変化する関係について

4-1

「なぁ佐倉。お前、ここ最近ずっと元気無いよな」

食堂でうどんを啜っていると、向かいに座っていた田島が唐突に話し掛けてきた。

「どういう意味だ?」

「どういう意味って、そのまんまだよ」

別に、そんな感じはしない。

僕はいつも通りだ。

「顔色もよくねぇしよ」

「そんなにか?」

「元々いい方でもないけど、今はそれ以上だぞ」

朝、鏡を見て自分の顔を確認はしていたが、特に変化は感じなかった。

まぁ、自分の変化には気付きにくいというし、本当に顔色が良くないのかもしれない。


「なんかあったのか?」

思い当たる節は無いでもなかった。

この前の、喫茶店での彼女の言葉。

それがずっと心の奥で燻ぶっていている。

だけど、そのことは田島には言わない。

田島に限らず、僕は言えなかっただろう。

楓のことだから。


「ちょっと疲れてるのかもしれないな」

僕は誤魔化した。


「ま、別に言わなくてもいいよ。無理に聞くつもりはないし」

けれど、田島は深く追求してこない。多分誤魔化したのはわかっているんだろうけど、こいつはそういう距離の取り方が上手いやつなのだ。

「じゃ、食べ終わったし俺は先に行くわ。またあとでな」

田島は席を立ち、食堂を出ていく。

僕は再びうどん啜りだしたが、頭の中では楓と瀬尾さん、そして流花姉の顔が浮かんでは消えていた。


ふわふわとして、足元が覚束無い。

そんな感覚にいつしか慣れてしまっていて、気付けばずっと、僕の視界は灰色だ。


あの時、僕が瀬尾さんに放ってしまった言葉。

あの時、流花姉が僕に投げかけた言葉。

それらが渦巻いて脳に絡まっていた。

僕が見ているものは、いったい何なのだろうか。

虚空に投げた問いに答える人は、誰もいない。



生徒会室で鈴井先輩からあの話を聞いて、どれくらいの時間が経っただろうか。

昼休みの教室。

最近はなんだか気持ちが乗らなくて、屋上に行く頻度が少なくなっていた。

行ったところで、どうせ。


そんなことを考えて、窓の外に目をやりながら自分の席でぼんやりとしていた。

食欲も湧かないから、お昼ご飯も無し。

「なぁ、瀬尾」

そうしていたら、ふと、男子が話しかけてきた。

振り返って声の主に目を向ける。

こいつは確か、あの時、佐倉と一緒にいたやつだ。

名前は覚えてないけど。

「何?」

「あのさ、佐倉となんかあったのか?」

「……なんで?」

何故、私にそんなことを聞いてくるのだ。

教室を見回すと、佐倉はいなかった。

「いや、この前までさ、佐倉と瀬尾、よく話してたじゃんか」

その言葉に少しびくりとする。

屋上のこと、それを知っているのではないかと疑ったのだ。


「ほら、朝によく席でさ」

「あぁ……そのこと」

「最近、それがあっさりしてんなって思ってよ」

「別に、あんたには関係無いでしょ」

私はそう言って彼から目を背ける。

今はその話をしたくない。

だけどこいつは、私の返事を無視して話を続ける。


「佐倉、あいつな、元々、あまり人と関わろうとしないやつだったんだよ」

「……」

「なんつーのかな。自分の周りの世界に興味が無さそうっていうか、視界に入ってない、目を向けてない、そんな感じがしてたんだ」

それは、わかる。

あいつと話しているとき、その目はじっとこちらを見ているはずなのに、その瞳に私は映り込んでいないような感触を覚えるのだ。

最初のうちはそれがどんな感覚なのかわからなかったけれど、あいつと一緒に過ごすうち、次第に伝わってきた。

同じ場所で時間を潰していても、初めのうちは会話はまばらで、一人が二人いるだけの、今までと変わらない空間だった。


どちらがだろう。

多分、お互いにだ。


そのことに慣れてきて次第に言葉を交わす頻度が高くなり、いつの間にか最初の頃にあった妙な居心地の悪さも薄れていた。

その時からも感じていたあいつの視線の違和感。

見られているのに、見られていないような感覚。

その正体を、私は多分、知ってしまった。


「そんな佐倉が、人に自分から関わってるのなんて初めて見てさ。あれ、なんか変わるんじゃないか?って思ったんだ」

佐倉に楓と呼ばれたあの日。

