第5話 ギュラーの黒サラマンデル旗

 貴族に関する諸々は、王国紋章院が管理している。

 各貴族にはそれぞれ家紋があり、ギュラー伯爵家の場合は、白地に黒いサラマンデルが描かれた黒サラマンデル紋章だ。

 分家の場合は宗家の紋章に別途装飾を加えることになる。ヴァーゲンザイル伯爵家の家紋は白地に青線で描かれた白ユニコーン紋章で、分家であるヴァーゲンザイル勲功騎士爵家ではユニコーンの周りにハナミズキ《ダグウッド》の飾りが配されている。

 つまり、宗家本家ほど家紋の意匠は単純なのであり、宗家からの距離が遠いほど意匠がごちゃごちゃしたもになる。

 ギュラーの町のあちこちに、これでもかと掲揚されている黒サラマンデル旗は、ギュラー伯爵家が同一族の宗家であり、名門であることを示していた。


「どうしてこうなった!!!!!」


 ギュラーの本拠地、ギュラー城の中庭、ギュラー伯爵家騎士団の演習場で、フェリックスは砂埃にまみれて地に横たわり、激しく呼吸で胸を上下させていた。こう言う時でも腹式呼吸が身についていないのは、フェリックスが戦士として未熟な証である。


「まったく、久しぶりに会ったから少しは腕を上げているかと思えば、おまえはあいかわらずのもやしっ子だな!!!!」


 黙れ脳筋。

 稽古用の木刀を構えて、カッカッと高笑いをしている次兄コンラートをフェリックスは睨んだ。だが、砂地にへばりついて腕一つ上げられない状態では、何の示威にもならない。


「うちは魔域から離れていますからね、筋肉は人並みにあればいいんです」

「バカめ! いざという時に領民も守れないでなにが領主かっ!」


 いや、おたくの騎士団、全滅させられるくらいの攻撃魔法が使えるんですけど、とは喉まで出かかっても言えないフェリックスである。


「もうそれくらいでいいでしょ? まったく男の子ときたら」


 パンパンと手を叩いたのはギュラー三姉妹の長女キシリアだ。

 あ、義姉上、男が全員が全員こんな風じゃないんです! そもそも僕はいきなり連れ出されただけで、悪いのは全部この脳筋兄貴なんです!

 しかしギュラー伯爵コンラートは飼いならされた犬のように、キシリアに駆け寄り、大事そうにその腕をキシリアの肩に回した。


「起きてきて大丈夫なのか?」

「ええ、フェリックスが来たってきいたから。アビーも来たのかと思って。フェリックス、いつになったらアビーに会わせてくれるの?」


 キシリアはそう言いながら大きな腹をさすった。そう遠からず、ギュラー伯爵家は男であれ女であれ、跡継ぎを得られるだろう。

 ボーデンブルク王国貴族の爵位は兄弟姉妹間では、男子が継承において優越する。だが女子にも継承権はあって、女子しかいなければその女子が婿をとって爵位を継承する。

 当代のギュラー家もそういう形で、実は名義上、実際にギュラー伯爵であるのはキシリア・ギュラーだ。正確に言えば彼女がギュラー女伯爵ということになる。ギュラー女伯爵の配偶者として、コンラートは「儀礼称号」としてギュラー伯爵を名乗っている。そしてその儀礼称号としてのギュラー伯爵の夫人として、キシリアはギュラー伯爵夫人を名乗っているわけだ。

 ややこしい。

 つまり、女子相続、女系相続が認められているとしても、ボーデンブルク王国貴族は軍を率いることもあるのだから実際には当主は男でなければ務まらない。

 逆に言えばそういう形を取り得るので、生まれてくる子が女の子でもとりあえずの跡継ぎは確保できることになる。

 ヴァーゲンザイル三兄弟はギュラー三姉妹とそれぞれ結婚したのだが、三男と三女が結婚したのはいいとして、長男と次女、長女と次男のカップリングになっている。これは長男と長女がそれぞれ家を継がなければならない立場だからで、当初はヴァーゲンザイル家長男のアンドレイとギュラー家長女のキシリアをくっつけて、ヴァーゲンザイル=ギュラー二重伯爵家をこしらえようかという案もあったのだが、家風の違う両家が合体することにそれぞれの家臣たちが反対しお流れとなった。

 結果的に今の形に収まっている。


「あ、義姉上、近日中には必ず」

「そればっかりなんだから、フェリックスったら。せっかくだからアビーにも妊娠中の姿を見ておいて欲しいのよ。あの子だってそう遠からず通る道なんだから。うちはお母様が早くに亡くなったから、私はあの子の母親代わりなの。わかるでしょ? フェリックス。女の子には女同士、言っておかなければならないことがあるのよ」

