第14話 迷い道のベイベル

 ベイベルは魔域に近いので、時々魔域から溢れてくる魔物に対処しなければならず、高い外壁で町が覆われている。ボーデンブルク標準語では、城壁と町を意味する単語が burg で同じであるように、町は城壁に覆われているものだから、城壁で覆われているのは何もベイベルに限った話ではないのだが、その高さが違う。

 普通はせいぜい5メトルくらいの高さなのに、ここでは12メトルもある。しかも、町が拡張されるにつれて、城壁には通用門があけられるだけで取り壊されはしなかったので、町中にまで城壁が張り巡らされている。

 仮に最外縁の城壁を突破されても、町の中で少ない兵力でゲリラ戦が可能な構造になっている。

 防衛的には合理だが、結果的に町の街区が迷路のようになっていて、旅人泣かせの町である。また、壁が高いためどこを歩いていても影が地面に落ちていて、どことなく薄暗い。

 建物も城壁も、光を反射する白色で塗られているため、暗い割には明るいのだが、あくまで暗い割には明るいのであって、明るいわけではない。


「ベイベル辺境伯にご挨拶に行かれますか?」

「別に社交で来ているわけじゃないし、必要ないだろ」


 十二日に及ぶ片道の行程を終えて、ベイベルに入城したフェリックスは、かたわらのルークにそう言った。


「そうなんすかねー、うーん、行った方がよさそうな気もするんですけどねー、坊ちゃんのところの魔法使い、マーカンドルフでしたっけ、事前になんか言ってたんじゃないっすかね」

「マーカンドルフは魔法使いだけど、執事として雇用しているから。確かにマーカンドルフは土産用のダグウッド織を押し付けてきたけどな」

「そうでしょう! 普通はそうなんっすよ! 騎士より社交にうとい貴族って、それってどんなもんすかね。入城の際の受付で、坊ちゃんが来たことは向こうには分かるはずですし、無視されたら相手の機嫌を損ねませんか?」

「ダグウッド村じゃ挨拶なんて面倒だから来てくれない方がいいけどね」

「そもそもダグウッド村には貴族は行かないじゃありませんか! ね、挨拶に行った方がいいですって」

「案外、キモが小さいな、ルークは。だいたいどうしても必要ならアンドレイ兄さんが言わないはずがないじゃないか」

「どうしても必要かって言われたら必要じゃないかも知れませんよ? でも、挨拶ってそもそも必要だからするもんじゃないっすよね。こういう小さいことが回りまわって、評判につながるんすよ」


 確かにルークの言うことは間違ってはいない。騎士のくせにやたら細かいところがある男だなという感想を抱くフェリックスだが、フェリックスとしては行きたくない理由がある。

 第一に、下手に歓待でもされて長逗留になったら困る。

 第二に、ヨシ工芸やダグウッド織を強請られたり商取引を言い出されても供給に不安が残る現時点では対応しきれない。

 第三に、フェリックスの立ち位置がまだはっきりと定まっていない現状で、ヴァーゲンザイル伯爵家の護衛を連れてきている。相手を独立領主として扱うか、ヴァーゲンザイル伯爵家の郎党として扱うか、ベイベル辺境伯は頭を悩ませるだろうし、フェリックスとしては今はまだ立ち位置を曖昧にしておきたい。

 第四に、単純に社交が面倒くさい。


 いや、待てよ、とフェリックスは考える。

 他家を巻き込んで、フェリックスをヴァーゲンザイル伯爵家の郎党として扱うことが既成事実化すれば、それは伯爵家の利益にかなう。逆に言えば、辺境伯爵家があくまでダグウッド家を独立領主家として扱えば、ヴァーゲンザイル伯爵家には不利になるのだが、その場合でも、この場には伯爵家の騎士がいるのだから、あくまで「準独立領主」という立場に押し込めることも出来なくもない。

 まさかルークはそこまで見越して熱心に挨拶をすすめるのか、とフェリックスは疑った。

 伯爵家に対してそう忠誠心があるタイプとも思えないが、給料分の働きはきっちりするタイプではある。そもそも、政治や権謀に疎いのが騎士のデフォルトであって、こうした酸いも甘いも噛み分けるみたいなことを言う騎士というのは相当に異質な存在だ。

 旅の行程中、ルークは結局、あれ以上の尻尾を掴ませなかった。

 フェリックスに分かったのは、ルークがただの脳筋ではなく、ただのお調子者でもなく、常に考えを張り巡らせている男だということだけだった。

 そういえば、とフェリックスは思い出す。

 フェリックスはアイリスおばあさまに養育されたわけだが、ヴァーゲンザイル伯爵家には週一回程度は顔出しを強いられていて、伯爵家の事情には明るい。数年前、ルークがとある女性との恋沙汰で愁嘆場に巻き込まれて噂になったことがあったのだが、ルークはこっぴどく振られましたよ、と笑っていたのだが、確かに形式上はそうだったのだが、ゴシップ好きの母のローレイの午餐会に付き合った時、

