第4話 トラウマ

街外れで背中を丸めて歩く若い女性の姿があった。

この女性はどうやら雑居ビルに入るようだ。


服装と髪型はできるだけ目立たないことを意識したようなものだった。


雑居ビルのエレベーターで地下1階へ女性は下りていった。


「ここがメディテーションルーム・・・」


そう呟くと女性はドアを開けて中へ入っていった。


支配人ミタ「いらっしゃいませ、ご予約のお客様でしょうか?」

「ええ、よ・・・予約してた・・・ノゾミです」


どこか挙動不審でおぼつかない雰囲気だ。


支配人ミタ「ノゾミ様、お待ちしておりました。それではこちらへどうぞ」


支配人のミタはいつも通りだ。千差万別の客をもてなしてきた誇りが伺える。


ノゾミはミタの誘導で奥の部屋202号室に入った。


ノゾミはVRCと書かれた大きなイスに座った。VRCは起動し始めた。

ノゾミは震えていたが何も抵抗せず、VRCの動きに身を委ねた。


仰向けの体勢になり、上からVRゴーグルが下りてきてノゾミの目元を覆いつくした。


支配人ミタがいつものセリフを言う。

「ここはお客様がご自由に仮想世界をお楽しみいただける瞑想の部屋です。

実に様々なお客様にご来店いただいております。


きっと他にはない特別な体験をすることができるはずです。

肩の力を抜いてリラックスして席にお座りください。


それでは始めさせていただきます!3・2・1・・・GO!」


ノゾミは目を開けると自宅にいた。リビングには両親がいる。

恐る恐るリビングに入って行った。


父「おお、ノゾミそこにいたのか?さいきん学校の調子はどうだい?」

ノゾミ「学校・・・あんまり楽しくない・・・」


ノゾミは父の質問や話しかけてくること自体に疑いを持った。

今まで父親が自分に興味を持ったことがなく、物心がついたときからほとんど会話すらしたことがなかったからだ。

しょせんは仮想世界、仮想現実なんだ・・・という思いである。


母「ノゾミご飯できたから食べようか♪お母さん、今日は料理がんばっちゃった」

ノゾミ「う・・・うん、ありがとう」


普段はこんな優しい母親ではなく、いつも叱責しっせき罵声ばせいを浴びせるだけのイヤな女だった。メディテーションルームで見える仮想の世界・・・仮想の家族だとノゾミは思った。


ノゾミ「どうせ・・・仮想の世界なんだ。現実じゃない・・・」

ノゾミの思考は両親の影響で否定的・批判的な考えに極端きょくたんに偏っていた。


父「学校が楽しくないって言っても、もうすぐ卒業だ。18才になったから高校を卒業したら家を出なさい。自立して好きに生きればいい」


ノゾミ「えっ?いいの?」

ノゾミはこれが映像であり、実在の人物とは”違う”ことも十分わかっていたが父親のこの一言が嬉しかった。


今まで家にいるときに散々さんざん、母親に罵声ばせいを浴びせられののしられ、そして、「あなたは何もできない。私たちがいないとダメな人間だ」と刷り込まれていたからだ。


