くす悪魔みたいなことをするし。


「ほんとに大丈夫?」

「うんっ、大丈夫だよ。ごめんね? 心配かけて」

「みことぉ〜、ほんっと好き! 今度から絶対私が守ってあげるから! というか結婚しよ」

「結婚はしないけど、ありがとう」

「フラれたっ!」


さくらちゃんが、床に吸い込まれるように倒れる。

元気だなぁ。なんだかこっちまで元気を貰えるように感じた。


「さくらちゃんありがとう。大好きだよ。じゃ、わたし帰るね」


倒れていたさくらちゃんにお礼を言って、部屋を出る。

さくらちゃんが一瞬ビクッとしたけど、また勢いよく床に倒れ込んでいた。

あれ、体痛くならないのかなぁ?



昨夜、家に帰ってから上着のポケットをみたら、知らないうちに名刺が入っていた。


【従魔士教会日本支部 神級従魔士 火柱 焔】


火柱 焔というのが、昨夜の男の名前らしい。

珍しい名前だなと思いながら、講義開始間際となった講堂に入る。

それに、彼は教会の中でも神級? という位にいるらしい。

神と付くくらいだから、相当偉いんだろう。

あの若さで凄いんだなぁ……、と思う。

その男に“従魔士”に誘われたのだから、私には何か気になる才能とかがあるかもしれない……と喜びたいところだが、あんな怖ろしい思いをするのはもう2度と嫌だった。

出来れば、もう2度と会わないでいられれば良いなぁ……。

この、火柱 ほむ……、


「火柱 焔! なんだこの論文は! 貴様神学を舐めているのか?」


神学を担当している女性教授の声が響く。

えっ……、今、なんて言ったの?


「いえ……、特に舐めているとかでは……」

「じゃあなんだこれは! ほぼ白紙じゃないか!」

「はぁ、すみません……」

「全講義が終わったら私のところへ来い! 貴様らも、舐めた論文を提出したら1ヶ月は雑用として扱き使ってやるから覚悟しておけよ! いいな! 火柱 焔!」

「はぁ…………」


聞き間違いじゃない。

間違いなく火柱 焔と言っていた。

だが、前に立たされていたのは昨夜の威風堂々とした男とはかけ離れた、根暗で静かそうな男の子だった。私の隣の席の、目が前髪で隠れている……、


「えぇっ!」


思わず叫んでしまった。

教授が私の方を睨む。


「なんだ、天野 命! 文句があるなら」

「ご……ごめんなさい……。気を付けます」

「ならいい。さて……」

「あっ! お前、昨日の!」

「お前は外に出てろ! 火柱 焔ぁ!!!」


私に気が付いた火柱 焔君と目が合うのと、教授が投げた本が彼の側頭部に直撃するのは同時だった。



「さ、さっきは大丈夫だった?」

「あぁ、変なところを見られたな」


講義が終わると、外では火柱 焔君が待っていた。


「あの……、昨日の話なんだけど」

「ん? いや、まだ決めなくていい。今はただ怖いだけだろ。いずれ必要になる時が来たらでいい」


断られるのがわかっていたとでも言うように、彼が答えた。


「一応、改めて挨拶しておく。火柱 焔だ。えーっと……」

「あ、天野 命……です……」

「天野だな? 俺はほむらで良い。よろし……」

「おい! 誰だ君はっ!!!」

「「えっ?」」


私とほむら君が握手をしようとすると、鋭い声が廊下に響いた。

声の方を向くと、さくらちゃんが私たちの方へダッシュしているのが見えた。

そして、鋭い手刀でほむら君の手を叩き落とした。


「私のみことに手を出そうとは良い度胸だなっ! しかしそうはいかない!」

「えっ……、はっ?」

「私は昨日聞いたんだ! みことが私に愛の告白をしてくれたのを! つまり!」

「ま、待ってさくらちゃん! 私、あ、愛の告白なんて……した?」

「「…………えっ?」」


さくらちゃんが、あまりにショックだったのか石のように固まって倒れてしまった。

唖然とするほむら君は、同じく唖然とする私を見て「天野、お前の友達変じゃないか?」と言った。否定しようにも材料が無くて、「わ、私もたまにそう思う」と答えるしかなかった。