「あれはルークがいけないわねえ、相手に振るように仕向けるなんて、情のないやり口よ」

 とローレイは言っていた。

 ローレイは今は勝手気ままな未亡人として、旅行に出ていることが多いのだが、人間関係の見方は確かで、ルークがむしろ「加害者である」という見方をローレイはしていた。

 思えばルークに違和感を感じたのはそれがきっかけだったのかも知れない。

 とにかく、ルークが見た目のままの男ではないことは、この旅の間でもフェリックスは理解していた。


「そんなに言うならさ、ルーク、おまえが土産持って挨拶に行ってくればいいじゃないか」

「えっ? それはちょっと。坊ちゃんおひとりで行かれた方が」

「護衛もなしで行けって?」

「そもそも私はヴァーゲンザイル伯爵家の者ですから。貴族の城に伺うのに、面倒なことになりますよね」

「いや、だから僕の名代として一人で行ってこいって言ってんだよ」

「伯爵様から命じられていない以上、それはお受けしかねます」


 え? 本気で僕を一人でベイベル城に行かせるつもりだったんだ、とフェリックスは驚いた。なぜ、こう熱心に勧めてくるんだろう、とフェリックスは疑問に思った。


 どちらにしてもフェリックスに行くつもりがない以上、表敬訪問の話はこれで終いである。

 宿屋で荷をほどいて、一服する間も惜しんで、冒険者ギルドに赴く。用事を今日中に済ませられれば、一泊するだけでこの町を出られる。フェリックスは別に観光に来ているわけではないのだ。さっさとダグウッドに戻ってやらなければならないことは山ほどある。


 冒険者にはふたつのタイプがいる。冒険者者と、一時的に冒険者と名乗っている者。冒険者の本来業務を考えれば、本当ならば冒険者は様々な分野のエキスパートでなければ務まらない。だが、来るものは拒まず、であるのは、冒険者ギルドが失業予備軍の収容先であり、彼らが犯罪者に堕する前に、させるか、奴隷に落とすか、とにかく余分な者たちを蕩尽してしまう機能を持っているからだ。冒険者ギルドは

 これは決して公にはしないが、貴族ならば誰でも知っている周知の事実である。今のところはダグウッド村は単純労働者は足りているので、余分な移民は必要としていないが、フェリックスの「ダグウッド村拡充計画」がうまくいけば、冒険者ギルドと話を付けて、余剰冒険者たちを受け入れてもいい。

 だが、フェリックスが今回用があるのは、本物の冒険者の方だ。

 ベイベルの冒険者ギルドは拠点支部のひとつで、建物も立派だし、働いている人数も多い。依頼カウンターのひとつに行って、依頼表を差し出しつつ、フェリックスは受付の男に銀貨を数枚握らせた。


「本物の冒険者を5名程度、斡旋してほしい。できればひとつのパーティーであるのが望ましい。依頼内容は未開拓地の探索。報酬はひとりあたり金貨10枚、拘束期間はとりあえず半年、延長の場合は更に同額を支払う。延長拒否権は冒険者側にある」

「それは冒険者にとってはかなり魅力的な依頼ですが…」


 受付の男は疑わしげにフェリックスを見た。なにもかもが停滞しているこの世界では、滅多にないおいしい仕事である。詐欺ではないか、と懸念するのが当然だった。


「冒険者ギルドの取り分は先払いしてもいいが」

「え? そうですか?」

「冒険者当人らにはさすがに全額先払いは出来ないが、半分ならば先払いしてもいい。だから、可能な範囲内で腕の立つ連中を頼みたい」

「そういうことでしたら。ただ今の手持ちの中では二つのパーティーをおすすめできます…ひとつは、当支部の最強戦力なのですが ― 」


 翌日の朝、冒険者パーティー「不動なる者たち」と合流し、フェリックスとルークは宿を後にした。

 冒険者ギルドが勧めたパーティーはふたつ。

 ひとつは最強パーティー。

 もうひとつはそれよりは一段二段落ちるが、いずれも貴族の傍系出身で社交的には使い勝手がいいパーティーであった。


「ねえ、旦那。あたしたちにはおいしい話だけど、本当にあたしたちでいいのかい? 北まで連れていかれて、やっぱり要らないなんてのは困るからね」

「アグネス、それでもいいじゃないの、もう半金もらってるんだしさあ」

「バカだねえ、リューネ、キャンセルされたらあたしたちにはペナルティはないけど、キャンセルされたっていうのは評判が悪くなるんだよ。今後の活動にも支障が出るってもんさ」


