世界から悪魔が消える時

(株)ともやん

第1話

世界には数多の悪魔がいる。


彼らは世界に災厄を齎す。

ときに世界を焼き尽くし、ときに世界を海に沈め、ありとあらゆる姿を借りて世界を滅ぼそうとする。

俺たちの世界を失うわけにはいかない。

だが、悪魔の力はあまりにも強大で、人間ではどうやっても抗うことは出来ない。

だから、俺たちの先祖は知恵を絞った。

そうして、あるとき辿りついた。

人間の力だけで悪魔に敵わないなら、悪魔の力を借りればいい。

悪魔の力を借りて悪魔を討つ。

それが俺たち“従魔士”の仕事だ。


そしてこの物語は…………




悪魔と従魔士が、世界から消え去るまでの物語。



「みーことっ! かーえろっ!」


講義が終わると、快活で大人っぽい美人が私のもとへ飛んでくる。

スラっとした美脚にさらりと爽やかな笑顔、男女問わず人気があるものだから、玉砕した人はもう数え切れない。女の子から告白されたことも両手で数え切れないくらいあるから、幼馴染というだけで一緒に帰っている地味な私はいつか刺されそうな気がする……。


「さくらちゃん、部活は良いの?」

「……ふふふっ、みことと帰るためなら部活なんて障害にはなり得ないのよ」

「? よくわからないけど、サボるのはダメだと思うよ?」


何が言いたいのかよくわからなかったが、とりあえず部活に行かないということだけは聞き取れた。大学にも部活動推薦で入ったんだから、サボるのは良くない。


「まじめっ! でも、この穢れてない感じがまた……すきっ」


そう言って、さくらちゃんがぎゅっと私を抱きしめてくる。ちょっと苦しい。

息苦しくて「んんっ」と声を上げると、さくらちゃんは私から離れていたずらっぽく微笑んだ。


「なんてねっ! 今日は元から休みよっ! ねぇ、前に言ってたチーズのお店、行きたくない?」

「そーなんだ。チーズのお店は行きたいかも」

「ねっ! そしたら行こっ!」


私が「うん」と答えるや否や、さくらちゃんは私の手を引いて駆け出そうとする。

その拍子にカバンが机にぶつかって、隣の男の子のペンケースが落ちてしまった。


「あ、ごめんっ!」

「……いや、別にいい」


男の子は、目を合わさず返事をしてペンケースを拾い上げる。

目を合わさずというよりは、前髪で目が隠れていて合わせようにも合わせられない。


「ごめんね」


一応、もう一度彼に謝って私たちは大学を後にした。




「ふー、美味しかったねっ!」

「うん、また来たいね」


そう微笑みながら答えると、さくらちゃんは満足そうに笑った。

少し歩いて思い出したように振り向くと、さくらちゃんは私の頰に手を当てた。

急にそんなことをするものだから、私は驚いて固まってしまう。


「んー…………」

「な、なに? どうしたの?」

「やっぱり、みことはかわいいなぁ〜、と思って」

「私はかわいくないよ……、地味だし自信もないし……」

「そんなことないよっ! 私が保証するっ! きっと自信がつけばもっと輝くよっ! そうだ、一緒に剣道やる?」


矢継ぎ早に繰り出すさくらちゃんに、私は首を横に振る。

すると、さくらちゃんは残念そうに「そっかぁ〜」と呟いて肩を落とした。


「でも、やりたくなったらいつでも言ってねっ!」

「えー? 私は痛いのやだよ……」

「大丈夫っ! その時は私が守るからねっ!」

「そ、それじゃあ剣道にならないんじゃないかな……」


私が言うと、さくらちゃんは「ふふふっ」と優しく笑う。

ほんとに綺麗だよなぁ、さくらちゃん。優しくて、強くて、笑顔が素敵な、幼い頃から私の憧れ。地味で臆病な私を、いつも守ってくれる。


「じゃ、また明日ねっ」

「うん、おやすみ」


さくらちゃんに別れを告げ、夜道を歩き出す。

ざわっ……、と、近くの木々が騒いだ。通り慣れた道のはずなのに、何故か今だけは知らない道のようだった。もともと夜道は得意じゃないけど、それだけじゃない気がする。

少し歩を速めることにした。暗い道から早く抜けてしまいたい。


………………………………おかしい。


いつもなら着いてもおかしくないのに、一向に家が見えない。

それどころか、どんどん知らない道に迷い込んでいるような気がする。

幼い頃から住んでいて、この辺のことならわからないはずないのに……。

一旦戻ろう。そう決めて来た道を歩き直す。だけど、余計に道は闇を深くするばかりだった。


「はぁ、はぁ、…………さくらちゃん……」


知らないうちに早足になっていた。息も切れ、さくらちゃんの名前を呼ばずにはいられなかった。このまま帰れなかったらどうしよう……。

