異郷にて花を愛でる

「日本の良さって何?」 

 

 外国からの訪問者に聞かれたら、「日本には美しい自然と四季があります」と答える方も多いだろう。小さな島国でありながら、春夏秋冬しゅんかしゅうとうドラマティックなほどに彩りを変える日本の景観に思いを寄せるのは、日本人として当然のことだ。

 ただし、「はっきりとした四季があるのは、日本だけでしょ?」などと考えてのことなら、それはちょっと違う。



 世界第3位の広大な国土面積を持つアメリカでは、四季の彩りは地域によってかなりの違いを見せる。例えば、緯度に沿って東海岸に日本の地図を重ねてみると、最北端のメイン州が北海道、最南端のフロリダ州は沖縄となる。同じ4月でも、東海岸を南北に移動するだけで季節感に違いがあるのがお分かり頂けると思う。

 地域ごとに異なる気候と、大陸ならではの自然の奥深さと雄大な景観を楽しむことが出来るのは、アメリカで暮らす醍醐味でもある。


 私が住むバージニア州は「温暖湿潤気候」に属している。緯度的に言えば東北地方とほぼ同じだが、季節の移り変わりは大阪や京都に似ている。

 三寒四温の冬が終わり、色鮮やかな花が咲き乱れる春となり、やがて熱帯低気圧ハリケーンの季節を迎えると、うだるように蒸し暑い夏が延々と続く。

 朝夕の空気がようやく冷たさを帯びる頃、市街地の並木道や山々は紅葉で染められ、あっという間に全てを凍えさせる冬がやって来る……

 実は、(北海道、東北の内陸部と太平洋側沿岸部、本州東部の高原地帯、沖縄の先島諸島を除く)日本の大部分の地域が、バージニア州と同じ「温暖湿潤気候」に属している。その典型的な都市の一つが大阪だと言うから、「あ、やっぱりね」と思わずニンマリ。

 異国の地でありながら、日本同様、明瞭な四季を感じることが出来るバージニア州。強いて違いを上げれば、春と秋が駆け足で過ぎて行き、夏と冬が長く厳しいことくらいか。花粉症の季節も丸かぶりしているので、アレルギー体質の私としては、外出時にマスクをつけられない春先はかなりツライ……

 「え? なんでマスクつけられないの?」と思った方は、既出のエピソード『日本に帰らせて頂きます!』をご覧あれ。



 アメリカに暮らして「季節感を全く感じない」とすれば、それは彼らの服装に問題があるからだ。

 アメリカでは、日本のような「衣替え」の習慣がない。室内はセントラルヒーティングでトイレから廊下の隅々まで完全冷暖房。外出時は、これまた冷暖房の効いた車で移動。なので、基本的に一年中、半袖だけで生きていける。冬の寒い日には、戸外にいる間だけ防寒具を身につければ事足りる。なので「衣替え」の必要が全くない。

 衣替えの習慣がないもう一つの理由は、国民性の違いだ。多民族国家アメリカでは多数の文化と価値観が存在し、「私は私」を貫く精神が尊重される。「己が信じるものに忠実であれ」と育てられる彼らは、他人の目など全く気にしない。この国に「KY」などという略語は存在しないのだ。真冬にビーチサンダルを履こうが、真夏にモコモコセーターを着ようが、他人のことなど誰も気にしない。

 かくして、典型的なアメリカ人のクローゼットの中は、夏物の衣類と防寒具が混在する魔窟となる。相方のクローゼットもしかり。


 「タンスや衣装ケースに季節外れの衣類をしまう」という感覚がないアメリカの家屋には、大抵の場合、各部屋に備え付けの大きなクローゼットがある。その中に、ハンガーに掛けられた衣類を雑多に放り込んでいく。

 家庭にあるハンガーの数はハンパない。大型スーパーマーケットに行けば、ハンガーが山積みされている。サイズも色も、大人用から子供用まで、実に様々。クローゼット用の収納グッズも多種多様。

 日本人としては、靴を衣服と同じクローゼットにしまう感覚だけは、どうしても受け入れがたい。土足厳禁の我が家では、土のついた靴は玄関先にあるシューズラックに置くよう徹底しているので、特に問題ないのだけれど……


