異世界辺境経営記

本坊ゆう

辺境領主編

第1話 領主フェリックス

 五歳の時にフェリックス・ヴァーゲンザイルは賭けに勝った。

 フェリックスの外祖母で、ダグウッド村の領主だったアイリス・ギュラーに、実は自分は転生者で、中身は成人で、だから今更、一足す一は二とかやるのが辛いの、ものすごく辛いの、何とかしてくれませんか、と打ち明けた。

 結果、フェリックスは親元から引き離され、アイリスおばあさまの膝元で育てられることになった。以降、基本、放任されて生きてきた。

 フェリックスが十五歳の時にアイリスが亡くなり、ダグウッド村はフェリックスが相続して、ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家が新たに建てられることになったのだが、それ以前からダグウッド村の民政は実質、フェリックスがとりしきっていた。


「うはうは」

「フェリックス、悪い顔してる」

 積み上げられた金貨を数えているフェリックスをみて、フェリックスの妻のアビーが言った。

 アビーは紅茶を淹れて、カップをフェリックスに差し出した。ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家には女中はひとりしかいないので、夜遅くになれば、勲功騎士爵夫人自らが夫に給仕をするのだ。

「ねえ、フェリックスって悪い人?」

「いい人だよ」

「今年も麦の税率を引き上げたでしょ? そんなことをしていたら一揆が起こるよ?」

「でも農家の可処分所得は二倍になってるからね」

「可処分所得?」


 税率を上げてなお農家の生活を楽にする、そんな魔法みたいなことが出来た理由はすべてマルイモにある。マルイモはジャガイモとほぼ同じ作物で、四歳の時に裏山で見つけた時にはフェリックスは狂喜乱舞した。

 ジャガイモと同じく、芽部に毒があるため「悪魔のイモ」と呼ばれていて食用にはされていなかった。フェリックスは十年かけて脅したりなだめたり懇願したりしながら、マルイモを普及させてきたのだ。

 マルイモのメリットは、以下のようになる。

1.植えておけば何の世話もしなくていい

2.ダグウッド村のような冷涼地でも初夏と晩秋の二回、二期作が可能

3.種イモの十倍の収穫が見込める

4.狭い土地でも十分な収量が見込める

5.陰草なので、プランターを縦に積み上げても栽培できる

 田畑を潰すこともなく、家の脇でプランター栽培をすれば、十分に一家を養う分の収量が見込める。

 税を払い、自分たちが消費する分を差し引けば、農家が可処分所得として消費できる小麦の量はこれまではせいぜいが全体の一割未満だった。マルイモが主食に置き換わったため、今は七割を税として納めても、可処分所得は二割、つまり倍になっている。

 他領であれば一揆確実ともいえるダグウッド村の高税率だったが、マルイモ導入後は農家の生活は劇的に向上している。領主フェリックスへの不満が起きるはずもなかった。

 一方でマルイモには極端な弱点もある。

1.連作障害の度合いがはなはだしく、一度栽培に用いた土は、もう使えない。つまり土すべてを栽培のたびに入れ替える必要がある

2.養分のほとんどを吸収してしまうため、一度栽培に用いた土で他の作物を栽培することはほぼ不可能

 つまり栽培のたびに土壌と言う大量の産業廃棄物が発生し、なおかつ養分に富んだ新たな土壌を都度都度補充しなければならない。

 マルイモが忌み嫌われていたのは結果的に痩せ地を拡大させてしまうからでもあった。

 ただしダグウッド村に限ってはこれらの欠点を容易に克服できる。

 大湿地帯に面しているからだ。

 大湿地には毎年春先に山脈から雪解け水が流れ込み、秋の終わり頃まで水が残る。そのため広大な地域が農耕には向かない不毛の土地になっている。

 ダグウッド村が亡きアイリス・ギュラーが実家から相続した彼女の個人資産であり、それをフェリックスに遺贈したのだとしても、ギュラー家からもヴァーゲンザイル家からも異論が出なかったのは、ダグウッド村が辺境中の辺境であり、なおかつ拡大可能性のない不毛の村だと思われていたからだ。