……ざりっ。

俯きながら立ち止まろうとした瞬間、後ろでコンクリートの石が踏みしめられる音がした。

もしかして、さくらちゃんが助けに来てくれたのかもしれない。いや、そうじゃなくても、今は誰か人がいてくれれば……。


「なに……、あれ……」


淡い期待は、簡単に打ち砕かれた。

姿は虎に近い。黒い体毛に覆われ、鋭い牙と爪が覗く。

だが、それは虎というにはあまりにも常識とかけ離れている。

それは二本脚で立ち、まるで人間のように佇んでいた。背中にはコウモリのような翼が生え、全身からは黒い煙が溢れている。


「い、……いやだ…………さくらちゃん!」


精一杯絞り出した言葉はそれだけだった。

鋭く剥かれた牙が迫るのと、私の足に力が入らなくなって倒れるのが同時だった。

きっと、さくらちゃんが助けてくれる。いつも言ってたんだから、だからきっと…………



「悪い。俺は“さくらちゃん”じゃないんだ」



目を閉じると、優しい声がした。

はっ、として目を開くと、黒いロングコートを羽織った男が立って居た。

男は、まるで炎が荒れ狂ったような形をした大剣を振るい、虎の怪物を跳ね飛ばした。


「怪我はないか?」


私の方を振り向いて、男が言った。

首を横に振ると、男が優しく笑う。


そして怪物に向き直ると、大剣を振るい、一瞬にして斬り捨てた。


頭の先から両断された怪物は、斬り口から火がついたように燃え上がり、泡末のように消えていった。

消えていった怪物を見送ると、男は私に手を差し伸べながら「立てるか?」と聞いて来た。

今度は首を縦に振ると、差し伸べられた手を掴んだ。

ぐいっ、と勢いよく引き上げられる。

月明かりに照らされた男は、目が鋭く少しだけ怖い印象を受けた。

そういえば、さっきまで持っていた大剣が見当たらなくなっている。それに、髪の色は優しい白だった気がする。今は紅い。

黒のロングコートには銀の装飾があしらわれており、ギラギラした派手さは無いものの、神聖な感じがする。さっきの怪物を斬ったことといい、只者ではないみたいだ。


「1人で帰れるか?」


私がまた首を縦に振ると、男はロングコートを翻して立ち去った。

闇に消えていく男を呆然と見送り、ふと我に帰る。


「…………あ、お礼言ってない」


せめて名前でも聞いておけばよかった。

そうすれば探すことが出来たかもしれないのに……。

私が歩き出そうとすると、また周囲が暗くなった気がした。


『…………こんなところに、とんだ大物がいたもんだが、最後に油断したようだな』

「な…………に…………これ…………」


意識が深く沈み込んでいく。

遠ざかっていく世界の中で、さっき助けてくれた男が叫ぶのだけが見えた。



「くそっ……、やられた」

『油断したな“従魔士”。この女は俺の支配下にある。選べ、2つに1つだ。この女ごと俺を斬るか、この女の魂が俺に喰われ、悪魔と成り果てたところを斬るか。いずれにせよ…………、この女は助からん』



ここはどこだろう。暗い場所だ。

不安に押し潰されそうになっていると、暗闇の中からカツン、カツンと誰かが歩く音がする。


「さくらちゃん!」

「みことっ!」


よかった……、さくらちゃんが助けに来てくれた。

やっぱり助けに来てくれたんだ……。


「さくらちゃん、あのね、さっきそこに化け物がいて、それでっ……」

「落ち着いてみこと……。それって、虎みたいな姿をしてた?」

「そ、そんな感じだったと思う……。なんで知って……」


私の問いに答える前に、さくらちゃんは自分の顔をバリバリと剥がし始めた。

古びた漆喰のように顔が剥がれ、中からはさっきの怪物の目が覗いていた。


「なんで……? さくらちゃんじゃ……ない……?」

「いーや? 私は正真正銘“春野 桜”さ。何で知っているかって? そりゃあ、アイツは私がお前を殺すために呼んだからさ!」

「……え……う、嘘……だよね? …………だって、昔からずっと一緒にいて、仲良しで……、優しくて……強くて…………私を守ってくれて……」


縋るように言葉を絞り出す。

すると、さくらちゃんがクスクスと笑い出した。

あの優しい笑顔じゃない。嘲るような、貶めるような笑み。


「だーかーらぁ、そっちが嘘の私なのさ。お前が思う“春野 桜”は存在しない。私は悪魔として生まれ、ずーっとお前が育つのを待ち侘びていたのさ!」


嘘だ……嘘だうそだうそだうそだうそだ……。

そんなわけない。あの優しいさくらちゃんが、こんなことを言うはずない。


でも……、なんで誰にだって人気のあるさくらちゃんは、私と一緒に居たの?