 「これだけは絶対に阻止しなければ!」と思ったのが、Tシャツやセーターをハンガーに掛けて収納すること。

 ある日、思い余って相方に力説した。

「襟元とか肩が、ビヨーンって伸びて型崩れするやん! こうやって(と、お手本を見せつつ)くるくるっ、ときれいに丸めてタンスに収納する方が、絶対、エエんやってば!」

 それ以来、相方もTシャツだけはくるくるっ、と畳んでタンスにしまうクセがついた。



 ようやく寒さが和らいだ4月。私は、せっせと自分のクローゼットの「衣替え」をする。

 濃く暗めの色合いが多い秋冬物を一番奥に移動させ、そこにあった明るい色合いの春夏物を一番手前に移動させる。たったそれだけのことで、クローゼットの中に春が訪れる。

 季節の移り変わりを肌身に感じる「衣替え」の習慣は、異国の地にあっても日本人であり続けるための「儀式」のようなものだ。



***



 日本人の感性は四季と共にあるのだと、アメリカに来て実感する。

 桜の花がほころぶのを心待ちにしながら春の訪れを待つあたり、自分は魂の底からつくづくヤマトナデシコなのだと痛感する。


 アメリカにも桜は咲く。

 驚くなかれ、春のバージニアでは、至る所で桜を見ることが出来る。公園のみならず、車道脇の並木道やスーパーマーケットのパーキングには、「お花見をしたくなるほど」多くの桜が植えられ、まるで日本にいるのかと錯覚するほどだ。ハイウェイを運転しながら、はたまた駐車スペースを探しながら、満開の桜に思わず目がいってしまうので、危なくてしょうがない。

 英語で「お花見」をCherry-blossom Viewingと言う。直訳すれば「桜の花を見ること」だが、それだけでは、日本人の桜に対する想いは伝わるワケもなく……昨今では、「Hanami」と日本語のまま表記することで、日本人にとって特別な意味のある行事であることを示唆する英語報道も増えている。このまま「Hanami」が「Karaoke」や「Edamame」のように英語とし定着してくれると嬉しいのだけれど。


 「近所でお花見」と言うだけなら、バージニア州内でも十分楽しめる。

 ハイウェイを車で4時間飛ばせば、アメリカの桜の名所として有名なワシントンD.C.に辿り着くし、ちょうど高校生までの子供達は春休み中ということもあって、この時期、バージニア州民はこぞって首都を目指す。お目当ては、3月下旬から4月中旬まで催される「全米桜祭り( National Cherry Blossom Festival)」だ。

 このお祭り、実は、1912年に日米の友好関係の証として、日本からアメリカに桜が寄贈されたことを記念して行われる「アメリカ一有名なお花見イベント」だ。

 そんなワケで、イベント期間中は、ワシントンの街全体がお祭り気分となる。



***



 1885年、『ワシントンD.C.のポトマック川河畔沿いに、日本の桜の木を植える』という都市計画を提案したのは、ジャーナリストのエリザ・シドモアだった。後にナショナル・ジオグラフィック協会初の女性理事となった人物だ。

 兄が駐日米領事館の外交官だったシドモアは、何度も日本を訪れ、帰国するたびに日本の桜の美しさを人々に語って聞かせた。だが、「観賞用の花が咲くだけで、実のならない(=食用にならない)木」に興味を示す者はいなかったと言う。「実用性のないものなど興味ない」というスタンスが、いかにもアメリカ人らしい。

 ソメイヨシノに代表される日本の桜は、江戸時代に植木職人が「し木」と言うクローン技術を利用して交配し、人工的に創り出した品種だ。あくまでも「花を見て楽しむ」ためのもので、自家受粉(=自分で作った卵と精細胞が受精すること)が出来ないため、実をつけにくいという欠点がある。


