ゴージャスなのね

 小さい頃、姉と遊んでいて転んだ拍子に、タンスの角で頭を打った。

 母は買い物に出掛けて留守だった。

 血塗れで泣き叫ぶ私を見て動転した姉は、咄嗟に、いつも使っているタクシーを呼んだ。母がよく使う電話番号が、電話のそばにメモ書きされているのを覚えていたからだ。

 頭から血を流してぎゃんぎゃん泣き叫ぶ幼な子を抱きかかえる姉の姿を見て、タクシーの運転手さんが代わりに救急車を呼んでくれたそうな。



 結局、何針か縫う大ケガだったのだが、当の本人は全く覚えていない。

 あれ以来、私の後頭部右上辺りには、直径2センチ程の「秘密」がある。なぜか、そこには白髪しか生えてこないのだ。医者は「成長するに連れて毛が生え変われば、そのうち元の黒髪に戻るでしょう」と言ったそうだが、一向にその気配も見えず。

 天然メッシュ、と割り切れば良いのだけれど、地毛が真っ黒なだけに、どう贔屓目に見ても白髪が群生しているだけ。「みんな同じ」であることが求められる日本の社会で、この頭はマズイ。しかも、女の子なのに……そう思った母は、自分の髪を染める際、同時に私の「秘密」も染めることにした。


 高校生になる頃には、すでに自分で自分の「秘密」を染める習慣が出来ていた。なんで、こんなところに集団白髪があるんだろう……くやしくて恥ずかしくて、髪が私のコンプレックスになったのもこの頃だった。




 人種の坩堝るつぼであるアメリカでは、様々な色合いの髪を見かける。

 金髪、赤毛、栗毛、黒髪は言うに及ばず、紫色や淡いブルー、果ては蛍光マーカーのようなピンクやネオングリーンなどに染められた髪をなびかせて闊歩かっぽする若者もいる。

 自由の国アメリカは、裏を返せば自己責任の国でもある。ティーンなどは自分の立場を考慮した上で、学校あるいはボランティアの場で悪目立ちせぬよう、なおかつ流行りを取り入れながら、自分の個性を生かしたお洒落を楽しむ。幼い頃から「あなたはとっても特別な子なのよ」と刷り込まれて育つアメリカ人は、色んな意味で自己主張がとっても上手。

 私が個人的に可愛いなあと思うのは、ロングヘアの肩から下の部分を明るいパステルカラーに染め、毛先にくるくるウェーブをつけたスタイル。日本人の若い女の子達が真似をすると、ただのギャルになってしまいそうだけど……


 カラーリングは面倒だからヘアサロンでしてもらったら良いじゃない、と思われるかもしれないが、アメリカではサービス業の給料の一部となる「チップ制度」が存在する。

 サービスに対するチップ代は表示価格の20%が相場。例えば、50ドルのサービス(=この場合はヘアサロンでのカラーリング)に対して10ドルのチップを上乗せし、消費税(バージニア州は6%)を加えると、合計63ドル支払うことになる。もしシャンプーをしてくれた人が担当のヘアスタイリストでなかった場合、その人にも別途チップ(2〜3ドル)が必要となる。

 この数字を見て、「あら、そんなものなら安いじゃない」と思うか、「それなら自分でするわ」と思うかは価値観の問題なので、ここはあくまでも参考までに。



 大手スーパーマーケットやドラッグストアの店頭には、市販のヘアカラーがズラリと並んでいる。金髪系〜栗色系のカラーなどは「こんなに種類があって、迷わへんの?」と思うくらい豊富だ。

 中でも、ブロンド系カラーが圧倒的に多く、ピンクゴールドっぽい色艶の『ストロベリー』や真珠の光沢を真似た『パール』、濃い黄金色の『クリームソーダ』(アメリカのクリームソーダは黄金色! アメリカ、クリームソーダ、で画像検索して頂きたい)、蜂蜜のような『ハニーディップ』、少しくすんだアッシュブロンドの『ホワイトチョコレート』など、ネーミングもお洒落。

 手頃なお値段(10ドルでお釣りがくる程度)で、自宅で簡単に髪色を変えることが出来るので、「この色、似合うかなあ」などと相談し合うティーンや母娘らしき買い物客の姿をよく見かける。


