第21話 学園生活の始まり⑪
入学して五日も経てば、行動を共にするメンバーも固まるというものです。
とは言っても、フィナールに一年生は四人しか居ませんし、帰る寮も同じとあっては当然のことかもしれません。
ただ、このメンバーで良かったと私は思っています。
元婚約者であるリーゼロッテですが、特に気まずくなることもなく話し合える仲ですし、エミリアも兄であるガウェインに対してのみ毒舌であることを除けば、話しやすい女性ですしね。
ガウェインは……三日前から何故かやたらと懐いてくるようになったのが、少々鬱陶しいと思わなくはありませんが、基本的には明るく前向きな好青年と言えるでしょう。
私が外見の上では同じ年齢とはいえ、精神年齢は四十歳であるだけに、今更十代の学生と話が合うのだろうかと心配していたのですが、最初の友人がこの三人だったのは運が良かったと思っています。
そんな三人と共に、一日の授業を終えてフィナール寮へと歩み出しました。
いつも通り、整備された美しい花園を通り抜け、あと少しでフィナール寮に到着するというところで、後ろから私を呼ぶ大きな声が聞こえます。
振り返ると、そこにいたのはプリメロの一年生、エリカでした。
大急ぎでここまで走ってきたのでしょう。
肩を大きく揺らしながら息を吐いており、顔からは汗が幾筋も滴り落ちていました。
「おや、エリカさんではありませんか。そんなに慌ててどうされたのです?」
私は胸元のポケットに忍ばせていた白のハンカチを取り出すと、エリカの額や頬から流れ落ちる汗を優しく拭き取りながら問いかけます。
すると、エリカは「ふぁッ!?」と可愛らしい声を上げ、顔を真っ赤にしながら更に息を荒くしてしまいました。
――これは一体どうしたことでしょう?
首を傾げていると、リーゼロッテが私の肩を掴み、エリカから引き剥がすように引っ張ります。
「リーゼロッテ様、急に引っ張るなんて酷いではありませんか」
「酷いのはアデルの方よ! 貴方の振る舞い一つ一つが凶器になるのだということを少しは自覚なさい! 全くもう……エリカさんだったわね。大丈夫かしら?」
氷のように冷たい眼差しでキッと私を睨みつけながら、辛辣な言葉を述べるリーゼロッテに困惑するしかありません。
近くに居るエミリアは、リーゼロッテの言葉を肯定するかの如く、大きな頷きを繰り返しています。
その隣に居るガウェインは、私の方に熱い眼差しを向けながら「流石です、師匠!」と意味不明なことを言っていました。
「だ、だい……じょうぶ、です。いきなりの事で少し……いえ、かなりビックリしましたけど」
「そう……。ミーシャにも言ったのだけど、貴女にも言っておくわね。アデルは時折、いえ普段から今みたいな振る舞いをするけれど、どうやらアデルにとってはこれが
「……あれが、普通?」
エリカが何やら驚いた表情をしているようですが、何を驚く事があるというのでしょう?
紳士であれば当然の振る舞いだと思うのですが。
「えぇ、あれがアデルにとっての普通なの。慣れなさい、とは言わないけど、そういう
「わ、分かりました」
リーゼロッテの言葉に頷くエリカ。
エリカの息が落ち着いたのを見計らったように、リーゼロッテが問いかけました。
「そういえば随分急いでいたようだけれど、アデルに何か用事があったんじゃない?」
「あ! そ、そうでした! あの、アデル君。ミーシャが、ミーシャが居なくなったんです!」
エリカは酷く取り乱した様子で私に話しかけています。
「ミーシャさんが居なくなった? それはいつの事ですか?」
「ついさっきです。学園を出る直前に私が教室に忘れ物をしちゃって。ミーシャが付いていこうかって言ってくれたんですけど、私は直ぐ戻るからいいよって言って、一人で教室に戻ったんです。……だけど、教室から戻ってみたらミーシャが居ないんです」
「あー……もしかしたら先に寮に戻ったという可能性はないのかい?」
ガウェインが可能性の一つとして、エリカに問いかけますが、エリカは首を横に振って否定しました。
「この手紙が靴箱に入っていなければ、私も考えたかもしれません」
そう言ってエリカが私に差し出してきたのは、一通の真っ白な封筒。