 フェリックスが選んだのは最強パーティーの方だった。女ばかりの5人パーティーである。言うまでもないことだが、力勝負の冒険者稼業では、女であることは非常に不利である。

 今はヴァーゲンザイル伯爵夫人に収まっている、フェリックスの従姉妹のザラフィアがかつては冒険者になるのを目指していたように、腕があれば冒険者としてやっていくのは不可能ではない。だが、それはあくまで不可能ではないというだけの話で、ザラフィアほどに天分に恵まれ幼少から厳しい訓練をこなしてきた女性などそうはいないのも事実であって、冒険者のほとんどは男である。

 ちなみに数は少ないが、女性騎士もいることはいる。これは貴婦人を密着して護衛するなど、女性にしか出来ない任務もあるためであって、現代の日本で女性警官がいるのと同じ理由だ。女性警官はいるが、警官の主力のほとんどは男性である。騎士についてもそれと同じである。

 魔法使いではない女性の冒険者、それもトップクラスというだけならばまだしも、トップの冒険者たちであるというのは、まったくもって異例なことだった。

 ただ、彼女たちが、ボーデンブルクの主流の人々とは人種が異なる、山の民とも呼ばれるモンテネグロ人であるという補助線を与えれば、そこまで意外な話ではない。

 モンテネグロ人は男女ともに大柄で、男女で体格差がそうはない。ボーデンブルク最南部の山岳地帯にモンテネグロ人たちの集落があって、彼らは時に傭兵の主要供給源になっていたが、浅黒い肌のせいもあって、文明から見放された野蛮人とみられていた。

 簡単に言えば、彼らは差別を受ける立場である。


 彼女たちのリーダーのアグネスが懸念していたのは、キャンセルされてダグウッドで放り出されても、行きはフェリックスが同道しているからいいとしても、帰りの道はモンテネグロ人である彼女らに宿屋は部屋も提供しないだろうということだった。

 懐の深いベイベルの町でさえ、彼女たちには泊まれない宿屋も多いのだ。トップパーティーとして高給を稼ぎながらも、下町の安宿を常宿にしているのは、そこしか彼女たちを受け入れてくれないからだ。


「キャンセルするなり、任務が終わった場合には、ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家が責任をもっておまえたちをこの町まで送り届ける、それならば心配ないだろう?」

「そりゃありがたいが、もうしわけないが、一筆書いてくれるかい?」


 アグネスの求めのままにフェリックスが懐紙をとりだしてその旨、書きつけて渡せば、アグネスはようやく安堵したようだった。


「坊ちゃん、彼女たちでいいんですかね?」

「ルーク、おまえまでモンテネグロ人に偏見があるのか?」

「いや、そんなものはありませんが、厄介ごとが増えるのは確かですよ? 坊ちゃん、厄介ごとは全部避けて通るお人じゃないですか。らしくないですね」

「いいんだ、これで」


 そもそもフェリックスが今回、冒険者を雇用したのは、パンタナール大湿地そのものとその向こう側の岸辺を開拓するために、探索を行いたいからだ。更にその部隊がそのまま、ダグウッド=ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家に欠けている治安組織として活用できれば言うことはない。

 今この時でさえ、王家から領軍の供出を求められないとも限らないのだ。領軍なんてそもそも存在していないダグウッドでは、もしそうなればフェリックス当人か、マーカンドルフを従軍させるしかなくなる。どちらも失うわけにはいかない人材だ。

 「不動なる者たち」をこのまま家臣化させることが出来れば、いざとなれば彼女たちを人身御供にできるわけだ。

 と言っても小規模な勲功騎士爵家のことだから、相性というものも要素として大きい。能力は問題ないが、人間関係上上手くいかないという場合もある。うまくいくかどうかは雇ってみなければ分からないのだが、家臣として雇用してしまえば、いざ、無理でした、となってもそう簡単には辞めさせられない。

 冒険者ならば任期を区切っておけば、雇用期間終了で済ませることが出来る。

 もちろん、冒険者の側で、ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家に仕えるのは嫌だ、となるかも知れない。それについては、フェリックスはカネで決着がつくだろうとは思ってはいたが、モンテネグロ人相手ならば与しやすい。

 要は普通に人扱いしてあげれば、それだけでダグウッドは彼女たちにとって非常に住みよい場所になるからで、彼女たちの方から是非、ここに置いてくれと言ってくる可能性は高い。

 フェリックスは自分に人間的な魅力があるとは期待していないので、マーカンドルフやガマのような、徹底して理性的なタイプが自ら納得して仕えてくれるというのとは別の場合では、他人の忠誠心などはなからあてにしていない。

 フェリックスが、差別を嫌っているのは事実だが、この場合は、差別からの解放と言う飴で、モンテネグロ人である彼女らを統御できる可能性の方が重要だった。


(来てよかったな。思った以上の掘り出し物だ)


 フェリックスはウハウハだった。

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