第129話 助けた少女は……?

 その後はリーゼロッテを含めた全員がヴァルダンブリーナ帝国の選手に勝利し、私たちレーベンハイト公国にとっては幸先の良いスタートとなりました。

 カエサルとの不可解な一戦がなければ、ですが。


「どうしたの? せっかく全勝したのになんだか浮かない顔ね」

「そんな顔をしていましたか?」

「ええ。眉間に皺が寄っているもの。ほら、こんな感じに」


 そう言って私の前で眉間に皺を寄せるリーゼロッテ。

 その仕草があまりに可愛らしかったので、思わず笑みが溢れます。


「ふふ。少しは気が紛れたようね、良かった」


 リーゼロッテは作っていた表情を緩めてニコリと微笑みました。


 ここまで気を使わせてしまうとは……どうやら自分で思っていた以上に周りが見えなくなっていたようです。


「ありがとうございます。それにしてもよく気づきましたね? シュヴァルツ先輩たちは労いの言葉だけで特に気づいた様子はなかったのですが」

「それは分かるわよ。だって……」

「だって?」


 聞き返すと、リーゼロッテがうっすらと頬を染めて、上目遣いにこちらを見ました。


「じ、自分の婚約者がいつもと違う表情をしているんですもの。気づかないはずがないでしょ。……毎日見ているんだし、ね」

「リーゼロッテ……」


 感動して思わず抱きしめてしまいそうになりましたが、すんでのところで思いとどまりました。

 周囲に人がいないとはいえ、どこで誰が見ているか分かりません。

 お互い学生の身なのですから、婚約していようと人前では節度あるお付き合いをしなければ。


 ただ、そうですね。

 このくらいならば問題ないでしょう。


「リーゼロッテ、貴女のその思いやりに満ちた優しいところ……好きですよ」


 リーゼロッテの左頬に触れつつ、彼女の手にそっと口づけをします。


「ちょっ!? アデル!?」

「本当は抱きしめて感謝をお伝えしたいのですが、今はこれでお許し下さい」

「だ、抱きしめて!? でも、ここだとちょっと……」

「分かっています。ですから続きはまた今度ということで。宜しいでしょうか?」

「今度!? ……んん、分かったわ。今度ね?」

「はい」


 頷くと、リーゼロッテは顔を赤くしたまま笑みを浮かべました。


「さあ、ホテルに戻りましょうか」


 私とリーゼロッテは会場を出て、ホテルへ歩き始めました。

 


 外はすっかり日が落ち、街灯で照らされています。

 試合を最後まで観戦したのも理由の一つですが、一番はカエサルとの試合を引きずっていたことです。


 まだ余力があったにもかかわらず負けを認めたカエサル。

 その真意がどこにあったのかは、本人に聞くしか分からないでしょう。

 全ての試合が終わった後に訊ねてみるのもいいかもしれません。

 

 その時です。


「何か聞こえませんか?」

「そう? 私には何も聞こえなかったけど」


 隣を歩くリーゼロッテが左右に首を振りました。

 どうやら彼女にはちゃんと聞き取れなかったようですが、私には聞こえました。

 何か争うような音が。


「確かこの辺りから聞こえたような気がしたのですが……」

「そっちはホテルじゃないわよ?」


 大通りから一つ外れた路地裏に顔を向けました。

 街灯でかろうじて道が見える程度の明るさしかありません。


「ほら、誰もいないじゃない。行きましょう」

「いえ、待って下さい」

「え?」


 奥の方で白いものがちらりと見えた気がしました。

 視線を凝らして見ると、少女が立っていました。

 私たちから数十メートルほど離れた場所に、白い服を纏った幼い少女がいたのです。

 

 問題なのは、その少女を数人の黒ずくめの男たちが囲んでいたことです。

 そして今まさに黒ずくめの一人が少女の手を取り、近くに停めていた電磁車に乗せようとしていました。

 こんな時間に一人でいる幼い少女を車に乗せようとするなど、考えられることは一つしかありません。


「待ちなさい!!」


 叫ぶや否や路地裏を一気に駆け抜けました。


「ちょ、ちょっとアデル!」


 後ろでリーゼロッテの声が聞こえますが、今は一刻を争います。


「何だ貴様は!」

「貴方たちこそ何をしているのです。幼い少女に大の大人がよってたかって、恥を知りなさい」

「チッ、面倒だ。おい!」


 黒ずくめは四人。

 全員がマントを羽織っており、怪しさしかありません。

 そのうち三人が私を取り囲み、残る一人は少女の手を掴んだままです。


「騒がれないうちにやれ」


 少女を拘束している男の合図とともに、三人が一斉に襲いかかってきました。


 回避。回避。回避。

 ステップを踏むように黒服たちの攻撃を避けます。


「何っ!?」


 焦りと驚きが合わさったような声が路地裏に響き渡ります。

 