しっかりと封がされており、差出人の名前はなく、裏側には"アデル以外が手紙を見たら、ミーシャは……"とだけ書かれていました。
文言を見たリーゼロッテやガウェイン、エミリアの双眸が一瞬にして鋭くなります。
「アデル、この手紙は――」
「私一人で見ろということでしょう。少々失礼します」
リーゼロッテの言葉を遮り四人から十メートルほど離れると、一人で封を解いて手紙を抜き出して、書かれている内容に目を通しました。
「……これは」
――握り締めた手紙がグシャグシャになってしまいましたが、そんな事はどうでもいいです。
怒りに全身が総毛立ち、日本での
「アデル……手紙には何て書いてあったの?」
私が読み終えたのが分かったのでしょう。
四人はいつの間にか私の傍に近づいており、リーゼロッテが代表して手紙の内容を聞いてきました。
「申し訳ございませんが、お教えする事はできません」
「アデル!?」
「封筒にも書いてあったでしょう? 私以外が手紙を見たら、と」
「そんな事を言っている場合ではないでしょう! ミーシャさんが自分の意思とは関係なく居なくなったのであれば、人手は多い方が――」
「――大丈夫です」
「ア、アデル?」
私の言葉に、リーゼロッテを含め、その場にいた全員から息を呑む音が聞こえます。
それは、私自身驚くほど冷静な声でした。
どうやら怒りも限度を振り切れば何も感じなくなるようですね。
――怒り?
そうですね、私は確かに怒っています。
このような
あの時のように、また何も出来ない?
目の前で奪われてしまうのですか?
そのような事は御免
今度こそ、絶対に――。
心の内を隠すように微笑を浮かべた私は、一言だけリーゼロッテに告げます。
「私が全て終わらせます」
何故なら今の私には、それだけの
っと、行く前に一つだけ頼んでおかなくてはいけない事がありましたね。
リーゼロッテに伝言を頼むと、四人をその場に残して、私は走り出しました。
◇
そして手紙に記されていた場所に辿り着くまで、ものの十分も掛かりませんでした。
走り出したと同時に"雷を切り裂く剣"を再現し、遠くない距離を一気に走破します。
"雷を切り裂く剣"のおかげで、私は息一つ乱していません。
「確か――ここ、ですね」
指定された場所は、学園の校舎から離れた森の中。
この辺りはあまり手入れがされていないのか、木々が鬱蒼と生い茂り、視界も悪くなっています。
学園からも距離がありますし、人目にも付きにくい――襲ってくるにはお
彼がどういうつもりであれ、私の気持ちは決まっていました。
"雷を切り裂く剣"を一旦解除し、右手を思い切り握り締め、その感触を確かめながら森の中へと踏み出します。
と、そこで一度大きく息を吐き出しました。
いけませんね。
先程より冷静にはなりましたが、完全に怒りを抑え込めてはいないようです。
手紙には、私一人で来ればミーシャさんに危害は加えないと書いてありましたが……。
またしても脳裏に過ぎる、あの光景。
パァン! と両手で顔を叩いて気合を入れ直します。
我ながら情けない。
弱気になってどうするのですか。
現実というものは非情です。
祈りも、怒りも、傷の痛みも届きはしません。
そんなものでは変わりはしないのです。
世界を変えるのは、いつだって己の意志と行為のみ。
ならば――。
「やっと来たか。遅かったじゃねぇか」
「……」
森の奥に進むと待っていたのは、一人の大柄な男子生徒。
大袈裟な仕草で手を広げるデリックに対して、私は冷ややかな視線で返します。
デリックの背後には倒れている女子生徒の姿がありました。
薄暗いせいで多少見えにくいですが、ミーシャに間違いないようです。
気絶しているのか、ミーシャはピクリとも動きません。
ひとまず無事であることにホッとしつつ、デリックを正面に捉えて話しかけます。
「――何が目的ですか?」
「目的、か。クク……決まってるだろ! テメエともう一度
「……私と戦いたいと仰るなら、先生方やシュヴァルツ先輩達に掛け合えばよいでしょう。今直ぐは無理かもしれませんが、時間を置けばその願いは叶ったはずでは?」
そう、今は無理でも時間さえ掛ければ私と再戦することはそう難しいことではないはずです。
それなのに何故?
