第111話 彼女が心配するのも当然です
「まったく、もう!! アデルのばかばかばか!!」
セリスに案内された客間。
入口で呆れたような視線を私に向けながら一向に助ける素振りを見せないリビエラを横目に、私は必死にリーゼロッテをなだめていました。
「私が少しでも答えを先延ばしにしようと頑張っていたのに、なんであんなことをいうのよ!」
備え付けられたソファに座る私の隣に腰掛け、小さな拳でぽかぽか叩いてくる姿は何とも愛らしいです。
「申し訳ございません。つい、売り言葉に買い言葉で反応してしまいました。ですが、私は後悔しておりません」
「アデルが後悔していなくても私が気にするのっ!」
私を叩き続ける拳をつかまえ、包み込むように優しく握るとようやく大人しくなりましたが、今度はぷくっと頬を膨らませてしまいました。
周囲に見せる普段の様子とギャップがありすぎて――いえ、最近はそこまででもありませんか。
それでも、私のことで取り乱してくれるリーゼロッテを愛おしく思った私は、優しく微笑みかけました。
「大丈夫ですよ。セリス女王の話では通常の試合と違って危険はないようですし。それに、私が負けるとお思いですか?」
セリスの話によれば、ディシウス王国には特殊な空間を創りだす異能者がいるそうです。
空間の範囲内ではどれだけ攻撃を受けたとしても傷を負うことはないのだとか。
代わりに自身の体力が数値化され、攻撃を受けた際に減少する仕組みになっており、どちらかがゼロになった時点で解除されるそうです。
なにやらゲームのような異能ですが、異能が解除された後も身体に異常はないと言っていましたし、万が一に備えてディシウス王国でも指折りの治癒の異能者も控えさせるとあっては、信じる他ありません。
それに、普通に考えて他国から迎えている賓客に対して、こちらが承諾しているとしても怪我を負わせたとあっては、外交的に問題でしょうし――いえ、このような話を持ちかけてくる時点で色々と問題なのでしょうけど。
「う~~……」
ソファの上ですらりと長い脚を組み、リーゼロッテが唸りました。
「……アデルのことは信じているわ。少なくとも公国内でも対等に戦える者は数えるほどしかいないと思う。それくらい今のアデルは強い。でも、それは向こうも知っているはずなのよね……。にもかかわらず、自分の息子を対戦相手として指名するくらいだから、よほど自信があるはず……。どうするの? 負けたらディシウス王国に行かなきゃいけなくなるのよ?」
どこか不安げな瞳を私に向けるリーゼロッテ。
彼女が心配するのも尤もです。
仮に私がギルバートに負けた場合、私はディシウス王国に行くことになり、リーゼロッテと離れ離れになってしまいます。
その場合、リーゼロッテがついてくる可能性も否定できませんが……。
そうなれば、結果的にセリスの望むものが両方得られる形となり、公国にとっても大きな損失になるでしょう。
フィナールクラスが二人もいなくなってしまうのですから。
もちろん、そんなことにはならないように全力を尽くすつもりですが。
と、そこでリーゼロッテの異変に気付き、声をかけました。
「リーゼロッテ様?」
「え……あれ?」
彼女の頬を伝うのは、リーゼロッテの瞳から溢れる涙です。
リーゼロッテは、指摘されて初めて気づいたように、涙の伝う頬を押さえていました。
「おかしいわね。泣くつもりなんてなかったのに……変よね」
「いえ、少しも変ではありませんとも。涙が流れるときは正しく泣くべき時ですよ。それが私の為に流してくださった涙であれば変に思うなど有り得ません」
しばらく時間をおいて、リーゼロッテは泣き止みました。
涙の跡も優しく拭いましたが、まだ少し目は腫れています。
「いきなり泣いてごめんなさい」
「なんら問題はございません。乙女の涙を拭うのは男の甲斐性というものです。むしろ私の方こそ、涙を流させてしまうほどご心配をお掛けすることになり、申し訳ございません」
「いいの。私が勝手にアデルが負けてしまったらどうしよう、離れ離れになってしまったらどうしよう、私の前からいなくなってしまったら……そう考えたら……」
リーゼロッテは私の手をギュッと握り締めました。
蒼の瞳に薄く涙を滲ませ、握り締めた私の手にそっと唇を当てました。
柔らかな動きが、直接伝わってきます。
私としたことがなんたる不覚。
この方法が一番だと信じて行動したつもりだったのですが、涙を流すほどに心配をかけてしまうとは。
簡単に負けるつもりなど毛頭ありません。
可愛い妹に、婚約が決まったばかりの弟も公国にいるのです。
何よりもやっと自分の気持ちに気づけたというのに、愛しいリーゼロッテと離れ離れになってしまった日には、今以上に悲しい思いをさせてしまうに決まっています。
それら全てを置いて、ディシウス王国に一人向かうことなど――できるはずがありません。
「……必ず、勝利してみせます」
そのひと言は、自分で思っていたよりも大きく、そして力強いものでした。
私はソファから腰を上げるとリーゼロッテの前で跪き、手を握り返すと呟きました。
「私のリーゼロッテ様を想う心は誰にも負けません。永久にともに傍に居たいとお伝えしたばかりなのに離れたくはありませんから。貴女に勝利を捧げます」
言葉を切ると、彼女の透き通るほど白い手に誓いの口づけをします。
すると、リーゼロッテは一瞬きょとんと目を丸くしましたが、やがてぼっとしそうなほどに頬が真っ赤に染まったかと思うと、ソファから立ち上がり、窓際に歩いていってしまいました。
リビエラの表情は呆れから甘いものを食べ過ぎたときのそれに近いものへと変わってしまっていますが、きっと気のせいでしょう。
背を向けて立つリーゼロッテの肩ごしに、陽が沈んだディシウスの活気に満ちたざわめきが微かに流れ込んできました。
私はスッと立ち上がると、リーゼロッテの隣に立ちました。
しばらくして、右肩に軽く頭が預けられた後、
「負けたら許さないんだから……」
小さく呟くような彼女の声に、私はリーゼロッテの髪を優しく撫でながらゆっくりと頷きました。
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