想いを馳(は)せる

 遠い異郷から故郷を想う。 

 インターネットの普及で世界は狭くなったと言うけれど、私と故郷の間には、想うだけではどうしようもない距離が横たわっている。



 日本時間、月曜日の早朝。大きな地震が大阪を襲ったと知ったのは、アメリカ時間の日曜日、夜9時頃だった。

 夕飯の後片付けを終えて、いつものように愛猫シュリの「夜の運動会」のお付き合いをしていた時のこと。台所に置きっ放しにしていたiPhone がメッセージの着信を告げる軽やかな音を立てた。夢中になって猫じゃらしを追いかけ回すシュリが相手だと、こちらも気を抜けない。「後で確認すれば良いか」と、その時はそのまま放置した。

 が、立て続けに鳴り響く着信音に、さすがに胸騒ぎを覚えた。介護施設に居る父の容体が急変したのかも……少し不安に思いながら液晶画面を覗き込むと、待ち受け画面いっぱいにメッセージが並んでいた。


 LINEのグループチャットで、高校時代からの親友達がお互いの無事を確認し合うメッセージが次から次へと流れてくる。

『凄い揺れやったけど、大丈夫?』

『あ、また余震』

『うちの実家、家具が倒れて大変みたい』

『(高槻市の西隣りの)茨木市もむちゃくちゃ揺れて怖かった。震源地、近いんとちゃう?』

『ダンナからメッセあった。電車が立ち往生してるって』



 我が家では、日頃からテレビのローカルニュース番組をつけっぱなしにしているのだが、はるか遠く離れた外国での地震を伝えるニュースは一向に流れてこない。チャンネルをCNN(=アメリカ国内外のニュースを24時間放送する報道チャンネル)に合わせても、おバカな現大統領関係のニュースばかりだ。

 国際的なニュースになるほど大規模ではなかったのかな、と思いながらウェブ検索で「大阪、地震」と打ち込んで、愕然とした。


『大阪府北部 震度6』


 震度毎に色分けされた関西全域の地図が黄色やオレンジ色で埋め尽くされる中、大阪北部は真っ赤に塗り潰され、震源地を示すマークが立っていた。ちょうど、私の実家がある高槻市のあたりだ。

 子供の頃、阪神・淡路大震災を経験した。真っ暗な寝室でベッドに横たわったまま、あらがいようのない力に身体を揺さぶられ続ける恐怖に叫び声を上げるしかないほど酷い横揺れだったのを、今でもはっきりと覚えている。

 あの日、高槻市は震度5だった。



 人間、驚きすぎると声が出なくなると言うのは、どうやら本当らしい。不自然に無言のまま、必死にウェブの情報を探し出そうとキーボードを叩き続ける私と、鳴り止まない着信音に、相方も異変を感じ取ったようで、「着信、誰から? 日本で何かあった?」と聞いてきた。


「……Strong quake hit Osaka(大阪で大地震だって)」

 たった四つの言葉に、心が震えた。

 


 月曜の早朝なら姉はまだ自宅にいるはずだ。だが、電話をしても繋がらない。メッセンジャーも返信がない。LINEに「地震、大丈夫?」とだけメッセージを入れて実家に電話しようとしたところで、姉から返信が届いた。

『すごい縦揺れやった。阪神大震災の悪夢が蘇ったわ……とりあえず、我が家はみんな無事。猫達がおびえて家具の隙間に逃げ込んでるねん。余震が来たら危ないから早く捕まえなあかん』

 その時点で、姉夫婦宅から徒歩十分の距離にある実家に一人暮らす母とは電話が繋がらない状態だった。

『落ち着いたら見に行ってみる。また後で連絡入れるわ』

 そう言って、LINEを終了した。メッセージの表示画面からは、いつもの「図太いほどに肝の座った男勝りの姉」らしからぬ動揺が感じ取れた。

 

 しばらくして、相方がウェブ検索で打ち込んだ、”Earthquake, Osaka, Japan”の文字がヒットするようになるにつれ、現場の写真も公開され始めた。

「これ、JR高槻駅のキオスク前やん……天井板、外れて落ちてるし」

「うわっ、バス通りが陥没してる! むっちゃ冠水してるやん……これ、車、通れへんよね」

「嘘やん、駅の電光掲示板が落下してる……」

 慣れ親しんだ街がこんな姿になるなど信じられず。ましてや、被災した故郷を、遥か彼方の異国から見ることになろうとは夢にも思わずに。



 私のiPhoneが、また着信を告げた。 

『水道水が茶色く濁ってるんやけど。沸騰させたら大丈夫やんね』

 姉からのメッセージに驚愕した。

 茶色く濁った水を沸騰させて……って、まさか、それを飲み水にするつもり? 大丈夫じゃないやん! お姉ちゃん、しっかりして! 

 心の中で思わず叫んだ。そんな不衛生なことするべきじゃないと、考えずとも分かるはずなのに……ああ、そうか。高槻は今、「被災地」なんだ。平常心でいられなくても仕方がない。

『お姉ちゃん。今すぐ、近所のコンビニに行って、ペットボトル入りの水、買えるだけ買って来て』

『そんなん、大袈裟やわ。大丈夫やって』

『お義兄にいさん、まだ出勤前やんね? 早く車出してもらって、売り切れる前に水と菓子パンと缶詰、買えるだけ買って来て』



 その後、姉から『近所の水道管が破裂して断水した。ガスの供給も止まった。ペットボトルの水と保存ができそうな食料品、買い占めた!』と連絡があった。実家の方は目立った被害もなく、水とガスも止まらずに済んだようだ。翌日には大阪中部の八尾市と堺市から給水車が手配されたと言うのを聞いて、大阪府の災害対策はしっかりと機能しているんだ、と感心した。

 それでも、高槻市南部は未だにガスの供給が止まったままだと言う。余震も頻繁に発生し、大雨警報が発令された地域では土砂災害の恐れもあると聞くから、今後も予断を許さない状況に変わりはない。


『余震の時ね、ゴーッて音がするんやけど、それが気持ち悪くって。火曜日はそれが何十回もあったから、さすがに気が滅入ったわ』

 滅多に弱音を吐かない姉の気弱な言葉が、地震の規模を物語っていた。よほど怖かったのだろうと思う。

 今の私に出来るのは「大丈夫? 大変やったね」と文字を綴ることだけなのが、あまりにも歯痒い。



 結局、テレビのニュース番組は、さらっとごく短い時間で「西日本で大きな地震を観測」と伝えただけで、それ以降、大阪の地震に関するニュースが流れることもなく現在に至っている。ネット上に海外の情報があふれているのだから、わざわざ貴重なニュース枠を外国の話題に使う必要はないと判断されたのか。あるいは、地震が頻発することで有名な国だから、いちいちニュースにする必要もないだろう、との判断なのか。

 バージニア州で、被災後の大阪の現状に心を痛めるアメリカ人など、ほとんどいないだろう。そんなこと、知る由もないのだから。

 南部の田舎気質の思考は、実に内向的だ。博愛精神に溢れる敬虔なキリスト教徒が多い土壌でありながら、海の向こうの、言葉の通じないアジアの、ましてや非キリスト教国になど、興味はないのだ。

  



 遠い異郷から故郷を想う。

 家族に何か起こっても「すぐ行くからね」とは言えない距離が、私と故郷の間に横たわる。

 想うだけではどうしようもないのだと痛切に思い知らされながら。それでも、ネットのニュースに映し出される見知った街の痛々しい姿を、食い入るように見つめ続ける。



 今夜もまた、姉のLINEにメッセージを送ってみよう。


(2018年6月21日 公開)

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