これは機能不全家族きのうふぜんかぞくと呼ばれる”未成熟みせいじゅくな家族関係”である。


それは両親の知識のなさ、思考のなさが原因であり、ライフスタイル(生活習慣)が良い状態とはいえなかった。


そのため子供のころからノゾミは事あるごとに母親に叱責、罵声を浴びせられて育ったのだった。


子供のころからの母親の刷り込み、洗脳によって「自分はダメな人間だ」「何もできない」「親の元でギリギリ生きるのが精いっぱい」だと思い込むようになっていた。


そんな育ち方をしているので友達はできない。話し相手もいない。そんな状況を小学生のときからずっと過ごしていた。


だが、ノゾミはこのメディテーションルームで一筋の光を見た。

彼女が理想としていた”温かみのある家族”を体感することができたからだ。


今、ノゾミは「このメディテーションルームの仮想世界、仮想現実でもいい。私はこの両親に思いっきり甘えよう!」と・・・。


ノゾミは両親と積極的に話をした。


いつものように否定や批判の嵐ではなく、私の話をしっかり聞いて肯定してアドバイスをくれる両親に感動した。


心の中で思った。「愛情のある家族って、こんなに違うんだ」と・・・。


ノゾミ「そう、私はお父さんとお母さんから離れて一人で暮らそうと思う。わからないことだらけで怖いけど一人暮らしをする」


父「そうだね、18才で高校を卒業して社会に出るのは不安だろう。でも、わからないことがあればインターネットがあるしバイトでもなんでも仕事がある。恵まれた時代なんだよ。やればできるさ」


母「ノゾミはこれから恋愛したり楽しいこともたくさんあるのよ。容姿だってそんなに悪くない。化粧してオシャレして今しかできないことをやりなさい。私たちは応援しているからね」


ノゾミの目には涙が溢れ出していた。やっと欲しかった言葉が得られた。


物心がついたときから「いらない子」のように両親に扱われてきたからだ。

会話する前から自分が話しかけた言葉はすべて否定される、批判されるという先入観さえあった。


今は自分が言った言葉に対して、人としての温かみのある言葉、親としての言葉がある。考えて話してくれているのが伝わってきた。


なんだか胸のあたりが温かい。体に熱が集まってくるようにノゾミの体は温かくなっていた。


愛情のある家族を体感したノゾミには迷いや不安がなくなり、どこか吹っ切れた様子だ。

しばらく心の中で”この両親”に言われた言葉を頭の中でグルグルとリピートしていた。

彼女にとってそれこそが真実であり、確信であった。


自宅の景色と両親の姿が見える状態から画面が真っ暗になりVRゴーグルがうえに上がっていくのが見えた。


VRCが元のイスの状態に戻った。


支配人ミタ「いかがだったでしょうか?満足いただけましたか?それではまたのご来店をお待ちしております」


ノゾミは最後に「ありがとう」と言って店を出ていった。


彼女は高校を卒業すると寮が付いた職場に就職が決まり、両親の元を離れた。そして、人生で初めての彼氏をつくり幸せになっていった。


今まで両親から洗脳されていた「お前はダメな人間」という暗示も解けて、たくましく自分で選択して生きるようになった。


結婚して子供ができても両親とは音信不通である。しかし、それが彼女にとって”自分が唯一幸せになる方法”であることは間違いない。


世間一般の家庭ではなく、家族関係が非常に悪い状態、なんとか均衡を保つために誰かを犠牲にする状態を機能不全家族という。


ノゾミはそんな家族の元で育ったことをメディテーションルームのVRCとVRゴーグルを利用して、改めて自覚したのだ。


「やっぱり私が悪いんじゃなくて両親が悪かったんだ」という結論である。


責任転嫁せきにんてんかをしていたのは父親と母親である。

自分には非がないと思わせるために幼少のころから子供に責任転嫁していたのである。なんとも未熟な両親だった。


世に名を遺したお金持ちたちも同じような言葉をいう。


「親族だって、家族だって、会いたくない奴がいるのにムリに会う必要はないじゃないか。会いたくないって自分の心が思うのなら会わなくていいんだよ。


ムリしてそいつに会ったって毒にしかならない。じゃあいらないじゃないか。


そいつのために自分の人生を犠牲にするのかい?

そんなバカらしいことがあってたまるかってんだ!


自分の人生は一回きりなんだ。じゃあ精いっぱい楽しく生きるべきなんだよ」


世の金持ちたちがいう言葉も正論である。


日本の社会の均衡が崩れ、格差が拡がった現代の日本では子供への虐待や叱責、罵声が多くなっている。


それは大人が多くのストレスを抱えて、はけ口とする八つ当たりに他ならない。

未熟な人間、未成熟な人間が増えている。


そこで支配人のミタがいう。

「どうぞストレスをお抱えの皆様、当店では人生の喜びを与える瞑想の部屋をご用意しております。どうかこの機会にご利用くださいませ」


支配人のミタは、いつものように笑顔で深々と頭を下げるのであった。

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