顕現する過去について
3-1
放課後、いつものように生徒会室で一人のんびりと勉強をしていた。
夏休みが明けて、受験勉強はより一層と本格化してくる。
この部屋を半ば私物化することに最初は抵抗感があったけど、何ヶ月も経てば薄れてしまう。
あまり人には言わないのだけど、冷房が使えるというのがこの季節における生徒会室の一番の利点である。
教室の冷房は放課後になれば使えなくなってしまうけど、生徒会室のそれは管理系統が違っているから、監視の眼なく使えるのだ。
もうそろそろ新しい生徒会長が決まり、この部屋を手放すことになるのが、ちょっと惜しい。
ふと、湯呑みのお茶が冷えているのに気が付いたので、それを飲み干してから新しいお茶を淹れようと席を立ったら、扉をノックする音がした。
誰かが来たようだ。いったい何の用だろう。先生か?
そんなことを考えていると、扉の向こう側からは意外な声が聞こえてきた。
「鈴井先輩、いますか?」
瀬尾陶子、彼女の声だった。
*
「どうしたの?瀬尾さんの方から来るなんて」
あれから何度か、彼女は生徒会室に来ている。
つまり、そのくらいの頻度で私は校長から瀬尾さんの事情聴取をお願いされているということなのだが、彼女が協力してくれるようになったので随分と気が楽になっていた。
ひとまず彼女を部屋に招き入れ、お茶を淹れる準備をする。
普段から大人しい彼女だけど、今日は一層静かな雰囲気を纏っている。
私の問い掛けにも答えず、考え事でもしているのか、少し俯きながら難しい表情をしている。
何か相談事でもあるのだろうか。
そういう時は無理に急かさず、相手が口を開くのをじっくり待つのがいい。
私は黙ってお茶を瀬尾さんの前に置き、自分の席に戻る。
実に五分くらいの間を使ってから、ようやく瀬尾さんは口を開いた。
「鈴井先輩、楓って、誰のことですか」
その台詞に、私は背筋に嫌なものが走るのを感じた。
何故、その名前を。
「……誰にその名前を聞いたの」
意識していたわけではないが、かなり圧迫感のある声色で話しかけてしまったと思う。
それほどまでに、私は動揺していた。
「佐倉が、私に向かって呟いたんです」
瀬尾さんの答えは、私の喉を詰まらせる。
その言葉の持つ意味を、私はすぐには理解できなかった。
しばらく、黙ったままでいたと思う。
それでも私は、声を絞り出して瀬尾さんに尋ねる。
「……それを、どうして私に?」
「佐倉は、答えてくれなかったから」
彼は、答えなかった。
やはり、そうか。
彼はまだ引きずっているのか。
薄々わかってはいたけれど、その事実は私の心に棘を突き刺す。
彼の心の中は、まだ楓ちゃんのことで一杯なのか。
「なんとなく、佐倉のことなら先輩は知っているんじゃないかと思って、聞きにきたんです」
「そう……」
今の私は、その一言を返すことしかできなかった。
次は、私が黙って俯く番だった。
なぜ瀬尾さんは彼女のことを聞きたがっているのだろうか。それを考えていた。
彼と、瀬尾さん。屋上で、一緒に時間を過ごす二人。
それがいったいどういう関係なのか。
どんな風に築かれていったものなのか、わからない。
けれど、多分、彼女にとっての彼は。
私は、自分の口を無理矢理に開いて言葉を捻り出す。
「ねぇ、瀬尾さん」
「なんですか?」
「知りたいの?佐倉くんのこと」
この質問は、何か決定的な選択を彼女に迫っているような、そんな気がした。
少しの沈黙のあと、彼女の答えが返ってくる。
「はい。知りたいです、佐倉のこと」
彼女の目はいつになく真剣で、真っ直ぐに私の目を見つめてくる。
その視線から私は目を逸らしたくて仕方なかった。
何も答えずに、その場を逃げ出してしまいたかった。
だけど、そんなことはできない。彼女に不実を働けない。そういう生き方を、私はしてこなかったから。
彼が、瀬尾さんに向かって楓ちゃんの名前を呟いた。そのことが意味するものを考えれば、彼女に楓ちゃんのことを話さずにいるのは誠実さに欠ける行いとなってしまうだろう。
灰色の殻で、自分の心を覆い隠す。
私は、自分がやらねばならないことをその殻に刻む。
時間をかけて、私は覚悟を決めた。
*
「篠崎楓」
私は、彼女の名前を口にした。
「それが、フルネームですか」
「うん」
「どんな人なんですか?」
「楓ちゃんは、佐倉くんの、昔の彼女」
「え?」
瀬尾さんは、目を見開いて驚いている。予想もしていなかった答えだったのだろう。
だけど、私がこれから放つ言葉は、きっと彼女を更に動揺させてしまう。
でも、言わなければならない。
「彼女は佐倉くんと同じ歳の子だった」
「……だった?」
「今はもう、この世にいない人」
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