「何を遊んでいる! さっさと終わらせろっ」

「そうは言ってもっ」

「全然当たらないんだよ!」

「こいつ、ちょこまかと……」


 それなりに武道をかじってはいるようですが、デリックに毛が生えた程度の腕前といったところですね。

 これなら異能を使うまでもありません。


「ガッ――!?」


 一番近くにいた黒服が殴りかかってきた右手を下から跳ね上げ、無防備となった顎に掌底を打ち込みます。


「ぐあァッ!」

「――ッ!?」


 残る二人にも瞬きする間に、右の突きと左の蹴りを繰り出しました。

 急所を突かれた黒服たちは、その場で無様に昏倒しました。


「くっ! 近づくなっ、こいつがどうなっても――なっ!?」


 あっという間に仲間が倒され一人になった男は、少女を盾にしようとしましたが、そのようなことを許す私ではありません。

 摺り足で音も立てずに一気に距離を詰めました。


 縮地と呼ばれる特殊な歩法……相手からは瞬間移動のように見えたでしょう。

 右拳で少女を掴んでいた腕を跳ね上げると同時に、もう一歩踏み込んで右肘を胸椎で叩き込みました。


 男はストンと垂直に倒れこんだのを確認してから、少女を抱き寄せます。


「ふわぁ、あっという間に……お強いんですね」

「お怪我はございませんか?」

「あなた様のおかげでこの通りなんともありません。助けていだたいてありがとうございます」


 そこで初めて、少女が着ている服が普通と違うことに気がつきました。


 純白の司教服に身を包み、服の縁には煌びやかな装飾が施されています。

 雪のように白い髪は腰に届くほど長く、闇夜を照らす鮮やかな赤い瞳。

 見上げる表情はあどけなさの中に美しさがあり、神秘的な感じさえします。

 私の両腕にすっぽりと収まるその体はあまりに小さく、確認しないと分かりませんが、十歳にも満たないでしょう。


「アデル! 女の子は無事なのっ」

「ええ、この通り無事ですよ」

「そう、よかった。だけどここに居るのは危険じゃない?」


 リーゼロッテの言うことも確かです。

 彼らが何者かは分かりませんが、他に仲間がいる可能性だって考えられるのですから。


「そうですね。一旦ホテルに戻りましょう」

「ホテル? あの、もしかしてこの辺りで一番大きなホテルのことでしょうか?」

「そうですが、それがどうかされましたか?」

「わたしもそのホテルに戻る途中だったのです。お邪魔でなければご一緒してもよろしいでしょうか……?」


 父親か母親とはぐれてしまったということでしょうか?

 それにしては喋り方がやけに大人びていますが……どちらにせよ、ここで少女を一人にしておくなど有り得ません。

 

「もちろんです。私たちがホテルまでご案内します」

「良かった。ありがとうございます」


 黒ずくめの男たちはひとまとめにして、クラウディオの結界に閉じ込めておけば暫くは効果が続くはずです。

 後はホテルに着いてから、シャルロッテに連絡を入れておけば大丈夫でしょう。



 その後は特に何事もなく、無事に三人でホテルにたどり着きました。

 中に入った瞬間、ロビーから司教服姿の男性がこちらに気付いて悲鳴のような声を上げました。


「教皇様! よくぞご無事で!」

「「……教皇様?」」


 私とリーゼロッテは周囲を見回しますが、それらしき人物は見当たりません。


 うん? 男性の服装、つい最近どこかで見たような――。


 すると、隣にいた少女が幼さの残る笑顔を浮かべました。


「そういえば、助けていただいたのに名乗っていませんでしたね。わたしはクリフォト教国の教皇、アイリスと申します」


 目の前であどけない笑みを浮かべる少女――アイリスがクリフォトの教皇?

 

 その事実に、私とリーゼロッテは思わず顔を見合わせるのでした。

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