2-5

翌日の昼休み。私は屋上ではなく別の場所にいた。

生徒会室だ。


昨日言われた通り、鈴井先輩の呼び出しに応じてやってきたというわけである。

「わざわざ来てもらってごめんね。はい、お茶」

ぼんやりと椅子に腰掛ける私に、鈴井先輩が手慣れた様子でお茶を淹れてくれた。

「ありがとうございます。ここ、ポットとか置いてあるんですね」

「何年か前の人たちが持ち込んで、そのまま置いていったみたいなの」

古びた電気ポットに急須と湯呑み。長机の上には御茶請けも置いてあり、くつろぐための準備が整っている。


「今日って、先輩以外の人はいないんですね」

「いつもそうよ。特に昼休みはね。普段からここを使ってるの、私くらい」

彼女はそう言って微笑む。

そうか。ということは、この生徒会室は半分、鈴井先輩のプライベートな空間でもあるのか。

「いいですね、一人きりで部屋を独占できるって」

「……そうね、落ち着きたいときにはいい場所よ」

鈴井先輩はそう言ってからお茶を飲む。


無言の間が続く。

「それで、私がここに呼び出された理由って何なんですか?」

「え、あぁ、そうだったわね」

彼女は、うっかりしていたという表情を浮かべる。

「私、何かしましたっけ?」

「いえ、そういうことじゃないの。ちょっと話をしたいだけ」

「?」

「その……、最近の学生生活の具合、とか?」

「わざわざここでする必要あります?」

「そう、そうよね……」

なんだか要領を得ない。

「そもそも、なんで私なんです?」

「えっと、それはね……」

そう言ってから、鈴井先輩はしばらく考え込んでいた。

彼女が黙ったままになってしまったので、私はお茶を飲み、適当なお菓子をつまんできた。のり煎だ。


「そうね、隠しておく必要はない、というか、隠すのはよくないわね」

のり煎を食べ終える頃に、鈴井先輩が呟いた。どうやら何かの結論が出たらしい。

「どうかしました?」

「瀬尾さん、最初に謝っておくね。ごめんなさい」

「何のことですか?」


「その、私、聞いてるの、瀬尾さんが中学三年の時に起きたこと」


お茶を飲もうとしていた私の手が止まる。

「……誰から聞いたんですか?」

どうせ、同じ中学の連中だろう。そういう噂は人の口から口へ、どんどんと広がっていく。

それが生徒会長の耳に入るのも、なんらおかしいことではない。

答えあぐねている鈴井先輩の言葉を待たず、私は続ける。

「それで?また何かやらかさないかって監視でもしようってことなんですか?」

ちょっと冷たい物言いだったかもしれない。

しかし、私にはそれ以外の理由がわからなかった。


この台詞を聞いて鈴井先輩は慌てて手を振る。

「そうじゃない。そうじゃないの」

「じゃぁ、どういうことなんですか?」

「私が話を聞いたのは、校長先生から」

「校長?」

「校長先生からお願いされたのよ。あなたの学生生活が、前みたいなことになってないか、無事に送れているのか、それを確認してほしいって」

「なんで校長が私を直々に?」

「校長先生は、瀬尾さん、多分、あなたのお父さんから話を聞いてるみたい。そんなことを匂わせてたわ」


は?

何故、ここで父さんが出てくるんだ。


そんな疑問をよそに、鈴井先輩は続ける。

「こういう話って、他の場所じゃしにくいでしょ?だから、生徒会室に来てもらって話を聞こうと思ったの」

「……それって、結局監視みたいなもんなんじゃないですか?」

「そんなつもりはないわ」

鈴井先輩は首を振る。

「……多分、心配してるんだと思うの。だってほら、今も瀬尾さん、その、周りの人からは……」

鈴井先輩は言いにくそうに言葉を紡ぐ。


確かに、周りの人間からは距離を取られている。しかし、中学の時みたいに何かをけしかけてくるようなやつがいるわけではない。

私からすれば、現状は平和なものだと言っていい。

「だけど、なんで今更」

呼び出しが始まったのは今年の四月くらいからだ。それまで、何もなかったではないか。

「私にはわからないけど、去年の終わりとかに何かあったんじゃないの?その、お父さんとかに」

少し考えてみたが、思い当たる節はない。


それに、そもそも私のことが気になるのなら、学校を経由せずに直接聞きにくればいいではないか。そんなこともできないのか、うちの父親は。

おそらくしかめっ面になっているであろう私を見て、おずおずと鈴井先輩が口を開いた。

「その、それで、実際どうなのかな?何かトラブルがあったりとか、しない?」

「……特に無いですよ。平穏です」

「言いにくいこととかあったら、その、先生とかには言わないから。私で良ければ相談に乗るし」

鈴井先輩の腫れ物を触るような態度が少し気に食わないけど、まぁ、中学のときにあんなことをしたのだ、仕方のない部分もある。

「……大丈夫ですよ。本当に」

私は意識して微笑んだ。

鈴井先輩はそんな私をしばらくじっと見つめていたが、諦めたのか納得したのか、ふぅ、と大きな溜息を吐く。

「そう。ならいいの」

どうやら緊張していたらしい。


「瀬尾さんが言ってたようにね、なんだか監視してるみたいで、正直あまり心地良いものじゃないわ、これ。本当ならこんなこと、したくないんだけどね」

「先輩、自分で言っちゃうんですね」

「ごめんね。でも、隠しても瀬尾さんにはわかっちゃうかなって思って」

あはは、と彼女は笑う。

「だけど、もし悩みとか出来たら遠慮なく言ってね。一先輩として、ちゃんと相談に乗るから」

「……ありがとうございます」


多分、嘘ではないのだろう。

態度でなんとなくわかる。この人は、良い人過ぎて張り詰めてしまうタイプだ。

「私にじゃ難しくても、ほら、佐倉くんとか、ね」

なんでそこであいつの名前が出るのだ。

「なんか、よく一緒にいるみたいだし」

「よくってほどでもないですよ」

しかし思い返してみると、これにはちょっと嘘がある。あいつとの遭遇回数はこの一ヶ月くらいで急激に上昇してしまった。


「逆に、彼の方から悩みを相談されたりするかもしれないけど」

「佐倉から?悩みありそうな顔してませんよ、あいつ」

「……やっぱりそう見える?」

「見えますね」

そういえば佐倉が言ってたな、鈴井先輩は心配性だ、と。

「あいつのことなら、あまり心配しなくてもいいんじゃないですか」

「そうかなぁ」

「それに、何かあったらまずは先輩に相談するんじゃないですか。幼馴染、なんですよね?」

「佐倉くんから聞いたの?」

「はい」

「……そうだといいんだけどね」

鈴井先輩は微笑みながらそう言ったが、表情はどこか寂しげだった。


「さてと、そろそろお昼休みも終わりかな?瀬尾さん、ありがとうね」

「こちらこそ。お茶、ごちそうさまでした」

「いえいえ、お粗末様でした」

私は席を立ち、出口へと向かう。

扉に手をかけて部屋を出ようとしたとき、後ろから鈴井先輩が声をかけてきた。

「佐倉くんのこと、よろしくね」

どういう意味だろう。さっきも言っていたお悩み相談だろうか。

「はぁ、まぁ、ほどほどにやっときます」

私は深く考えず、適当に答えた。

言葉の内容よりも、鈴井先輩の思い詰めたような表情が気になってしまったのだ。

だけど、追求するのは何故だか躊躇われ、私はそのまま部屋を出て、教室に戻っていった。


その時の言葉の意味を私が知るのは、少しだけ後のことになる。

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