 さて、私の「秘密」を染める場合。

 日本だと「白髪染め」でなければきれいに染まらないし、真っ黒な地毛に合わせるとなると、どうしても「自然な黒色」と言う選択肢しかない。せめて『ブラックパール』だとか『漆黒の誘惑』だとか、もう少しネーミングに工夫が欲しい。


 元々、白髪の目立たない髪色の人々が多いアメリカでは、ヘアカラーは「白髪を染める」のではなく、髪色自体を変えてしまうためのもの。

 白人種の髪質はアジア人の髪よりキューティクルの層が厚く、薬剤がなかなか浸透しないらしい。なので、こちらのヘアカラーはかなり刺激が強い。肌が弱い方がアメリカでヘアカラーを購入する場合、注意が必要だ。

 Whole Foods Market(=オーガニック商品専門の高級スーパーマーケット。在米邦人駐在員の奥様達に人気)などでオーガニックのヘアカラーを選ぶ、という手もある。「ほえっ!?」と思わず声が漏れるほど高いけどね……


 アメリカに移住したばかりの頃、初めて購入したのが、『ミッドナイトブルー』と言うオシャレな名前のヘアカラーだった。基本色は黒だけど、光の加減で濃いブルーのシェードが生まれるらしい。

「まさに『烏の濡れ羽色』やん!」

 ネーミングに惹かれて、即座に購入決定。


 ……が、大ハズレ。


 光の加減で濃いブルーに……全く見えない。それどころか、全体にアッシュグレーのような妙な光沢で、さながら、ダンディなオヤジのロマンスグレーのよう。

「あかーん! あかんやん、これ! ブルーのカケラもないやん!」

 

 元々の「真っ黒」に戻そうと、次に使ったのが、その名も『ジェットブラック漆黒」』。

 これで、元通りの黒髪に……


 ん? 黒い……とにかく黒い。光の反射で明るく輝く天使の輪……など全く見えない究極のジェットブラーック!

「あかーん! あかんやん、これ! 可愛げも何もない、ただただ黒いだけやん!」


 その後、ウンザリするほど黒いだけの髪に、ようやく光沢が戻り始めた頃。『ナチュラルブラック』と言う無難なネーミングのヘアカラーを購入し、以前と同じ、自然な艶のある黒髪を取り戻した。

 赤紫色の光沢の『バーガンディーブラック』や、青紫色の光沢の『パープルヘイズ』にも惹かれたけれど、『ミッドナイトブルー』で失敗しているだけに、怖くて手が出せず……何はともあれ、アメリカでは黒く染める場合でも豊富な選択肢がある、と無難にまとめておこう。



***



 運転免許更新のために、近くの自動車管理局(DMV=Department of Motor Vehicles)に出向いた時のこと。

 平日のお昼過ぎだと言うのに、受付には長い行列が出来ていた。


 アメリカでは「接客サービス業に関わる者は、日本のマクドナルドでの店舗実習が必須」という法律を作って頂きたいほど、接客態度が悪い。(もちろん、素晴らしい店員さんも中にはいらっしゃるのだが……)

 特に、公務員になると「サービス業」という感覚は皆無だ。無表情で視線も合わさず、黙々と書類に漏れがないかどうか確認し、用が済んだら、速攻で後ろに並んでいる人間に「Next次の方!」と一言。アメリカ人の皆が皆、大袈裟な手振り身振りで「ヘーイ、ユー、元気かーい!」と気軽に声をかけてくれると思ったら大間違いだ。

 客が居ようが同僚との無駄話に笑い転げるショップ店員よりはずっとマシだが、それでも、少しくらいの人情味があっても良いと思う。



 さて、20分ほど待った後、私の順番が回ってきた。ぶっきらぼうな「Next!」の声の主は、くるくる巻き毛が愛らしい赤毛のお姉さんだった。


 うわっ、髪の毛可愛い! コイルみたいにくるくるやん! 

 それに、ここまで赤い髪って珍しい……あ、でも、ストロベリーブロンドがあちこちに入ってる? 天然やったらスゴイけど、染めてるんよね、きっと。


 ……などと心の中でつぶやきながら、手にしていた書類を渡す。

 お姉さんが記入事項を確認する間、ちょっと動くたびにコイルのような髪が、くるくる、くるくる、と揺れる。フランス人形のような愛らしさ(髪だけ)に、思わず魅入ってしまった。


「いくつか口頭で質問します」

 突然、お姉さんが顔を上げて、ニコリともせずにこちらを見た。

「……あ、はい、どうぞ」

 緊張のあまり声が裏返った私を見つめ続けるお姉さんは、1ミリたりとも表情を変えない。徹底したお役所仕事フェイスが見事だ。じーっと値踏みするかのように私を見つめながら、お姉さんは住所や生年月日など、本人確認をする際のありきたりな質問を続ける。視線を外してくれないので、こちらとしてはなんとも居心地が悪い。


 私、何か失礼な事したんやろか? 