「つまり、君がみことに告白していた訳ではないんだな?」

「あぁ、もちろんだ」

「つまり……、私はみことに浮気されていた訳ではないんだな……。よかった」

「たとえ私がほむら君と付き合ってても、浮気にはならないんだよ?」

「えっ……、そんなぁ……」


さくらちゃんが力なく目で訴えて来る。

そ、そんな目で見られても……。


「まぁでも、みことが話せる男子なんて滅多にいないし、良いわっ。みことの友達になることを許してあげるっ!」

「えっ……と、ありがとう?」


ほむら君が、納得していないといった感じでお礼を言う。


「なぁ……天野、春野は保護者か何かなのか?」

「あ、あはは……」

「でもぜーったい、みことをお嫁さんに貰うのは私だからねっ! 仕方ないから、結婚式には友人として呼んであげよう!」


優しくて強くて美人な親友の、少し変な部分を知った気がした。



さくらちゃんが剣道部に行ってしまった後、私とほむら君は神学教授の手伝いに来ていた。

帰り際に一緒に居たところを巻き込まれた形だけど、ほむら君に聞きたいこともあったし……。

「で? 言い訳はあるか?」

「ありません。宇都宮“支部長”」

「ここでは教授と呼べと言ってあるだろうが!!!」


びゅんと空を切る音がして、教授が投げた本が…………刺さった。

ほ、本って刺さるんだ……。


「と、いうわけで、この人が従魔士教会日本支部長、宇都宮 奏だ」

「ほ、ほむら君……、あんまり信じたくないんだけど、本、頭に刺さってるよ?」

「なるほどな。天野 命が、昨夜夢魔サキュバスの精神攻撃を自力で超克したわけか。天野君、突然のことですまない。理解してくれとは言わない。それは追々でいい」


宇都宮教授が頭を下げる。

ほ、本が刺さっている件についてはスルーなんだ……。

ほむら君の頭からはドクドクと血が流れ続けており、それに気を取られて話が入ってこない。


「それにしてもなぁ火柱、確かに、一般社会に出回る神学と我々の世界の“それ”は少々解釈が異なる。しかし、そんなお前のために、わざわざ私が特別授業まで請け負っているだろう? それがなぜこんな論文になるんだ。教えたことはどこに行った」

「えぇ、俺としても誠に遺憾です。しかしながら、俺としても最大限努力した末での結果ですので、何卒、“教授”のお力添えをいただきたく……」

「まどろっこしいな。簡潔に言え」

「点数オマケしてもらえませんか?」

「よく言った表に出ろ!!!」


また本が飛んで、ほむら君の頭部に刺さった。

もう、なんか現代アートの風刺画みたいになってるよ……。


「あ、あの……、ほら、ほむら君も、相手は支部長なんだから、少しは敬った方が……」

「あー、天野君。確かに私は支部長ではあるが、私と火柱は対等なのだ。“従魔士”の位は、“従魔士”としての階級によってのみ左右される。下から順に、騎士、総裁、伯爵、公爵、侯爵、君主、王、皇帝、神。そいつの階級は最上位の神級。そして、その若さで日本支部のエース候補筆頭だ。一般教養としての勉学においてはバ、……多少抜けてはいるが、対悪魔に関しては座学、戦闘力、判断力、全てにおいてトップクラスだ」


