第16話 盗賊襲来
足を速めて、シリーンの宿場には、十五時頃に入った。強行すればもう一つ先の宿場にまで行けなくもない時間だったが、ルークの忠告もあって、その日はシリーンに逗留し、馬も人も早くに休むことにした。
次の宿場、ヴァレンティノワには、逗留したくなかったからだ。ヴァレンティノワは周囲に何もなく、それは別に構わないのだが、宿場の人たちが、領主であるブランデンブルク公爵の威光をかさにきて、ひどく愛想が悪い。ブランデンブルク公爵家は名門でありつつ大領地であり、大抵のことは無理を通してもごもっともで通用してしまう。水利争いなどで、無理が通ることが学習している同領の人々は、村人の末端にいたるまでどこか高飛車である。
モンテネグロ人を泊めることでも大揉めに揉めるだろうし、さしものヴァーゲンザイル伯爵家のユニコーンの紋章の効き目も期待できそうにない。
フェリックス当人を除外しても戦力的には十分なこの一行であり、最悪、野営をしてもいいのだが、冬の盛りに近づきつつあるこの季節では、フェリックスはできればそれは避けたい。ルークはこれでいて正規の軍人であるわけだし、アグネスたちは冬の野営など慣れてはいるだろうが、フェリックスは「心身の鍛錬のために厳しい環境に身を置く」という趣味はない。
そう言えばフェリックスの中の人は子供の時に、ピアノ、水泳、書道など諸々、習い事をやらされていたのだが、一番長く続いたのは絵画教室で、一番早く止めたのは空手だった。いろいろやらされていたわりには、本当に嫌となればてこでも動かなかったので、親もそこまで嫌ならと無理強いはしなかったのだ。空手を止めたのは冬に水行があったからで、フェリックスは寒いのは大嫌いなのである。
絵の方は長くやった割には才能はまったく無かったのだが、こちらの世界でも図面を書いたり、完成予想図を書いたりする時に結構役立っている。
楽器も、こちらの世界の楽器や音楽理論はあちらの世界とはかなり違うのだが、音楽は音楽だから通底する部分も多く、たいていの楽器は少し練習すれば流暢に弾けるようになる。あちらの世界の名曲を弾いたりして、アビーからはつねづね「フェリックスはこれで食べていけるよ!」と大絶賛されていた。
もし領地も何もかも失うことになれば吟遊詩人になるのもいいかなと思っているフェリックスだった。
ともあれ、ヴァレンティノワの宿場をさっさと素通りしたいという話である。
シリーンの宿場を、まだ暗闇の頃に出て、ヴァレンティノワを突っ切ればその日のうちにその先のカルナンの宿場にまで達することはできる。
早朝、というか、まだ夜中のうちに駆り出されて不機嫌な馬たちをなだめながら、フェリックスたち一行は出発し、昼前にはヴァレンティノワに達した。
様子の異様なのをすぐに察して、ルークが警戒態勢をとり、フェリックスを馬から下した。アグネスたちもすぐにフェリックスを守る態勢に入る。
「どうした?」
「坊ちゃんはそちらの崖地を背にしてください」
背後を取られぬように、ルークは自らの背中でフェリックスをかばいつつそう言った。すぐに、盗賊の一団が襲ってくる。
「盗賊団の襲撃のようです」
砂埃の間からのぞき込めば道には死体がいくつも散乱している。
昼前のこの時間は、出発する者たちはすでに宿場を後にして、到着する者たちはまだ達していない時刻だ。結果的にこの宿場は、武装した者たちが少なく手薄になっている。
盗賊たちはこの時刻を狙って襲ってきたのだろう。
宿場は日銭商売なので、そこには現金がある。
とはいえ、ここは主要街道のひとつ、センプローニウス街道である。どこの領主たちも十分に治安維持に配慮しているはずだ。盗賊を発生させたとあっては、自領の損害のみならず、他領にまで損失を与え、貴族として評判は地に落ちる。
アグネスたちはすでに戦闘に入っていた。かなりの大人数の盗賊たちで、波のように押し寄せる彼らを、斬っては捨て、斬っては捨て、をしていた。アグネスたちの実力は伊達ではないようだ。
ルークはフェリックスから離れずに、剣を抜き、アグネスたちの防衛網を潜り抜けてくる敵を右に左に移動しながら斬り捨てていた。明らかに、普段の実力は、実力を隠ぺいしていたと思える戦いぶりであった。
「この地の領主、ブランデンブルク公は、治安維持の労力を他領の宿場に負わせています。そうやって経費削減に励んでいたところを、盗賊に目をつけられたようですね」
普通ならば、とっくに駐在の領軍が駆けつけていなければならないが、公爵は防衛費をけちっていたようだった。
フェリックスたちはひとつところに留まってはいられず、敵の動きに合わせて次第に移動してゆく。
(どうしよう。魔法を放てば、殲滅できるけど)
