第3話 執事マーカンドルフ

 この世界の人たちの風貌は、敢えて言うならば地球で言う中央アジアの人たちに似ている。アーリア人、モンゴル人、南アジア人のいずれにも似ていていずれとも違う。

 フェリックスは、この世界は地球の、おそらく平行世界なのだろうと考えている。地球がオリジナルで、こちらがコピーなのだろうと。

 地球の場合は、例えば脊椎動物では原始的なヤツメウナギのようなものから人類までその進化の過程は合理的に説明がつく。この世界がまったく独自に進化を遂げた世界ならば、人類のみならず、動植物がこれほど地球と相似するはずがないのだ。

 ましてこの世界には地球には存在しない要素、魔法がある。

 本来ならば魔法が存在する以上、魔法を前提としてそれに適応した生き物が進化していなければならない。だが、この世界では統計は発達していないからはっきりしたことは分からないが、人類に限っても、魔法を使える人間の割合はおそらく0.1%に満たない。

 動植物もおおむねそうであって、彼らは

 言語で言えば、水をアガ、火をイガというように、インド・ヨーロッパ語族の古語に似ている。


 おそらく五万年か十万年前くらいに、地球と分岐した平行世界、というのがフェリックスの推測で、そうであれば、地形はほぼ同じのはずだが、と考えれば、説明がつくことが多かった。

 もしそうだとすれば、ボーデンブルク王国はロシアウラル山脈の麓あたりに位置しているはずだ。ただし、南北はほぼ逆転している。熱中海と呼ばれている内海は、おそらくは地球での北極海だ。南極大陸が極地ではなくなっているならば海水面の上昇が起きているはずで、海岸線の地形はずいぶん違っているだろう。


 そんなことを考えつつ、フェリックスはギュラーの町外れに住む一人の男を訪ねていた。


「マーカンドルフ、卿ならば、適当な商人の伝手があるんじゃないかなと思って、頼らせて貰おうかと思って来たんだ」

くびになった私に頼み事とは、いささか都合がよすぎるのではありませんか」


 マーカンドルフは人当たりのいい微笑を浮かべながら、言った。

 マーカンドルフの家は小ぶりながら趣味が良く、出された紅茶も茶葉の質がいいだけではなく、淹れ方の技量が卓越していて、フェリックスは久しぶりにマーカンドルフの淹れた紅茶を堪能した。


「解雇したわけではないよ。卿を雇っていたのはおばあさまだし、おばあさまは亡くなったわけだからね。そしてヴァーゲンザイル勲功騎士爵家には卿を雇うほどの身代の余裕がなかった」

「まあ、そうも言えるかも知れませんがね。私としては、報酬は低額でもよかったのですが」

「卿ほどの男を値引きして? それは卿の技量に対する侮辱というものだろう」


 マーカンドルフは魔術師だ。天属性の魔術師である彼は攻撃魔法も使えるが、その魔力は常時彼自身に働きかけている。つまり細胞を自己修復しているのであり、その結果、彼は事実上不老である。

 もう二百年は生きているはずだ。

 長らくアインドルフ家に仕えて、おばあさまの結婚を機に、ギュラー家に移った。おばあさまの隠棲以後はおばあさま個人に仕え、今は誰にも仕えていない。


「まあ、その辺は私も痛し痒しというものですよ。私の価値を正確に見抜いておられるフェリックス様なればこそお仕えしたいのですが、今の状況でヴァーゲンザイル勲功騎士爵家には私に支払う報酬のあてがないのも事実でしょう。

 と言って、報酬を引き下げれば、私もあなた様も嘘をつくことになる。ですが、今の状況は主人と執事ではない以上、友人としてお助けすることも出来るでしょう」

「ギュラー家やアインドルフ家からは声がかかっているはずだが」

「ヴァーゲンザイル家からも声はかかっていますよ。どことは申し上げませんかもっと大きな貴族家からもありがたいことに勧誘をいただいております。しかしながら ― おわかりでしょう?」


 フェリックスはうなづいた。公にはしていないが、フェリックスも、そしてアビーも魔術師だ。そして魔術師は ― 単騎で数百騎に相当する戦略兵器でもある。うちに使われるかそとに使われるか、いずれにしても人殺しの最前線に立たされやすい。