「キシリア様。私がフェリックス様とアビー様にお仕えすることになりました。フェリックス様がお忙しくても私が付き添って必ずアビー様をお連れします。お約束しましょう」


 そう声をかけたのはマーカンドルフである。


「あら…マーカンドルフ。コンラート、あなたマーカンドルフをちゃんと勧誘したの?」

「したさ、何度も」

「で、マーカンドルフはうちじゃなくて、フェリックスのところを選んだ、というわけね。ふーん」


 キシリアはさりげなく圧迫を加えながらマーカンドルフとフェリックスを見比べた。フェリックスは冷や汗がふきでる思いだ。この年上の従姉妹はなにもかもお見通しという感じで、実はフェリックスにはかなり苦手な相手だ。


「ま、いいわ。アンドレイのところに引き抜かれるよりはマシだわ。マーカンドルフ、ちゃんとフェリックスをサポートしてよ。賢そうにしていてもどうも抜けが多いのよのね、この子」

「ぐふっ」

「わはは、言われてるな! フェリックス!」

「あなたはフェリックスよりも抜けが多いわよ、コンラート」

「ひいっ!」


 コンラート兄さんは完全に尻にしかれてるな、とフェリックスは思った。

 気丈にしていてもキシリアの悪阻はかなり重いようで、話を終えるとキシリアは自室に引き下がった。

 場所を移して、コンラートの執務室である。羊皮紙が処理済みのものと未処理のものが整理して机の上に置かれていて、これで案外真面目に領主仕事をしているんだなあとフェリックスはコンラートを少し見直した。


「で、うちから商人を一人引き抜くのを容認しろと?」

「そういうことになりますね」


 マーカンドルフが自分が言った方がいいと主張したので交渉にあたっているのはマーカンドルフだった。


「それで、俺に何の見返りが?」

「かわいい弟御を助けられますよ」

「マーカンドルフ。俺も血も涙もない男じゃない。俺だってフェリックスはかわいい。いつもかわいがっている」


 兄さんの「かわいがり」って大相撲的な意味だよねっ! とフェリックスは心の中で突っ込んだ。


「だが、領主としては話は別だ。フェリックスがギュラー家の分家ならばともかく…ヴァーゲンザイル家だからな。ヴァーゲンザイルは俺の実家だし、ギュラー家とは盟友関係にある。だがそれだけに、対等な関係でいるためには、ヴァーゲンザイル家を強化させるわけにはいかない」

「フェリックス様は別にヴァーゲンザイル伯爵家のために動く気は毛頭ないと思いますが…」

「そうなのか? いやっ、おまえ薄情だなあ! フェリックス!」

「べ、別にアンドレイ兄様に含むところがあるわけじゃないですよ? ただ、別に援助金を貰っているわけでもなし、僕はダグウッド村の領主として…」

「なら、俺もそうだ。俺はギュラー伯爵だ。おまえもヴァーゲンザイルの男なら領主の矜持は持っているはず。つまらないことで兄弟の情に頼るな」

「いや、それなんですが」


 マーカンドルフがここぞとばかりに身を乗り出した。


「これは亡きアイリス様が仰せだったのですがね、コンラート様はどうもザラフィア様に懸想をなさっておられるようだと…」

「な!」

「ザラフィア様はまったくお気づきになられていないようでしたが、コンラート様のお気持ちがそうなら、ザラフィア様をコンラート様に縁付かせてもいいのではと…」

「がっ。ぐふっ。ま、待て、それはおばあさまの勝手な思い込みで」

「『ザラを俺の嫁にする!』といつぞやアイリス様の前で大騒ぎだったそうで」

「こっ、子供の時のたわいもない話ではないかっ!」

「そうですよねェ。実に微笑ましいお話ですねェ。今度、アビー様をこちらにお連れした時にでもキシリア様にお話ししましょう。ええ、私もお茶の席に同席させていただけるでしょうし」

「ひ、卑怯だぞ! マーカンドルフ! 平時に乱を起こす気かっ! 兄上のところもうちのところもうまくいっているのに、家庭を壊す気かっ!」

「コンラート様、アイリス様のところであなた様にも兵法をお教えしたのはこの私ですよ? まったく座学には一向に身をお入れになられないお方で…。兵は詭道なり。勝てばいいのです。卑怯も正々堂々もありません。コンラート様。今回の件は、ギュラー伯爵家にとっては些末なことでしょう。それこそ兄弟のじゃれあいの中で有耶無耶にしてしまえるほどに。

 しかしですな、ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家にとってはお家が浮くか沈むかの一大事です。フェリックス様も私もその覚悟で来ています。これは戦いですよ? ご領主であればこそ、相手を頭から舐めてかからぬことです」


 そしてコンラートは陥落した。

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