鈴井先輩にそのことを尋ねたあの日。

篠崎楓という女の子が佐倉に残した爪痕を、私は知ってしまった。

私は、その痕を埋める存在として見られている。

そのことに、気付いてしまった。


「そしたらよ、今は、なんか昔のあいつに戻っちまったみたいな感じがしてよ」

きっと佐倉もあの日、私に見ていたものの正体を自分で知ってしまったのだろう。気付いてしまったのだろう。

だからあれ以来、彼は私から距離を取るようになった。

私は、彼を取り巻く風景の一部に戻ってしまった。世界の外側に、溶けてしまったのだ。


「なんかあれだ、友達としてはそういうの見過ごせないよなって」

友達。

そうか、あいつにも友達がいたのか。

こういうところを気にかけてくれる、いい友達じゃないか。


でも、それじゃぁ、私は彼にとっての何だったんだ?


「だから、もし瀬尾が佐倉となんかあったんなら、それ、どうにかなんないかなってさ。よかったら、俺も力になるし、なんなら間を取り持つよ」

そんな台詞も、私の心には響かない。


どうにか?

どうにかって、どうすればいいんだ?

そもそも、私はこの状況をどうしたいんだ?


問い掛けは、答えを得られぬままに降り積もっていく。

私の思考は、自分の内側に潜り込んでいった。



生徒会選挙が近付いていて、放課後の生徒会室は騒がしくなっていた。

今日は副会長の千代田さんと書記の田島くんも来ていて、普段にはない賑やかさがある。


選挙管理委員は別にいるし、この部屋を使うわけじゃないのだけれど、新しい代に引き継ぐために片付けをしたり、持ち込んだ私物を持って帰る準備をしたり、色々とやることがあるのだ。

多分、新しい生徒会長は千代田さんだろうから、そこまで頑張って片付けなくてもいいかもしれないんだけど。

そんなことを考えながら、私は自分の机をぼんやりと見つめていた。

あの日以来、私の心はずっとざわついたままだ。

なんだか物事に集中できなくて、勉強もほとんど捗らない。

正直、自分がこんなに脆いとは思わなかった。

こんなことで足がふらつくなんて、思いもしなかった。


「あの、先輩?」

「え、あ、なに?」

ぼーっと突っ立っていたら、千代田さんが話しかけてきた。

「先輩、どうかしました?顔色良くないですよ」

「……そう?」

自覚はあった。

ここ最近、朝に鏡の前で自分の顔を見ると、そこにはいつも以上に暗い目元とくたびれた表情をした自分がいて、家を出るまでになんとかそれを整えるのがとても大変だったのだ。

「風邪かなにかですか?」

千代田さんが心配そうな顔で尋ねてくる。

「ううん、違うよ」

だけど、平気とは言いづらい。

「最近、あまり眠れてなくて」

嘘ではない。

ベッドの中に入っても、頭の中をぐるぐると思考が巡り、寝付くまでにかなりの時間がかかるようになっていた。

「受験勉強のストレスかな?」

意識して笑顔を作って、そう答える。

千代田さんを誤魔化せるはずがないとはわかっているのに、身体が勝手にそうするのだ。

「先輩、あまり無理しないでくださいよ」

本棚に詰め込まれていた雑多な小物たちを整理していた田島くんが、こちらを向いてそう言った。

「無理は、してないよ」

「無理してる人は皆そう言いますね」

田島くんはそう返してくる。

「片付け、別に急ぐわけじゃないんで、つらかったら保健室にでも行ってくださいよ」

「そうですよ。この時期に身体壊したら大変じゃないですか」

二人して私に詰め寄ってくる。

そんなに迫られると抵抗しにくい。

「わかった。わかったから」

そんな後輩達の強引な押しを受けて、私は生徒会室から追い出されてしまった。

鞄も持たされ、部屋の鍵も取り上げられた。

「こっちはしっかりやっときますから」

「鍵もちゃんと返しておくので、大丈夫です。ゆっくり休んでくださいね」

「う、うん。よろしく……」

生徒会室の扉は、そうして閉じられた。

ぽつん、と廊下に立ち尽くす。


仕方ない。

好意に甘えて、ひとまず保健室にでも行こう。

少し休めば身体の調子も戻るかもしれない。

そう、自分に言い聞かせた。

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