バラは紅く、チョコレートは甘過ぎる

 2月初旬のアメリカは大忙しだ。


 スーパーボウル・ウィーク中は、アメリカンフットボール熱が全米中を駆け巡り、

 ようやくスーパーボウルが終わったと思ったら、あっという間に赤やピンクのハートのデコレーションが街を飾る。

 そして、全米中の男達が「今年は何をプレゼントしたら満足してもらえるんだろう? チョコレートとカードだけじゃ、セコいヤツと思われるし……カードに書く殺し文句、去年は何て書いたっけ?」と頭を悩ませる日々が始まるのだ。



 今月1日、日本経済新聞に「日本は、義理チョコをやめよう」という広告が掲載された、というニュースを耳にした。

 掲載主はベルギー創業のチョコレートメーカー「ゴディバ」。広告が掲載されたのは、購読層に高学歴・高収入のビジネスパーソンが多いと言われる「日経」のみ。なるほど、企業トップに向けて、「義理チョコ」制度に悩む女性達の代弁をしてくれたワケか……と心の中で拍手喝采した。

 「義理チョコ」が日本型バレンタインデーの副産物であることは、ご存知の方も多いだろう。「日本企業で働いてたら、大嫌いなセクハラ上司にもバレンタインデーの義理チョコをあげなあかんのよ。お金の無駄やん、アホらし~」と相方に愚痴ったら、「Huh? なんだって?」と怪訝な顔で聞き返され、「義理チョコ」とは何ぞやを説明させられた。

 それくらい、この習慣は欧米人からすれば不可思議に映るらしい。


 アメリカのバレンタインデーは、「愛があふれる日」だ。

 男性が愛しい人に特別な贈り物をする日であり、女性も恋人や夫へ心のこもったプレゼントやカードを用意する。さらには、両親や友人、知人、子供達など、「とても大切な、愛する人達」にその想いを伝える日でもある。

 決して「女性から男性に愛を告白する日」でもなければ、「ホワイトデーを期待しつつ、義理チョコを配りまくる日」でもない。

 結婚していれば夫婦で、未婚の場合でも恋人(または親しい異性の友人)と共に行動することが求められるアメリカ社会で、常日頃から口癖のように「Love you」とささやく人々が、本気で「愛してる」を表現しようと躍起になる……それが、アメリカのバレンタインデーなのだ。

 


***



 バレンタインデー(St. Valentine's Day)の起源には諸説ある。

 日本で最もポピュラーなのが「昔々、3世紀頃のローマに『愛する妻を故郷に残して出兵すると軍隊の士気が下がる』という理由で若い兵士の婚姻を禁じた皇帝がいました。嘆き悲しむ恋人たちを憐れに思ったバレンタイン司教は、皇帝の命に背いて恋人達を密かに結婚させていましたが、とうとう秘密がバレて処刑されてしまいました。彼が殉教した日は、いつしか愛を告白する日になりました」という説だろう。

 ローマの殉教録に記された、同じ日に殉教した二人の司教の名前がバレンタインだった、と言う驚くべき偶然もあったりする。

 もう一人のバレンタイン司教のお話はこうだ。

「キリスト教徒のバレンタイン司教はローマ国教に改宗を命じられたものの、多くの神々を崇拝することを拒んで投獄されてしまいました。牢獄で、看守の盲目の娘と恋に落ち、彼女の目を見えるようにする奇跡を起こした彼は、処刑前夜、愛する娘に別れの手紙をしたため、最後に『from Your Valentineあなたのバレンタインより』と署名しました」


 もっと古い由来としては、古代ローマの多神教の儀式「ルペルカリア祭」がある。

 当時、若い男女は生活圏を隔てられていた。唯一、異性と出逢えるのが、2月15日に行われるこのお祭りだった。

 「そりゃ、みんな、血眼で、死に物狂いになってパートナーを探すでしょ」と言うツッコミはさて置き……

 祭りの前夜、 娘たちは自分の名前を書いた札を壺の中に入れ、祭りの当日、男たちは壺から札を一枚引く。札に書かれた名の娘と、その札を引いた男は、パートナーとして祭りの間中ずっと一緒に居ることがならわしだ。とは言え、一年に一度しかない「集団お見合い的な出逢いの場」で恋が芽生えぬワケがなく、夜も更ければ男女の営みに精を出し、そのまま恋に落ちたカップルが目出度めでたくゴールイン! と言うパターンが多かったようだ。

 しかし、4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教に制定されると、帝国内ではキリスト教以外の祭礼と供犠が禁止された。その後も異教の祭りは細々と生き延びたが、5世紀に入り、「若者の性的な乱れを助長する」として、ルペルカリア祭はローマ教会によって廃止されることに……ただし、「こんな集団合コン的なお祭り、けしからん!」とひねつぶしてしまうだけでは異教徒の反発を招くのは明らかだ。教会側も必死に考えた。

 その結果、「男女の出逢いの日」と言う祭りの本質は残しつつ、異教徒にも受け入れられやすい体裁のキリスト教行事として「男女間の愛に殉じたバレンタイン司教を、恋人達の守護聖人として祝う」ことを思いついた、と言うワケだ。