宇都宮教授は、バカと言おうとしたのを飲み込んでほむら君の実力を褒めた。

そ、そんなにすごい人だったんだ……。


「まぁ、私の弟みたいなもんでもあるから、多少姉を立ててくれても良い気はするが。なぁ火柱」「あぁ、そうだな一華姉」

「下の名前で呼ぶんじゃない」


宇都宮教授が、ため息をつきながら頬杖する。

きっと、これが2人の距離感なんだろうなと思う。


「そういえば……、教授も、その“従魔士”なんですか?」

「あぁ、正確には“元従魔士”だがな。今は前線を退いて管理職という訳だ」

「そ、そうなんですか?」

「あぁ。以前、戦いで悪魔を失ってな。それまでは火柱と同じ神級の“従魔士”だった。だが、それでも実力は火柱の方が多少上かもしれん」

「そ、そんなに?」

「ん?」


横にいるほむら君を見ると、彼は頭に刺さっていた本を抜いて血を綺麗に拭き取っていた。

とにかく、彼は“従魔士”としてすごい人なんだということだけがわかった。


「まぁ、ともかく、火柱だけをこれ以上特別扱いするわけにはいかん。よって、多少の雑務は引き受けてもらう。本職に差し障りが無い程度にな」


宇都宮教授は、「まったく……、仕方のないやつだ」といってため息をついた。

どっさりと盛られた書類を運ぶように言い渡され、ほむら君と2人で半分づつ持つ。

だが、私たちが部屋を出る前に、構内にジリリリリ、とけたたましい警報が鳴り響いた。


「な、なに!? なにか……嫌な感じが……」

「火柱、お前は討伐に向かえ。天野君は、私と構内にいる人間の避難を」


宇都宮教授が、鋭く指示を飛ばす。


「了解。行くぞスルト」


前髪をかき上げ、奥にあったロングコートを羽織りながら、ほむら君が“何か”に呼び掛ける。

頭上から、スルト、と呼ばれた悪魔が『ガハハハ』と笑いながら現れた。

赤黒く溶岩のような肌と、額に生えた2本のツノが特徴的で、腰から下が煙で出来てモヤモヤしている。アニメ映画でランプを擦ると出て来る魔神に、形が少し似ているかもしれない。


『おう……、また出番か? 昼間に来るとは良い度胸だ』

「昼間だけに人も多い。出力を考えろよ」

『あぁ、任せておけ』

「『魔神化』」


ほむら君とスルトの声が重なる。

スルトがほむら君の身体に重なったかと思うと、赤髪が白く染まり、何もないところから大剣が現れた。昨日、戦っていたときの姿だ……。


「天野、突然ですまないが、学生や教授たちの避難を頼む」


ほむら君は、また昨夜みたいな優しい声音で言った。

よく見ると、黒目からは輝きが消えて、沈み込みそうな深い闇が宿っている。


「行ってくる」


そう言うと、部屋のほむら君は窓から飛び出した。


「アレが火柱のすごいところだ。本来、悪魔の力を使うときは多少なりとも悪感情が活発になる。それを、まるで意に介さず普段より穏やかにすらなる。熟練の“従魔士”だろうとそうはいかない。さぁ、私たちは避難を促すぞ」



「焼き尽くせ“レーヴァテイン”」


大剣から放たれた業火が、巨大な羊の悪魔を焼いた。

悪魔は炎と共にのたうち回り、断末魔の叫びと共に爆散する。

おそらくは君主級アスモデウス。7つの大罪で色欲を司ると言われる悪魔のはず。

昨夜といい今といい、こんな短期間に君主級が2体。今までではあり得ないことだ。

それに、大抵の悪魔は少人数でいるところを狙う。天災を引き起こすレベルの悪魔ではない限り、こんなところで堂々と姿を現すことはない。それが実体を伴って現れるなんて……。


『グァガラァアアアアア!!!』


少し離れたところから、咆哮と爆音が聞こえる。

今の一体だけじゃないのか……!


『おい、ほむら! まだいやがるぞ!』

「もう一体どうなってる?」


即座にもう一体の方へ駆け出す。

だが、今度は背後で爆発が起こる。

消火栓が警鐘を鳴らし、壊れたスプリンクラーが噴水のようになっている。

現れたのは……、くそっ、大物が現れやがった。

巨大な翼に長い尾を従え、口からは鋭利な牙が覗く。爬虫類独特の鱗を持つが、その頑強さは他の追随を許さない。馬のように伸びる4つ足でノシリノシリと大地を踏みしてながら現れたヤツは、ゲームの世界でも最強と説明書きがあることは珍しくない。

