一 再会 

1 


 雄一は目覚めた。頭に鉛を流し込まれたような、へばりつく頭痛がした。目を開けて周りを確認した。白い壁、薄水色のカーテン、無機質に照らす蛍光灯。一切の感情を取り払ったような空間。寝ているのが病院のベッドだと気づくことにそう時間はかからなかった。


 体は動く。少しずつ何が起きたのかを思い出してきた。愛美も同じ病院にいるのだろうか。いや、そもそも命はあるのか。明らかに火の気のないところから炎があがった。それどころか愛美の体が発火したようにも見えた。あの現象は何だったのか。まだ意識がはっきりしない中、出来事に押しつぶされないように冷静に物事を考えようとした。


 ふと水が飲みたくなった。体を起こそうとしたが気怠さがあったので手の届くところにあったボタンを適当に押した。幸い、ナースコールの類だったようで、すぐにナースが来た。雄一を見て初めて蛇の脱皮を目撃したかのように驚き、慌てて病室を抜け出した後、一分もしないうちにドクターらしき男が現れた。


「いや、驚いた。鈴原さん。具合はいかがですか。」

「はい。頭痛と、全身にまだ疲れを感じますが、幾分か休めば問題はなさそうです。」

「そうですか。いや、鈴原さん。回復が早いので驚いた。煙を吸っていたろうにね え。昨日のことは、覚えていますか?」

「ええ、大体は。意識をなくしてからのことはさっぱりですが。」


 話が長くなりそうだったので雄一はとりあえずナースに水を頼んだ。そして、ドクターから昨日の出来事のその後について聞いた。救急と消防がすぐ到着したが、周囲の建物にも火が移り、消火に数時間かかるような大規模な火災になったこと。多数の怪我人と、数名の死者が出たこと。雄一はレストランの裏口から大分離れたところに倒れていて、消防隊員に見つけられ救助されたこと。そして、愛美が行方がわかっていないこと。


「今朝のトップニュースでしたよ。火災の規模もそうでしたが、複数の証言で、客として来ていた女性から火があがったって。人体発火は科学的にあり得るのかなんていかがわしい専門家もコメントしていました。また遺体が見つかっていないことも、妙な盛り上がりに拍車をかけているみたいですね。」


ナースが雄一の汗を拭いながら言った。自分の身元や愛美の恋人だということはわかっているのだろうか。雄一は現状を整理しようとした。頭の中に、愛美の言葉がよぎった。


「忘れないから。」


冷たい響きだった。助けようと足を進めることができなかった自分への失望だろうか。憎悪だろうか。意識が途切れるまでの、人の焼ける匂いが鼻の中に残っている気がして、吐き気がした。窓の外に愛美がいるような気配を感じたが、そこには雪の前のじっとりとした重い曇り空が、ただただ広がるばかりだった。


 一週間の時が過ぎた。食べる気は起きなかったが、病院の食事を胃に押し込めた。まるでディスプレイに飾られているレプリカのような味がした。一週間の間に、職場の上司や同僚、両親、わずかな友人達が見舞いにきた。気分も大分良くなり、退院も間近だとドクターは話した。毎日、新聞で火災のその後を調べたが、捜査に進展はないようだった。その頃には雄一の身元も知れわたっていたので、ナースが心配してやたらとニュースの話をした。ナースの話によると、一週間の間に他にも不可解なニュースが続いたようであった。


 一つ目に、新宿で起きた停電と大規模火災。犯人だと名乗る男が一度捕まったものの、突如落雷が起きて混乱に乗じて逃走。行方がわからなくなっている。


 二つ目に、川崎市で起きた複数の車の盗難事件。三十台近くの車が駐車していた場所から忽然と消えたという事件である。その後車は近いところで数メートル先、遠いところで数十キロメートル離れた千葉市で発見されている。急に車が消えたという目撃情報があり、情報収集が続けられている。


 三つ目に、一日のうちに三人の女が別々の駅のホームから身を投げ出した列車事故。どの女も同じ新興宗教に属していたため、教祖の男が事情聴取を受けている。

 

 

 愛美も行方不明者として捜索されている。このまま退院したところで、何かする気力もなく、ただ漠然と時を過ごすしか方法はないと雄一はすっかり暗くなった外の景色を眺めなら思った。自分の中身をごっそりスプーンで掻き取られたような気分だった。ただ、日が落ちるから眠る。夜が明けたら起きる。


 眠りが浅い夜が続いていたが、退院を控えたその夜は特に寝付きが悪かった。雄一は目を閉じたままゆっくりと流れる時間をただただ感じていた。ふと、人の気配がした。目を開けて枕元の置き時計に目をやると、時計の針は二時に差し掛かるところだった。抜け殻だった体に久しぶりに緊張がはしった。暗闇の中、床に吸い付くようなじっとりとした足音は数日ぶりに恐れを思い出させた。

 

 足音は雄一の病室の手前で止まった。怪しげな訪問客に雄一は体を強張らせた。幸い、体は動く。いざとなれば走ることも可能だ。しかし、高まる動悸で固くなった体は言うことを聞きそうにない。目を閉じたまま何事も起きないよう信じたい気持ちであったが、何か起きてしまった場合には少しでも動きが早い方が良い。残された理性で曖昧な願望を閉じ込め、少しずつ雄一は目を開いた。

 

 病室の入り口に人影はなかった。雄一は静かに深い溜め息をついた。


 ふと地面をこするような足音が、入り口と反対にある窓際から聞こえた。雄一は、条件反射で音のする方に首を曲げた。月明かりが侵入者の横顔を照らしていた。再び会うことはないと思っていた姿がそこにはあった。

 

 愛美がいた。

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