第131話 アイリスが抱える悩み

 アイリスは折り目正しく頭を下げると、ルビーのようにキラキラと輝く大きな瞳を細めて微笑みました。


「ありがとうございます。それにしても、お二人は仲がよろしいんですね」

「お互いのことを大事に想っているだけですよ」

「ふふ、それは仲がよいと言っているのと同じです」

「そういうものですか」


 仲がよい、という定義が今ひとつよく分かりません。

 ただ、リーゼロッテのことを愛おしいと感じていることだけは確かです。

 リーゼロッテの方に目を向けると、ぷいっと顔を背かれてしまいましたが。

 

「お互いを大事に想っているとか、よく人前で恥ずかしげもなく言えるわね」

「それを言うのでしたら、さきほどのリーゼロッテが私にかけた言葉も似たようなものだと思いますよ」

「なっ! あ、あれは……その……」


 途端にリーゼロッテは言いよどみ、むー、という感じで唇を尖らせてしまいました。


「もちろん、私は嬉しかったですけどね」

「そ、そう?」

「ええ」


 微笑みながら首肯すると、リーゼロッテは照れたような笑みを浮かべました。


「ふふ、やっぱり仲がよろしいんですね。ねえ、ベネディクト」

「はい。長年連れ添った夫婦のように見えます」

「ふ、夫婦!?」


 両手を頬に当てるリーゼロッテ。

 顔から湯気が出るのではないかと思うくらい、彼女の顔は真っ赤に染まっています。


 このような表情をしたリーゼロッテも可愛らしいのですが、この場は話を進めるのが先決でしょう。

 夫婦のくだりについては後で対処するとして、アイリスには本題に入ってもらうことにしました。


 アイリスは頷くと、今までのあどけない表情をキュッと引き締めました。


「では、まず何から話しましょうか」


 静かに呟いたアイリスの瞳が私を捉えています。


「わたしが抱えている問題をお話するためには、教国の成り立ちから知っていただく必要があります。少々長くなってしまいますが……それでもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いません」


 むしろそうしていただいたほうが有り難いです。

 結論だけ話をされても理解できないこともありますから。

 私がそう促すと、アイリスは小さく頷いてから話し始めました。


「事の起こりはおよそ四百年前にまで遡ります。このときに何が起こったのか、今さら語るまでもないでしょうが、未知の生命体"クリファ"による未曾有の危機で、この世界は大きく様変わりをしました」


 後に語られることになる"災厄"ですね。

 世界が一変した出来事といってよいでしょう。


「世界の変化について分かりやすい例といえば、一番に異能が挙げられるでしょう。既存の体制や軍事力が崩壊し、新たな価値観やそれを統治するための制度が生まれます」


 今までの武器が全く通じない、その衝撃や絶望は当時の人々でないと計り知れないものがあります。

 一方的に蹂躙される日々を打開した異能者の存在は、まさしく英雄と呼ばれるに相応しかったはずです。


「それらの中心となったのが五大国と言われています。その中でも教国は唯一の宗教国家です。さて、お二人に伺いますが、わたしたちは何を崇め、そして祈りを捧げていると思われますか?」


 唐突にそう問われ、一瞬戸惑いつつも考えました。

 私がいた世界を基準に考えるのであれば神様や仏様になるのですが、この世界でもそれらが存在しているのかは分かりませんし、聞いたこともありません。

 だとすれば、この世界を"災厄"から救った存在?


「当時の英雄と呼ばれた方々でしょうか?」

「そうですね。確かにそれも重要なことではあります。彼らがいなければ今のわたしたちは存在していないのですから。しかし、そんな英雄と呼ばれた人々も、何もない状態から突然異能に目覚めたわけではありません。あるきっかけがあったからです」


 そこまで言われて、私はようやく理解しました。


「赤い月ですね」

「その通りです。赤い月が現れたことで異能を発現する者が増え始め、"クリファ"への反撃が始まったのです。クリフォト教国のクリフォトとは、わたしたちの国に古くから伝わる言葉で"赤い月"を意味します」


 なるほど。

 赤い月を崇め、祈りを捧げる国だからクリフォト教国ですか。

 

「教皇は代々清らかな乙女が務めることになっています。赤い月に祈りを捧げることで、歴代の教皇にのみ発現できる特別な異能を授かり、国を護っているのです」

「特別な異能、ですか?」

「はい。どういったものかは国の根幹に関わることですので、お話するわけにはいかないのですが……」


 アイリスは申し訳なさそうに眉を下げました。


「構いません。それに、アイリス様の抱える問題に直接関係はないのでしょう?」

「そう言っていただけると助かります」


 アイリスは、ぱあっと花が咲いたような笑みを浮かべると、言葉を続けます。


「さきほども申しましたとおり、教国は赤い月を崇めています。ですが、教国内に赤い月ではない、別のモノを崇める者たちが現れました」

「別のモノ……ですか。いったい何ですか?」


 アイリスの表情が曇りました。

 心なしか青ざめているようにも見えます。


「……"クリファ"です」

「ちょ……ちょっと待ってください!」


 リーゼロッテの鋭い声が部屋中に響き渡りました。


「"クリファ"って、あの"クリファ"ですよね?」

「そうです」

「信じられない……世界中を恐怖に陥れた存在なのに、いったいどうして……」


 リーゼロッテの言うことは尤もです。

 世界中の人々に災いをもたらす存在であった"クリファ"。

 それを崇めるだなんて、狂っているとしか思えません。


「彼らの言葉を信じるのであれば、この世界に存在する全て――わたしたち人間も含めてですが、元々は"クリファ"と同じ一つの存在だったそうです」

「なっ……!」

「"クリファ"は本来あるべき姿へと戻るためにこの世界に現れ、取り込んでいったのだと。悪いのはわたしたち人間であると考えているのです」


 リーゼロッテの頭が、ぴくりと震えました。


 もし……もし仮にそれが本当だとするならば、ベアトリスの授業で聞いた身体に取り込むという行為に意味があったということになります。


 ですが、今の世界に肝心の"クリファ"は存在しないのです。

 いくら崇めようとも、崇めるべき対象が存在しないのであれば、信仰しても意味がないのでは?


 しかし、続けてアイリスの口から出た言葉は、私にさらなる衝撃を与えるものでした。


「"クリファ"を信奉する者たちの目的はただ一つ――再びこの世界に"クリファ"を出現させることです」

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