私じゃなくても、さくらちゃんには友達がいっぱい居た。優しくて強くて美人なさくらちゃんは、私なんか居なくてもいいはず……。私みたいな取り柄のない人間に……、なんで?

あぁ……、そっか。さっき言ってたじゃん。私が育つのを待ってたって。

それで用が済んだから、今殺しに来たんだ……。

そうだよ。その方が自然だもん。

あんな綺麗で優しい友達がいて……、私なんかが今まで幸せにしてた罰が当たったんだ。

暗く沈み込んだ世界の中で、光も、音も、何もかもが消えて行く。感じなくなって行く。

でも……、殺されるのがさくらちゃんなら良かったのかもしれない。

だってほら、きっと、一瞬で終わらせてくれるから……。


『…………、さぁ、この女の魂は朽ちるぞ? “従魔士”』



「………………違う」



「はぁ?」

「……貴女はさくらちゃんじゃない」

「何を言ってるの? 私は、正真正銘“春野 桜”よ?」

「違うわ」

「本当に何を言っている? なら証明してみろ! 私が“春野 桜”ではないという証明を!!!」



「…………証明は出来ない。けど、私はさくらちゃんを信じてる。何より、貴女は違うって私の心が叫んでるんだ!!!」



「何をわけのわからないことを……、くそっ、とっとと絶望しろ人間がぁ!」


さくらちゃんの姿をした“何か”が叫ぶ。

さくらちゃんじゃない。もう、自信を持って言える。

さくらちゃんは、今までずっと私に笑ってくれていた。

今度は、私が信じる番なんだ。

胸の中から、暖かい光が溢れる。

こんな私でも……じゃない。今度は、私がさくらちゃんと並んで歩ける自分になるんだ。


「なんだその光は……なんだその力は…………ぐぁああ!!!」

「よく言った」


また、優しい男の声が響いた。

意識が、暗い闇の底から引き上げられるように遠のく。

そして、世界に光が溢れたかと思うと、元いた場所に戻って来ていた。

目の前には、あの助けてくれた男がいた。


「助けが遅くなってすまなかった。そして礼を言う。よく自力で悪魔を退けてくれた」

『ぐぁああああああ!!! 何故そんな小娘に私の力が通じない!? “従魔士”でもないただの餓鬼に!!!』

「黙れ悪魔。この娘の精神力を侮った、お前の負けだ」


男がそういうと、何も無い空間から再び大剣が現れた。

赤髪が白く染まり、周囲は陽炎のように揺らめいている。


「君主級、夢魔サキュバス。お前を滅殺する」

『くそぉああああ!!!』


キンッ、と空気が張り詰めて響く綺麗な音がして、さくらちゃんの姿をした何かが両断された。

そして、形を保てなくなったかのようにぐにゃりと歪み、爆散した。

また、助けられたんだ……。


「大丈夫か? 悪魔に乗っ取られていたんだ。疲労も半端じゃないはず。まずは、落ち着いて、深呼吸しろ。それと、これも食べろ」


そういって、男が懐からチョコレートを取り出した。

もしかして……、常に持ち歩いてるの?

思わぬギャップに驚いた。


「さっきの……何だったの?」

「あぁ……、さっきのは悪魔だ。最初のは騎士級の名もない悪魔だったが、2度目のお前に取り憑いたのは君主級、夢魔サキュバス。精神への介在、操作ならトップクラスの悪魔だ。普通の人間どころか、俺たち“従魔士”でも精神世界でヤツを退けるのは容易じゃない」

「…………あくま? ……きし? くんしゅ?」

「わるい、色々と一気に話し過ぎたな。悪魔って名前だけ覚えてくれればいい。……そして、俺は悪魔を倒すためにいる“従魔士”だ」

「“従魔士”?」

「従うの“従”に、悪魔の“魔”、そして、戦士の“士”だ」


私が質問すると、彼は丁寧に答えてくれる。


「魔を従える……」

「そう。悪魔を従えて、悪魔を討つ。それが“従魔士”」


今まで、こんな話聞いたことがない。

悪魔だって、そんなの空想の世界だけにいるものだと思っていた。

信じている人なんてどこにもいない。

多分、ずっと存在が隠されて来たに違いない。


ん……? でも、じゃあなんでこの人はこんなに丁寧に教えてくれるんだろう?


「というわけで、俺は随分と君に裏の世界のことを話してしまった。これで、はいさようならと君を帰してしまうと、俺は“従魔士”を続けられなくなってしまうかもしれない。もちろん、君も普通の日常に戻ることは出来ない」

「え……? ちょっと待って……」

「質問して来たのは君だから、聞いてないとも言わせない」

「いや……、えっ……」

「そこで、良い提案があるんだ。君も“従魔士”になるんだ」


そう言いながら、彼はにっこりと微笑んだ。

彼のことは、悪魔だと思った。

目の前が真っ暗になった気がした。

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