4-3

喫茶店の中は僕と同じ高校の人間たちで埋まっていて、ガヤガヤとしていた。

幸いにもカウンター席が空いていたので、そこに座っている。

よく効いた冷房とアイスコーヒーの冷たさが心地良い。

店内を飛び交う会話の中に、自分の思考を埋もれさせる。

今は考え事をしたくなかった。

すれば、嫌でも皆の顔がちらついてしまうから。

それでいいのかと自問する声は、喧騒にかき消され、僕の耳までは届かない。



屋上に一度行ってみたけれど、やはりそこには誰もいなかった。

いるはずもなかった。

多分、もう帰ってしまったのだろう。

別の策を取るしかない。

私は走り出す。

廊下を走り抜けていく私を何事かと見てくる人もいたけれど、気にしている暇はない。

生徒会室はこの場所から遠いから、仕方ない。

すぐに、すぐに行動したくてたまらなかったから。


生徒会室の前に辿り着く。

中からはガサガサと人の気配が感じられる。

絶え絶えの息を少しだけ整えてから、私は扉をノックした。

「鈴井先輩、いますか。私です。瀬尾です」

彼女なら知っているはずだ。

だけど、扉が開いて顔を出したのは、想像していたのと違う顔だった。

見覚えがある。

確か、生徒会の副会長だ。名前は知らない。

「あ、瀬尾さん。会長に用なの?」

「あ、あぁ、うん」

少し戸惑ってしまった。

「なんか息上がってるけど、何があったの?」

「え、いや、なんでもない、です」

「そう?」

副会長は、不思議そうに私を眺める。

「でもごめんね。会長、ちょっと席を外しちゃってるの。今日は多分、戻らないかも」

彼女から、申し訳なさそうな顔でそう告げられる。


そうなのか。

こういう時に限って、捕まらないのか。

身体全体を覆っていた熱が徐々に冷めていくのを感じる。

駄目だ。

多分、今この時を逃してしまえば、私はまた朦朧とした日常に引き摺り落とされ、這い上がることが出来なくなってしまう。

私を突き動かしたエネルギーが再び戻ってくるまでに、どれだけの時間を要することになるのかわからない。

そう感じた途端、自分の今までの生き方がフラッシュバックする。


誰とも繋がらず、距離を取り、自分だけの世界を作ってその中に閉じ込もっていたこと。

自分の心を覆う殻が傷付くのが怖くて、近付く全てを拒絶していたこと。


それが、巡り巡って今、私の四方を塞いでいた。

あいつのことを何も知らないし、私は、知る術を持っていないのだ。


「……どうしたの?」

副会長の心配そうな声。

自分がどんな顔をしているかわからないけど、きっと酷い表情なのだろう。


なんでもない。


そう言いたかったのに、私の口は声を発することができずにいる。

目の前が、視界が濁っていく。

どうすればいい。

これから、私はどうすればいい。

何もわからなくなって扉の前で佇む私を、副会長が心配そうに覗き込む。

見ないでくれ。今の私を、見ないで。

どうしようもなくなって、目を逸らしてたくて、顔を上げた。

ふと、部屋の中を覗く格好になる。

その時、生徒会室の中からこちらを覗いている顔と目が合った。

この瞬間、私は一つだけ思い出した。


「ねぇ、田島!」

こいつの名前だ。


「お?」

部屋の外から突然名前を呼ばれて驚いている様子だったが、それに構ってなんかいられない。

熱が、再び身体に戻ってくる。

この偶然を逃す手はなかった。

目の前に差し出されたチャンスを、逃すわけにはいかなかった。

昼休みの、一方的な会話を思い出す。

だから、私はこう告げた。


「あんたの助けはいらない」

「は?」

突然の拒絶に戸惑う田島。

文脈なんて無視した台詞だから、無理もない。

「だけど、一つだけお願い」

その台詞は、鈴井先輩に言うために何度も心の中で復唱していたから、言い間違えたり、言葉に詰まったりはしない。

私の口から、言葉は滑らかに流れ出る。


「佐倉の連絡先、教えてください」



天井を仰ぐ。

保健室の、明るい天井。

園田先生は、急かすことなく私を待ってくれている。


気持ち。

吐き出したい、私の気持ち。

ゆっくりと、自分の心に向き合う。

私が抱えているものが何なのか、見つめ直す。

何重もの殻に覆われたその奥にあるものを手に取り、じっと眺める。

いなくなったあとも彼に思われ続ける楓ちゃん、彼と一緒の時間を過ごしている瀬尾さん。

二人へと抱く気持ちが、私の中で綯い交ぜになっている。

多分、解いてみても二本の糸はほとんど同じ色だ。


嫉妬。


その一言で説明のつく感情を、私は、やり場がわからなくて、ぐしゃぐしゃにして、心の奥に押し込んだのだ。

直視するのが怖くて、見えないところに追いやったのだ。

自分の中に生まれた感情を、なかったことにしたくて、でもできなくて、無視し続けてきたのだ。


嫉妬の感情を生んだ理由なんて、考えるまでもない。

そんなもの、本当に、考えるまでもない。

彼を見る時の私がどんな気持ちでいるかなんて、自分が一番わかっている。

楓ちゃんがいなくなってから、余計に表に出せなくなってしまったこの気持ち。

瀬尾さんことを知ってから、さらに膨れ上がったこの気持ち。


その場所に、私もいたかったのに。

私の横で、笑っていてほしかったのに。


今ここで、出し切ってしまってもいいのかもしれない。

全部吐き出して、なかったことにしてしまってもいいのかもしれない。

そうすれば、この気持ちを彼に背負わせることなく、気付かれることなく、事を終えてしまえる。

そう考える自分がいることは、否定できない。

今までずっと、そんな自分と過ごしてきたのだ。


だけど、だからこそ。

今この瞬間、私が選ぶべき選択肢は。

掴み取りたい選択肢は。


「先生、ありがとうございます」

私は椅子から立ち上がる。

「ん?私、まだ何もしてないよ?」

とぼけたように先生は言う。

「そんなこと、ないです。こういうこと言ってもらえるの初めてだったんで、ちょっと辛くはありましたけど、でも、おかげで気付けました」

先生は、黙って私を見ている。

勢いに任せて立ち上がってしまったから頭の方はまだ追い付いていなくて、何を言うべきなのかわからなくなる。

それでも私は、次に紡ぐ言葉を必死で組み立てた。

「全部ここで吐き出していきたい気持ち、なくはないんですけど、やっぱり私、真面目みたいです」

そんな台詞を口にしたせいか、少しだけ笑ってしまう。

「その相手は先生じゃないな、って。ぶつける先が違うなって、思っちゃいました」

自分勝手なのはわかっている。

けれど、彼のせいで生じたものを彼に返すのは、ある意味で理に適っているのではないか?

そうやって自分に言い聞かせることが、今はほとんど苦にならない。


「そう」

返事をする先生の微笑みは、とても柔らかい。

「私、そろそろ行きますね」

「ベッド、使わなくていいの?空いてるけど」

「大丈夫です。今は、寝てる場合じゃないので」

「わかった。だけど、無理はしちゃダメよ?」

「はい、もちろん」

先生に向かって、感謝の意を込め一礼する。

それから、私は保健室を出ていく。

「がんばれよ〜」

扉を閉める直前、先生が私に向かってこう言い放った。


多分、これから私が何をするつもりなのか、バレてしまっている。

でもそんなこと、気にしていられない。

廊下の途中で携帯を取り出し、電話をかける。

けれど、話し中で繋がらない。

仕方ない。

私は、彼の教室へと向かい始めた。

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