 あ、もしかして、髪の毛に見とれてたのがマズかった……?


 私の頭の中で色々な思いが、くるくる、くるくる、と回っている間に、お姉さんは全ての質問を終えたようだ。

「じゃあ、最後の質問。個人的なことなんだけど、良いかしら?」


 お姉さん、マジで目がコワイし!  そんな、じーっと見つめんとってーっ!


「Is that your REAL hair?(あなたの髪、本物?)」





 ……へ?


 あれ? 運転免許の更新って、地毛なのかカツラなのか、申請する必要あったっけ?


 そんなことを思いながら、出来るだけ落ち着いた声を出そうと頑張った。

「えっと、はい、リアルな地毛ですけど?」



 お姉さんが、ニヤリ、と笑う。

GORGEOUSとってもステキ!」


 

 突然のことで、唖然と立ち尽くす私。


「真っ黒で、ツヤツヤしてて、ボリュームがあって……ステキだわ〜。その毛先は? ヘアアイロンで巻いてるの?」

「……あ、えっと、これはドライヤーで乾かす時に、くるくる〜っと(ジェスチャー付き)」

「ええっ!? それだけで、そんなにしっかりと内巻きカールが出来るの? GORGEOUS! 羨ましいわ〜」

 『ゴージャス』二回目、頂きました! お姉さん、妙にテンション上がってきたような……

「その色は? それもリアル?」

「元々、真っ黒なんです(「秘密のスポット」以外は……) でも、アジア人なら黒髪なんて珍しくもないですよ」

「そうでもないわよ。私の周りのアジア人の子達、みんな明るい栗毛かブロンドに染めてるから。日本人の子も茶色っぽいでしょ?」


 ……ああ、なるほど。

 きっと、メディアが発する原宿や渋谷辺りの若者文化のことを言ってるのだろうな、と気がついた。アメリカ人が持つ日本人のイメージは「黒髪ロングストレート」だとばかり思い込んでいたので、なんだかハッとさせられた。

「日本人の髪って、暗めの褐色か黒が本来の色なんです。明るい茶色に染めている人も多いですけどね」

「えー、そうなの? もったいないわねえ……あなた、その黒髪、とっても似合ってるからそのままになさいね。では、免許証は郵送で2週間以内に郵送されます。Next!」


 ……お姉さん、突然の切り替えが早すぎるんやけど。


 かくして、自動車管理局のお姉さんから「黒髪GORGEOUS 」のお墨付きを頂き、無事に運転免許更新の手続きを終えた。



 そう言えば、アメリカに来て以来、「I like your hairあなたの髪、ステキね」と言われることが多くなった。

 真っ黒で、太くて、乾かすのも大変なほど量がある上に、例の「秘密」のおかげで自分の髪が大キライだった私にすれば、髪をほめられる度に「嘘やん、冗談もほどほどにせーよ」とツッコミを入れたくなるだけだっだ。「相手をほめる」ことはアメリカ文化には欠かせない「マナー」だから、どうせお世辞だろう、くらいにしか思っていなかった。


 白人のハリ・コシ・艶のない長毛種の猫の毛のような髪や、黒人の縮れて細く切れやすい髪に比べれば、漆黒の豊かで艶やかな髪は、アメリカ人女性が憧れるゴージャスさだったのか。

 ……と、お姉さんに気づかされ、ちょっとだけ嬉しくなった。


 「濡羽色ぬればいろ


 万葉集の時代より、烏の羽のように艶のある、青みを帯びた美しい黒を形容する言葉だ。コンプレックスだった黒髪に、日本人として誇りを持とうと思った。



*地毛が茶色っぽい方。それは生まれ持ったあなたの誇るべき個性です。その自然な美しさを大切にしましょう。無理やり黒髪に染めさせようとする大人達が間違っているのです*


(2018年3月9日 公開)

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