 中世になると「聖バレンタインの祝日」に恋人を選ぶ習慣がヨーロッパ各地に浸透し、これが初期のアメリカ植民地に持ち込まれ、少しずつ姿形を変えながら現在に至る。 

 1994年から始まったエンパイア・ステート・ビルの展望台での結婚式が許可されるのは、バレンタインデー当日のみ。

 1年でたった一度のチャンスを巡って、多くのカップルが「展望台で結婚式を挙げたい理由」を熱く語るエッセイコンテストに応募し、選ばれたほんの数組の男女カップル達は幸運にひたりながら、強風吹きすさぶ真冬の展望台で永遠の愛を誓う……

 仮に私が選ばれたとして、丁重にお断りさせて頂きたい。氷点下の中、ウエディングドレス姿では、皮下脂肪の少ないアジア人は凍死の危険性も否めない。真冬でも半袖一枚で平気な顔で過ごす人々だからこその企画だと、つくづく思う。



 バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は、イギリスの菓子メーカー「キャドバリー社」が仕掛け人だ。1868年、美しい絵が描かれた贈答用のチョコレートボックスと、ハート形のキャンディボックスを発売したところ、これが大ヒット。以後、バレンタインデーには愛する人への贈り物としてチョコレートボックスが好まれるようになった。

 ちなみに、日本のバレンタインチョコの仕掛け人は、神戸のモロゾフ製菓だというのが有力な説だ。1936年、神戸モロゾフ洋菓子店は、英字新聞「The Japan Advertiser」に「For Your VALENTINE, Make A Present of Morozoff's FANCY BOX CHOCOLATE.(あなたのバレンタイン愛しい方に、モロゾフのファンシーボックス・チョコレートを贈りましょう)」という、日本で初めてチョコレートとバレンタインデーを結び付けた広告を掲載したのがキッカケなのだとか。

 やるな、モロゾフ。大阪人としては悔しいが、神戸モロゾフのチーズケーキとプリンは絶品だと思う。


 絶品と言えば、チョコレートはやはりベルギー産だ。

 ベルギーと言えばチョコレート。チョコレートと言えばベルギー。

 先に述べたベルギー創業の「ゴディバ」は、日本でも高級チョコレートメーカーの代名詞として、バレンタインデーには欠かせない。

 

 アメリカでの「ゴディバ」は、「ちょっとだけお値段の高いチョコレート。普通にスーパーとかドラッグストアで買えるし。あれってアメリカ生まれのチョコレートよね?」などと、まるで「ソニーはアメリカ創業の会社だよね」的な扱いを受けている。

 確かに、スニッカーズやキスチョコの隣に無造作に並べられているし、包装袋にどっさりと入れられたハート型のトリュフチョコなら5ドル程度だ。贈答用のボックスになると少々値が張るが、それでも日本の半額以下の価格で購入できる。

 安いと言えば、スイスのプレミアムチョコレートブランド「リンツ」のチョコレート「リンドール」もゴディバ同様の扱いを受けている。しかも激安。

 なぜにこんなに安いのか……?


 答は簡単。「アメリカ産」だから。


 ベルギー産の「ゴディバ」チョコレートは、「チョコレート菓子専門職人ショコラティエ」の手で原料を吟味され、一粒一粒ていねいに時間と手間をかけて作られている。その労働力に対する付加価値が、あのお値段を生み出すワケだ。

 対するアメリカ産「ゴディバ」は工場で大量生産されたもの。「質より量」に価値を見いだすアメリカ人向けとあって、ベルギー産と比べて安価な材料を使って作られている。なので、もちろん、味も全く違う。

 アメリカに移住した頃は、「ゴディバなのに安い! 安いのにゴディバ!」と馬鹿みたいに買いあさっていたが、「なんか妙に甘過ぎるのは気のせい? 口の中でとろける感じがしないし、なんかザラザラしてる……」と気づき、いつの間にか買わなくなっていた。

 アメリカ旅行のお土産として激安のゴディバを購入する際、上記のことを頭に入れた上で手を出して頂きたい。ついでに、激安リンドールもアメリカ産。

 逆を言えば、日本の輸入食料品店やネット販売で「このゴディバ/リンドール、やけに安いな」と感じたら、それはアメリカ産であると疑って包装に書かれている「Made in……」の文字を確認した方が良い。間違っても、愛する彼女に「安物の愛」を贈ってはいけない。



***



 さて、アメリカのバレンタインデープレゼントは、チョコレートとカードに小さなぬいぐるみなどを添えるのが一般的だが、配偶者や恋人へは、もう一つ二つ、プレゼントの数が増える。

 愛する人への贈り物として一番に上げられるのが、「深紅のバラの花束」だろう。贈る相手の好みに合わせた花束を注文し、バレンタインデー当日、カードとチョコレートを添えて玄関先まで配送するスマートな方法もある。


 玄関を開けたとたん、大きな花束と大きなチョコレートボックスが目の前に……! 