7つの大罪の悪魔を束ねる憤怒の化身、皇帝級悪魔ドラゴンだ。


「おいスルト、やれるか?」

『誰にもの言ってやがる! 俺は世界を焼き尽くす炎の巨人スルトだぞ! ……と、言いたいところだが、ちと分が悪いかもなぁ。ドラゴンに炎は効かねぇ。となるとぶった斬るしかねぇわけだが、加えてあの硬え鱗だ。体格差もある。相当なハンデ戦になるぜこれぁ……』


傲慢なスルトにここまで言わせるか……。

大剣を握り直し、ドラゴンを見る。

他方にいるもう一体はどうする? 増援が来るまでは早くとももう10分程必要だろう。

それに、この場にいる悪魔は、流れを見るに7つの大罪だ。アスモデウスを倒し、おそらくまだ6体。群れを成す上にそれぞれが強力だ。少なくとも、王級が2体、君主級が3体は残っていると見積もっていいだろう。

避難はどうなっている? 少なくともこの場に人はいないようだが……、


「た、助けて! だれか! 助けてくれぇ!!!」

「逃げ遅れか……ッ」


ドラゴンの足元辺りで、男子学生が倒れている。

おそらく、ドラゴンの出現で校舎が崩れたのだろう。瓦礫に脚を挟まれている。

怪我をしていると考えて、おそらく少し隙が出来たくらいでは逃げられないだろう。

なら仕方ない。まずはドラゴンをこの場から引き離す。


「グララァアアア!!! ガアッ!?」


唸り叫ぶドラゴンの顎を、下から大剣でカチ上げる。

ドラゴンの顎が裂け、血が滴る。

これで両断出来ればいいんだが、流石にそこまで甘くはないか……。

だが、ドラゴンの標的は完全に俺になった。


「ついて来いドラゴン!!!」

「グルルルルル……、ガァアアアアア!!!」


ドラゴンの咆哮が響き渡る。

まさに憤怒の化身だな。凄まじい怒気だ。

そうだ。俺について来い!

ドラゴンは、一切の躊躇なく俺の方に向かって来た。

その突進を大剣で受け流し、先程爆煙が上がった方へと走り出す。


『おい! そっちはもう一体がいるだろ!?』

「あぁ、いるな!」

『挟み撃ちにされるぞ!』

「だが、あちらは避難が完了している可能性が高い。それなら、2体纏めて相手をする方が被害が少なくて済む。何なら、同士討ちを誘えばいい。7つの大罪は群れこそすれ、連携を取ることはない。ヤツらはそれぞれが強烈なまでの本能の塊だからな」

『がっはっは! なるほどなぁ! 頭切れるじゃねーか!』

「褒めてる場合か! 今炎に回してる魔力を、全部物理攻撃力と防御力に回すぞ! どうせ炎が効かないんだからな!」


作戦を決めている間に、ドラゴンがとてつもない勢いで迫る。

背後は校舎、これ以上崩されれば、流石にどこで二次災害が発生するか知れない。


「全魔力、大剣に集中させるぞ!」

『オラよ! ぶちかましな!』


ズシリと大剣が重くなる。

よし、これだけの魔力が込められていれば、押し負けることはない!

ドラゴンへと駆け出し、スッと姿勢を低くして懐へと潜り込む。


「校舎の上まで……、吹っ飛べ!」


ドラゴンの腹を、アッパースイングでカチ上げる。

インパクトの瞬間が重い……。

だが、行ける!


