3-4

しばらく、お互いに無言の時間が続く。

こんな時間が昔は少しも苦ではなかったのに、今はずっと心が張り詰めている。


彼は今、何を思っているのだろう。

私にはわからない。


あの時から、彼の考えていることがわからなくなってしまった。

楓ちゃんがいなくなってしまったことを知った日、彼はずっと泣いていた。

けれど、次の日になったら涙はすっかり止まっていて、代わりに、彼は以前にも増して物静かな人になっていた。

それ以来、彼が表に出す感情にはどこか嘘が混ざっていて、本当のことが見えなくなった。


最近になって彼はまた笑うようになったけど、私にはそれがやっと出来上がった模造品にしか見えなくて、彼が笑顔を浮かべる度に心がチクリと痛むのだ。


今、私が取るべき行動は何なのだろうか。

どうすれば物事は上手く転がっていってくれるのか。

それを必死に考えていた。

飲み物に口を付けるけど、味はよくわからない。

私の心の内は、瀬尾さんのことから楓ちゃんのことへと移り変わっていた。


楓ちゃんのことは、瀬尾さんのこと以上に私を、私達を揺さぶることになるのは間違いなかった。

本当ならば、この話題を口に出すべきではない。

必要以上に彼の心に足を踏み入れるべきではない。

私の理性はずっとそう叫んでいる。

私がこれまで歩いてきた道の先に、その選択肢は無い。

それでも。


「ねぇ、佐倉くん」

それでも私は。

「あのね」

感情を抑え切ることができなくて。

「もう、一年以上経つよね」

言葉を留めておくことは無理だった。

「楓ちゃんが、いなくなってから」

彼の表情が消えた。



「そう、だね」

何分も間を空けてから、彼は口を開いた。

返事をするまでにどれほどの時間をかけたのか、彼は自分でわかっていたのだろうか。

きっと彼は、黙っている間、楓ちゃんとの思い出を頭の中で振り返っていたに違いない。

私は、彼の記憶をこじ開けてしまったのだろうか。

口に出してしまった言葉はもう戻らない。

「楓ちゃんのこと、忘れたことは一度も無い」

「……うん」

「私達の心から消えることは、多分これからも無いんだと思う」

「……うん」

「だけど……佐倉くん」

「……」

彼の沈黙の意味するところが、私にはわからない。

これから私が口にする言葉は、彼の心にどう響くのだろう。

何かが壊れてしまいそうな、そんな予感。

怖い。

怖くて仕方がない。

でも、流れ続ける言葉を止める術を、私は知らなかった。


「だけどね、楓ちゃんだけにずっと目を向けたままでいるの、もう、やめにしよう?」


ついに言ってしまった、その言葉。

「どういう、意味?」

聞き返す彼の言葉は、冷たい。

「瀬尾さんから聞いたの。佐倉くんが、瀬尾さんと楓ちゃんを、間違えたこと」

私が彼女から聞いたということは、秘密にしておくべきだったのかもしれない。

けれど、そんな気持ちを維持する力が私にはもうなかった。

「楓ちゃんに起きていたこと、瀬尾さんに起きていたこと。ダブらせてるんだよね?」

彼は答えない。

「仕方ないとは思う。君がそのことを気にするのは当然だとも思う」

私だって、瀬尾さんのことを初めて知った時には楓ちゃんのことが頭を過った。

「だけど、瀬尾さんに楓ちゃんを被せたままでいるのは、そんなのは、瀬尾さんが可哀想過ぎるよ」

本当に?

私は本当にそう思っているのか?


あぁ、思っている。

嘘じゃない。

でも、私の心の奥には、そうじゃないだろうと叫ぶ私がいた。

それでも、そんな感情を押し隠して、私は言葉を続ける。


「瀬尾さんのこと、ちゃんと見てあげてよ」


そうやって彼に投げ掛けた言葉。

どう受け止められたのだろう。

彼の返事は一度も得られないまま、時間だけが過ぎていく。



「そろそろ出ようか」

窓の外が暗くなり始めたころ、彼が呟いた。

私はただその言葉に従うことしかできなかった。

アスファルトから立ち上る日差しの残り香が、私の頭の中をゆっくりと侵していく。

家まで歩いていく間、私達の間に会話はなかった。

この時ほど、家が隣同士であることを恨んだことはない。

家の前、別れ際、一言二言交わした記憶はあるけれど、どんな言葉だったのか、私は覚えていなかった。

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