他領で、それもブランデンブルク公爵家という厄介な相手の領地でそれをするのはいかにもリスクが高い。寡兵ながらルークとアグネスたちが獅子奮迅の働きをしているので、かえってふんぎりがつかない。
フェリックスに護衛の騎士がいて、フェリックスの服装もいかにも貴族めいたものであったので、フェリックスを誘拐すれば高額な身代金がとれると思ったのだろう、盗賊たちがここが稼ぎ時とばかりに雲霞のようにおしよせてくる。
ついに、ルークの剣がはじきとばされた。
すかさずルークは体術に移行して、フェリックスを守りつつ、傍らに見つけた槇割用の斧を二対みつけて、それを構えた。
物語では斧を振るう英雄豪傑もいるが、武器としては使い勝手が悪いから、兵は剣、刀、槍、弓矢を用いるのだ。
しかし、斧を手にしてからのルークは、その戦闘力を一段も二段も引き上げたようにみえた。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。
引き潮のように後ろに退いたかと思えば、満ち潮のように一気に相手を殲滅してゆく。みるみる数十人の躯が積み上がり、その戦いぶりにはアグネスたちでさえ呆気にとられていた。
物語で斧を振るう英雄豪傑のように、その戦いぶりは圧倒的だった。
(いやいや。こんな狂戦士が身近にいたとはねえ。世の中、分からないもんだ)
そんなことを考える余裕もできている。
盗賊たちは形勢不利を悟り、撤退に入りつつあったが、ちょうどその頃、ようやく領軍が駆けつけ、彼らを殲滅、捕縛しようとしていた。
その時、盗賊の中の一人が逃げようとして転び、顔を覆っていた布がはだけた。その少年とたまたま目が合って、フェリックスとその少年は互いに驚愕した。
「ノエル。ノエルじゃないないかっ! ダグウッドを離れて、おまえ、どうして盗賊なんかに!」
「フェリックス様…」
ノエルと呼ばれたその青年は目を背けた。
ノエルはフェリックスがダグウッド村を相続する前、数年前に村を出た青年であった。あれこれ調査し回って、うさんくさげに後ろ指をさされがちだったフェリックスにも協力的だった。
思わず駆け寄ろうとしたフェリックスの前にルークの背中が現れて、阻んだ。
「殿。ダグウッドの者が含まれていたことを知られれば厄介なことになります。それに、アイリス様と殿の恩を受けながら、知ってか知らぬかはともかく、殿に刃を向けた逆賊です」
「ノエルはそんな奴じゃないんだ! 優しくて気が弱くて。このことだってきっと、盗賊に脅されていたんだ!」
フェリックスのその言葉に、ルークは一度、まぶたを閉じ、そしておもむろに見開いて、
「御免!」
と言うなり、ノエルにとびかかり、すかさずその首を刎ねた。
「ノエル! ばかっばかっ! なんてことをするんだ! ルークのばかっ!」
「殿。どうであれ、かの者がやったことは盗賊行為。捕縛されればこの地の領主の面目にかけてただでは済みません。処刑されるだけならばまだしも、死よりも苦しい痛みを与えられ、ねんごろに見せしめにされるのが世の習いです」
やったことがやったことである以上、どうあがいてもフェリックスにはノエルを助けようがなかった。捕縛されれば、ルークの言うとおりになっていたのは事実。
ルークがやったことは、むしろ慈悲というべきであった。
フェリックスは頭ではそうわかる。いや、そう理解しようとしていた。だが、それならばこの溢れてくるこの涙はいったいなんなのだろう。
この胸を焼き尽くすくやしさは。
責められるべき者がいるとすれば ― 。
「僕があと三年、いやあと二年早くマルイモを普及させていれば。ノエルも村をでていかずに済んだんだ。そうすれば盗賊なんかに落ちなくても済んだんだよ」
「殿。食い詰めた者がみながみな、盗賊になるわけではありません。ダグウッド村を出ても必死に働いて頑張っている者の方が多いはずです。アグネスたちをごらんなさい。差別されても、それでもまっとうに生きようとしているじゃないですか。どういう状況であれ、かの青年がアグネスたちよりも大変だったはずがありません。
かの者は自らに弱い自分であることを許したからああなったのです。それでもあなたはすでに多くの弱い者たちを救っています。とりこぼした麦を嘆くより、両手の中の麦穂に目を向けてください」
「それでも僕は。とりこぼしたくないんだ」
「いかなる者でも完全無欠はあり得ません。あなたでさえも。あなたはこぼれた麦を見るたびに、血の涙を流されるのですか?」
フェリックスは答えもせずに、力なく落とした肩をルークに抱えられるにまかせたのだった。
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