「うぉおああああ!!!」

『ゴ、ぁガアアアア!!!』


ドラゴンの巨体が舞い上がり、校舎を飛び越えて反対側へ落ちる。

ズドォォオオン、という腹に響く重低音と共に、2体ほどの呻き声が聞こえた。

運が良いことに、反対側にいた悪魔を巻き添えにしたらしい。

俺はドラゴンを追いかけるように校舎を越える。


「ついてるな。わざわざ落下地点に居てくれたとは」

『『グルラゥゥゥ……』』


2体の悪魔が、揃って威嚇する。

ドラゴンの姿をしたのが1体。そして、3つの頭を持つヤツが1体。

あの姿なら暴食だな。階級は“王”ってところか。

君主級を期待したんだが、なかなか上手くはいかないか。


『クルルルルル』


バサッ、と背後で羽搏く音がする。

あぁ、最悪だ。何もこのタイミングで来なくても良いだろう。

後ろを向くと、前半身が鷹、後ろ半身が馬の体躯、尾はライオンの姿をした怪物がいた。

階級はおそらく“王”。考え得る限り最悪の3体だな。


「ドラゴンにケルベロスにグリフォンか……。伝説の珍獣揃い踏みだな」



男子学生の脚に重なる瓦礫を、宇都宮教授が軽々と退かす。

そして、ブツブツと何かを唱えたかと思うと、男子学生の脚にあった傷がみるみる塞がっていった。


「これで逃げれるだろう。早く行け」


宇都宮教授の「何をしたかは聞くな」と言わんばかりの眼光を前に、男子学生はただコクコクと頷いてその場を走り去った。

これで、ほとんど構内にいた人は避難したように思う。


「よし、私たちも避難する……」

『グゥア?』


ズシン、ズシンという足音がして、崩れた壁の中から巨大なクマが現れる。

ガリガリと腹部を掻く爪は、刃物のように鋭い。


「君主級のベルフェゴールか。厄介だな」

『グァ〜アア』


私たちをまるで意に介していないとでも言わんばかりに、熊の悪魔が大きな欠伸をする。

もしかして……、気付いていない?

私が後退ろうとすると、すぐに宇都宮教授に腕を掴まれた。


「……(天野君、動くんじゃない。ヤツは気付いていない“フリ”をしているだけだ。逃げる者を追う。今の私では残念ながらヤツを倒せない。増援が来るまでじっとしていてくれ……)」