 もしそうでなければ、領主と言うものは親子兄弟の間であっても土地の相続については徹底的に争う。遺言があってもそうなのだ。

 フェリックスはヴァーゲンザイル家の三男だったから、本来ならば、土地を継承する権利はまったくない。少なくともそれがこの世界の常識だ。

 だが、ダグウッド村ならばむしろ維持費の方がかかるということで、フェリックスの相続が速やかに認められた。結果、フェリックスはヴァーゲンザイル伯爵家の分家であるヴァーゲンザイル勲功騎士爵家を新たに建てる形になった。

 ともかく、ダグウッド村は大湿地帯に面していてその入り口を独占する地理的条件を備えている。

 毎年起こされる「洪水」によって湿地は水浸しになるが、それは同時に豊かな土壌が絶えず補填されていることを意味している。また、使用済みの土壌を湿地に積んでおけば毎年の洪水が押し流してくれる。

 土壌の補填、入れ替えも問題はこういう理由で、ダグウッド村についてはまったく問題にはならない。プランター栽培をしていることも、土壌の入れ替えを容易にしている。


 湿地があるがゆえにダグウッド村は不毛の地扱いされているのだが、前世知識があるフェリックスには宝の山に見えた。マルイモ生産を独占してもいいし、近隣にマルイモ栽培が普及していけば、湿地の土壌を資源として販売することも出来る。

 そのためには何としてでもダグウッド村の領主権を手に入れる必要があり、前領主のアイリス・ギュラーを味方に引き入れたのだ。


 ダグウッド村は元々、アインドルフ家の所領で、アインドルフ家には姉妹しかいなかったことからアインドルフ家の次女が婿を迎えてその婿がアインドルフ家を継承した。アイリスはすでにギュラー伯爵家に嫁いでいたのだが、本来は長女である彼女の継承権の方が優位だ。そのため、継承に文句を言わせないため、アインドルフ家は所領の中から五ヶ村をギュラー伯爵家に譲り、一ヶ村をアイリス個人に譲った。

 身代が縮小したためアインドルフ家は伯爵家の格式を維持できなくなり、准男爵家になったのだが、それはまた別の話だ。

 アイリス個人が継承した一ヶ村がダグウッド村だ。

 アイリスはギュラー家で息子と娘をひとりずつ産み、息子はギュラー家を継ぎ、娘はヴァーゲンザイル伯爵家に嫁いだ。フェリックスは、アイリスの娘ローレイが産んだ三人の男子のうちの末っ子だ。

 夫の没後はアイリスはダグウッド村に瀟洒な屋敷を建てて、隠棲した。ギュラー家とヴァーゲンザイル家共通のおばあさまである彼女には両家から潤沢な年金が与えられ、結構な贅沢暮らしを楽しんでいた。

 例えば紅茶。

 紅茶はボーデンブルク王国では栽培できず、はるかな遠いヒンディアから長い交易路をたどって輸入されている。そのため紅茶の茶葉は目方で計れば銀と同じ金額というとてつもない贅沢品で、ギュラー家もヴァーゲンザイル家も伯爵家でありながら普段はハーブ茶を飲んでいる。

 アイリスは紅茶を普段飲みしていたが、アイリスの下で育てられたフェリックスにもその習慣は身についている。フェリックスはヴァーゲンザイル伯爵家の三男で、フェリックスの妻のアビーは彼のいとこでギュラー伯爵家の三女だから両家からそれぞれに終身年金が与えられている。でも、アイリスが得ていた額からすれば微々たるもので、今のヴァーゲンザイル勲功騎士爵家にはとても紅茶を普段飲みする余裕は本来はないのだが、フェリックスもいまさらハーブ茶は飲めない。

 税率を引き上げたことで紅茶くらいは余裕で飲めなくはないが、ダグウッド村の住民の生活を向上させるためにも、自分がもっと贅沢をするためにも、フェリックスは次の一手を打つ必要があった。

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