 初めての時はさすがに感動したものだ。あの無愛想な相方が、どんな顔をして花を選び、カードの文句を選んだのか……そう思うと、感極まって泣けてきた。

 配送業者の方々もまた実にアメリカ人らしく、「この花の組み合わせ、素敵だね~。ご主人、センス良いね」とか「このチョコレート、美味しいんだよね」などのコメントをさりげなく残して去って行く。

 その夜、夕飯を終えた後に、もう一つ、小さな箱を手渡された。中身はもちろん……ジュエリーだ。


 アメリカ人女性はジュエリーが大好き。

 「それ、寝間着とちゃうの?」と疑いたくなるような恰好でスーパーで買い物をしている女性でも、マスカラとピアス、指輪は欠かさない。老いも若きも、アメリカの女性は「つけ過ぎやん!」とツッコミたくなるほど、じゃらじゃらとジュエリーを身に付ける。

 既婚女性ならば、必ずと言って良いほど婚約指輪と結婚指輪を左の薬指に重ねづけしている。婚約指輪のダイヤモンドも妙にバカでかい。「最低でも1カラットが当たり前」らしい。「質より量」を重んじる国民性だからか、クオリティーの高いダイヤモンドより、少々価値は下がっても大きいものを選ぶのだとか。ダイヤモンドよりお手軽価格な色石も人気で、巨大なアクアマリンやホワイトサファイアなどを婚約指輪に選ぶ人もいるようだ。

 

 アメリカでジュエリーを購入する際は、十分検討する必要がある。なぜなら、地金や石の質が悪い割りに、値段が高すぎるからだ。


 アメリカでゴールドジュエリーと言えば、ほぼ14金(=K14)、あるいは10金(=K10)。日本で人気のある18金(=K18)やプラチナジュエリーは高級宝飾店に出向かない限り、見つけるのは難しい。

 K18よりも純度の低いK14は、日本の宝飾店では「宝飾品」として取り扱われない。K18ホワイトゴールドでさえ、お直しは出来ない、と断られる。日本では「イエローゴールドジュエリーはK18」が当たり前なのだ。

 が、アメリカでは、ゴールドジュエリーの代表が「K14」。スターリングシルバーのアクセサリーも人気で、シルバーにダイヤモンドや他の宝石を合わせたジュエリーも多く見かける。シルバーにK14 やK10のメッキが施された婚約指輪(バカでかい石付き)なども堂々と売られている。メッキが剥げたらどうするんだろう……と余計な心配をしてしまう。

 婚約指輪と結婚指輪は日常的に身に付け、シャワーや料理をする時でさえはずさないのが当たり前のアメリカにあって、ジュエリーは丈夫さが命。なので、純度が低い=割金が多く含まれるK14 は、丈夫で変形しにくく、引っ掻き傷もつきにくいため、日常使いにはもってこいなのだ。


 ただし、お値段は、K14のダイヤモンド付き婚約指輪で数千ドル。地金のネックレスでさえ、日本で高品質なK18 ネックレスが2、3本買えるほどだ。

 チョコレートは激安なのに、ジュエリーは激高なのがアメリカの常識。間違っても「アメリカ旅行/出張ついでに、彼女にジュエリーでも買って帰ろう」などと思わない方が良い。

「ジュエリーを買うなら、日本に帰国した時に買いなさい。チョコレートを買うなら、アメリカで『ギラデリ』のチョコレートを買いなさい」と言うのが、在米25年の友人の口癖だ。

 そう、それが正しい。無駄に高いジュエリーよりも、心を込めて選んでくれた花束の方が何百倍も嬉しい。



 アメリカの男性は、愛する女性にジュエリーをせっせと贈る。「数撃ちゃ当たる」作戦を決行しては、「レシート、捨ててないわよね?」と冷たく言い放たれ、彼女に腕を取られて、返品/交換のために店舗へと足を運ぶ。公共の場でレディーファーストを忘れず、さりげなくドアを開けて待っていてくれるアメリカ男性は、愛する女性に対しては情けないほど甘いのだ。

 アメリカの女性は、いくつになっても「女」であることを忘れない。愛する人のために、いつまでも「素敵な女性」でありたい。甘い蜂蜜のように男心をとろかせる「イイ女」であり続けたい……そんな気持ちとジュエリーが、彼女たちを輝かせる。



 最後に、バレンタインデーにちなんだマザーグースの童謡を紹介しよう。バレンタインデーのメッセージカードに多用されている。


The rose is red, the violet’s blue,

The honey’s sweet, and so are you.

Thou art my love, and I am thine;

I drew thee to my valentine;

The lot was cast and then I drew,

And fortune said it should be you.


バラは紅く、スミレは青く、

蜂蜜は甘くて、あなたは素敵だ。

愛する人よ、私はあなたのもの。

私の恋人として、あなたを引き当てたんだ。

多くの中から、あなたを引き当てたんだ。

運命が教えてくれた、私にはあなただけ、と。



 バレンタインデーには、「愛しているよ」と情熱的にささやく深紅のバラの花束に、誠実な愛を約束する青いスミレを添えて、大切な人に手渡してみては?


(2018年2月13日 公開)

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