宇都宮教授が小声で言う。

私は、ただ頷くしかなかった。


時間だけが流れる。いつ終わるとも知れない極度の緊張感で体が震える。

ズシン、と音を立てて、熊の悪魔が腰を下ろす。

私がチラと顔を見ると、目が合った。

興味が無さそうに欠伸をしながらも、鋭い獣の目が私たちを捕らえて離さない。

私たちが逃げ出すのを待ってるんだ……。

宇都宮教授の言葉を思い出す。

逃げる者を追う……。まるで、弱者を弄ぶような目に見えた。

その時、私の視界の端に、見知った姿が見えた。


「みことっ!!! やっと見つけた! 早く逃げないと!」

「さくらちゃんだめっ!!!」

「えっ……………………」


道着に身を包んだ彼女の体は、容易く宙を舞った。



『グァアアアアア!!!』

「…………逃げるな。ここまで俺の敷地を荒らして逃れられると思うな」


逃げようとするドラゴンの翼が大剣で貫かれる。

空から叩き落とされ、ドラゴンが地面でもがく。

既にケルベロスとグリフォンは魂を砕かれ、消滅が始まっている。

コイツの……、ほむらの凄まじいまでの戦いよ。

荒れ狂う姿はまさに鬼神。どっちがバケモノかわかったもんじゃねぇ。

出力が足りないとみるや否や、悪魔に成り果てる限界まで躊躇なく俺の力を引き出した。

そして、グリフォン、ケルベロスと、次々に4つの首を刎ね飛ばし心臓部の魂を砕いた。

この戦いっぷり、ラグナロクを思い出すねぇ……。

想いを馳せているうちに、舞い降りたほむらが地でもがくドラゴンを踏みつけにしていた。


『おうおう、怖いねぇ。悪魔を蹂躙して楽しむとはなぁ』

「……黙れスルト。お前も滅するぞ」

『ガハハハハ。お前のその悪魔さえ喰わんとする“怒り”、嫌いじゃないがな。そろそろ終わらせないと人間に戻れなくなるぞ?』

「…………失せろ」


大剣がドラゴンの胴に突き刺さる。

パキン、と割れる音がして、ドラゴンの体が砕け散った。


『その、容赦無く魂を砕く様。それでこそ俺の使い手に相応しい』

「だ…………ま……れ。とっとと失せろ」

『あいよ。用があったらまた呼びな』


ほむらの体から離れると、ほむらは面白いくらいに息を切らしていた。

あぁ、これだ。コイツの抱える最上質の怒りだ。

これだけの“怒り”に満ちた感情エネルギーは、そうそう喰えるもんじゃない。

それに、コイツといれば悪魔の魂も食い放題だ。

最高の物件だよコイツは。

このままコイツといれば、フレイとの戦い以前、最盛期の力を取り戻すのも遠くねぇ。

さぁ、俺のために散々暴れてくれよ? 相棒。



まだ体が震えている。疲労からか足も重い。

思うように動かないな……。

流石に、皇帝級を含む3体を同時に相手にするのはキツイ。

限界までスルトの力を引き出したのも良くない。

アイツの魔力に当てられて、体の中で怒りが暴れまわってるみたいだ。

だが、残りはおそらく3体いる。

せいぜい君主級だろうが、今の状態では魔神化すらつらい。

手早く終わらせなければ……。


俺が歩き出した瞬間、悲鳴が聞こえた気がした。

中庭の方か? さっきドラゴンが現れた辺りだ。まだ残っていたのか。

重い体を無理矢理動かし、かすかな悲鳴の方へ向かう。

近づいて来ると、その声が段々とはっきりしてきた。


「さ……ちゃ……、さく…………」


誰かの名前を読んでいる。

嫌な予感がする。思えば、昨日から彼女の悲鳴ばかり聞いている気がする。

少しづつ大きくなる声は、俺の予感が外れていないのだと告げていた。

君は、なんでそんなに臆病なんだ。

一体何があって、君は泣き叫ばなきゃいけないんだ。


俺が中庭で見たのは、腕の中にぐったりとした親友を抱え、血溜まりの中に座り込む彼女の姿だった。



一瞬だった。

止める暇さえ無かった。

さくらちゃんの体は熊の悪魔の大きな手で払われて、まるで玩具の人形みたいに簡単に飛んだ。

血塗れで倒れるさくらちゃんを見て思わず私は駆け出した。

そして、そんな私を庇って宇都宮教授まで熊の悪魔に吹き飛ばされた。

どうしよう……、私のせいだ。私がこんなところに居たから、みんな……、


「さくらちゃん!!! さくらちゃん目を開けて!!! お願い……」

「………………失せろ悪魔」


ドスの効いた低い声が聞こえた。

次に、パキン、と何かが砕ける音がして、熊の悪魔は塵となって消えていった。

塵が消え去った後には、昨日の優しそうな顔が別人だったかのようなほむら君が立っていた。

親の仇とか、鬼気迫るとかでは表現しきれない。静かだけど、怒りや、憎しみや、苦しさ、哀しさ、いろんな感情がごちゃまぜになっているような、そんな顔をしていた。


『『ガァアアアアア!!!』』


私が茫然としていると、ほむら君の背後から更に2体の悪魔が飛び込んで来た。

そして、それがどんな姿をしていたか認識するよりも先に、悪魔たちは鋭く薙ぎ払われた大剣で跡形も無く刻み尽くされていた。


「…………ほむ……ら、君……?」


その恐ろしい姿をしているのが彼だと信じられなくて、確かめるように名前を呼んだ。

怖い。純粋な本心だった。