 結局、都市計画の関係者にダメ出しを食らい、シドモアの提案は却下されてしまう。

 が、その後の彼女の生き方がスゴイ。

 なんと24年間に渡って、関係者達に提案し続けたのだ。女の意地なのか、はたまた、桜の魔力なのか……石の上にも3年。桜の木だと8倍かかる計算だ。



 1902年、農務省でアメリカの農業に有益な外国の植物の導入を行っていた植物学者デビッド・フェアチャイルドは、植物収集の旅で訪れた日本で桜に魅せられた。それから4年後、桜の木を初めて商業化した日本企業のひとつ、横浜植木社から125本の桜の木を輸入した彼は、メリーランド州にある自宅の庭に植樹した。

 自宅の庭に咲き誇る桜に自信を得たフェアチャイルドは、やがて、ワシントン地域の並木に適しているとして、桜の植樹を促進することになる。

 ちなみに、彼もナショナル・ジオグラフィック協会の関係者だった。ついでに言えば、彼の妻は電話の発明者として知られるアレクサンダー・グラハム・ベルの娘で、ベル自身、ナショナル・ジオグラフィック協会の会長を務めていたりする。ここまでくると、「日本の桜を輸入してアメリカに植えよう!」大作戦を裏で仕切っていたのは、もしかしたら『ナショジオ』だったのでは……と勘繰りたくなる。


 1909年、数年前に日本を訪れた際、桜並木の美しさに魅了されていた当時の大統領夫人であるヘレン・タフトは、シドモアの提案を受けて、夫のタフト大統領にワシントンD.C.の街の美化対策として桜の植樹を進言。日米の友好関係を結ぶ良い機会だと考えた大統領も、賛成の意を表明した。

 この話が、先の日露戦争の講和に助力してくれたアメリカへの謝礼に頭を悩ませていた日本のお偉方の耳に入ると、「東京からの寄贈」と言う名目で、日本の桜は遥々はるばる海を渡ることとなった。


 かくして、1912年 。日本から贈られた桜の成木3020本は、式典を経てポトマック公園に植えられた。

 控えめであることを美徳とする日本人の心にも似た、はかなげだが、凛とした美しさを持つ桜の花。日本の象徴である薄紅色の花が、日本とアメリカを繋ぐ絆となり、アメリカの人々を魅了していくのに、そう時間は掛からなかった――


 贈られた桜は、ソメイヨシノを含む9種類だった。彼らはアメリカの気候風土に適合するべく交雑し、世代交代を繰り返しながら、全米各地へと広がって行った。

 今から106年前にアメリカに寄贈された3020本のうち、現在も生存しているのは、ワシントン記念塔の近くに残る2本のみだ。ソメイヨシノの寿命は60年というから、かなりの長寿ではある。

 できることなら、いつまでも咲き続けて欲しい。

 


 ***



 3月。冬の寒さが緩み、長かったバージニアの冬もそろそろ終わりを告げる頃。

 小さな緑が芽吹き始めた大地に、黄色や白の水仙の花が揺れている。その頭上では、桜のつぼみが少しずつ膨らみつつある。


 3月下旬から4月の初め。まだ不安定な天候の中、桜が健気けなげに薄紅色の花を咲かせる。

 バージニアの州の花であるドッグウッドハナミズキや、アメリカ人の大好きな南部の象徴マグノリアモクレンの大柄で自己主張の強い色合いの花々に比べれば、桜の花は清々しいほどに美しい……そんなふうに思うのは、日本人の贔屓目だろうか。

 桜と同じ時期に開花するクラブアップル野りんごは、桜よりも濃いピンク色。一見すると、沖縄の寒緋桜カンヒザクラに見えない事もない。なので、「アメリカの桜って、すごく濃い色なのね」と勘違いする日本人観光客も多いのだとか。


 5月になれば、「恋の喜び」というロマンチックな花言葉を持つアザレア西洋ツツジが見頃を迎える。日本のツツジより少しだけ背が高く、小ぶりの花が集まって咲く姿は、まるで大きな花束のよう。

 突き抜ける青空の下、百日紅サルスベリの木が青々と茂り始める頃、バージニアは初夏を迎える。




 葉桜になりかけの桜の木の下を散歩していたら、風に流れる花びらがひらひらと散って、サスケの頭にふわりと舞い降りた。

 春から初夏へと移り行くバージニアの今は、鮮やかな色彩に満ちあふれて、とても美しい。


(2018年4月12日 公開)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る