ウサギの秘め事

 ある日の夜。いつもは物静かな相方が、突然、「窓の外、見て!」と叫んだ。


 そこに居たのは、白い野ウサギ。

 夜の闇の中にぼんやりと浮かび上がる白い姿は、神秘的でもあり、ちょっと不気味でもあり……以前、公園で白いリスを見つけた時も、ちょっと不思議な感覚を覚えた。

 茶色の野ウサギやリスなら、夜の暗闇の中でじっとしていれば、人間どころか天敵にも見つかる可能性は低いだろう。が、体毛の白い彼らは隠れようがない。白い個体は自然の中では生き難い、と言われるのが分かる気がした。


 我が家の庭には、野生動物がしばしば姿を見せる。

 隣家との境界である雑木林を、リスが伝い走り。

 バージニアの州鳥カーディナルの鮮やかな朱色は、緑の木々に映えて燃えるように美しく。

 夜が更けると、野鳥の餌台バードフィーダーに入れられたピーナッツを狙って、アライグマがやって来る。攻撃的で狂犬病ウィルスを保有する危険な動物だけれど、見た目はモフモフで実に愛嬌がある。

 春ともなれば、小さな野ウサギが庭木の陰に隠れていたりする。人間が近寄ろうとすると全速力で逃げ出すのは、野生動物のさが。が、野ウサギはとても臆病で、ビックリするとパニックを起こして人間の方へ突っ込んでくることもある。アホやなあ、と呆れつつ、そんな愛らしい姿を微笑ましくも思う。

 

 

 バレンタインデーを過ぎると、アメリカの街は一気にパステルカラーでいろどられる。新緑の葉と色鮮やかな春の花々をあしらったリースが個人宅や店舗のドアを飾るこの時期、スーパーマーケットの棚にはカラフルなウサギやヒヨコが姿を現す。野生動物ではあり得ない色に着色された彼らは、マシュマロやチョコレートで作られた「復活祭イースター」用のお菓子だ。


 「イースター」の定義は、「十字架に掛けられて亡くなったイエス・キリストが、埋葬後3日目に復活したことを記念する、キリスト教において最も大切なお祭り」だ。『春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日』との決まりがあるため、年毎に日付が変わる。

 キリスト教徒にとってはクリスマス以上に重要な祝日だそうで、特別な礼拝が行われるほか、教会やコミュニティセンターでは子供向けのイベント「卵探しエッグハント(Egg Hunt)」も開催される。


 残念ながら、我が家は二人とも無宗教(Irreligion)の不可知論主義(Agnosticism)であるため、宗教要素の強いイベントには参加したことがない。

 「生まれた時は神道(=お宮参り)、結婚式は教会で、死ぬときは仏教徒(=寺での葬儀)」と言われるように、来るものは拒まずの精神で外来宗教を受け入れながら独自の文化を創り上げた日本では、生活の中に異なる宗教の特徴が自然に溶け込んでいる。なので、「無宗教です」と言ったところで、特に変な目で見られることもない。

 だが、キリスト教を根底に置くアメリカで、特に敬虔なキリスト教徒が多く集中している南部州で、ご近所全てがキリスト教徒という環境に置かれながら「無宗教」であることは、意外と大変なのだ。

 そんな私達が積極的に楽しむことにしているのが、居住する(あるいは訪れる)場所の歴史と、そこに息づく「食文化」だ。

 

 アメリカでイースターのお菓子と言えば、まず思い浮かぶのが「Peeps」。素朴なヒヨコやウサギの形をしたマシュマロなのだが、驚くほどカラフルに着色されている。Peeps以外にも「これ、本当に食べるの?」と首を傾げたくなるほど可愛らしくデフォルメされたヒヨコやウサギのチョコなどもある。

 興味のある方は、「イースター、アメリカ、お菓子」で画像検索して頂きたい。



 ここでムクムクと疑問が浮かぶ。

 なぜ、「イースター」と言えばウサギやヒヨコなのか?

 なぜ、「カラフルな卵イースターエッグ」が付き物なのか?


 ウサギやヒヨコ、卵に秘められたイースターの謎とは……?