彼は静かに頷くと、こちらに歩み寄って来た。思わず体が固くなる。

顔を見ると、もうさっきの恐ろしい顔ではなくて、悔しさを滲ませた普通の人間の彼がいた。


「頼む天野、一華姉さんをこっちに運んで来てくれ。春野は動かせる状態じゃないから……」


ほむら君は、消え入るような声で私に頼んだ。

よく見れば、彼もさくらちゃんや宇都宮教授と同じくらいの傷を負っていた。

私が宇都宮教授を運んで来ると、彼は何かを唱え出して、2人に向かって手を伸ばした。

ふわりとした優しい光が、2人を包む。


「俺は本職じゃないから、本格的な治療は出来ない。治癒魔術士がもうすぐ来るから、それできっと助かる……」

「…………うん」

「天野ごめん……、俺が巻き込んだから……」

「……うん」


2人の傷が塞がっていく。

治療魔術士が来るまでの数分間、ほむら君は絶えず2人を治療し続けていた。



病院のベッドの端で、うとうとと寝そうになる。

窓から差し込む昼下がりの日差しって、なんでこんなに眠くなるんだろう……。


「みーことっ、ベッド入る?」


さくらちゃんが、私の肩を叩いてにやりとしながら布団に空きを作る。


「ほれほれ、こっちよろう」

「もう、ほんとに重傷だったんだよ? まだ治りきってないんだから大人しくしてて」

「はぁーい」


学校が襲われてから1週間が経つ。

あんなに至る所が壊れていたのに、従魔士教会から来た人たち手で、ものの数時間もしないうち校舎はほとんど直ってしまった。それに、エメラルドの腕章を付けた10人くらいの部隊が、あっという間に怪我人を治していった。

流石に、さくらちゃんや宇都宮教授ほど重傷だと全部は治しきれなかったみたいで、2人とも個室で1ヶ月安静を言い渡された。

あれから、ほむら君は毎日2人のお見舞いに来ている。

今日も多分、そろそろ現れるころだと……、


コンコン、と音がする。

さくらちゃんが「いーよー」と言うと、ガチャリと音がしてドアが開いた。


「失礼する」


学校にいるとき同様、前髪で目が隠れたほむら君が現れる。

怒りと憎しみに満ちた、危うい感じはしない。

一体、あのときの彼はなんだったんだろう……。


「春野、体は大丈夫か?」

「うんっ! もーばっちり! 今からだって部活に復帰出来るもんね〜!」

「それはだーめ。もう3週間しっかり休んで」

「えー!? ほらっ! もうこのとっ、イタタ……」


さくらちゃんは、私たちに元気なところを見せようとして、案の定痛みでベッドに吸い込まれていった。私が「ほら〜」と言いながら布団を掛けると、さくらちゃんは満足そうに笑う。

その様子を見て、ほむら君は「大丈夫そうだな」と言った。


「俺は帰るよ。これ、差し入れな。2人で食べてくれ」

「うんっ! ありがとね〜」


ほむら君は、そのままでも食べられそうな果物の詰め合わせを置いて、その場を後にした。

どうしよう……、このままだとまた聞く機会を逃してしまう。


「みことっ、行ってきたら?」

「え?」

「何か聞きたそうな顔してたよ」


そ、そんなにわかるような表情をしてたんだろうか?

さくらちゃんに「行ってくる!」とだけ言って、私はほむら君の後を追った。



「結構寒くなって来てるな……。飲むか?」

「うん……」


ほむら君から手渡されたココア開けると、湯気から甘い香りがした。

やっぱり、戦っている時とはまるで雰囲気が違う。まるで別人のよう……。


「あの……、聞いていいかわからないんだけど……、いい?」

「ん? 天野には随分迷惑をかけた。俺に答えられることならなんでも答える」

「そっか……」


少し緊張したので、一口ココアをすする。

もしかしたら、次の言葉は“あのとき”の恐ろしい彼から発せられるんじゃないかと思った。

私が聞いた途端に内側の闇が溢れ出して、優しい彼に戻らなくなるんじゃないかって。

だめだ。私は聴くって決めたんだ。

口に含んだココアは、甘くて温かい……。おかげで少し落ち着いた気がした。


「ほむら君は……、なんで“従魔士”になったの?」

「…………それか…………、聞いても仕方なくないか?」

「答えられることならなんでも答えるって言ったよ?」


いつかの意趣返しだ。

そっちから言い出したことなんだから、異論は認めない。


「…………俺は、もともと“従魔士”の家系なんだ。だからなった。それだけだ」


至って普通の答えだった。

父親に憧れた子供が、父親と同じ仕事を選ぶような。

でも私は、なぜか納得出来なかった。


「……隠してることある」

「ない」

「あるよ。それだけで全部なら、あの時みたいにならないよ……」


悪魔に対する深い怒りがある……。

そうじゃなきゃ、あんなに苦しそうに戦ったりしない。

怒りや憎しみだけじゃなくて、もっと多くの感情が溢れそうで見ていられなかった。


「さっき約束したよ……」

「……あぁ、わかったよ…………」


観念した……、とでも言いたげに両手を挙げ、ほむら君は自分のことを話し始めた。

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