ジャクロ・フラメルとその他一名の密猟とその顛末 1

二組の男女が森の入口近くに姿を現した。名を男の方はジャクロ・フラメルといい、女の方はエマ・スナイダーといった。


二人とも白の防護服に身を包み、顔立ちははっきりとしない。寝袋、食料、衣服、洗顔器、そしてリュックから大きく突き出たライフル。それらで今にも溢れかえりそうなリュックサックを背負いながら一列になって歩いている。両者どちらも防護服の下に厚手のコートを羽織り、ダボダボの茶色いズボンを履いている。おまけにゴーグルまでかけ、防菌用のマスクまで装着している。かなりの重装備だ。


二人の間から漏れ聞こえる会話が風に乗って森のあちこちに運ばれていく。


急ぐ用事があるためか、二人の足取りは早く、喘ぎ声が防護服からこぼれ落ち、凪いだ森にこだまする。


ちょっと歩いただけで脇腹が痛い。エマはマスクの下で玉の様な汗を流しながら呻いた。ただ運動不足なだけだ、今まで外に出てジョギングもせずに家でテレビを眺めながら眠っていた罰だ。現にジャクロはペースを緩めることなく、悠々と突き進んでいるじゃないか。エマはそう自嘲した。



白い息が防護服の中に煙の様に充満し、一瞬前が見えなくなる。ハルクバルク恐獣森林地帯は危険って噂で散々聞いてきたけど、 なにもこんなに用心しなくていいのに。前日の夜までハルクバルクの森に出掛ける事を渋っていた自分を棚に上げて心中で毒づいた。


しばらくすると、後ろを歩いていたエマが根を上げた様に声を上げた。


「ねぇ、ちゃんと聞いてる?わたしの話、まだ終わってないんですけど」


後続を歩いていたエマが甲高い声で言った。


「ああ、聞いてるよ。この小道で本気で合ってるって話だったか」


先頭を歩いているジャクロが振り返りもせずに言った。


エマがマスクの下で溜息をつくのがわかった。


ええそうよ、でもわたしが聞きたいのはこんな暑苦しい格好が本当に必要かって話!


するとジャクロが急に立ち止まった。エマも少し驚いて歩を止める。


「どうしたの?」エマは怪訝そうに尋ねた。


ジャクロはゆっくりとエマの方を振り返って言う。


「ついた、ここがハルクバルク恐獣森林地帯の入り口だ」


エマはほっと溜息をついた。やっと目的地に着いたらしい。


「ここが?普通の森みたいだけど」


荒地に浮島の如く取り残されている森をざっと眺めながらエマが言う。


ジャクロはやれやれと呆れた様にかぶりをふりながら防護服のチャックを顎の辺りまで一気に引き下ろし、マスクも外す。


マスクの下にあったのは顔一面が白い毛で覆われた猿と猛禽類をないまぜにした様な男だった。黄色味がかった楕円形の目、全てを見通す様な冷たい瞳の奥には黒い黒真珠の様なつぶらな眼球が常に周囲を警戒している。顔から首辺りまで綿毛の様に柔らかそうな白い毛が密集しており、地肌は見えない。目のすぐ下には黒い嘴が釣針の様に突き出ている。


「いいや、ここが「ハルクバルク恐獣森林地帯」だ。「草も生えない、鼠すら棲まない荒れた大地の真ん中に静かに横たわる森……前に読んだ古い風土記と合致してる」


「へぇ〜ここが超危険地帯と名高い「ハルクバルクの森」ねぇ〜」


エマもジャクロに倣って防護服のチャックを下ろし、マスクもコートのポケットに押し込んで、改めて森を眺めた。


防護服から黒い猫耳がピョンと寝癖の様に飛び出す。続いてエマの顔がゆっくりと露わになる。そこにいたのは年端も行かない若い娘と猫が融合したかの様な美少女だった。


流れる様な漆黒の髪を腰まで垂らし、艶やかな髪が風に揺れてふわりふわりとなびいている。黒い猫耳は彼女の黒髪と調和して、周りの音に耳を澄ませるかの様に小さなアンテナみたいにピクピク震えながら動いている。細くて薄い切れ長の眉の下には黒い睫毛が濃紺色に輝く好奇心旺盛な瞳をそっと包み込んでいる。濡れた薄い滑らかな唇は紐で結ばれたかの様にぎゅっと引き伸ばされている。頬は先ほどまで分厚い防護服と綿のぎっしり詰まったコートという重装備で駆け足で荒野を進んでいたせいで、ほんのりと赤い。


エマは猫の自慢の視力を活かして森の外観をじっくりと観察した。


一目見ただけで、ここがどれだけ異質な場所かがわかる。この森は絶対に近づいていけない不可侵地帯だ。エマには本能的にわかった。エマは先日、本で読んだ「ハルクバルクの森」の概要を思い起こして見た。


荒地の大きさはおおよそ150エーカー。とてつもなく広い土地だ。夏は毎日気温50度を超え、雨は一滴も降らず、あらゆる物の水分を奪い、絞れるだけ絞って生物を死に至らしめる。


この地域は地理的に北に位置しているが、夏になると普段空に浮かんで地上を照らしている太陽とは別の太陽が地球に近づき、この荒野だけを照らし出す。つまり夏はまさに灼熱地獄。


また冬は氷点下マイナス185度をゆうに超えあらゆる物を凍らせる。足を踏み入れた者を決して逃がさず、一瞬で凍らせ、大地の生贄となる。冬はまさに地獄の釜の火さえも凍らせる極寒の寒さだ。


誰も棲まない、誰も棲めない無人の荒野。


そんな、どんな生物の侵入を拒む危険地帯にその森はある。


その森の木々だけはどんな気温にも耐え、枯れず、枝を伸ばし、葉を茂らせる。スギ、マツ、ケヤキ、ホワイトウッド、ナラ、その他得体の知れない木がところ狭しと乱立し、少しでも多く陽に当たろうと日々激闘を繰り広げている。


この完全な干上がった荒れた土地なのになぜこれほどまでに木々の繁殖能力が高いのか、それは地下に理由がある。


なぜか?


地下に水が流れているからだ。地下水が全ての木に水分を供給し、枯れることはない。外敵もなく、十分な水分が存在し、栄養たっぷりの葉があるいうことは無論、凶暴な食獣植物や肉食昆虫類も生息できるということに他ならない。



そのためにエマとジャクロは身を守るために重装備なのだが、なぜ二人きりでこんな超危険地帯にのこのこやってきたのかと言うと、話は三週間ほど前に立ち戻る。






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人間病 岩犬 @dogman485

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