「それじゃあ遅すぎるんだよ! 待ってたら俺の気はいつまで経っても晴れねぇだろうがッ」
目をギラつかせたデリックが大声を上げながら右手を上げると、デリックの左右に立ち並ぶ木に隠れていた五人の男子生徒が姿を現しました。
五人ともデリック同様に目をギラつかせており、私のことをジッと睨みつけています。
やっぱり居ましたか。
前方から複数の気配を感じていたので、もしやと思っていたのですが、的中しましたね。
「一対一には拘らない、ということですか?」
「あ? こいつらは保険だよ。
「アイツ、ですか」
そこで私の怒りが一瞬収まります。
最初に会った時と比べてデリックの目つきが別人のように変わっているのも、周りの五人がデリックと同じ目をしているのも、理由があるのでしょうか?
もしかすると、彼らも被害者なのかもしれません。
「この戦いが終われば、彼女は寮に帰して頂けるんでしょうね?」
「ん? そう心配すんなよ。あくまでこの女はテメエを誘き出す為の餌だ。人質に使うなんてこともしねえし、テメエを倒したら無事に解放してやるよ。まぁ、こいつらが軽く楽しむくらいはするかもしれねえがな」
そう言って下卑た笑い声を出すデリックと五人の男子生徒。
私の心の奥底が急激に冷えていくのが細胞レベルで感じていました。
――――前言を撤回しましょう。
仮に何らかの理由があるのだとしても、仮にどうしようもない理由があるのだとしても、仮に操られているのだとしても。
罪もない人間を危険にさらすような行いも、あのような紳士にあるまじき振る舞いも、断じて許すことなど出来ません!
「じゃあ、始めるぜ!『――――金剛――ガアァっ!?」
デリックが開始の合図を告げ、私に襲いかかるべく異能を発現させようとしました。
ですが、彼は最後まで言い切る事は出来ません。
何故なら、私がその場にいる誰よりも早く異能を発現し、"雷を切り裂く剣"を再現していたからです。
"雷を切り裂く剣"を再現した私は、その効果を最大限に利用して力強く地面を蹴りつけると、一瞬でデリックとの間合いを零にします。
驚愕の表情を浮かべる間さえ与えることなく、柄頭の部分でデリックの
無防備な状態でキレイに入った一撃の威力は凄まじかったようで、デリックは頭から地面に倒れ込みます。
一瞬の出来事に反応できないでいる五人の男子生徒。
その隙を見逃すような真似はしません。
近くにいる者から順に間合いを詰め、三人はデリックと同じく柄頭の部分で鳩尾を急襲し、残る二人は顔面に向かって掌底打ちを繰り出します。
鳩尾に喰らった三人はその場に崩れ落ち、二人は顔面に痣を作って昏倒しました。
「――――ふぅ」
大きく息を吐き、周囲を見渡すと地面に這い蹲る六人の男子生徒。
ピクリとも動く気配はありません。
手加減など考えずに叩きこみましたからね。
当分は目を覚まさないでしょう。
まぁ、これに懲りたら二度と悪いことはしないで頂きたいものですね。
――次があるのかは学園側の判断次第でしょうけど。
私は倒れている六人を横目に通り過ぎ、未だ気絶しているミーシャを優しく抱き上げます。
「……ん」
「気付かれましたか?」
「あれ? ここは……? って、アデル君? え! えっ!? 私、何でお姫様抱っこされてるの!?」
「ミーシャさんは彼らに連れ去られていたのですよ。覚えてらっしゃいませんか?」
「えっ! いえ、エリカちゃんを待っていたら、誰かに声を掛けられたような気がして振り返ったら急に視界がボヤけて意識が朦朧として、それからは……思い出せません」
「そうですか」
ふむ、暗示のようなものかもしれませんね。
異能の一種でしょうか?
「あの、アデル君」
「何でしょう? まさか! どこか痛みますか?」
「いえ! そういう訳ではなくてですね。何と言いますか、恥ずかしいというか……」
「何を言っているのです。少なくともここから出るまでは大人しくしていて下さい。何かあってからでは遅いのですよ」
ミーシャの顔を見ながら少し優しい声色を意識して話します。
こういう時は安心させるのが一番ですからね。
「あぅ。……はぃ」
私の誠意が伝わったのでしょう。
ミーシャは小さく頷くと、そのまま私に抱かれたまま大人しくしてくれました。
私も頷きを返すと元来た道に目を向けます。
「さて、と。では戻りましょう」
――学園に戻ると皆安堵の表情で出迎えてくれたのですが、リーゼロッテとエミリア、そしてエリカにまで三十分程、コンコンとお叱りを受けてしまいました。
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