 マーカンドルフが微笑みながらもどこか悲しげなのは、長いこれまでの人生の中で、否応なく戦場に駆り出され ― そして多くの命を刈り取らねばならなかったからだろう。

 フェリックスの祖母、アイリス・ギュラーも魔術師だった。彼女はその力を隠し通し、フェリックスとアビー、ふたりの孫にも隠し通すよう命じた。

 隠しきれていなければ、ギュラー家とヴァーゲンザイル家は決してアビーとフェリックスを手放さなかっただろう。一生飼い殺しである。

 魔術師は力を持つがゆえに鎖につながれる。

 その鎖を力で食いちぎるには、魔術師の人口は圧倒的に少ない。魔術師以外の者、常人はひとりひとりの力は弱いが集団で襲ってくる。集団でこられればいかなる魔術師にも勝ち目はない。


 マーカンドルフはアイリス・ギュラーの執事であり、アイリスとともに、フェリックスと、そしてフェリックスと同様、アイリスに引き取られて育てられたアビーの魔法の師匠でもあった。

 ただ、当面、フェリックスがマーカンドルフに期待するのは執事としての人脈である。

 マーカンドルフはただの一度も結婚せず、子もいない。家族を持てば、家族を質にとられて脅迫されかねないからだ。そう考える魔術師は少なくなく、彼らのかなりが独身である。

 マーカンドルフが今のところは自由を謳歌できているのは、第一に彼に係累がいないこと、第二に十分な蓄えがあること、第三に当代のギュラー伯爵とヴァーゲンザイル伯爵、そしてヴァーゲンザイル勲功騎士爵はアイリスの孫であり、『マーカンドルフに手出し無用』とのアイリスの遺命が効力を持っているからだ。

 ただそれも次世代になればどうなるかは分からない。

 マーカンドルフがこの先さらに数百年を生きなければならないのだ。

 同じ魔術師として魔術師ならではの苦労を知っているフェリックスに仕えるのが、心情的なものは抜きにしても、長期的には自身の利益につながるとマーカンドルフは思っていた。


 魔法を使える能力がどうやって伝わるかはまったく不明である。

 だがフェリックスはこれについても見当をつけていた。

 アイリス・ギュラーは非常な読書家であり、財にあかせて高価な書籍を大量に購入していた。印刷技術がないこの世界では書籍は非常に高価なものだ。アイリスの蔵書は屋敷ごとフェリックスが相続したのだが、その蔵書数は個人のものとしては公爵家・大公家の蔵書規模に匹敵する。その中にはむろん、多くの史書や伝記が含まれている。

 それらに出てくる人物たちの関係図をフェリックスは独自にまとめていた。

 その結果分かったことは、魔法能力が基本的には母系を通して遺伝するということだ。

 魔法能力はX染色体の劣性遺伝で伝わるため、魔術師である女性が常人である男性と結婚した場合、生まれてくる子は女子はすべて常人で、男子は1/2の確率で魔術師になる。常人である女子であっても1/2は魔法能力の潜在遺伝子を持っていて、その女子が子を産めば、やはり男子は1/2の確率で魔術師になり、女子は1/2の確率で魔法能力の潜在遺伝子を持つことになる。

 ただ、それだけでは説明がつかないこともあり、アイリスとアビーが魔術師である以上、アイリスとアビーのそれぞれの父親は魔術師でなければならないのだが、彼らが魔術師であったという事実はない。

 ここで想定されるのは、魔術師の遺伝子は持つけれども魔力が小さいために実際には魔術師の能力が発現しない潜在魔術師男性という存在である。

 状況証拠的にはそういうものが存在するとすれば、フェリックスが独自に作成した人物相関図はすべて説明がつく。

 姓、つまり基本は男系で継承されてゆくイエとは別の継承原理、X染色体を介して母系で継承されてゆくという事実と、魔法能力遺伝子を持ちながら魔術師ではない潜在魔術師男性の存在という二つの要因によって、魔法能力が遺伝で継承されてゆくという事実が隠蔽されているのだ。

 更に言えば、多くの魔術師が独身でいることを望むため、更に隠蔽に拍車がかかっているとも言える。


 フェリックスとアビーは二人とも魔術師であるため、生まれてくる子は必ず魔術師になる。

 魔術師の処遇は、フェリックスにとっては二重三重に他人事ではないのだった。

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