***



 古来より、ヨーロッパ諸国では、ウサギと卵は豊壌のシンボルだった。


 まずは卵から。見た目には動かないかたまりから新しい生命が生まれ出る――そんな神秘が「死と復活」に結びつけられ、生命誕生の象徴となったそうな。

 多産で知られるウサギが「豊穣」の象徴となったのは、容易に理解できる。実は、古代には何故だか雌雄同体だと考えられていた。「処女性を失わずに繁殖することができる」と信じられたウサギは、のちに聖母マリアと関連付けられるようになったのだとか。


 「復活祭」を表す英語「Easterイースター」およびドイツ語「Osternオースタン」は、ゲルマン神話の春の女神「Eostreエオストレ」または「Ostaraオスタラ」、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「Eostremonatエオストレモナト」に由来していると言われる。ちなみに、ゲルマン神話とは、ゲルマン人(=紀元前から北西ヨーロッパに居住していたインド・ヨーロッパ語族に属する民族)がキリスト教化される前に信仰していた諸神話の総称で、北欧神話やアングロ・サクソン人の神話のことだ。

 冬が退しりぞき春が来る頃には、太陽の力も強くなる。その太陽が昇る東を英語で「East」というのは、「太陽が復活する季節(=春)」の女神の名にちなんで、との説がある。バレンタインデーの起源と同様、「復活祭イースター」も、元々は「春の訪れを祝う異教の祭り」だったのが、キリスト教に取り入られたことで、形を変えながらも現在まで受け継がれているワケだ。



 ゲルマンの春の女神は、ウサギの姿になって現れると言う。 

 「復活祭の卵イースターエッグを運んでくるウサギ(=イースターバニー)」の概念は、西方教会(=西ヨーロッパに広がり成長したキリスト教諸教派)でのみ見られる習慣であり、16世紀から17世紀にかけて定着した。

 英語圏やドイツには「イースターバニーがイースターエッグを隠す(または落としていく)」という伝承がある。これが、復活祭の朝に家の中や庭先に隠されたを探す「エッグハント」のイベントに繋がるワケで。


 現代のエッグハントで子供達が必死になって探すのは、キャンディや小さなおもちゃなどが入ったプラスティック製の卵だ。アメリカのイースターバニーは、子供達の大好きなカラフルなお菓子やおもちゃを詰め込んだバスケットも運んでくる。前出のイースターのお菓子たちは、このバスケットの中に入れるためのものだ。

 

 卵を運んでくるウサギの概念がアメリカに伝わったのは、18世紀のこと。ペンシルベニアに渡ったドイツ移民が子供たちに「 復活祭のウサギ(Osterhase)」について語りきかせたのが始まりとされている。

 伝承によれば、イースターエッグの贈り物を受け取ることができるのは、イースターバニーが「この1年、良い子だったね」と判断した子供達だけ。そして、このウサギが子供達にカラフルな卵やバスケットに入ったお菓子を届けるのは、イースター前日。

 なんとなく、1年間良い子だった子供達に、祝日前夜、贈り物を届けてくれるサンタクロースを彷彿とさせる。そう言えば、クリスマスの起源もゲルマン民族の冬のお祭りだったりするから、伝承とは実に面白い。



 ところで、雌のウサギは、お腹に赤ちゃんがいる状態でも新しい子を宿すことができるほど、生殖能力が極端に発達しているそうな。「ウサギは多産」などと簡単な話しではなく、「過剰受胎(重複妊娠)」さえ可能なスーパーアニマルなのだ。おまけに、雌のウサギの生殖器は、子宮だけでなく膣も2つ、独立して存在していると言うから驚きだ。あの小さな身体からは想像も出来ないほどの、不思議なパワーが秘められていたのか……スゴイぞ、ウサギ。

 『異世界に転移して英雄になったら、恥ずかしがり屋のウサ耳美少女に愛され過ぎて困るほどアレとかコレとかしまくった結果、あっという間にご懐妊――と思ったら、実は元彼(=魔王)の子も同時に妊娠してました……って、どーするよ、俺!?』的ラノベのヒロインになりそうなウサギ。どなたか是非ともネタとして使って頂きたい。


 自然界では、小型の肉食動物や猛禽類などの天敵に常に狙われているウサギ達。どんどん出産して子供を残していかないと、食べつくされて絶滅してしまう。だから、必死に子作りをして子孫を残しているワケで……

 そんな悲しい宿命を背負ったウサギが「春を運ぶ豊穣の象徴」となったのも、心優しい春の女神の成せる業だったのかもしれない。



***



 今年のイースターは4月1日。イースターがエイプリルフールと重なったのは、前回の1956年以来、実に62年ぶりのこと。

 キリスト教の聖職者の間では「神聖な祝日を馬鹿げたジョークで汚されるのは耐え難い」との声もあり、「今年のエイプリル・フールは中止にすべきだ!」などと言う強硬派もいるらしい。


 毎年、イギリスBBC放送によるエイプリルフール仕様のニュース映像を楽しみにしている私としては、「イギリスで卵を産むウサギが大量発生! 禁じられたヒヨコとの愛を貫くための抗議行動か!?」などと言う、バカバカしくも心なごませるニュースを期待して止まないのだが。


(2018年4月1日 公開)

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